後悔の終わる夜
肩の力を抜いて詰問するような調子を崩したクロワールにばれないように嘆息した。
正直、クロワールには関係のない話だった。
俺にとって、メンテを生きて処刑台から連れ出した時点で、すべての目的を達成したに等しい。
あの夕方、鐘の鳴り響いていた。
硝煙と濃い血の匂い。切りつけられた腕、豆のつぶれた掌。
走ろうとしても遮られ、伸ばした手はずっとずっと遠くて。
その首が切り落されるのは遠くから見るしかなかった。
腹の底から湧き上がる怒りと、喉に貼りつく焦燥と、目の奥を熱くさせた後悔。
どうにもできなくて、何もできなくて。ただ死なせて、そうしてただ死にに行った。何の意味もなく、衝動のまま犬死した。
だが違った。
あの日俺は処刑台の上に立っていた。
生前できなかった話を、メンテとした。
茜色の日のさす夕方、誰よりも俺はメンテの近くにいることができた。
鐘が鳴り響き、命令が出される。
その瞬間、俺は何もかもが報われる衝動を思い知った。
それでよかったのだと。それ以上の喜びなどなかったのだと、思い知らされた。
叫びだしたくなるような衝動、泣きたくなるような達成感、何かに縋り感謝したくなるような喜びを味わった。
メンテは少しだけ、俺を見て笑っていた。
「お前、これからのことはどう考えてるんだ」
そして喜びの直後からそれが迫ってきた。
何もできなかった自分を恥じ、失われてしまった唯一を嘆いた。
そして救い出すことができ、再び傍にいることが叶った。
けれどその先を考えていなかった。
それこそ一番最初、この結末を目指したときは、当然メンテと共に革命軍へ行き、そして再び王を倒すつもりでいた。
しかし軍部にいた時間は決して短いものではなかった。革命軍のしたこと、すべてを容認することは今の俺にはできなかった。確かにこの結果のためには必要だったことが大抵のことだ。しかしそうでないこともある。本当に無駄な血を流させていなかったか、戦う気のない者を無理に戦わせはしなかったか、戦士をそろえるために大切な労働力を奪いはしなかっただろうか。
王は腐っていた。けれどそれは王国軍のすることのすべての否定にはならない。
俺たちは確かに、正義のために働いていたのだから。
双方ともに国のためだった。どちらが間違っているとは、軽々しく断じることのできないほどに。
しかし蓋を開ければ宰相・大将・総長により全勢力の三頭政治だった。
王国軍と革命軍も困惑しているだろう。けれどその輪の中核にいた俺も困惑していた。
必ず王国軍かメンテのことを裏切ることになると思っていたのに、どうしてかそのどちらも裏切らずに済みそうなのである。
王国軍を裏切る覚悟は最初からしていた。
けれどカルムクール・アムと会って、ヴェリテ・クロワールと会って、ラパン・バヴァールと会って、ヒルマと会って、バンクたちと会った。
いざ全てが終わってみれば、投げ出すには大切なものがここには増えすぎた。
「……こう、うまく三頭政治をやりつつ、国力の増強と国民の生活の向上を目指したい」
「なんで急に教科書の模範解答みてえになってんだよ」
「思想自体はあるがその結果にたどり着くためにするべき具体的行動が思いつかん……」
「お前さてはそこそこに阿呆だな?」
「黙れこちとら脳筋だ。一軍人が政治のことがわかると思うなよ」
実際、ここからが困難なのだ。あるものを壊すのはその実そう難しくはない。問題は長く続いていたものを壊し新しいものを作り上げ国民に受け入れてもらわねばならないということだ。
メンテは「ここからが始まりだ」と言っていた。
この決して狭くはない国土の国民たちを統治するのは決して簡単なことではない。そうなれば今までの王政府の二の舞だ。他国を参考にしつつ統治の方法を模索しなければならない。
問題はそれだけではない。王国軍内の戸惑いも早急に何とかしなければならない。
「……政治のことは知らん。俺はそこにいるだけで、まともに会議に参加できていると言わん」
「がっつり中枢にいるんじゃねえのかお前は」
「俺には俺の役目がある。で、だクロワール。お前を含め、周囲はどうなってる」
「どうしたもこうしたもねえよ」
トップであった総統が革命に乗じ国王を暗殺。
ナンバー2である大将の革命軍との密通。
殺されていたと思っていた上司の生存。
