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出立

メタンプシコーズ王国は島国である。本島とそれを取り巻く小さな島々は四方を海に囲まれている。海洋に一つぽつんと浮かべられた国は、他国との国交の一切を断ち、独特の文化を築いていた。しかしこれもこの約400年の話である。



「宰相殿っリチュエル殿はいらっしゃいますか!?」



メタンプシコーズ王国王都テールプロミーズの中心部に位置するサン・テスプリ宮殿。宰相執務室に一人の男が飛び込んできた。汗を流し息を荒くしている男は見れば見慣れた側近の一人であった。



「なんだ騒々しい。殿内だぞ、控えろ。」

「は、はっ!申し訳ございません!」



王国軍上がりのこの側近はいつまでたってもその気分が抜けないのか、側近に取り立ててからもやたらと威勢がよく文官らしい落ち着きが足りない。文武共に優れていると言うのに、その態度から軽んじられることが宰相リチュエル・オテルの悩みの一つだった。



「閣下!至急、ご報告すべき事柄がございます!」

「だから声を抑えろと……いや、いい。何事だ。」



確かこの男は北部の海岸に面した街の視察報告を受けていたはずだったとリチュエルは今朝出したばかりの指示を振り返る。今までの報告を見ても何の問題もなく、いつも通り異常なしの報告が来るものとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。ここ数年における異常事態と言えば各地を見舞う異常気象だが、災害の場合はすぐにここまで報告が上り支援の手続きを行う手筈であり、こういった視察報告でまとめて報告されるべき事柄ではない。



「はっ、北部に位置する諸島の一つが半年ほど前に嵐に見舞われました。それから多くのものが海岸に打ち上げられるようになり、それらはすべて島民がそれぞれ処理しておりましたが、一月ほど前に船が一隻打ち上げられました。」


「その船に何か問題があったのか。」


「はっ、その船は北部の諸島周辺で作られる型のものではなく、積み荷もまた見慣れぬものであったため、島民は放置していたそうなのです。しかしそれからすぐに旅の一団が島を訪れ、ほぼ手つかずであった積み荷の一部を持っていってしまったそうです。そして今回視察団がその船を調べたところ、残された積み荷からこんなものが出てききました。」



机の上に置かれた木箱。一部は腐食しており崩れかけている。手早く側近がその箱を開けると。何やら黒い機械が出てきた。少なくとも、リチュエルにはこれが何なのかわからない。更なる説明をと視線を送った。



「こちらは何らかの機械ということしか把握できておりません。しかしながら、この物体の部品、どれをとっても国内で生産されたものではないことがわかりました。」

「……何?」



黒い機械は壊れているようで、継ぎ目から銅線や金具が飛び出している。生憎こういった機械には明るくないためどの部品を見てもそれがどうなのかはわからないが、部下がそういうのであればそうなのだろう。



「他に残った積み荷は?」

「いくつかございますが、すべてひとまず押収し今はまとめて管理しております。」

「他の者への報告は?」

「いえ、リチュエル宰相にのみお伝えして申し上げました。なお、この視察に参加した者、現在漂流物を管理している者には緘口令を敷いております。」



よろしかったでしょうか、と伺いたてる側近に知らず笑いがこみ上げる。やはりこの男は有能だ。いや、むしろ他人から侮られるからこそその有能さが光るのだ。



「よくやった。それでいい。他の者には決してこのことを漏らすな。北部に一つ、私の別宅がある。そこに空き倉庫がいくつかある、適当にそこへ運んでくれ。一応見張りも付ける。人数は適宜、人選も君に任せた。」

「はっ!」

「それから、先に積み荷を持ち去った者たちについても調べておいてくれ。おいおいそちらの指示も私がだそう。頼んだぞ、ヒムロ」

「承知しました!」



火急の報告内容を吐き出したためか、部屋に飛び込んできたより心なしか落ち着いた様子でかっちりと敬礼をした。


ヒムロという男は出自が不明な男だった。親はなく、漁村で育ったらしい。身元の記す書類は穴だらけであるが、実はそのような者は少なくはない。栄えた街や村であれば戸籍の管理も細かく行われているが、人の行き来の激しい諸島や多産多死の漁村農村に関しては管理が非常に杜撰である。そのため、各々適当に出自を作成するのだ。もちろん、位のある家の生まれなどの詐称は露呈する確率が高いので皆しない。それぞれそれらしいものを作るのだ。むしろ穴だらけの身元証明書はヒムロの愚直さを如実に表していた。現に彼はこの国では付けられないような『ヒムロ』という名でさえ隠そうとはしない。


