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あの夕方を、もう一度  作者: 秋澤 えで
終局開幕最終章
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やり直し革命譚 13

 美しく敷かれた白の石畳も、市民が憩う木製のベンチも、太陽を反射させる噴水も、今はもう何も見えなかった。

 溢れかえる人、人、人。王国軍人の証である暗い色の軍服が広場を覆いつくしていた。平和の象徴などと呼ばれたアサンシオン広場は今や殺気立った軍人たちを詰め込んだ火薬庫と同じだった。

 改めてこれほどの軍人がいたのだと目を細める。

 国家の緊急事態、本来本部勤めでない者も地方から召集されているのだろう。観光する余裕も時間もないのかとぼやいているか、それともこの火急の事態に呼ばれたことを誇りに思っているのか。どちらにしても、ここへ来てしまったからには文字通り命を賭して戦わなければならない。



 「ベルネット中将。」

 「なんだ。」

 「処刑台からの風景は初めてかい?」

 「あいにくと、処刑されそうになったこともこんな派手な処刑に参加したこともない。そもそもこんな事態が前代未聞だ。」



 手枷足枷からは鎖が伸び、処刑台の上に座らされたメンテはのんびりと広場を見下ろして俺に聞いた。これから殺されるかもしれないというのに、どこまでも緊張感がない。いや、緊張感がないのは絶対に助かるという自信があるからかもしれない。もしくは、どう転んでももはや後悔すらないほどに腹をくくっているのか。



 「……革命軍は、お前を助けに来るのか。」

 「来るだろう。きっと来てしまう。……何をしようと、そこは変えられない。」

 「お前が一言、助けに来なくていいといえばいいんじゃないのか。」

 「ダメだよ。それでも彼らは来てしまう。私がここにいる限り。」

 「……これ以外に、もっとマシな方法はなかったのか。」

 「これじゃなきゃダメだったんだ。きっと、これから今できるベストだから。」



 わざと王国軍に捕縛され、処刑台に上り、この広場で全面戦争をさせることが、ベストなのだと革命軍総長は言った。

 たくさんの人間が死ぬだろう。たくさんの資源が失われるだろう。けれどその声に後悔も躊躇も感じられなかった。



 「これしかないんだ。」



 確かな意思をもってメンテは呟いた。




******************





 それは突然であり、時間とともに起こるべくして起きた怒号だった。

 発砲音、叫び声、爆発音、地面を抉る大砲の音、そしてなだれ込む白い制服。

 本来ある通り、革命軍たちがアサンシオン広場に現れた。



 「殺せっ一人残らず殺せ!」

 「死ねえ!!」

 「そこをどけ!」

 「ここを絶対に突破させるな!絶対にだ!!」



 混ざり合う怒声はさざ波のように広場最奥にあるこの処刑台にまで届いた。

 なだれ込んで1分。どれだけの被害が双方に訪れただろう。

 第一波を押しとどめるのは新兵たちと着任して5年未満の若手、それからそれらに指示を出す少佐数十名。この第一の壁は数で押す肉壁だ。いや、むしろここにいる全員がただの肉壁といって相違ない。この時間は本来無駄なものだ。総長一人、内内に殺せば被害などなしに済んだだろうに、名誉回復のため、一人でも革命軍の人員を削るためにこの戦争は行われている。すべては総長が殺されるまでの制限時間付きの戦争だ。


 かつてとは違う視点で見るこの戦争は、その裏を知ってもやはり馬鹿馬鹿しく、そしてそれぞれの思惑の絡み合った泥沼だった。

 この見下ろした広場にいる人間は知らないのだろう。

 革命軍と王国軍上層部との間に密約が交わされていることも、王国軍総統が王の首を取りその覇権を握ろうとしていることも、彼らは何も知らない。けれど心のどこかで自らの組織を疑いながらも彼らには戦うという選択しかとれない。