誰よりも革命軍を恨んでいそうな中将の革命軍への態度の軟化。
「誰も彼も疑心暗鬼だ。あの一日で自分の信じていたものが根こそぎ奪われたみてえなもんだからな」
「お前は」
「あ?」
「お前はどう思ってる。これからどうするつもりだ」
正直なところ、こいつがどう判断するか俺にはわからなかった。
どちらといえば潔癖気味の真面目だ。裏切りだの不忠義だの言いだしてもおかしくはない。だがこれ以上戦力を失うことは避けなければならなかった。
「別に。今までと変わんねえよ。……おいなんだその顔はそんなに意外か」
「いや……お前はもっと、俺たちのやったようなことは怒りそうなものだから」
「そんなことで怒んねえよ。国王に忠誠誓ってたわけでもねえし。俺が軍にいるのは家のためだ。家継げねえ代わりに少しでも箔でも爵位でもつけようと思ってここにいただけだ。解雇ならともかく上がすげ変わっただけなら雇用主が変わったくらいにしか思わねえよ」
はるか昔の記憶を掘り起こす。
そういえばこいつの家はドラコニアの宗教貴族だ。家自体は確か長兄が継いでいた。
「……お前のそういう意外とドライなとこ嫌いじゃないぞ」
「そうかよ。それにアム中将のことを除けば俺はそんなに革命軍に悪印象はねえ。ドラコニアの復興の中心を元革命軍がやってるって話は聞いてる」
メンテやソンジュから話は聞いていた。前総長と共にドラコニアで戦った幹部たちが宗教都市の復興を行っていると。それは確かな革命軍の罪だった。しかし同時に王国軍の罪でもあった。宗教都市には一般人が多いうえ、孤児院も多くあった。戦火に巻き込まれたのは宗教貴族や聖職者たちだけではない。
罪滅ぼしか何かだろう。しかしそれもきっと何もしないよりずっといい。
「今回の件で俺が期待されている役割は王国軍の兵士たちが離れないようにすることだ」
「……」
「とは言っても、俺にできることなんてほとんどない。一応建前としては、恩人を殺され恨みつらみを抱きながらも、この国の未来のために仇敵とも手を取り合おうとした若き中将、みたいなキャラクターでいくことになってるんだが」
「ぶっははは! なんだそのキャラは!? 柄じゃねえにもほどがある」
「曰く、無表情な俺にできるのはそういう役柄だけなんだと」
俺がもし人懐こい為人でもしていればもう少し懐柔策にでることもできただろうがあいにくとそういうことはできない。どちらかといえばその役回りは生きて帰ってきたカルムクールのものだ。俺の役割は無表情の鉄面皮でもできる忍耐や愚直さといった役を演じるらしい。曰く、無表情ながらに子供の時分から俺のことを見ていた人間も多いため、その辺の懐柔に使えるんだと。
「誰の指示だよ」
「アッセンさんとラパン。情報操作の辺とかはアッセンさんが頑張ってるらしい」
無事に生きて情報局に帰ってきたアッセンは上司が変わろうと相変わらずケロッとしている。国王暗殺時、総統の暗殺者とヒムロが鉢合わせないようカルムクールとラパンを王宮に向かわせたのは彼女だとヒルマから聞いていた。今回の功労者だというのはわかるが恨みつらみの視線を受けながら情報局局長の席に座る彼女を見ると憎まれっこ世にはばかるという言葉が彼女以上に似合う人間はいないと思ってしまう。
「……なら俺にこうしてわざわざ舞台裏の話をする必要はねえだろ」
「あるだろ。お前は今更騙されたりはせん。なら全部わかったうえでこっち側にいてほしい」
13中将の内の一人であり、若いながらも実力があり、感情に流されるほど青くもない。身元もはっきりしていて確実に信頼できると言える人間は貴重だった。
「ガキの頃より今の方が素直っていうのは何のせいだろうな」
「それはお前ら含めて俺の傍にいた奴らのせいだろ」
どこでそんな口説き文句覚えてくるんだ、という身に覚えのないぼやきに眉を顰める。口説いているつもりはないし、珍しく真摯に話しているつもりなのだからそう言われるのは心外だった。
「いいぜ。俺のやることはこれからも変わらねえ。お前ひとりにするにはポンコツ気味で不安だしな」
「黙れ。指示されたことはできる」
「それだけじゃダメなんだろ」
「……ああ」
考えるのが苦手だろうと、政治のことがわからなかろうとも、もう逃げることはできない。馬鹿だから、だなんて子供じみた理由で俺は逃げてた。逃げた結果、メンテから対等にみられることも重要な話をされることもなかった。俺は変わらなければならない。変わるべきだ。あのころとは何もかもが違う。