リチュエルは確信していた。この愚直な側近を筆頭に、自分の部下たちは決して裏切らないことを。腹心の誰もがリチュエル自ら取り立てたものであり、その多くが理不尽な理由で正当な評価を得られなかった者たちだった。

宰相が一人は自身の立場が非常に危ういことを自覚している。部下の一人でも自身を裏切れば、今までの努力の全てが泡と化すことを知っていために部下たちの扱いに余念はない。


この国はもはや老い先長くはない。各地から寄せられる不満の声は、国王やもう一人の宰相の耳を素通りしリチュエルの元へと流れつく。この国が崩れるとき、自らの身を保つのに必要なのは現在の上司からの評価や地位ではない。位も家も何もかも白紙にされたとき、頼りになるのは国民からの評価である。ゆえにリチュエルはあえて村や街に赴くような面倒な政務や王に伺いたてるレベルでないことは全て自らの名をもって行った。もはや実質的な政務を行うのはほとんど宰相であるリチュエルとなっている。


国王であるアルシュ・メタンプシコーズ・ロワは怠惰の限りを尽くし、国民に姿を見せることも稀で王宮に引きこもっている。しかし政治にも口出ししないため、暴虐な君主というわけでもない。リチュエルが執り行うことについてもただ「そうせい」と言うばかりで政務の妨げ、害悪とはならない。そうであるため、誰もが放置してきた。飾りであるのであればそれはそれで構わない。しかし現王はある場面においては決して傀儡であることを良しとせず、意思を主張することがある。



それが開国の禁である。



アルシュは開国、他国との交易だけは決して許可を出さなかった。

王宮から外に繰り出すことのない彼が、他国の脅威など知るはずもない。しかし彼は本能的に感じているのであろう。他国との国交が始まれば、容易く自らの地位は危うくなると。


国交が始まれば、おそらくこの王政府は早急に他国の技術を取り入れない限り、あっさりと崩れてしまうだろう。そしてそれは不可能である。少なくとも身内であるリチュエルから見ても、王政府は腐敗していた。家や地位に縋り血族にいらぬ誇りを抱いている連中は、そうやすやすと新しいものを認めようとはしない。だがこのままなあなあな政治を続けていれば国民の不満は爆発する。



どちらを取ろうとも、王政府はすでに風前の灯である。

国民のために政府がある。しかし政府のための国民となったとき、崩壊は秒読みなのだ。

開国の意思はなく、かといって国民の不満解消の妙案もない。

若き王は政務を放り、腐り切った役人は追従するように媚び諂う。



宰相リチュエルは早々に現政府に見切りをつけた。

秘密裏に異国に関する物を回収し、ありとあらゆる方面に精通した部下を抱え込む。個人的に調査を行い、政府を倒す意思のある者たちとのコンタクトを取る算段を付ける。もしも王政府側の人間に少しでも漏れれば即日の斬首は免れない。例え現在の政務の大部分をリチュエルが執っているとしても、アルシュは躊躇いなく処刑する。他の政府関係者も真偽がどうあれ王に次ぐ権力者である宰相の席が一つ空いたと沸くくらいだろう。


だがだからと言って他のものと同様に沈黙を守ったとして、行き着く先は政府と共倒れする未来だけだ。

静かに根回しだけ進めておく。誘うように餌をたらしておけば、わかる者は食いつくのだ。

リチュエルは荒廃の一途を辿るであろう王国のその先に、栄えある新たな国の姿を見た。




******




王都テールプロミーズ南部地区郊外。ひしめき合う簡素な住宅街は独り身の者に丁度良い物件で、妻帯者でない兵士が多く住んでいる。遠征で家を留守にすることの多い者たちだが、わざわざ好き好んで屈強な軍人の住まいに忍び込もうとする不届き者はまずいない。


