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第10話 何でもない日

 こうして異世界へと旅立った俺はゴブリンから逃走していると、いつもの襲撃イベントに遭遇した。結果は、かなり運に助けられてのイベントクリアだった。その時の俺に知る術はなかったが、ようやっとの初クリアだ。

 馬車に乗っていたのは貫禄のあるナイスミドルと、執事風の執事の2人。そしてこのナイスミドルの方が、いずれの人生においても訪れることになった街の領主だ。

 帰宅すると彼は助けたお礼にと言葉の不自由な俺に語学の教師をあてがってくれて、その間の滞在も許してくれた。いくら助けたお礼とはいえここまでしてくれるとはかなり男前な領主だ。助けた相手が彼のような懐が深い人物だったというのも運が良かったのだろう。


 1年後には隣国との小競り合いが起こったが、その頃はまだ勉強の途中だったので戦いに駆り出されることはなかった。戦い自体も手前の砦で防ぎきることができて、この土地にまで戦火が広がることはなくすぐに戦争は終結した。その頃には聞く、話す、読む、書く全てのことがある程度できるようになった。

 今後のことだが、領主の下で働けないか交渉してみた。生活のために必死だったのもあったが、なにより彼のために何かしたかったからだ。幸いにも、四則演算ができるだけでも優秀な人材として数えられる程度の教育しか広まっておらず、日本人が持つ真面目な性格もあって快く迎え入れてくれた。

 身寄りもない、言葉も喋れない、なのに礼儀を知り、高等教育を受けている。誰がどう聞いたって怪しさしかない俺はたいそう不気味な存在だっただろう。それが分かっているからこそ、受け入れてくれた以上は本気で頑張ろうと思った。


 働き始めて数年すると、縁談が持ち上がった。相手は勿論領主の娘……ではなく、彼の姪にあたる女性のうちの1人だった。容姿は良く言っても普通。悪くはないのだが、彼の娘を見て高望みをしていた俺にとっては落胆せざるを得ない。いわゆる行き遅れである。

 他にどこか魅力的なところがあるわけでもなく、かといって拒否できる立場でもなかったのでこれは渋々の結婚だった。別に不細工という程でもないし、うん、まあ、うん。


 妻の妊娠、出産と大きなイベントをこなしながらそれ以外は何事もなく順風満帆に過ごしていくこと20年。

 数々の人生で、どうしても越えられなかった難関がやってきた。飢饉と流行り病だ。

 飢饉の方は俺の力じゃどうしようもなく、懇意にしていた領主からの支援がなければ最悪の事態になっていたかもしれなかった。

 だが流行り病の方は、俺の現代知識が大いに力を振るった。街を襲った病は現代でも馴染みのあるインフルエンザ。勿論その時は推測程度でしかなかったが、この手の病気の感染経路くらいは知っている。全員に手洗い、うがいを徹底させ、マスクを開発して着用を義務付けた。

 俺自身が感染しなかったこともそうだが、領主に近い立場にいたことで発言力を得ることができたのも大きい。どちらか1つでも欠けていたら今までの人生と同じ運命を辿っていただろう。


 インフルエンザの流行は数ヶ月すると収束した。流石に全員を救うことなどできず、少なくない被害が出たがそれでも惨事に至る前に防ぐことができた。実際、この働きで街を救った英雄だなんて呼ばれるようになった。

 だが失ったものも大きかった。妻だ。彼女は初期の方に感染しており、看病の甲斐もむなしく息を引き取ってしまった。

 今から考えると彼女が感染したことでいち早く流行を知ることができたのだろうがとてもそんな風には思えず、守れなかった俺の不甲斐なさを嘆いた。『幸運とは何だったんだ! 妻を守れなくて何が幸運だ!?』と唯一会ったことのある女神を思って怒鳴り散らし、呪いさえした。