俺は王国軍の幹部で、子供のころから世話になった部下たちがいて、革命軍のメンバーとは初対面で、革命軍の副長じゃない。王は死に、まだ見ぬ共和制が敷かれる。遥かの海の向こうには影すら見えぬ異文化の国がある。
俺もちゃんと”力”にならなくてはならない。
「むしろ今までよくそのポンコツ具合隠せてたな。戦略立てるにも会議で建前言うのも演技もそれなりに熟してできる奴装って」
「ああ、俺人生2週目だから」
「……は?」
ここから先は、俺の知らない未来だ。
俺たちの経験できなかった未来だ。
「俺前の人生は革命軍の副長で、この前の処刑の時に総長と一緒に殺された。フスティシアに首叩き落されて」
「いや、お前」
「で、気づいたらちょうど王国軍の陰謀で自分の故郷が焼かれてるところに戻ってきていた」
「は?」
「で、なんやかんやカルムさんに拾われてきてここまで来た。だから大まかな流れとか一応知っていたから対応できたんだ。あと俺が無意識いお前の指を見るのはアサンシオン広場でお前の右手の指を切り落したからだ」
「ああ!?」
目を白黒させるクロワールに大雑把に話す。きっと話の筋も着地点も理解してないだろう。それどころか真偽すら判別できていない。
「アサンシオン広場で殺された俺はこれ以上先の未来を知らん。俺が殺されてから来るはずだった未来だ。今までのようにうまいこといかだろう」
「……生き返ったって、ことか?」
「わからん。気が付いたら俺の街が燃えてて俺は子供になってた」
「そんな馬鹿なことがあってたまるか……」
「神の力、とかそんなところらしい」
「はああ!?なおのことわかんねえよ神が人を生き返らせるんだなんて」
「”神龍の涙”というらしい」
海洋にぽつんと浮かぶ島国は、広大な本島と無数の諸島により形成されている。
その国は遥か昔、神龍により作られた。
龍はその手で土を集め、その足で土を踏みしめ大地を固め、恵みの涙を流した。涙により大地は緑に覆われ豊かな土地が作られた。そして真実と罪を秤に乗せ両方を併せ持つ人間を作り大地に置いた。島国を作り上げた龍はその翼で舞い上がり星の元へと上っていった。龍に作られた人間たちは龍の住む星へと死後帰り、そこで生まれながらに持つ罪を清算しなければならない。この国には手、足、涙、秤、翼、五つの『神龍の宝』という神宝が今も存在する。
その昔、龍は海に舞い降りた。散り散りとなっていた島を、龍はその手でかき集め、一つの大きな島とした、その足で島を踏みしめ大地を固めた。そして真実と罪を秤に乗せ両方を併せ持つ人間を作り大地に置いた。島国を作り上げた龍はその翼で舞い上がり星の元へと上っていった。
それから数百年後、再び龍はその島を訪れた。島は栄えていた。しかしそこに暮らす人間はあまりに罪を蓄えすぎてしまった。憎しみを、色欲を、暴食を、怒りを、傲慢を、怠惰を、嫉妬を持った人間たちは争い、奪い、時に命を失った。龍が持っていた秤に、この世の真実と罪を乗せると、秤は罪へと傾いた。
そして龍は涙を流した。自らの作り出したものに失望し、悔いた。龍の涙は海へと流れ、みるみる島は沈んでいった。
龍の涙が枯れるころ、再び龍は大地を作り上げたのだった。
「……いつかに聞いた話じゃねえか」
「ああ、失われた聖典なんだと」
「はあ!?」
「その”神龍の涙”とかいう神宝で俺が生き返らされたらしい」
「何言ってんだテメェ!?」
「本当にな。でもそれが事実なら残りの神宝も実在するうえ神の力に等しい力があるんだろうな」
馬鹿馬鹿しい。心底馬鹿馬鹿しいと思う。
神の力だの、神龍だの、不信教者の俺からすればどこもこれも役に立たない夢物語。だというのに一笑に付してしまえないのが、実際に自分自身がその奇妙な死に戻りを経験してしまったからだ。もはや神の御業と言われても乾いた笑いが出るばかりで否定することもできない。
「……それが、それが百歩譲ってあるとして! 誰かが独断で神宝を使ってるってことじゃあねえか!」
「そうだな。どうする、五宝集めて教会に奉納でもするか」
「応」
怒りと正義感に拳を握るこの宗教家とは根本的にわかり合うことはできなさそうだと目を細めた。
