化け物
メタンプシコーズ王国は島国である。本島とそれを取り巻く小さな島々は四方を海に囲まれている。海洋に一つぽつんと浮かべられた国は、他国との国交の一切を断ち、独特の文化を築いていた。広大な本島は資源に富み、貿易を行わずとも国内の身の消費生産ですべて賄えた。他国とは隔絶された島国であるために国同士の争いもない。満ち足りた平和な王国である。
しかし人の力では対抗しえない天災によって400年続いた囲われたユートピアはあっけなく崩壊した。王国各地を見舞う異常気象は豊かであった大地を蹂躙し凶作となった農村は飢えと疫病に襲われ多くの国民が命を落とした。農村だけではない。鉱山では豪雨により地盤が緩み土砂崩れが起き、漁村では高波に村民が攫われる被害も出ている。国民は皆、次は我が身と戦々恐々といつ来るかわからない天災に身を震わせた。だが飢饉に対し王政府の弄した策と言えばその場しのぎの物資の補給のみ。民は気づいた。豊かな大地に頼りきりであったメタンプシコーズ王国は、この地が痩せたときの対応策を何も持っていないことを。
国民の不安と不満は、時間をかけて静かに肥大した。今は大丈夫でも次に異常気象が訪れたときは、自身の街が襲われたとき、
まるで積もり積もった不満が噴出するように決起したのが、アンタス・フュゼ率いる民意の代表組織『革命軍』であった。
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王都、テールプロミーズから北方に馬車で20日ほど離れたところに王国軍アジャン支部。国内でも名のある商業地区であるが、一歩道から外れればスラム街で窃盗・スリなどが多発し、時折商団を装った盗賊に襲われることもある。それによりアジャン支部では王国軍本部軍事管理局への応援要請や実地訓練などの依頼が寄せられる。
アジャン支部一等兵のオルクは訓練直後の疲弊した身体を何とか動かし照り付ける日差しから逃れるように、日陰をわずかに作る壁に背を預けた。見れば疲弊しているのは彼だけではなく、その場で倒れこむ者や砂で訓練服が汚れるのも構わず這いずって何とか水場に向かおうとしている者もいる。王国軍訓練学校からそのままアジャン支部へと配属されもう3年で、この本部勤務の者たちと合同訓練をするもの片手では足りないほどになってきたが、やはり本部と支部では差があるのか、同じ訓練をしているというのに本部連中はピンシャンしていた。
「相変わらず化け物揃いか……。」
「失礼だな。化け物じみてるのはほんの一部だけさ。」
独り言を拾われ顔を上げると腕に腕章を付けた男が一人立っていた。水筒を二つ持ちそのままオルクの隣へ勝手に座るところを見ると力尽きた支部兵に本部兵が水を配っているらしい。
「ほら、さっさと飲まないとぶっ倒れるよ。」
「ああ、ありがとよ。」
遠慮なく水筒を煽るが、隣の男は激烈な訓練直後だというのにその顔からは余裕がうかがえる。
「今の訓練でそんだけ余裕こいてんならあんたも十分化け物だろ。」
「ははは、まあこういうのは慣れだよ、慣れ。化け物っていうのは、ほら。あそこ歩いてるのとか。」
指で刺された先に視線をやると桶と柄杓を持ってグラウンドを歩く黒髪の青年が見えた。いや、青年と言うのにはまだ少し幼さが残る。兵士にしては若すぎる。童顔なのかもしれないが、少なくともアジャン支部にはあの青年と同じくらいの兵士はいない。
「あれが化け物……?そうは見えねぇし、それにちょっと若すぎじゃあねぇか?」
訝し気な様子を見てか、本部の男はやたらと嬉しそうに声を弾ませて話し出す。
「あの子はアルマ・ベルネット。まだ15歳さ!」
「はあ!?15ってなんでそんな餓鬼が軍にいるんだよ?15ならまだ訓練学校だろうが。」
