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あの夕方を、もう一度  作者: 秋澤 えで
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覚悟

舗装されていない道の上をガタガタと揺れていた馬車の揺れが小さくなる。



「アルマくん、見えるかい?あれが王都、テール・プロミーズだよ。」

「あの壁が……、」



アッセンに誘われ馬車から顔を出すと大きくそびえたつスプリング・グリーンの壁が正面に広がった。



「テール・プロミーズは他の都市と違って街全体が緑の壁に覆われてるんだ。城壁全体の形はいくつも刺が出てるような、そうだね、星みたいな形をしてる。星型が一番攻撃に強い、いわば街そのものが要塞みたいなものなんだ。ほら、あの壁の上に砲台が見えるでしょ?あそこに見張りも一緒にいるよ。」



指の指す方へ視線をやるとスプリング・グリーンの城壁に埋め込まれたような黒い筒が見えた。街全体を囲う高く強固な緑の壁、それがエメラルドの街とも呼ばれる所以だった。


街そのものが要塞、という言を聞きおれは一人冷や汗を流した。自身が死んだとき、いやメンテ奪還作戦のとき、革命軍は囮の仲間たちが引き付けている間に、壁を沿うように彫られた堀からテール・プロミーズに侵入した。この作戦を考案したのがかつて王国軍本部で働き、王都の地理を理解しているソンジュだった。この城壁都市は戦争に向いているが、中に人が暮らしている以上水路を作らないわけにはいかない。この国で最も栄えている王都であればなおさらだ。人の生活に水路は欠かせない。そこを狙ったのだ。


正直に言えばおれはさしてこの城壁を気にしていなかった。自他ともに認める脳筋は頭を使うことが苦手だ。革命軍にいる間は基本的にメンテの指示通りに動き、メンテがいないときは参謀であるソンジュの指示に従ってきた。肉体労働は得意だが頭脳労働は悲惨だ。だからソンジュから水路を通って侵入すると言われれば理由を考えるまでもなく水路のことしか考えていなかった。しかしこうしてアッセンの説明を聞いているとソンジュのありがたさが身に染みる。



「星形要塞は技術の粋を集めて作られたんだ。壁は分厚くて土や煉瓦の素材を使ってて大砲でも壊すことはできない。大砲の他にも投石器が設置されてるし、壁のもう少し下の方には狙撃部隊専用の狙撃台がある。世界的に見ても、きっと王都以上に安全な都市はないよ。」

「……すごいな。」



どこか飄々としていたアッセンだが今は随分と生き生きと話しているな、と見上げる。

徐々に壁が近づいてくる。




「橋を下ろせぇ!開門準備ぃ!」



遥か上方から降ってくる掛け声とともに、跳ね橋が下りてくる。ギシギシと音を立てる縄が長くなり、木製の橋桁は重たげな音を立ててこちら側に繋がった。目を丸くしてそれを見ているとにアッセンがくすくすと笑う。思えば今まで跳ね橋があるような大型都市に正規の方法で入ったことがなかった。門のすぐそばの壁、どうやら中に入れるようでいくつか小さな砲台のようなものがある。おそらく、破城槌の対策だ。一番脆い木製の門から普通は攻め落とす。ゆえに破城槌を警戒し、門破壊防止に特化した形になっているのだ。本当に警戒すべきは水路なのに。もっとも、都合がいいのだけれど。



「第三中将マルト―中将下アム少佐部隊、帰還!開門!」

「アルマ・ベルネット。ようこそ王都テールプロミーズへ!」



巨大な門が上がり馬たちは軽やかな音を立てて整えられた石畳を蹄で打った。




******




広い廊下をカルムクールに連れられて歩く。始めて入った王国軍本部はまさに極大の一言に限った。天井は高く、あまたの扉の前を通り過ぎた。もっとも天井が高く廊下の幅が広いのは今のおれが小さいためあてにはならない。



