やり直し革命譚 12
『ザザ、ザ……ガ―—』
「あ、来たね。」
「いったいどこに……、」
『我……正義……槌をも……て、……目……せてやらねば……ない!』
何かがこすれるような音に紛れて、黒い箱から声が聞こえてきた。
もうしばらく聞いていない、そうでなくとも劣悪な雑音の合間から掠れ聞こえるそれは頼りない。けれど記憶の底からその声を特定するのはそう難しいことでもなかった。
「王国軍本部の音だよ。」
「パシフィスト・イネブランラーブル……!」
メタンプシコーズ王国王国軍総統パシフィスト・イネブランラーブルその人の声だった。
『王国……諸君の献身に期待、する……!』
途切れ途切れだが、おそらく総統が王国軍に向けて演説を披露しているところだろう。怯懦を拭い去るように、恐れも疑いも闘志で塗りつぶす作業。馬鹿馬鹿しくとも、現実に即してなかろうと、興奮を扇ぎたてるにはそれで十分だ。
「随分大きな音で聞こえるな……本当に総統のすぐ傍みたいだ。よくそんなところにピンポイントで盗聴器が置けたな。」
「いやぁ私もまさかこんなに近くから総統の声を拾えるとは思ってなかったよ。」
総統の演説が続く中、別の音が入った。総統の声よりもさらに近いように聞こえた。
『……の国の未来……て考え……』
雑音の向こう側。まだ年若い。けれど奮起する軍人たちとは似ても似つかない落ち着き払った声。
『お前……どんな未……望……た。』
「この声、アルマか!」
久しぶりに聞いた声だった。相変わらず、いけ好かない澄ました声。子供らしさなんて微塵も感じさせない、可愛げのない声。けれど数年ぶりに聞いた養子の声にカルムクールさんは涙腺を緩ませていた。アルマはまだこの人が生きているとは知らないのだ。
「唯一小型化に成功した盗聴器があるんだ。まあそれでも小さいとは言えないし、コストパフォーマンスは笑えるくらい最悪。実用化なんて夢のまた夢。おまけにバッテリーは1日ももたない。20センチほどの直方体、腰や肩に下げられるくらいの大きさでね。……今はアルマ君の腰に下げさせてもらってるよ。以前まで腰につけてた爪は捨てたみたいでね、そのカモフラージュの意味もある。」
「……あの爪は捨てたのか。」
今でも覚えている。初めてラルムリューであいつを拾ったときに持っていた身体の大きさに見合わない大きな爪。結局、一度も使っているところ見ることはなかったが、どこか使い古されていそうな雰囲気がいやに不気味だったのが印象に残っている。
「アルマはメンテの処刑人なんだよな。」
『……は、みんな……える未来が欲し……よ。』
「うん。総統の指名でね。今アルマくんが話しているのがたぶんメンテ。声が小さくて聞き取りづらいけど。」
「指名?あいつはまだ中将の中でも末席の方でしょう。それなのになんで総統から指名が入るんすか。」
「だってみんな『カルムクール・アムは殺された』と思ってるんだもん。私でさえ実際にこうして会うまでカルムくんが生きてるなんて信じられなかった。」
思わず顔をしかめる。だとしたら総統はかなり性格が悪い。
なるほど、アルマは使いやすいのだ。
若くして中将に上り詰める才覚。年上の部下たちをまとめ上げる優れた指揮。養父を革命軍総長に殺される悲劇のヒーロー。そしてその仇を見事に討って見せる次世代の英雄。
アイコンとして、これほど扱いやすい者もそういまい。
さらに情報を足すのであれば復讐に燃える青年に仇をその手で討てるようお誂え向きの舞台を用意するという恩を売ることまでできるときた。
総統が放っておくはずもない。
「本来なら大将が処刑人を務めるところだけど、メンテを独断で王都に招いたことで総統からの信頼が揺らいだ。そのせいで大将にその役が回ってこなかったんだ。何するかわからないベテランよりも若手の復讐心を煽ってやるほうが簡単だからね。」
「……じゃあアルマは今もメンテが俺を殺したと思ってるのか。」