 敵同士だというのに、その在り方はよく似ていた。



 「これしかなかったんだ。」



 目を伏せてそう言った。

 入り乱れる暗色の軍服、混じり合う白の制服。響く怒号と悲鳴。広場を煙り覆う硝煙と飛び散る血液。眼前に広がる地獄は俺たちが、メンテが作ったものだった。

 無駄な命が散らされると、不必要な血が流されると知っていながら決行した。

 俺の記憶にあるよりもずっと情けないかつての友人の尻をブーツで蹴り上げた。



 「いっ……!」

 「目を逸らすな。これは俺たちがつくったんだ。覚悟くらいとうにしていただろう。」

 「…………、」

 「俺たちは夥しい死体の上に理想の社会を立てるんだ。」



 嘆けとは言わない。弔えとは言わない。罪悪感を抱き続けとは言わない。

 だが目を逸らすことだけはしていない。

 目を隠し、耳を塞ぎぐことは決してしてはならない。



 「叫びを聞け、鬼気迫る形相を見ろ。お前のために、理想のために吹き消される命を目に焼き付けろ。」



 もう名前も覚えていないかつての仲間たち。

 遠くに見える顔は朧気ながらも記憶の果てにあるものと一致するものがちらほらと見えた。

 あいつはいつも俺にまとわりついてきた3つ下の男だ。

 あいつは俺とメンテによく苦言を呈していた苦労人ぶった兄貴分だ。

 あいつは鉱山出身で、妻と子を流行り病で亡くした男だ。

 遥か昔、俺の仲間だった。

 そして今、赤の他人だ。



 「何が正しいのか、何をすべきなのか。俺にはまるでわからん。俺はただ俺のしたいことをする。そこに理想も目標もない。俺の目的までの道のりが、たまたまお前たちの理想と一致しているだけだ。」



 少しだけ近くに見えるあいつらは、名前も所属もよく知ってるやつだった。

 バンクは俺の年上の部下だ。子供のころから同じ隊にいて、いまだに俺のことを子供だと思ってる。

 アドニスは東方支部にいたころの先輩だ。おしゃべりで人好きのする奴。

 セオドールはまだ入隊して4年程度。ひよっこ扱いの気に入らない目つきの悪い奴。

 クロワールは俺の同期。真面目一辺倒で力を抜くのが苦手だ。獲物はメイスで、かつての俺の敵。そして唯一今の俺にとってきっと友人と呼べる存在だった。



 「俺には学も思想もない。正義もなければ悪意もない。何が望ましいのか、何が誠意なのかもわからん。この先にあるのが輝かしい未来なのか、希望ある国なのか、想像すらほとんどしたことがない。」



 ここにいる誰が死に、誰が生き残るのかすら、メンテが処刑された直後に殺された俺にはわからない。あの混戦の中で、誰を殺し、誰を踏みつけたのかももう覚えていない。



 「だが理想の未来を叶えるために、その未来から間引いた人間がいたのを忘れるような社会なら、きっとまた同じように倒されるだろう。」



 かつて言っていた。

 弱い者を踏みつける社会であってはならない。

 抑圧し搾取する社会であってはならない。

 理想を叶えるために、理想に反した行いをする。その矛盾を、罪深さを誤魔化してはいけない。



 「……アルマ・ベルネット。」

 「なんだ、メンテ・エスペランサ。」

 「君は、私の友人によく似ている。」



 もうメンテは目を逸らしてはいなかった。繰り広げられる殺し合いを琥珀の双眸は確かに見ていた。地獄に目は向けたまま、まるで独り言のように彼は言った。



 「私の友人は、学がない、思想がないと言うのが口癖だった。何を聞いてもむすっとしてわからんわからんとばかり言う。そして私の言うことは正しいとまるで犬のように従う子だった。」

 「…………、」

 「素直な子だと思っていたよ。けれどその実僕は彼のことをどこかで軽視していたんだ。どうせ彼に言ってもわからない。どうせ彼はしかめ面をして僕の言うことが正しいというだろう、と。」