「アルマ、迷子になるとまずいだろ。手を繋ぐか?」

「いや、いい。」

「……そうか。」



心なしかがっかりしている少佐だが手を繋ぐ必要性を感じなかった。子供慣れしているのか、おれよりはるかに長いはずの脚は歩幅を小さくとり、緩やかに動いている。カルムクールがアルマに歩幅を合わせているのは一目瞭然だった。その上時折気遣うように目を向けているため迷子になりようがない。ここで迷子になって困るのは確かだがおれを見失うような事態はきっと万に一つもないだろう。


廊下を行く兵士たちは軍本部にいるに相応しいとはいえない少年を物珍し気な視線を送るが、側にいるカルムクールを見て納得したようなそぶりをしていた。曰く、彼は保護した子供を連れて歩くことがときたまあるらしい。しかしながらそのほとんどが立ち止まり話しかけることなく視線を交わすだけでせかせかと歩き去っていき、忙しない。こうしてみると規律はほとんど最低限しかなかった革命軍とは全く毛色が異なると感じる。王国軍と比べると烏合の衆などと罵られても仕方がなかったかもしれない、と回顧した。

ふと前方から大男が大きな足音を立てて歩いてきた。



「おお!カルム!帰ってきとったのか、ご苦労だったのう!」

「はっ!マルト―中将、先程帰還いたしました!」

「ただの廊下じゃあ、堅っ苦しいのはええ、ええ!」



親し気に話しかけ大口を開けて笑う男を半ば唖然としながら見上げた。そこそこたっぱのあるカルムクールよりも頭一つ二つ高い大男。すこし窮屈そうに見える制服の色はサイプレス・グリーン、佐官よりも一つ上、将官だ。壮年に差し掛かるだろう年恰好、巨躯、マルト―中将。ここまで聞いて一人の男に思い当たった。実際に会ったことはない、しかし名前とその強さは情報に疎くても知っていた。

未来、メタンプシコーズ王国史上最強の男と称される大将、ラルジュ・マルト―だ。



「にしても今回の任務は、お前さんにとっちゃあえらかったじゃろう。」

「中将、そのお話は……、」

「んん?なぁるほど、わかったわい。そいでカルム、この小僧っこはどうした?」



目線を合わせるようにしゃがみこみずい、と寄せられるひげ面に一瞬怯む。どうにも身体の防衛反応か、戻ってから何かと臆病になった気がする。



「ああ、この子はラルムリューで会った子です。兵士になりたいとのことなので連れてきました。」

「うむ……訓練学校に入るにゃあ、ちいと幼い気がするがのう。」

「8歳だそうです。なので雑用として俺の下に。」

「ほうかほうか!そりゃあええのう!坊主、名前は何ちゅう?」

「アルマ・ベルネット、です。出身は、ラルムリューです。」

「あの賑やかな街か!にしてもちゃんと敬語まで使えて偉いのう!だが子供がそうかしこまらんでええ!」



大きな手で頭を掴まれてがしがしと撫でられる。グラグラと頭が揺れるが仮にもこれから自身の上司となる男、流石に振り払うわけにはいかなかった。


おれの出身地をラルムリューとすることは、カルムクールからの提案であった。

本来の出身であるフェールポールを明かしてしまうと憐憫の目で見られたり、それこそ平穏無事に過ごした方が良いなどといらぬ世話を焼かれるだろう、というカルムクールからの提案であった。あっさりと了承したのは馬車の中でのアッセンとの会話や支部での視線を理解しており、今はもう故郷にこだわっているわけでもないのでいっそ目立たない方が良いと思ったためであった。現に、おれの目の前で豪快に笑う中将にそういった憂いの色は見られない。



「わしのとこにもお前さんより6つ上の雑用係がおる。正規入隊まであと二年あるからのう、また紹介してやるわ!」

「はい……、」

「中将、そろそろ、」

「おお、引き留めて悪かったのう。総統のとこに行くんじゃろ?総統なら執務室におる。アルマの許可が下りるとええなぁ!」

「ええ、ありがとうございます。」



その巨躯に相応しい足音を立てて去っていく男を見つめる。じっとその背中に視線を送っているとカルムクールが不思議そうな顔をする。



「アルマ?どうかしたか?」

「……いや、大きい人だな。」

「ああ、ラルジュさんか。たぶん軍内で一番大きい人だろうな。さっきも言ってたが、あの人の下には14歳の雑用の子がいる。ラルジュさんはおれの直属の上官だから、たぶんお前も関わることがあると思うぞ。かなり大人びてるが、お前も似たようなもんだから仲良くやれるだろうよ。」

