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蝕喰(しょくばみ)  作者: 犬丸
蝕喰=♂・ナオト編
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第一章・9  「単純なやつ」

 空は雲一つなく冴え渡り、風は優しく肌を撫でてくる。風に揺れ、視界を邪魔する髪を掻き上げると目の前には六十人の同期の顔があった。


 横一列に並び、みんなの目線は一ヵ所に集中している。閉じた正門に浮き足立つのは、それが開いた時の事を想像してしまうからだろう。


 胃が削られるように痛く、どれだけ深呼吸を繰り返そうとも肺にはまるで空気が入ってこない。門の向こう側にいる見えないものがすぐそこで待ち構えてる気がして、全身に重圧がかかる。


 抜けるような青空のもと行われるのは、卒業試験だ。


 同意書を提出し、正門の前に並んで静かに開始を待った。今か今かと合図を待つヒロトと違い、俺は手に汗を握りしめていた。


 死ぬかもしれない――、恐怖心から門が歪んで見える。視線を下に向けると、震える足に気づき思わず苦笑した。


 前の世界で、こんなにも息苦しい思いをした事があっただろうか。


 あの頃の俺が唯一勇気を振り絞ったのは、度胸試しで幽霊を探した時くらいだ。それがどうだろう。この世界には、それを遙かに上回り、しかも目に見えて危険だとわかる生き物がわんさかといる。


 ふと、初めて外で訓練を受けた日を思い出した。


 長く続いた座学が終わり、みんな解放されたと言わんばかりに張り切っていた。先生から長距離走だと告げられ、ただのランニングだと基礎訓練初日は誰もが外の世界を甘く見ていたんだ。

 

 正門を目の前にしても今のような面立ちの人はおらず、それどころかハイテンションで歯を見せ合いながら笑顔を浮かべていた。


 スタートして、一時間ばかり過ぎた頃だろうか。


 疲れたのか、数名が近道をしようと道を外れ森の奥に姿を消した。直後、聞こえてきた叫び声に全員の足が止まり、何人かが確認のために向かった。


 しばらくして、血相を変えながら戻ってきた一人が派手に転んだ。そして、打ち上げられた魚のように跳ね、やがて白目を向き、大量の血溜まりの中で死んでしまった。


 突然の出来事に状況が飲み込めず、愕然としたが、そいつの背中には蠢く何かがしがみついていた。その生き物の正体がわかった時、誰かが細い悲鳴を上げた。


 どこに潜んでいたのか、囁き声が聞こえてきて、それから瞬く間に集団に身を覆われた死体は残骸と化した。それを見て、森の奥に向かった数名に何が起きたのかを全員が悟った。


 半獣化した旧家の子が助けを呼びに北闇に戻っている間、俺たちはその生き物と死に物狂いで戦い、やがて救出に駆けつけた闇影隊のおかげで一命を取りとめた。


 俺たちが出くわしたのは、三種の中で最も恐れられているハンターだ。

 

 しかしこの件は始まりに過ぎず、今日に至る三年間で大勢の訓練生が犠牲となった。


 過去を振り返りながら何度も深呼吸を繰り返し、また門に視線を向けた。

 

 仮に試験でハンターに襲われたとしても、俺やヒロト、混血者たちは逃げ切る事が出来るかもしれない。でも、他の人たちはどうだろうか。


 俺と同じように訓練を思い出したのか、同意書を提出したものの手を挙げて次々に辞退していく同期たち。気がつくと、俺の右手は無意識に挙がろうとしていた。


 誰だってあんな死に方はしたくないはずだ。


 わけのわからない生き物に残骸になるまで食い荒らされるなんて、麻酔もなしに手術されているのと同じではないか。

 

 それに、別に今日じゃなくてもまた来年頑張ればいい。


 とくに臆病な俺はもっと訓練を積んでからの方が誰にも迷惑をかけずにすむはずだ。そんな思いが胸を過ぎる。すると、俺の手に自分の手を重ねてきたヒロトは、そのまま俺の右手を握ってきた。


 驚いた事にヒロトの手は僅かに震えていて、目が合うと一笑される。




「俺を一人で行かせんじゃねぇっての。ビビってんのはナオトだけじゃねぇんだからよ」


「お、俺は別にビビってないし!」


「……青島ゲンイチロウみたいになりてぇんだろ? ナオトなら出来る。俺は信じてるから」




 熱を帯びてきた目頭に思わず眉をよせた。

 

 俺には闇影隊になる明確な理由がなかった。ヒロトに着いていくように入学し、自分を変えようって意気込んだのも最初だけだった。

 

 ヒロトのように、「人間最強になる」なんて夢もないし、この世界にいる生き物を知ってからは前向きに訓練校に通う事が出来なかったんだ。




「本当になれるかな……」


「それはナオト次第だ。ま、ナオトの憧れのヒーローもビビリだったみてぇだし、気持ち一つでどうにかなる」




 言いながら、俺をあやすように微笑んだヒロトは、続けて耳元でこう口にした。




「それと、父さんから聞いた話だけど……。卒業できたら、俺とナオトは同じ班らしいぜ? 他には五桐(ごとう)カナデと――」




 全てを聞き終える前に、黒い靄が立ちこめていた俺の胸はその一言で太陽の光が差し始めた。挙げかけていた右手はゆっくりと下を向き、目は正門をしっかりと捕らえる。




「マジで?」


「マジだって。ヤバくね?」


「いや、ヤバイよ。絶対に合格しなきゃいけないじゃん!」


「…………ちゃんと話聞いてたか? 今後の不安とかねぇの?」


「んなものないよ。あるわけがない」




 気がつけば、そこには二十人しか受験生はおらず三分の二が辞退していた。残った中にはカナデの姿があり、良い意味で熱くなる体に高揚感を抱く。

 

 今までとは違った目で正門を見る俺はしだいに勢いづき、そして――。




「卒業試験を開始する!全員、位置に着け!」




 門が開いたのと同時に、誰よりも早く前に飛び出した。

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