 「……ただの阿呆だろう、それは。」

 「違う、本当の阿呆は僕の方だった。彼は学ぶ機会が与えられていなかった。思想を語るだけの余裕のある生活を送っていなかった。食うものにも困って、人を殺したり、襲ったりする、そんな小さな悪党だった。……わからなくて当然だ。理解できなくて当然だ。ならば僕が教えるべきだった。知識じゃない、僕の思想でもない。ものの”考え方”を。」



 それは後悔にもよく似ていた。正直、この飄々とした男は後悔にも似た弱音を吐くところを見るのは初めてだった。後悔であり、その友人への懺悔だった。



 「僕は怖かったんだ。もし考え方を身に着けたなら、彼はもう僕のことを正しいとは言わなくなる。無条件で僕のことを認めてくれる人がいなくなる。……僕は怖かったんだ。その恐怖を僕は友人に押し付けた。」



 誰にでも優しい男だった。誰に対しても平等で、笑いかける。気にかけることを惜しまない。聖人のような人間だと思っていた。けれどその正体はただの傲慢さだった。



 「君は学がないと言う。けれど君は馬鹿じゃない。ちゃんとものの考え方を知ってる。情報を吟味し、解釈したうえで話ができる。意見を表明できる。それは得難いもので、機会がなければ得ることはできない。中将、君はきっとその機会に恵まれていたんだね。」



 誰にでも優しいのは誰に対しても優しくない。

 誰に対しても許すのは、なんの期待もしていないから。

 誰もが慕ったこの青年は誰よりも冷徹だった。



 「どこからものを言っている。」

 「……君の足元さ。」

 「俺には天からものを言っているようにしか聞こえん。……お前は”友人”だといったな。けれどその物言いは友人に対するものじゃない。教えるべき、機会を与えるべきだった、従う子だった。馬鹿馬鹿しい。お前には考えていないように見えても、従うことが思考の先だったというだけの話だろう。」

 「……けれど僕がもっとしっかりしていれば彼にはほかの未来だって、」

 「お前はそいつの親じゃない。お前がそこまでしてやる必要はないだろうが。」



 処刑台の上で話す話ではない。

 微々たる後悔。大義のための懺悔でも、散る命に謝するわけでもない。

 それはたった一人の友人のための懺悔だった。

 くだらない、なんの役にもたたない。けれどそれは語る必要があった。この時を逃せばきっともう二度と口にすることのないことだった。



 「……昔、俺は学など必要ないと思っていた。思想も思考もいらない。俺に必要なのは純然たる強さだけ。そう信じて疑わなかった。」



 事実、それで事足りた。事足りていたはずだった。



 「違った。それこそ甘えだった。考えるのは得意じゃない。だから得意なやつに任せてればいい。そうやって逃げた。学ぼうともしなかった。知識や思考で誰かを支えようともしなかった。……それは怠惰だった。」

 「怠惰なんかじゃ、」

 「勘違いするな、お前の友人の話じゃない。今まで生きてきた、俺の話だ。……だがわかった。考えなければ戦う上での効率化が図れない。策を弄し、口を動かさなければうまく戦力も扱えない。勝つために、必要なことだったんだ。」



 この地獄絵図の根源にはあらゆる人間の理想や欲望、思想や盲信で渦巻いている。誰もが自分にとって都合のいい展開に対局を持っていこうと様々な手を駆使している。それに乗っかっている俺でさえ、そのすべてを把握できているわけでもないだろう。想定外の何かで、この現状がひっくり返る可能性だってゼロじゃない。今までの努力もなにかも泡と化すことだってありえる。


 だからこそ、考えなければならなかった。少しでも最後の一手が自分の望む未来に打てるように。人の考えを読み、自分の考えの粗を探し、少しでも成功する確率を高める。ない脳味噌を絞って策を作る。

 そしてようやく今、俺は何よりも望んだこの処刑台の上に立っているのだ。



 「だが、考えていなかったころが悪かったわけじゃない。俺は何も考えず、ただ武力を振るい敵を一人でも多く殺すことだけを考えていた。大義も思想もなかった。考えようともしなかった。」