「アルマは訓練学校へは行ってない。僕も先輩から聞いた話だけど、8歳の時から軍にいたんだって。その時から隊長の下で雑用やってるんだってさ。」
8歳の餓鬼を軍に置くなど何を考えているのだと本部から来た隊長、カルムクール・アム大佐の方を思わず見る。にこにこと支部の上司と話をしている。朗らかな様子からは想像できないが、小さな子供を徴兵するほど本部の人材育成は切羽詰まっているのだろうか。
「ちょっと隊長を鬼か何かでも見るような目で見ないでくれるかい?」
「いや、だって雑用だとしてもそんな餓鬼を連れるなんて……、」
「別に隊長が徴兵したわけじゃない。アルマが頼み込んで隊長に連れてきてもらったんだよ。」
8歳で軍人に志願。7年間雑用として天下の王国軍本部で勤務。15歳で大の大人も倒れこむような訓練を平然とこなすどころか雑用としても仕事まで行う。
なるほど彼の言う通りあの黒髪の子供は化け物として数えるのは正しいらしい。
黒髪の青年は地に臥せる兵士のところを回っては柄杓で水を遠慮なくぶっかけ叩き起こしている。
「にしても8歳で軍人になりたい思うか、普通。」
オルクは自身の幼少期を思い返すが、村の同級と遊びほうけていた以外何も思い出せなかった。少なくとも将来何をしたいと考えることもなく毎日を全力で楽しんでいた記憶はある。
「それぞれに事情があるからわざわざ聞くようなことはないけどさ、あることないこと噂はあるよ。でもその中でも有力なのが、両親を盗賊に殺されたっていう話。」
「あー、その仇討ちのためってか?」
噂話でしかないためよくあるパターンだとも思う。少なくとも治安の悪いアジャンではいくら警備を強化しようとも、不審者の侵入を防いだとしても万全とは口が裂けてもいえない。ゆえに両親を殺され孤児に、という話は耳が痛くなるほど聞こえてくる。無論よくある話などというちんけな言葉で片付けて良い事柄だとは全く思っていない。
「そう。それからアルマが左の腰からさげてる皮の巾着が見えるかい?」
「んん……?ああ、なんかぶら下げてんな。」
巾着、と言うには若干形状が異なる気がするが、何か小さくはないものを下げている。もちろん、揺れたり足に当たると邪魔になるためかベルトで固定されている。厚手の皮でできたそれは軽装な訓練服から浮いていた。
「あんたらのとこは騎兵隊だから鞭つけてたりするし、そうじゃなくても食料とかちょっとした飛び道具を下げたりするが……、さすがに訓練中はふつう外すよな。」
行軍中は腰にいろいろなものを下げることがある。それは食料や水であったり、銃の替えの弾丸であったり、小型のナイフや発煙筒などさまざまである。しかし今は訓練中。誰もが訓練服に着替え、荷物は全て端に寄せられるか兵舎内に置かれている。
「何で置いてこねぇんだ?」
「そうそれ!あの子は絶対にあの巾着を腰から外さない!任務中はもちろん訓練中、食事中仮眠中、揚句非番の日まであれを腰から下げてるんだ。」
「ふうん、肌身離さずってことはよほど大事なもんなのか。」
「さあね。ただ前に一回先輩が仮眠を取ってるアルマからあれを取ろうとして、寝ぼけたアルマに投げ飛ばされる事件があってからはもう誰も無理やり中身を見ようとはしないね。」
隊の中でも1,2を争うくらいの実力だからね、流石に肝が冷えた、と男は軽く笑って見せるが、人が大事にしてるとわかっているものを寝てる間に盗み見ようなどとするのはいかがなものだろうと眉を寄せた。
「まあそこからいろいろ憶測があってさ。親の形見が入ってる、とかありとあらゆる拷問器具が入ってるとか。その中でも有力なのがさ、」
「……なんだよ。」
声を低くして人目をはばかるようなしぐさをされると、根も葉もないうわさ話だとわかっていても聞きたくなるのが人の性である。つられて声量を下げ、耳を寄せた。