「名前は……?」

「フスティシア。ラルジュ・マルト―中将の隠し玉だ。まあ上司と部下だがあの人たちはどちらかと言えば親子みてぇなもんだな。何年か前に中将が拾ってきて育ててんだ。」



“フスティシア”その名前を聞いてあの日、テールプロミーズのアサンシオン広場まで感覚を戻された。

立ち上る硝煙、飛び散る血、地を嘗める火、熱気。断頭台でメンテの首を切り落とし、そしておれの首をも落としたであろう男がいた。


当時王国軍大将、フスティシア・マルト―。


あのときまさにおれの全てを奪い去った男は今、おれと同じように子供としてここで生きている。


なんとも妙な心地だった。あの時あれほどの怒りに身体を支配されていたというのに、今のおれの中には恨みつらみは微塵もなかった。しかしなくてよかったとも思う。もし今もそんな感情を持っていたとしたら、今すぐにでもきっと復讐に走っただろう。いまだ何も知らない子供相手に。


政府の決めた正義に従う軍人たちを、どこかで機械のような傀儡のような、情も涙も持たぬようなものだと思っていた。しかしこうして、未来の敵の養父を知り、途端に大将フスティシア・マルト―は人間味を帯び始めた。最期のあのときだけ、上からの命令に背き、メンテに話をさせたあの男は、人間だったのだ。だから、どうだと言うわけでもないけど。



前回一度たりとも顔を合わせたことのなかった、ラルジュ・マルト―は、初代革命軍総長アンタス・フュゼ率いる革命軍との戦い、大火炎の戦いで命を落とす。おれとメンテはまだ若かったため、戦いに参加することは許されなかった。大火炎の戦いは、王国軍、革命軍共に戦力の全てを注ぎ込み、結果双方主戦力を失った。王国軍は弱体化し国内の治安は悪くなり、革命軍は壊滅状態で解散してしまった。



以前の恩人である初代総長アンタス・フュゼ、彼もまたあと十年もしないうちに大火炎の戦いの中死ぬ。かつて力なく、救うどころか戦いにすら参加できなかったことに歯噛みし、崩壊し散り散りになる仲間たちの背中を、苦虫を噛み潰してただ見送った。力さえあれば、と思いながら。



だが今回、おれはかつての恩人を助けるために奔走しようとは思えない。



今から18年後のアサンシオン広場でメンテ・エスペランサの処刑は行われるだろう。例えおれが側にいなくとも、メンテは革命軍を再興し、二代目総長の席に収まる。あいつにはそれだけの器があった。



なぜあのとき、革命軍の長たるメンテが王国軍に拘束されたのかを、おれは知らない。

なぜ仲間に何一つ言葉を残さず、一人敵地に乗り込んだのかを。

しかし王国軍に在籍することで、その理由を知ることができるかもしれない。だが実のところ、理由なんてどうでもよかった。



おれにとって大切なのは、処刑のまさにその瞬間だけだ。



処刑の日まで、アルマ・ベルネットはメタンプシコーズ王国軍の軍人であり続ける。かつて肩を並べ戦った同士たちと戦うこともあるだろう。かつての仲間を手にかけることもあるかもしれない。だがそれ以上におれは、他の何を犠牲にしてでもあの日届かなかった手を、もう一度伸ばす。メンテに触れるために、あいつを救うために、その時をまるで飼いならされた忠実な犬のように、静かに待つのだ。噛みつく牙も引き裂く爪も、その本懐も暖めるように大事に隠して。


すこしでも気が逸れれば、より多くを望んでしまえば、本当に欲しいものはいとも簡単に手から逃れてしまうのだ。



一際大きな扉の前で、少し前を歩いていたカルムクールが足を止めた。



「ここが、執務室?」

「ああ……。その、アルマ。」



少佐はその扉に手を掛けることなく、先程の中将と同じようにおれの前にしゃがみ込んだ。目線を合わせるような体勢だというのに、その琥珀の目とおれの目は交わらない。もごもごと何やら言い辛そうに口を動かすカルムクールに探るような視線を送るとそれに気が付いたようで誤魔化すように口の端だけで下手くそに笑った。