 何も考えず、未来に思いを馳せることなく、俺はただ何より大切な友人の背中だけを見続けていた。



 「俺はただ、大事な友達の夢を叶えたかったんだ。」





*************




 今頃王国軍仮本部を中心としたアサンシオン広場は阿鼻叫喚と化し、数多の血が流されていることだろう。けれどこの王宮、サン・テスプリ宮殿はまるでそんな騒ぎを感じさせないほどに静まり返っていた。いやもしかしたら以前宰相に連れられここを訪れたときよりも閑散としている。おそらく、ある程度の使用人や部下はもう避難してしまっているのかもしれない。ここからアサンシオン広場まではそう距離がない。

 本来であれば王、メタンプシコーズ・ロワはまっさきに身の安全を確保し、避難すべき人間だ。けれどあの男は広場から程ないこの豪華絢爛な王宮に座したままである。


 「国たる自身は、決して国民の手で殺されることはない」


 馬鹿馬鹿しい話だ。鼻で笑ってしまうような飛躍した理論。にもかかわらず、あの男はそれを本気で信じて疑わない。だからこそ、この緊急事態も王座に鎮座ましましているのだ。

 使用人に扮し廊下を歩き進める俺を引き止めるものはいなかった。


 情報局の一員であるヒルマたちがある程度の根回しをして人手を薄くしているとは聞いていたが、正直廊下を堂々と歩いて暗殺しに行くことになるとは思わなかった。


 今は何時だろうか。懐中時計で確認したいところだが、そんなことをすれば間違いなく浮いてしまう。ただの使用人が懐中時計など一個人で持っているはずがないのだ。

 広場は今頃何が起きているだろうか。革命軍たちはもう到着しているだろうか。まだ処刑の時間にはなっていないはずだ。誰かが密告したりはしていないだろうか。ベルネットが復讐心に駆られ、総長を殺してしまってはいないだろうか。

 不安も心配もまるで尽きない。ただ一人王宮の最奥、王の私室へ向かう間にも胸には重苦しいそれが降り募る。いっそのこと走り出して、とっととその首をとって戦場へと向ってしまいたい。このせっかちさと心配性が一番の欠点だと自覚はしていても、自分の責任が方にのしかかる。


 俺が失敗すれば、ここで死んだ人間の命は無駄になる。

 世界は変わらない。これからも圧政が敷かれ、緩やかにこの国は死んでいく。

 鎖国が解かれることなく、この成長を忘れた国は発展することはない。

 狭く枯れたこの土地はどこにもいけない。


 未来のために、俺は確実にあの腐った男を殺さなければならない。


 知らず知らずのうちに足が早くなるのを感じた。

 やたらと長く感じられる廊下を歩いていると、段々香の匂いが強くなる。きっと王の私室で焚かれたものだろう。書いだことのあるそれは、王と謁見したあとの宰相殿のそれだ。

 しかし突如としてその異様な空間は壊される。



 「誰かっ、誰か助けてくれ!!」



 静寂を破ったのは若い男の悲鳴だった。見れば廊下の奥から走り出てきた使用人だ。白いシャツが赤く染まっている。



 「ど、どうした!?何があった!?」

 「私のことはいい!早く、早く誰かを呼んできてくれ!賊だ!賊が現れた!陛下の私室に向っている!護衛兵ももう殺された、このままでは陛下が……!」



 鼻が効かずとも腹から流れ出る血が偽物でないことはわかった。瀕死で助けを求めた男につられて血の気が引く。



 「だ、誰が一体こんなことを……!?」

 「わからない……顔を隠していた。4人程度、だ。」

 「ああ、すぐに向かう。あんたはここで休んでてくれ。傷口を抑えて……そう、そうだ。死ぬほどの傷じゃない、しばらくおとなしくしてれば誰かが気づく。」

 「すまない、陛下を……、」



 それだけ言うと使用人の男は意識を飛ばした。死ぬような傷ではないが見慣れない者にとってはショッキングだったのだろう。廊下の端に横たえさせて、廊下の奥へと走り出した。

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