日の出を待たずに活気を帯び始めるのはいつものことだが、この日は少し違っていた。

今年の新兵となる者たちは浮き足立ち暗いうちからバタバタと動き回る。入隊式の当日にこうなるのはここら一帯の年中行事だった。



「カルムさん、ナイフ貸して。」

「ん、ほら……。ああ、そっちの胡椒と塩取ってくれ。」

「ん……。」



ナイフで角パンを切りながら、ストーブの上でシュンシュンと音を立てるケトルを横目で見た。パンとハムを切ったらちょうどお湯が沸くからカップと砂糖を用意して、いつも通りの手順を頭に浮かべ皿にパンを置いていると、フライパンでベーコンと卵を焼いていたカルムクールが妙な視線をこちらに送っていることに気が付いた。ちらりと視線を上げるが、ナイフを手に持っている以上顔をそちらに向けるわけにはいかなかった。



「……何?」

「あっ、いや、さあ……今日入隊式だろ?なのになんかアルマのんびりしてるっていうか、いつも通りみたいだから、大丈夫なのか?近くに越してきた新兵の奴、さっきもう家から出てったぞ?」



遅かったかと、壁に掛けられた時計に目をやるがまだ時刻は日の出前。入隊式は10時、荷物を運び入れる時間を考えてもまだ3時間近く余裕がある。



「大丈夫。むしろその出て行った奴が早すぎる。まだ寮に荷物もいれられない。待ちぼうけ食うだけ。」

「で、でももしかしたら本部への道が混んでるかもしれないし、迷ったりするかも……。それに早めに行けば他の新兵たちと仲良くなれるだろ?」



眉をハの字にしていかにも困った顔をしてみせるカルムクールは実年齢よりも若く見える。日常において何かと心配性な彼は、任務中の放任主義とは全く人が違う。



「カルムさん……遅刻するほど道が混むことはまずない。迷うも何も何年ここから本部まで行ってると思ってる。それに別に仲良くする必要はない。業務連絡に必要なコミュニケーションが取れれば十分。」



それからフライパン、煙り出てる、とハムを切りながら付け足すと慌てて火からフライパンを離す。少し焦げ臭い気もするが、おそらく食べられないということはないだろう。丁度よく湯が沸き、マグカップを二つ戸棚から取り出し葉を入れたポットに湯を注ぐ。特に食に関してこだわりのない二人はずっと同じ茶葉を使っていた。嗅ぎなれた香りにほう、と息を吐く。



「おれのことより。カルムさんの方こそまだ寝間着だけど大丈夫なのか。」



早番であればもう家を出ていないと時間は危うい。非番であれば昼前までのんびり寝ているのだからその可能性はなく、何より本部大佐であるカルムクールが入隊式に出ないということはまずないだろう。



「おれは今日の業務は遅番だし、式にも顔出すだけだからそう急いでもねぇんだ。」

「……何で遅番?式に出るならいっそ朝から仕事に出れば良い。」

「朝から入れたら式の準備やらに駆り出されて早番と大してかわんなくなるからな。それに今朝はできるだけ余裕が欲しかったんだ。」

「……自分は余裕が欲しいのに、おれは急かされてるのか。」



ジトリと恨みがまし気に見ると苦笑いしながらテーブルに並べられた皿に目玉焼きとベーコンを乗せた。



「アルマ……何でおれが余裕ほしいか、とか聞かないのか?」

「別に。そういう気分だったんじゃないのか。……聞いてほしいのか?」



視線を感じパンにマーガリンを塗る手を止めずについ、と彼の方を見ると期待に満ちた目でおれの方を見ていた。何年も一緒に過ごしているが、いまだにあからさまな表情が果たして素なのか確信犯なのかわからずにいた。



「……何で今日は余裕が欲しかったんだ。」

「あのよ!せっかくのお前の門出だからさ、ちゃんと見送ってやりたかったんだよ。『いってらっしゃい』ってさ。」



そんなことで、と口から出そうになったが、ニコニコと上機嫌な後見人に言うべきではないと思い、口にハムとレタスの乗ったパンを詰め込んだ。

カルムクール・アムに拾われ8年。アルマ・ベルネットは利用する気しかなかった男に多少気を遣おうとするくらいには絆されていた。無論本懐は微塵も変化していないが、この無条件に親切な男に対し二心があることに罪悪感を抱くほど。歳が16、王国軍に本入隊できる年になり、こうして今日入隊できるだけの手筈が整った。この時点でもはやこの後見人である男に用はない。