「そこは疑いようもないよ。……けどわからない。アルマくんは君が死んだと分かった時明確に堪えていたのに、仇であるはずのメンテとこうして激昂するどころか雑談さえしてる。」
恩人を親代わりを殺した人間を、これから数時間後に自分の手で殺すはずの人間を談笑する、あいつの神経がわからなかった。
メンテが殺してないということをアルマに伝えたか。
否。アルマが信じる仇のいうことをそう易々と信じるはずがない。自分でさえ、カルムクールさんそっくりに顔を作り替えられた遺体の違和感に気が付けず、その死を疑うことはできなかった。
殺したメンテのことを許したか。
否。アルマがそう簡単に許すはずがない。いや誰であろうと普通は赦さない。許せないだろう。家族を殺しておいて「ごめんね」「いいよ」が成立する世界だったらそれはトチ狂ってるに違いない。
「正直、その辺はわからない。彼らのことはしっかり調べた、余すことなく。けれど今まで彼らが接触していたという情報もなければ、時期と居場所を考えれば彼らが個人的に会うことは物理的に不可能。アルマくんにとって彼は間違いなく恩人の仇以外の何者でもないはず。」
「わからないなら聞けばいいだろ。」
なんてことないように、あっけらかんとまたこの人はそう言った。
「俺がこの身で戦場に来ればきっとアルマはメンテを処刑するのはやめるだろう。アルマさえ止められれば、王国軍は絶対に勝利することはない。」
確かに彼の言う通りではあった。
王国軍側の最低限の勝利条件は革命軍総長メンテ・エスペランサを処刑すること。
一方の革命軍側の勝利条件は革命軍総長メンテ・エスペランサを奪還すること。
アルマさえ止められれば王国側は勝利条件を決して満たせない。
けれどそれはアルマがカルムクールさんを数多の人々で混ざり合う混沌とした戦場で見つけだせるかどうかで結果が大きく左右されることになる。見つけたとて彼が本物だと気づいてもらえなければ最悪逆上させかねない。
「そろそろ時間がない。率直に言うよ。カルムくん、君は戦場に入るようなことをしてはいけない。」
「っなぜだ。俺がいることでアルマを止められるかもしれないのに、」
「それ、逆に言えば絶対に処刑を断行したい人たちにとっては君の生きているという事実は都合が悪いんだ。……それと言い方が悪いけど、革命軍にとっても万が一君に死なれるのは問題がある。」
「問題?」
「ああ、もし革命軍と王国側が手を組んで新政府を作るとなった時、重要な人間を殺したという印象が強く残っていると都合が悪い。革命軍はカルムクール・アムを殺してないという事実は革命軍の未来にとって利用できる。それにもしアルマくんに見つけてもらえる前に殺されでもしたらそれ以上の無駄死にもないよ。」
どこの組織に行っても、政治的側面によって人が扱われる。胸糞悪くなってつい舌打ちをした。
合理的。合理的だ。しかしその対象がこの人であるだけで我慢ができなくなる。
「それより君たちにはしてもらいたいことがある。いや、どちらかといえばラパンくんかもしれないけど。」
「俺っすか?珍しい。」
「うん、ちょっと総統がこの騒ぎに乗じて陛下を暗殺しようとしていてね。」
「……は?」
思わず頭がフリーズする。
革命軍対王国軍という形ではなかっただろうか。なぜ王国軍総統が現王を殺そうとしている。
「いや、アッセン、待て待て待て。」
「時間がないの。で、このタイミングで陛下に暗殺部隊を向かわされると宰相閣下が送る暗殺者が鉢合わせるかもしれないんだ。」
「いやなんで宰相まで暗殺者を送ってるんだ!?」
「詳しい説明は省くけど、宰相閣下は革命軍側だよ。メンテが王都に来れるように手引きしてたのも宰相閣下。あと宰相閣下はアルマくんともつながってる。まあアルマくんだから従ってくれるとも限らないんだけどね。」
「ちょ、待ってくれ!情報量がおかしいだろ!?なんでそんなカオスなことになってんだ!」