「両親の仇討ちはもう済んでて、あの巾着の中には犯罪者への恨みを忘れないように、討ち取った盗賊の首領の頭蓋が入ってるっていう噂さ。」
思わず背筋がぞくりとする。背嚢に入れるほど大きくない。しかし決して重量がないわけでもない。肌身離さず身に着けて、恨みつらみを忘れない。王国軍の中でもエリートと呼ばれる本部に勤務し続け、鬼のような訓練を涼しい顔でこなす。表情の削ぎ落とされた顔の裏では煮えたぎるような悪への恨みを抱え込んでいる。もうあの青年を見ただけで、暗い目をして皮の巾着から頭蓋を取り出すところまで想像できてしまうから、想像力とは恐ろしい。
「そんな顔青くしないでよ。所詮は噂だし。」
「だったらそんな気味悪ぃ話すんじゃねぇよ……。」
「ははっ、ごめんごめん。まあそういう不穏な噂も結構あるけどさ、カルム大佐の部隊では昔っから可愛がられてるんだ。身のこなしや剣術は正直人並み外れてるけど、銃はあんまりうまくないし、兵法もまだまだ。それにパッと見無表情に見えるけど、あれでいて表情豊かなんだ。」
言われるままに青年の無表情から豊かな表情というものを探してみるが、見当たらない。カルムクール大佐の副官、赤毛の中佐と何やら話しているが、彼の表情筋は死滅しているのではないかと思わせるほど動いていない。むしろ口だけを動かすその様は器用ともいえるだろう。一方の赤毛の中佐は口元を引き攣らせ、額に青筋を浮かせているのが見えた。
「……どこが表情豊かだ。さっきと何にも変わってねぇだろ。」
「変わってる変わってる!さっき兵士を起こして回ってた時は『面倒くさい』と思ってたし、今はたぶん『面白い』と思ってるよ。心なしか口角あがってるでしょ。」
「……わっかんねぇな。俺には相変わらず能面みたいにみえるぜ。」
青年の顔のどこを見ても『面白い』だなんて書いていない。傍から見ると何か業務的な報告をしているようにしか見えない。中佐の口元が引き攣っていることを鑑みると、何か失敗したのに反省の色も見せずに報告をして叱責を喰らう寸前の状況に見える。少なくとも全く『面白い』といえる状況ではなかったが、オルクの予想通り、ラパン・バヴァール中佐は怒り心頭な様子で頭一つ、二つ分ほど下にある黒い頭を片手で鷲掴んだ。そしてあっと思う間もなく青年の顔を自身の膝に打ち付けた。
「あれのどこが可愛がってんだよ!?いびりにしても行き過ぎてるだろうが!」
「ちょっとちょっと、落ち着きなって。」
たとえあの二人が自分とは違う配属だとしても、大の大人がまだ子供ともいえるような部下にあそこまで躊躇なく手を挙げるのをまさか看過するわけにはいかない。立ち上がり止めに行こうとしたオルクだがすぐに腰を地面につけることになる。足にしがみ付く本部勤務の男を睨みつけるも、ヘラりと笑ったまま話そうとはしない。そして体格は自身の方が勝っているというのに、巻き付く腕を振りほどくことはできそうにないことに舌打ちした。
「まあまあそういきり立たないでよ、怖いなあ。あの二人はいつもああいう風だよ。座って見てなって。」
「いつもって……!誰も止めねぇのか?」
「我らがカルムクール大佐部隊の化け物1号と2号の二人さ。アルマがやられっぱなしなわけないでしょ。」
他の仲間にも目をやるがオルクと同じく戸惑いながらも本部勤務の兵士たちに止められているようだった。仕方なく再び二人の方を見ると、いつの間にか中佐は青年の身体から手を離し、踵を返すところだった。遠目で青年の顔を見ればどうやら膝が顔面の中心をえぐるのは回避したらしく、代わりに眉間が真っ赤になっていた。その様子に思わず顔を顰めるが。次の瞬間目の前の青年がほとんど足音もなく高く跳躍した。そしてラパン・バヴァール中佐の後頭部に向け飛び横蹴りをかました。
