やり直し革命譚 16
立ち込める硝煙と砂埃。止むことのない怒声と足音。鼻をつく血の匂いと土の匂い。
「どれほどこれを繰り返したことか」
立ち向かってくる白服の革命軍に思い切り振りかぶればまるで玩具のように吹き飛んで行った。残された仲間たちの怒りと絶望の顔。
「無理だと思うたら、逃げるも手」
どうせ敵わないのだからどうか逃げ出していてほしい。ここでの死はすべて無駄だ。ここで死んだとしても、なんの糧にもならない。何の役にも立たない。
今ここに必要なのは時間稼ぎ、ただそれだけだ。
彼らは決して、敬愛する革命軍総長のことを奪還することはできないし、王国軍を倒すこともできない。
無駄ならば、どうか諦めてほしい。
逃げ出したとしても、今この戦場においては正しい選択だ。今ある命を無駄にしてはいけない。
「死ねぇええ!」
それを今こうして簡単にいくつもの命を刈り取っている自分が言っていい言葉でないと分かっていても、願わずにはいられない。
これがきっと正しい道だったのだと、どうか思わせてくれ。
「残念じゃ」
何回。何十回、何百回繰り返し続けたこのアサンシオン広場での戦い。
革命軍総長は、常に殺され続けた。
処刑台に膝をつき、首を落とされた。
状況を危惧した王国軍人に処刑時間前に殺された。
革命軍副長に手を引かれ、戦場を去ろうとして、蜂の巣にされた。
あの青年には何の救いも用意されなかった。
そして彼の死んだあと、彼が望んでいたような平和な世は訪れなかった。
革命軍が死に絶えたとしても、この世界に安寧は訪れなかった。ただただ、救いのない、王政がいずれ来る死を待ちながら、少しづつ機能を失っていった。
誰もが笑える世界を作りたかった。
この世界を、正しく導きたかった。
「あとは任せたぞ」
その言葉を養父から聞いた時から、どれだけの月日が流れたことだろう。けれどいまだに、彼の望んでいた世界を作れている気はしなかった。
消えていく命、どこまでを「仕方がなかった」と諦めることができるだろうか。
ゆがめた人生、どこまでを「仕方がなかった」と諦めることができるだろうか。
許されたいなどと、今さら思うことはない。この世のすべての人間に目の敵にされたとしても、倫理的に許されないことを繰り返したとしても、この世界が正しいものとして姿を変えるまで、諦めることはできなかった。
どうしたら、最も人死を少なくこの世界を救えるだろうか。
どうしたら、最も抵抗を少なくこの世界を救えるだろうか。
どうしたら、最も武力を少なくこの世界を救えるだろうか。
あらゆる人間を唆し。
あらゆる人間を操り。
あらゆる人間の願いを歪めてきた。
それでも自分の悲願は叶わなかった。
どれだけ死んでも、どれだけ殺しても、策を弄し、人を嵌め、煽動し操ったとしても、平和な世は来なかった。
彼に協力を願ってからどれだけの月日を経たことだろう。すっかり死に癖のついた協力者はいつしか美しい死に顔の作り方を覚えてしまった。
どれだけ変えても、明るい未来へ繋がらない。どこから分岐を設定すればいいのか、誰の人生を変えるべきか、誰を味方につけるべきか。
処刑台から転がり落ちた首。鈍い音を立てて地面に落ちた。
湧き上がる歓喜の叫び。
さざ波のように広がる絶望の叫び。
そのどれもを踏みつけるように切り伏せるように、彼の副長は一直線、首の下へと向かっていった。
処刑台から悪鬼のように仲間たちを殺していく黒髪を、見ていた。
傷つくことなど気にせず、もののように立ちふさがるものをすべて廃し、ただ一人しか見えていないように彼は叫び、訴え、奔っていた。
彼はただの矛であった。
作戦に口出しすることもなく、策を弄することもしない。愚直で真面目で、強い仲間だ、といつかに彼を称していた。
彼がどういった者なのか、それは知らない。
何もかもをかなぐり捨て、傷つくことも厭わない。自棄になっているはずなのに、諦めの色は浮かんでいなかった。