恐ろしさを通り越していっそ呆れてくる。本当に、メンテ・エスペランサはそこまで手中に収めているのだろうか。宰相まで彼の手の内とは。これが綿密に練られた計画だというなら奴には未来が見えているか人生を数周しているに違いない。そしておそらく、状況から言って大将フスティシア・マルトーも一枚噛んでいることだろう。宰相と大将が結託し、革命軍総長を王都へ招いた。そして一方の総統は総統で別の野望を持っている。おそらく革命軍に濡れ衣を着せこの王国を乗っ取る腹積もりなのだろう。アルマ・ベルネットという腹心を抱え込んだ気になりながら。
「情報多くてごめんねーでもやることは簡単だよ。ラパンくん。君は総統の送る暗殺者の邪魔をするなり始末をするなりしてほしい。」
「簡単に言ってくれますね……、」
「ちなみに総統が暗殺者を送るっていうのはほんの数時間前に盗聴で知った情報だからこれ以上の情報はないよ。ごめんね!」
「無茶ぶりにもほどがある!」
「まあその代わり、宰相の送ってる暗殺者は、」
「どうせヒムロでしょう。」
「ありゃ、知ってたか。」
宰相が抱えて、信頼している腹心。ヒムロという男だ。基本的に宰相の傍に控えている忠誠心に溢れる愚直な男。文官として働いている。だがあんな文官いてたまるか。その本質はどこまでも武官だ。そうでなければ人の遺体の転がる路地裏でうっかり出会うなんてことはないだろう。
「ヒムロじゃない奴をやればいいんすよね。」
「まあそうなるね!ヒムロはメタンプシコーズ・ロワを殺してその首をもってアサンシオン広場に向かうことになってる。いやあやっぱ暗殺し慣れてる子は頼りになるなあ。」
「ハン、そいつはどうも。」
軍に入る前も、軍から出奔した後も調べ上げているとでも言わんばかりのセリフだ。だがおそらく実際そうなのだろう。弱みを握りたいから調べたのではない。隠されていたから暴いただけのつもりだろう。それこそ、暇つぶしや時間つぶしの類のように。
『長い、夢だった。』
「さあもう行った方がいい!裏道はラパンくんの方が詳しいとは思うけどうっかり誰かに見られたら面倒だ。」
「アッセンは、」
「私ももう逃げるよ。さすがにここだと巻き込まれる可能性もゼロじゃない。安全なところで観戦させてもらうよ。」
「そうかならいいんだが……。これが終わったら呑みに行こう!随分会ってなかったからいろいろ話したいこともあるし、聞きたいこともあるんだ。」
これから暗殺に向かうというのに、誰かに見つかれば殺される可能性が高いというのに、カルムクールさんは本当に仕事のあとに誘いでもかけるような朗らかさで彼女にそう声をかけた。
「…………ああ!私が奢るよ!今や情報局局長だぜ?楽しみにしといてよ!」
言いたいことはわかっていたから、アッセンは野暮なことを言わなかった。
背嚢だけ背負い、彼女は宣言通り早々に背を向けて走り去っていった。きっと本当に安全な場所に心当たりがあるのだろう。
「カルムクールさん、」
「ああ、俺たちも行こう。」
俺が一人で行こうとしたのを察したのかもしれない。彼は食い気味に俺に言った。
「飲みに行こうって言ったのはアッセンだけじゃない。お前もだ、ラパン。聞きたいことも話したいこともたくさんある。お前とアッセンだけじゃない。アルマだってそうだ。それからソンジュもそう。好き勝手やってるメンテもそうだ。」
「……ええ、」
「まあ、なんだ、あれだ。お前もいろいろ思うところもあるだろう。でも俺だってお前に物申したいことだってあるんだぞ?まあ結局、何が言いたいかっていうと、」
ニッと、戦場に相応しくない、太陽のような笑みを浮かべて彼は歩き出した。
「みんなで、生きて帰ろうぜ。」
「……はいっ!」
そんな顔をされては、いい返事をするしかなくなってしまうのに。
暗殺者を殺す暗殺者として、俺たちは戦場の中心地ではなく王の住む宮、サンテスプリ宮殿に足を向けた。