「何……?」

「連れてきておいて、おれが言うことじゃないっていうのはわかってるんだが、アルマ、本当に軍人になっても良いのか?」

「……どういうことだ?」



説明し辛そうに片手でガシガシと頭を掻く。相変わらずカルムクールの視線はあっちへこっちへ落ち着かないとかバツが悪いとかいうように泳いでいた。



「おれが軍人になるのは、だめなのか?大尉も、嫌がってた。」

「いや、そうじゃないんだ。ラパンはまあ、あれだ、子供慣れしてないだけでお前だからってわけじゃないぞ。……ただ今からここに入って、総統から許可が下りればもうお前は正式に軍に身を置くことが決まる。他の子供みたいに遊んだりできる時間は短いし、アルマにとって大変なこともあるかもしれない。」



ようやく合わされた目は微かに罪悪感に揺れていた。だがそれからは純粋に幼子を心配しているのが伝わる。中身が一応大人だということに関して後ろめたさや申し訳なさを感じるほどおれは殊勝ではない。ただ目の前の軍人は随分と真面目な大人だというのはわかった。



「軍人になったら戦わなきゃならない。危険な目にあうことも多い。……最悪任務で死ぬかもしれない。……今ならここまでの話をなかったことにして安全なとこに連れていける。アルマは本当に、軍人になってもいいのか。」



じっと真っ直ぐと訴えるように向けられる目から、おれは逸らせなかった。似ていないはずなのに、この男はどこか似ているように思えてしまう。重ねてしまうことに苛立ちを感じるはずなのに、それを打ち消すようにその眼に惹かれてしまう。

あの琥珀は、いけない。



「良い。もう決めた。」

「……そうか、アルマが良いならいいんだ。」



少し困った風に笑っておれの頭を撫でた。遠慮がちなその手付きに困惑する。どうでも良いはずなのに、脳裏にはあいつが過ってしまい、なぜそんな顔をするのかと思わずにはいられなくする。


立ち上がり次こそ扉を開けようとするカルムクールをグイ、と引っ張る。頭では違うとわかっているのに、その瞳の底に憂いの色を残したままにするのが、何でか嫌だった。よろめく男を気にすることなくデルフト・ブルーのコートにしがみ付く。



「アルマ……?」

「……あんたは何も気にしなくていい。」



見上げた先の双眸が丸くなる。



「おれは死なない。絶対に。」



絶対に死なない、絶対に死ねない。少なくともメンテを助けるその日まで。


言う必要などないのにわずかに零した言葉は、目の前のカルムクールに対するものだったのか、瞳の奥のずっと奥、透かすように見えるメンテに対するものだったのか俺自身にもわからなかった。



「……そうか、死なないか。」



コートにしがみ付く手をやんわりと上から大きな手で包み、支部で見たときのようにカルムクールは快活に笑って見せた。それこそ自身の組織のトップの執務室前と言うこともあり、笑い声は控えめだが憂いや罪悪感など吹き飛ばすような笑顔だった。ただ男が思い切り笑うとき目元に皺が寄ることに気づいて、やはり別人なのだと、現実に引き戻されるような感覚を味わった。あの琥珀を抉り取ればあいつになるのかと一瞬そんな考えが浮かぶがそんなはずもない。

今あいつは生きているのだから。



「じゃあ行くぞ。覚悟は良いな?」

「……ああ。」



革命軍のアルマ・ベルネットは、王国軍のアルマ・ベルネットになる。

なぜ死んだはずの自分がこうして生きて、やり直しているのかわからない。だがそんなことはいくら考えてもわかるはずもない。人智を超えた力などといえば胡散臭いが、その表現以外ふさわしい言葉をおれは知らない。どんな理由であろうと、零れ落ちた水を再び盆に返す機会が与えられた。ならば後悔を雪ごう。


すべては18年後あの日をもう一度やり直すために。

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