 渋々ながらの結婚だったが十数年一緒に過ごすうちに、いつの間にか掛け替えのない存在となっていたのだ。


 妻が死んでからは彼女の分まで息子、娘に愛情を持って接した。特に息子はそろそろ独り立ちする時期で、次期領主の右腕としての教育をしつつも、それ以外のところでも十分やっていけるように厳しく育て上げ、娘についても政略結婚の道具にされないように便宜を図った。そんな身勝手なことを押し通すのはかなりの困難だったが、英雄として祭り上げられたお陰で不可能なことでもなかった。


 それから更に30年近く――。

 娘が大きくなる頃には妻を失った不幸も、子供達の幸せのための大きな贈り物だったのだろうと思えるようになっていた。

 体の方はというと、すっかり弱くなり寝ている時間が多くなっていた。そんな生活だったから、自分の死期が近いのは何となく分かった。

 そして異世界へ送り込まれて50年余り――歳は70近く、この世界の人より少し長い時間を過ごした後、家族に看取られながら眠るように死んだ。

 死因、老衰による心不全。


◆◆◆


 ――だからさ、こう思うんだよ。

何でもない日常を過ごせることこそ、何よりも勝る幸せだって……。これこそが、俺に与えられた幸運なんだな……って思えるかボケがあああああ!」


 気付けばまたいつもの場所へと戻って来ていた。そう、今回の人生も満足はしてなかった。そりゃ、他に比べればかなり良い方だと思うんだが満足かと問われれば全くもって全然だ。全然ダメだ。


「大体、可もなく不可もないヒロインってなんだよ!? 冴えない彼女でももっと冴えてたぞ!? しかも死ぬし! せめて添い遂げさせろよ!」

「わ、私だって……えぐ……助けられるなら助けたかったよ! でも……でもぉ! こっちからは……ひっく……何もできないんだもん! すずーっ」


 目には涙を一杯に溜めて、盛大に鼻をすすり、泣く寸前の女神がいた。

 いやいや、なんでお前が泣きそうなんだよ。


「だってぇ……だってぇ……大切な人を亡くした伶太を思い出したら私も辛くなって……ぶええええええ! 悔じかっだよね、れいだぁ~! うえええん!」


 いきなり抱きついて頭を撫でてくる。

 いや、もう、ほんと止めろよ、そういうの。俺は何年も前に気持ちの整理はついてるんだから、そんな思い出させるようなことされても……うっ……ううっ。

 ダメだ。頭でそう思ったことを、今言葉に出そうとしても、上手く、喋れなさそうだ。言葉が、喉に詰まって、無理に……ああ、ダメだ、ダメだ。こういうシリアスなのは何十年も前に終わらせたし、そういうの苦手なんだよ。別のこと考えて気分を紛らわさないと。


 未だ号泣している女神を見る。かなり酷い顔だなぁ……。顔をくしゃくしゃに歪めて、ダムが決壊したみたいに涙をボロボロこぼして鼻は鼻水でびちょびちょ。どこかから取り出したティッシュでずびびーっと盛大に鼻をかむ。

 これは美女とか以前に女の子が見せていい顔面じゃないだろ……。お前これ、地の文だったお陰で助かってるけど本当は助かる見込みなかったからな? 九死に一生を得てるだけだからな? 

 女の子の尊厳的なものをもうちょっと大切にしろよとか案じながらも、こうもはばかりなく泣いている彼女の姿を見て心が温かくなる。


 俺が持つ神様のイメージってどこか超然的で俺達とは別の価値観、特に人の生き死にに関しては何も感じることのないやつだと思っていた。それはこんなアホ丸出しの女神でも同じだと思っていたから、俺のために泣いてくれているのは不謹慎かもしれないが、ちょっと、嬉しかった。


「まったく……。なんで俺が慰める側になってるんだよ」

「びえええええ~!」


 だからかもしれない。泣きじゃくる彼女をそっと抱き寄せて頭をポンポンと撫でるなどという、まともな精神状態なら悶死するレベルな上に、イケメン以外がやると大バッシングを受けかねない命知らずな行為ができたのは。

なんか最終話みたいなタイトルになってますが、まだ続きます。

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