「は……?」
しかし完全なる死角からの奇襲ににも関わらず中佐はまるで予期していたかのように振り向きざまに片手で青年の脚を掴み受け止めた。青年の背後からの奇襲は失敗に終わったかのように思われたが、すぐに腹筋だけで上体を素早く起こし足を掴まれたまま左の拳を、お返しか何かのように中佐の眉間に遠慮なく叩きこんだ。
「な?やられっぱなしなのは仲間だろうと上司だろうと性に合わない。もらった分は伸しつけて返すのが礼儀なんだってさ。」
「それでいいのか……。」
無防備な眉間に喰らった一撃は相当なものだったようで中佐は青年の脚から手を離しふらつきながら患部を抑えた。一方の青年はバランスを崩すこともなく何食わぬ顔で両足を地面につける。その顔は無表情ながらどこか達成感のようなものを感じさせた。
「今日はアルマの勝ちかな?」
「これは組手、なのか?」
「うーん、どうなんだろ。どちらかと言えばただの喧嘩だね。」
「喧嘩ぁ?」
組手と言われればさして気になるところはないと言えばないのだが、喧嘩と言われると顔を顰めずにいられない。それは軽く10以上離れていそうな子供相手に喧嘩をする中佐に対してでもあり、上下関係を重んじる軍にあるまじく上司に堂々と仕返しをきっちりする青年に対してでもある。仲間内での私闘など言うまでもなく御法度だろうに。
「それで上は何にも言わねぇのか?」
「一応は言うけど、大らかな人だし厳しくはしないみたい。あの二人も今は本気の殺し合いはしないし。二人とも獲物は使わないんだ。それに二人とも、カルム大佐が来ればやめる。」
しばし悶絶していた中佐だったが、ゆらりと立ち上がり悪びれる様子を一切見せない青年と向かいメンチを切りあう。これが常だと言われようともオルクは竜虎相見えるがごとき状況にひやひやしないではいられなかった。しかしその空気もすぐに霧散する。何やら支部の上司と話していたカルムクール大佐が演習場にニコニコしながら戻りながら、なにか二人に声をかけた。途端に一触即発だった二人の空気は四散し、中佐は笑顔で大佐を迎え、青年も何事もなかったかのように大佐の方に身体を向けた。
「……本当にやめるんだな。」
「ああ、あの人自身はものすごい強いとかそういうのはないんだ。でもとにかく人を扱うのがうまい。あの化け物二人も他の上官とは折り合い悪かったりするんだけど、カルム大佐の言うことに関しては本当に聞き分けが良いんだ。さしずめ、狂犬二匹と猛獣使いだね。」
先ほどまでの殺気だった空気をまったく感じさせることなく何かを話す三人は確かに猛獣とその主のように見えた。おもむろに大佐が低い位置にある青年の頭を撫でた。
「あの二人は血縁者か?」
「いいや。二人とも天パだから後ろ姿は似てるけど、カルム大佐は北の出身だし、アルマは南の出身だよ。まあそのうちあの二人は親子になると思うんだけどね。」
「どういうことだ?」
「何年前だろう。今の大将のラルジュ・マルトー大将はわかるよな。」
「当たり前だろ。」
『大獅子のラルジュ』。僻地の支部配属だとしても史上最強の大将と名高いラルジュ・マルトーの名前はオルクも聞き及んでいた。巨大な槌を振り回し敵をなぎ倒すその様は正しく武神のようで、また彼の下で働く兵もまた粒ぞろいの精鋭。武の腕前だけでなく豪快な性格から誰からも問わず好かれたという。
「あの人にも昔は雑用がいたんだ。ラルジュさんが拾ったらしくて、最初はただの雑用だったんだけど、アルマが本部に来る少し前くらいに養子にしたんだと。」
名前はフスティシアだったかな、と呟かれた名前に聞き覚えはない。
「カルム大佐はラルジュさんのこと尊敬してるし、あの親子は仲が良いからああいう風になりたいんじゃないかなって。現に何度かそれとなくアルマにそういう話をしたらしいし。」