今日から半年、新兵は実地訓練となり王都から離れる。つまりおれにとっては後見人であるカルムクールとの関係を切るのに御誂え向きの理由だった。8年間カルムクールの下で働き、共に生活してきたが、新兵として入隊してしまえば入隊以前どこに雑用として所属していたかなどは関係なくなり、ある程度人事について希望が出せるとはいえ地方へ飛ばされる可能性も十二分にある。

口にパンをつめたままギュッと眉を寄せた。

カルムクールの口ぶりからして、おれがここへ帰ってこないことを欠片も懸念していないのだ。実地訓練が終われば自分の隊に戻ってきて今と変わらない生活が続くと信じて疑っていない。なんと返せばいいものか、黙って顎を動かした。



「……『ただいま』って言えないかもしれない。半年したら地方に飛ばされるかも、しれない。」

「いや?実地訓練の評価が良ければ半年で本部に戻れるぞ。アルマなら新兵の中で引けをとることなんてないだろうし、希望を出せばちゃんと通る。」

「…………身内贔屓。」

「上司としての客観的評価だ。」



にっと笑う直属上司に目を泳がせながらまたパンに齧り付いた。このままこの男の下に居ても、問題ないというのもおれにとって事実だった。


革命軍のアルマ・ベルネットが死に、革命軍二代目総長メンテ・エスペランサが処刑された戦いまで、あと10年。初めて革命軍と王国軍がぶつかり互いに壊滅状態へと陥った大火炎の戦いまで、あと4年。

全く違う人生を歩みながらも、着々と世界はおれの知っている世界へと近づき始めていた。


徐々に勢力を拡大していると噂の影の集団、革命軍。いまだその姿ははっきりしないがそう遠くないうちに各地での活動が公になるだろう。

たとえこうして今の仲間たちに絆されていたとしても、罪悪感こそ抱けども未来への覚悟は確かであり、揺らぐことのない自信があった。

おれと同じようにハムとレタスの乗ったパンに齧り付いているカルムクールは、ハムだけがずるりと抜けてしまい顔を顰めている。


今の人生は、前回と比べてひどく平和だった。恐ろしく、何もない。ただただ保護され、その状態に甘えている。

端が焦げてカリカリになったベーコンと目玉焼きを重ねて口に入れる。



「アルマ、お前は強い。おれの部隊の中でも突出した戦闘センスもあるし、身軽で度胸もある。でも協調性が驚くほどない。今の部隊だとみんなお前に慣れてるしある程度合わせて戦えるが、新兵の中だと協調性のなさが際立つぞ?」

「…………、」



話が最初の方に戻ってきたことに気づき眉を寄せながら、口に物が入っていて話せないアピールをする。



「他の新兵たちは訓練学校で一緒に何年も過ごしてるからその中でもある程度協力することができる。でもお前みたいに雑用上がりで個人プレイが過ぎると浮くしいじめられるかもしれねぇし、単純に高評価を得るのも難しくなる。半年だとしても、ある程度個人的にも同期たちと仲が良い方が得だぞ?」



ぐぐ、と眉間に皺を寄せるおれを鏡映しにするようにカルムクールも皺を寄せる。

アルマ・ベルネットとカルムクール・アムの性格は正反対だと言って相違ない。


おれは指示が出ればそのように動き、指示がなければ自ら判断して動く。しかしその判断の中に他の仲間の行動は一切考慮されていない。戦闘中に誰かと協力しようという気は毛頭ないと言っても過言ではないし、一人で大抵のことができるという実力と自信があった。


一方のカルムクールは一人で切り込むことは全くない。部隊長であることを差し引いたとしても、常に全体を見ており基本的には連携することを前提に行動し、指示を出す。突出した戦闘における能力は挙げられないが、指示を出す能力、人をまとめる能力は特に高い。


おれは不要なコミュニケーションを削ぎ落し、カルムクールはコミュニケーションで信頼関係を築き、それぞれの力を活かす。それはプライベートにおいても同じことが言える。全く愛想もなくコミュニケーションを図ろうとしないおれがこうして8年部隊の中で馴染んでいられるのもカルムクールのおかげであるといえる。おそらく。