ただただ純粋な怒り。
そうして黒髪の彼は石畳に転がっていた首を抱え込んだ。
王国軍の中央に来ているのに、彼はもう敵に目をくれることはなかった。そして周囲を取り囲んでいる王国軍もまた彼を見ているのに動かなかった。
ただの矛などあっても仕方がないと思っていた。
けれどその時、賭けてみたいと思ったのだ。
正気を保ちながら、狂気の沙汰を演じてみせるこの男は、切望する「もう一度」を与えたら、必死で生きてくれるのではないだろうか、と。
絶望しながら、怒りながら、それでも総長のために奔走するのではないかと。
そうして私は処刑台から飛び降りた。メンテ・エスペランサの首を切り落した大剣に一滴の”涙”を落として。
「頼むぞ、アルマ・ベルネット」
若き革命軍人に勝手な願いを託してその首を切り落した。
次に会うとき、この世界が大きく変わっていることを祈りながら。
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目下の阿鼻叫喚は続く。
死んでいく兵士たち、踏みつけられる死体たち。革命軍はよくやっていた。しかし徐々に兵力差と地の利の差が露わになる。
そして時間は無情だった。革命軍の誰も処刑台に近づくことすらできていないのに処刑の時間は刻一刻と迫っている。その事実が革命軍の焦りを加速させているのは明らかだった。
「……予定通り、本日午後5時00分にて反乱軍総長、メンテ・エスペランサの処刑を行う。メタンプシコーズ王国軍中将、アルマ・ベルネットを処刑人に任ずる。準備に移れ。」
「はっ」
それらしく返事をすればまた空気が変わる。革命軍はあとがないことを悟り、王国軍はこの地獄の終わりを瞼の裏にみた。爆発するように声が広場にあふれ出しビリビリと空気が揺れるのを感じた。突き刺さる殺意と期待。
あと数分に迫った処刑の時間。しかしメンテは焦ってもおらず落ち着いていた。
「……死ぬのが、怖くないのか」
「君はもうヒムロが間に合わないって諦めているのかい?らしくもないね」
怪訝な表情を浮かべていたであろう俺のことをメンテは軽く笑った。
「僕の知る君は、どこまでも諦めが悪かった。もう無理だって、成功することはないってわかってても、一度決めたことを曲げることはなかった」
穏やかに彼は言った。
「もし、もしヒムロが間に合わなったら、僕の手を引いて逃げてくれないか」
俺は笑えなかった。そして得も言われぬ居心地の悪さを感じていた。
メンテは俺が自分のことを殺さないと信じ切っていた。
メンテのために始めた二度目の人生だった。何もかも、この時の瞬間のためだけに生きてきた。
生きてきた、はずだった。
だが迷ってしまった。メンテを切り捨ててしまおうと思ったことが、確かに俺にはあった。けれどメンテは、俺のことを微塵も疑ってはいなかった。
「たくさんたくさん、殺された。君の殺されたことはなかったけどね。もう死んでしまうというとき、君が僕の手を引いて逃げようとしてくれた時、あれが一番幸せな死に方だったんだ」
手を引いて逃げたなら、俺もメンテも決して逃げ切ることはできないという、明確な答えだった。
もちろん、あの時の満身創痍の俺ではないだろう。今の俺は無傷なうえにこの戦場においては一度足りとも武器を振るっていない。
ただ一人、命一つ助けるくらいならできてしまうのではないだろうか。
けれど、それに先はない。遅かれ早かれ、殺されるだろう。
「……幸せな死に方なんてリクエストするな。死はどうであろうと、どんな形であろうとただの死だ。お前がここで死んだとしたら、それはただの犬死に他ならない」
「どうせだめならそれくらい願ってもいいじゃないか」
「諦めるのが早いのはお前の方じゃないか」