「親子にならないかってか?」
「そう。でも見事に連敗してるらしくてね。」
アルマ、というあの青年の親が生きているのかは噂ばかりではっきりしないが、家族を失い傷ついた子供に対し、そう簡単に親子になろうなどというのは軽率な気もした。しかしかき混ぜるように頭を撫でられる彼の顔を見てその考えは間違っていたと気づいた。
始終無表情で、ほんの微かにどことなく表情を変えるだけの彼が少しだけだが、口元を緩めて笑った。見間違いでもなんでもなく。
「……あの子、大佐に懐いてんだな。」
「うん。本人は絶対に認めようとはしないけどね。カルム大佐と話す時だけ無表情じゃなくなる。笑うし困った顔もするし、心配そうな顔とかもちゃんとする。でも何の意地なのか知らないけど、大佐の誘いは断るし、表情のことを指摘するとしばらく本当に誰に対しても無表情になるからもう誰も何も言わずに見守ってるよ。」
本部勤務と言えば化け物揃いで住む世界が違うと勝手に思ってきた。だがその考えは改める必要がありそうだ。
「なんつうか、軍隊だってのにものすごい平和みてぇに感じるな。」
「事実基本的には平和でしょ?多少農村とかで一揆があるけどすぐに鎮圧できるし政府の役人と話し合いで解決して同じところで騒ぎが起きることはない。盗賊とかも数はいるけど凄まじい被害ってこともないし。島国じゃあ戦争もない。」
「いや、そう平和だって気ぃ抜いてもいられねぇかも。革命軍って知ってるか?」
「革命軍?そりゃあ一応知ってるけど、都市伝説みたいなもんじゃないの?」
少なくとも革命軍に関する任務が課されたことはかつてより一度もない。革命軍という存在は皆知っていても、誰一人その実態を知る者がいないのだ。軍と言うからにはそれなりの人数がいるのだろうが、そのような大きな組織が捕捉されたという話は聞かない。革命軍という名前からして反社会勢力だというのはわかるのだが、今のところその存在が表に姿を現したことはない。ただ国民たちの間で実しやかに囁かれているのだ。『革命軍は民意の代表』『革命軍は天災からの救世主』などと言われている。今のところ王政府に実害はないのだが、いずれは王の権威を揺るがしかねないのではないかともいわれる。
姿もなければ実績もない。噂だけが独り歩きする影のような組織、それが革命軍である。
オルクは依然捕縛した盗賊から吐かせたことを要約して口にする。
「俺も前まで信じてなかったんだ。正直この国は革命を起こすほど荒れてるわけじゃねぇし、重税や圧政をしてるわけでもない。強いて言うなら天災のせいで国内の不満が高まってるが、ただの人間の集団でしかない奴らに天災が何とかできるわけでもない。」
「まあそうだよね。いつどこで災害に遭うかなんてわからないし、不満があるって言っても王政府への支持率は低くない。不敬だけど、王政権は可もなく不可もなく、わざわざリスクを冒してまで革命を起こす必要はないね。」
「本当にいるのか、革命軍は。」
「っ!?」
いつの間に近づいたのか、いつから話を聞いていたのか、先ほどまでの話題の中心人物がオルクの目の前にいた。気づかなかったのはオルクだけではなかったらしく隣に座っていた男も身体を跳ねさせた。
「ア、アルマいつからいたのっていうかどこから聞いてたの?」
「途中から。来たのはさっき。革命軍って、聞こえたから。」
気になって来た、という青年の顔は好奇心をそそられたようには到底見えない無表情。先ほどのやわらかい笑みなど微塵も残っていなかった。
「で、いるのか?」
「あ、ああ、はっきりとは言えねぇが、前に捕まえた盗賊が知ってたみたいでな。『俺たちに構ってるくらいなら革命軍を捕まえる努力をしろ』だってよ。妙に引っかかったから吐かせてみたんだ。……革命軍は確かにいる。今は表に出ないが裏で力を蓄えて、その時を待ってるそうだ。」