アルマ・ベルネットという人間はいわば矛である。それも使い手を選ぶ。命令があれば忠実に従い遂行する。それはメンテ・エスペランサやカルムクール・アムの側にいたからこそ有用だった。下される命令がひとたび自分を含めた大勢となると一瞬で周りが見えなくなる。その性質をわかっていたから矛の使用者は制御するために個人的に指示を出す。しかし軍に入り、新兵となれば状況は一変する。個人に出される命令などないのだ。数年とはいえおれを使ってきたカルムクールは新兵の中に彼の部下が入ればどうなるが目に浮かんでいるようだった。そして彼の言葉を真っ向から否定できない。



「……じゃあ僻地に飛ばされるかも。」

「少しは努力しようとしてみせろよ……。」

「……努力はする。だが期待はするな。」



的確な命令さえなければ目の前の敵がいなくなるまで戦い続ける悪癖に自覚はあった。だが20年近く前からその癖は存在し、矯正できる類のものではなくもはや性質であると諦めている。

これ以上文句とも忠告とも言えないものを聞かされてはかなわない、と残りのパンを詰め込み紅茶で流し込んだ。




******




完全に太陽が顔を出し、夜を払う。使い慣れた長期遠征用の背嚢に荷物を詰めているとようやく着替えたカルムクールがおれの手元を覗きこんできた。



「なんか忘れてるもんとかはないか?行っちまったら半年帰ってこれねぇぞ?」

「わかってる。それにたった半年だ。忘れてもさして問題ない。」

「だからそういう問題じゃあねぇって……、」



大げさにため息を吐くカルムクールをしり目に荷物の最終確認をする。半年間の実地訓練と言っても内容は長期遠征の練習のようなものだとカルムクール部隊の仲間から聞いていた。訓練学校を出たばかりのひよっこの寄せ集めのため上官からのフォローがある前提らしい。おれにはこの半年は時間を浪費しているようにしか思えない。これならばこのまま今の部隊にいた方が力を付けられるだろう。しかしながら新兵である以上、この実地訓練を終えなければ正式な入隊とは呼べず、目標である将官など夢のまた夢である。最終目標が将官であるゆえだが、実りの少なそうな半年にため息を吐きたくなった。



「入隊自体は式の後からになるが、次に会うのは戻ってくる時になるだろうから、今入隊祝い渡しておくな。」



今まさに家を出ようとしたときに呼び止められ、目を瞬かせた。促されるままに手を出すとそこに置かれる小さな箱。ちらりと表情を見て、開けてほしそうに見えたため、その場で箱のふたを取る。



「ピアス……?」

「ああ!お守りみたいなもんだ。」



よくよく見てみると銀色の龍が琥珀色の石を抱えているデザインだった。どこかで見たことのあるようなモチーフに首を傾げる。



「星龍会のモチーフだ。最近は信仰が薄れてるが一応メタンプシコーズ王国の国教で、街の中にもちょこちょここのモチーフがあったりするぞ。」



そこまで言われて合点が行く。

星龍会は唯一神を巨大な龍としている龍はその手で土を集め、その足で土を踏みしめ大地を固め、恵みの涙を流した。そして真実と罪を秤に乗せ両方を併せ持つ人間を作り大地に置いた。国を作り上げた龍はその翼で舞い上がり星の元へと上っていった。龍に作られた人間たちは龍の住む星へと死後帰り、そこで生まれながらに持つ罪を清算しなければならない。この国には手、足、涙、秤、翼五つの『神龍の宝』という神宝が今も存在する。


別に信徒でもないおれが知っているのは大雑把なことだけだった。聖典もあるようだが興味もなく目を通したこともない。だが革命軍と星龍会はかかわりが深かった。アンタス・フュゼ率いる旧革命軍は、一度政府の樹立を目論んでいた。メタンプシコーズ王国から見て西に位置する宗教都市ドラコニアに新政府を築いた。宗教都市ドラコニアは星龍会の聖地であり、下火になっていたドラゴン信仰の再興を条件に、革命軍に全面協力を示した。その結果、ドラコニアでは大火炎の戦いが起こりメタンプシコーズ王国からドラコニアという年は消滅した。星龍会から支援を受けていたとはいえ、革命軍メンバーのほとんどが無神論者だった。もしこの国を守る神がいるのなら革命が必要になる前にこの国を救ってくれただろうに、と。