ふと視線を感じる。総統が俺たちのことを不審な目で見ていた。いくら小声でしゃべっていても口の動きでばれたのだろう。何を話していたか、内容まではわからないだろうが、仇ともいえる男と雑談をするのは怪しすぎだろう。けれどそれを晴らす理由ももはやない。気が付かないふりをして、腹に力を入れた。
「革命軍二代目総長メンテ・エスペランサ。最期に言いたいことはあるか?」
いつかの大将の真似をして、低くよく通る声色でメンテにそう聞いた。
時間稼ぎならしてやる、と小声でメンテに言えばクスクスと緊張感の何もない表情で笑った。けれどそれは広場の誰にもきっと見えてはいないだろう。
「お気遣い感謝しよう。まず最初に王国軍総統、パシフィスト・イネブランラーブル殿に申しあげたい。私は反乱軍総長ではなく、革命軍総長である。革命軍頭目たる私を大々的に処刑することで、政府に逆らう気概を削ぎ、革命軍の解散を狙ったのだろう。……だが言おう。その考えは浅はかであり、無意味であると!」
いつかに聞いた通りものまま、メンテは話す。まるで彼の声にこの場のすべて飲み込まれるように声は響いた。誰も手を止めてはいないはずだ。誰も戦うのをやめてはいないはずだ。けれどこの場の誰もが彼の言葉を聞いていた。
「私を殺そうとも、革命は止まらない!私がこの首が胴体と離れようとも、革命軍は止まらない!私の命が消えようとも、革命の火が消えることは決してない!私が死んでも、私の同胞たちは、同士たちは生きているのだ!彼らは誓って諦めない!」
ふと思いを馳せた。
あの日、メンテが死んだ日。俺はきっと諦めていたのだ。革命も、この国の平和も、何もかもすべて。メンテがいなければできないと。彼がいなければ意味などないと。
「我々は屈しない!我々は諦めない!不遇なるこの国の弱者のため、我々は立ち上がったのだ!」
もし、もしも俺があの時ソンジュの言うことを聞いて撤退していたとしたら、革命軍はどうなったのだろう。メンテがいなくても、むしろのその死を糧に一層邁進したのか。それともやはりメンテがいなければ何もできないと瓦解していったのか。
仲間も未来も、何もかも投げ出してただメンテの下へ駆けつけただけの自分は、捨て去ったその先の未来を知ることができない。
「努々忘るな!我々は、革命軍とは民意だ!政府に抑圧された国民の意思だ!今私がここで死のうとも、国民の意思を消すことなどできないっ!!」
どこにそれだけの力があったのか。一切合切の音を飲み込むような歓声が革命軍から上がった。優勢であったはずの王国軍をたじろがせるほどに。
「総長! 総長!」
「革命軍万歳!!」
まるで教祖のようだと一人勝手に思った。言葉一つで、傷だらけの身体を奮い立たせ、雄叫びを上げ、武器を振るい敵を屠る。
「そこから見て、おかしいと思うかい?」
「……ああ、お互い様だけどな」
「人をここまで追い詰めたのは、この国だ。おかしいのはこの国の方だ。だから狂ったままでも立ち止まれない。誰かが演じなければならないなら、それは僕でも、きっと君でもよかったんだ」
メンテは笑う。
「これで最後だと思ったんだけどなあ」
泣きそうになりながら、笑った。
「――――時間だ。」
総統の声が、何もかも断ち切るようにそう言った。
やれ、と声もなく指示される。
何を考えているかわからない顔だと、以前まで思っていた。今ならわかる。きっと安堵し、高笑いでもしたい気分なのだろう。
現王は卑怯な革命軍の暗殺者により命を奪われ、国の混乱を避けるために自身が政権を握るように根回しをする。
あとは目障りな革命軍を潰せば何もかもが手の内に転がり込んでくるのだから。
「これで全部終わりだ。そうだろうメンテ」
ゴォオンゴォオン……
5時を知らせる鐘が鳴り響いた。
烏は山に帰る。
子供たちは公園から姿を消す。
青かった空は橙に染まる。
自然と口角が上がった。誰も彼もが俺とメンテを見ている中で、俺は笑った。
「ここからすべて、始まるんだ」
メンテめがけて刀を振り下ろした。