「どんなもんだって使わなければ存在する意味がないだろ」
「人が軽々しく使っていいもんじゃねえ!」
「……軽々しくは使っていねえだろうさ。この国を正すために、何度も何度も繰り返した持ち主が軽い気持ちなわけねえ」
何度も何度も、この国が滅び行くのを見たのだろう。
何度も何度も、仲間を助けることができず、時に見捨て、時に唆し、最上の未来を望んだのだろう。
それに協力した者は、自らが何度も何度も殺されるのを経験しながら同じ未来を目指して幾度も生き直したのだろう。
どれほど命を見送り、どれほど自らの命を諦めたのだろう。
どれほどの後悔の涙を重ねたことだろう。
「まあすべては最上の未来のため。三頭政治まで来ることができたのは初めてだが、失敗したらまた最初からやり直しになるんだろうな。そうしたら俺は人生3週目だ」
誰が神宝を所持する神宝主か、うすうす検討が付いたのだろう。複雑そうな表情でクロワールは口を閉じた。
人生を繰り返した人間は、行動原理や見ているものが他の者とは異なる。そのため行動を理解されず、そして理解を望まなくなる。
だから彼は、何も話さなかったのだろう。話したところで未来が変わらないことを理解して、話したところで狂人を見る目で見られることを知って。
「まあアサンシオン広場で殺された俺はこの先の未来を知らない。この国がどうなっていくか、他国との交流でどう変わっていくから、国民の生活が向上するのか否か。全く手探りの状態だ」
「ああ」
「貴重な同期として、大事な仲間として、今世はよろしく頼む」
手を差し出し、友好を示す。けれど思惑に反してクロワールはブルブルと怒りに震えていた。また何か間違えたかと思えば、したたかに差し出した手を叩き落とされた。
「こんの馬鹿っ!」
「ああ?」
「前世がどうとか人生何週目だとか神宝だとか全っ然わかんねえよ! 意味わかんねえこと真顔で言うんじゃねえ!」
まあ意味はわからんだろうな、と一人ごちる。自分とて突然そんなことを同期に言われようものなら頭の調子を真っ先に疑う。だがそうと説明するしかないのだ。それ以上のことは俺自身知らない。それどころかここに来るまでどういう原理で死に戻ったのか検討すらつかなかったのだから。
「お前は俺の仲間だ! わざわざいう必要もねえ! あと失敗したら繰り返すだと!? 失敗なんかさせねえよ、意味わかんねえ夢物語もここまでだ! ここから最上の国をつくりゃあいい! いいか? 次なんてねえ。これで最後だ。俺が生きたことも、お前がやったことも、なかったことにはさせねえ!」
思ってもいない言葉で目を瞬かせた。
俺は人生2週目だった。だからメンテ殺されたことも、こいつと殺し合ったことも覚えている。お互い別の場所にいて、別のものを目指していたことを覚えている。
でもこいつにとっては違う。
俺と戦ったことも、メンテが処刑されたことも、処刑が成功し王政府が続いていく未来も、経験していたのに何も覚えていない。
クロワールの経験は消されてしまったのだ。
たった一人、失敗と判断したがために。
きっと俺もクロワールも、何度も殺されてきたのだろう。
その一度しか覚えていないとしても。その一度たりとも覚えていないとしても。
「失敗だのなんだの知らねえ。何が正しいとか何が理想だとか知らねえ。でも俺はどんな結果があったとしても、やり直すなんて許さねえ。”後悔”なんて絶対にしねえ! てめえもだ、生きている限りやり直しはいくらでもきく。死んだはずだろうと殺されたはずだろうと、今生きてるお前が本物だ」
戻らないのは命だけ。
「生き汚く生きろ。仕方ないだの大義のためだの建前なんて捨てちまえ、何かのために死ぬんじゃねえ。生きてやり直せ、生きて未来を作れ」
色素の薄い目がしっかりと俺のことを見ていた。
夢物語みたいな現実を大真面目に熱く語る、生真面目な同期を見ていると妙に笑えてくる。なんだかひどく滑稽で、アンバランスだ。適当に笑おうとして、うまく笑えないことに気が付いた。
「……なあクロワール」
「んだよ」
「俺、もう死にたくねえな」
半笑いで口から出たのはそんなみっともない言葉だった。
だがクロワールは馬鹿にすることなく笑って、それから俺の頭をひっぱたいた。
「あったりめえだ!」
あの日恨みがましく睨んだ中将のコートはむかつくほど頼もしかった。