「……おれとお揃い嫌だったか?」



どうしてくれよう、と指先で転がしていると不安げな声を掛けられる。そういえば、と顔を上げると彼の耳にも同じデザインのものが見えた。見たことがあると思ったのはどちらかと言えば彼のピアスの方かもしれない。ドラコニアに何度か足を運んでいたものの、戦いに参加することを固く禁じられていたおれやメンテ達、若いメンバーはほとんどかかわりがない。唯一メンテを窓口に星龍会信徒のパトロンとつながりがあったらしいが、おれはよく知らなかった。



「別に。カルムさんとお揃いが嫌とか、デザインが嫌ってわけじゃない。でもおれ今ピアスホールない。」

「えっ!?アルマこの前ラパンにピアッサーで空けられてなかったか?」

「いや……、ピアッサー片手に迫られたけど、あの人に任せたら穴空けるだけで済まない。耳ごと持ってかれる。」



先日ピアッサーを持ったラパンに何の脈絡もなく追い掛け回されたため全力で逃げたのだが、どうやらカルムクールの悪意なき差し金であったらしかった。昔からとにかくラパンに嫌われているが、ここ数年は任務中にうっかり殺されかけることがなくなり、訓練でも害意はあるものの殺意は感じられないので気を抜いていたが、よほどの用事があるか、喧嘩を売るかでしか声を掛けない彼がピアッサーを手に引き攣ってもはや笑顔と言えない形相で迫ってきたため、何か命を取られそうになることをしたかと行いを振り返ったが、心当たりがありすぎて何だかはっきりしないままに逃げ回っていた。あの形相は、大好きなカルムクールが大嫌いなおれを気にかけているのが心底気に入らない、という顔だったようだ。



「ラパンできなかったならそう言えよ……。」

「あんたも人に、というよりあの人に頼むのが間違ってるんだ。それにことあるごとに害を成そうとする人間に耳を貸せるほどおれはボケてない。」



最近仲良くしてるように見えたけど、と呟くが、それはカルムクールの見間違いだ。おれにはラパンと仲良くした記憶など微塵もない。いつだってカルムクールに忠実な副官はおれを退役させようと躍起になっている。



「……まあ、耳につけなくても、持っておくから。」

「そうか!帰ってきたらつけてやるからな!」



ピアスを背嚢に仕舞うと途端に相好を崩す後見人に居心地の悪さを感じた。

受け取りはする。だがおれはとてもそれを耳に置く気にはなれなかった。



「時間、大丈夫か?」

「ん、まだ余裕ある。遅れそうになったら屋根伝いに行くから問題ない。そっちの方が早いし。」

「アルマ……お前そんなことしてるから近所の人から黒猫とか黒蜥蜴とか呼ばれんだぞ……。」



初めて聞いた、と目を丸くするおれにカルムクールは肩をすくめた。噂が本人には届かないのはどうも事実らしい。まだ成長期の途中である身体は身軽であり、薄い屋根でも踏み抜くなどというへまはしない。しかし周りの人間からすればひやひやさせられる事案なのだそうな。



「じゃあ、半年頑張って来いよ!無理はすんな。一人で突っ走ろうとするな。それなりにで良いから同期の連中と仲良くしろよ?」

「それさっき聞いた。分かってる。それと、」



口を継ごうとして口ごもる。何を言おうとしたのか察したらしいカルムクールはにやにやとしながらおれの方を見てくる。ムッとしながらも、言わなければ機嫌を損ねることは必至な上に、歯に何か挟まったような心地で半年過ごさなくてはならないよりはマシだった。



「……『いってきます』」

「おう!『いってらっしゃい!』」



どんな顔をしているか本人すら自覚できないが、見送る彼にからかわれては堪らないと、急ぐでもないのにパッと駆けだした。


ここ数年で見慣れた街が視界を流れていく。


アルマ・ベルネット、メタンプシコーズ王国軍正規入隊。


10年先で待つ敬愛すべき総長に、一歩近づくことができた。

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― 新着の感想 ―
[一言] こうした宰相がいることも含めて、革命軍が勝ってよくなる未来が見えないな。実際どういうことを掲げていたんだろう。
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