軍がいまだにその存在を捕捉できないのは、巨大な集団でありながら今は少人数で行動しているため。例えそれらしいのを捕まえても力がない状態で馬鹿正直に革命軍だという者がいるわけもない。そして革命軍は全国各地にいるため、一部を捕まえようとも何の抑止力にもならない。
盗賊ごときの世迷言にしては話がしっかりしている。それでも、その話は一般人の想像でも通じるレベルの内容だ。オルクがこれを信じて、上に報告したのは構成員の具体的な容姿、そして姓名が聞き出せたからだ。
「革命軍の頭領はアンタス・フュゼ。白髪に青目の男ででけぇ両刃剣を使うらしい。」
「ふーん……聞かない名前だね。」
「……実在する人間か?」
赤い目が探るようにオルクを見つめる。幼さが残る顔だちゆえに謎の居心地の悪さを感じた。
「ああ、一応上官が情報局に話を通したらしくて、すぐに身元が割れた。西方の鉱山地帯の出身で歳は30代。もともとは坑夫として働いてたらしい。わかったのはそれくらいだが、何年か前に街を出ていったっきり、故郷には戻ってねぇ。革命軍頭領の可能性は否定できねぇ。」
「何で君の捕まえた盗賊は彼のことを知ってたんだい?口ぶりからして、その盗賊は革命軍の一員にはとても聞こえないけど。」
「襲われたんだとよ。革命軍に。」
「革命軍が盗賊を襲うのか……?」
正直犯罪者同士の潰しあいなど勝手にやっていろと吐き捨ててしまいたいがそうはいかない。なぜなら革命軍はただの犯罪者ではなく義賊だからである。
盗賊から奪ったものを被害に遭ったものに返す、時には貧しいものに流すのである。もちろんそれらから革命軍の資金は捻出されているのだが、それでも一般市民から見れば正義の味方に違いなかった。
現在は表に出ず影のような存在だとしても、このようなことが続けば自然と支持する者が現れ始める。今は違っても、いずれ本当に民意の代表者へとなり得るのだ。
「そうなる前に、何とか革命軍勢力を少しでも削っていかなきゃなんねぇ。」
「ま、そうだね。放っておけばそれだけ後々面倒になりそう。……ところで、それ僕らに話してよかったの?」
「そのうちそういう任務増えるだろうし、問題ねぇよ。」
しゃべり疲れたところで、一緒になってしゃがんでいた青年、基アルマがぽつりと言った。
「……革命軍は、悪なのか?」
何の脈絡もなく掛けられた問いに一瞬動きが止まる。態度は大人のそれだというのに、その問うたときのアルマはひどく幼く見えた。例えるのであれば、子供が唐突に問う素朴な疑問に胸を突かれるような思いをオルクは味わった。それはまるでなぜ空は青いのかと問う何も知らない子供のようで。
「あー……悪だな、悪。本当に今の王政府を倒されたら俺達は食いっぱぐれちまうからな。なあ?」
「まあそうだよね。少なくとも僕らが政府側の人間である以上、革命軍は悪さ。」
半ばやけくそのように無理やり隣の男に同意を求めると、苦笑いしながらだが肯定される。結局はそういうものだ、と誤魔化しておく。下手なことは言えないし、悪だ正義だ語るには身に余る。何よりオルクはそんなことが語れるほどの意思を持って軍に入ったわけではない。正義感は強い方だが主な志願理由は、食うにも住むにも困らないという身も蓋も無い物だ。ああいう子供の目で見られると自身の考えの汚さを晒されるようで耐えられない。
図ったように号令がかかり、これ幸いとばかりに訓練場の中心へと向かう。流石に、あの質問の応えを、深いところまで見透かすような赤い双眸と焦点をあわせて答えることはできなかった。
アジャン支部のとある男が、かの青年の問いの意味を知るのはずっと先のことになる。