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あの夕方を、もう一度  作者: 秋澤 えで
終局開幕最終章
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あの夜は、もう来ない。

 頼りなく光る三日月が、揺蕩う雲に遮られる。風の強い夜だった。

 着の身着のままでは辛い季節で、秋から冬に差し掛かった、そんな夜だった。

 腹が減っていた。

 こん棒で打ち付けられた背が、肩が痛かった。

 ちらつく月明かりを頼りに、路地を走っていた。

 誰もいない、夜だった。


 なぜ、なぜと、問うのはやめていた。

 誰も答えはもっていない。俺が聞けるような相手はいない。自問自答したところで腹が減るだけだった。

 どうして両親は、友達は死んでしまったのか。どうして街は燃やされてしまったのか。どうして自分は一人なのか。どうして自分はこんな目に遭わなければならないのか。

 何もわからなかった。

 ただ誰も助けてはくれないことはわかっていた。何もしなければ死んでしまうこともわかっていた。

 奪わなければ生きていけないことも、わかっていた。

 人を殺すことにも慣れていた。

 重くて鉄臭い爪を柔らかい腹に突き刺して、抜く。それだけ。身包み剥いで、転がして、一晩逃げきって次の街へ行けば、もう見つからない。


 下水に住む鼠でいい。ゴミ捨て場を漁る烏でいい。

 人間のまま死ぬよりいい。


 誇りじゃ腹は膨れない。


 「死んでたまるか……、」


 生きる意味なんてない。でも死んでやる理由もない。



 川の向こう、月明かりに照らされる人影を見た。

 大人にしては小柄だが、比較的身ぎれいで、小さくはない鞄を持っている。

 ついてる、と唇をなめた。

 小さな身体は見つかるまでに時間がかかる。なによりこんな時間に一人で出歩く人間に、探す人の当てなどないだろう。

 哀れだとは思う。不運な奴だった。

 それでも俺は生きたかった。

 どうか俺のために死んでくれ。


 気が付けば俺は空を見上げていた。

 順調だったはずだ。月が隠れたところに乗じて足音を殺し近づき、背後から襲う。簡単だと思った。

 それなのにどうして俺は石橋に背をつけて空を見上げているのだろう。右手につけていたはずの大きな爪は手からすっぽ抜けて数メートル先に転がっていた。


 「危ないな。割と治安がいい街だって聞いてたんだけど。」


 少し困ったような声が上から降ってくる。間違いなく、俺の腹の足しになるはずだった奴。小柄な男、ではない。俺とそう変わらない年恰好の子供だった。その子供に俺は投げ飛ばされ橋にたたきつけられたのだ。


 「君、一人?それかどこかに仲間がいる?」


 つい先ほど殺されそうになったとは思えない穏やかな声だった。いや、きっと危機すら感じなかったのだろう。そうじゃなきゃ、こんな風に俺が転がされるわけがない。


 「ええと……、うん。まあいいや。この荷物は僕の上司から預かったものだから君にあげられるものはないよ。子供が遊び歩く時間じゃない。早く帰りな。」


 同じ年くらいのくせに、大人のような口ぶりだった。

 むかつくくらい、穏やかな声だった。欠けたところなんてないとでもいうような声だった。


 「……帰る場所はない。」

 「え、っと……、保護者とかは、」

 「いない。親は死んだ。今は知り合いもいない。」


 話しているとどんどん腹が立ってくる。石橋についた背中は冷たいのに、頭が芯から熱くなる。

 俺は一人で、帰る場所もなければすべきこともない。

 それなのにこいつには帰る場所も仕事を任せるような上司もいる。

 同じような年で、同じような背格好で、同じように、真夜中に一人で歩く子供なのに。

 ここまで違うのかと、腹がたった。


 「……名前は?」

 「……アルマ・ベルネット。」


 もう誰に名乗ることもない名前だった。久しぶりに口にした自分の名前は舌の上でざらついていた。

 子供はわらった。どうしてか嬉しそうに。


 「そう、アルマ。一人なら僕とおいでよ。」

 「……は、」

 「僕らは仲間を探してるんだ。一緒に戦ってくれる仲間を。大人も子供も関係ない。」


 どこか浮足立つような声、いや誇りに満ちた、自慢げな声だ。


 「一緒に行こう、アルマ。この国を、この世界を変えるんだ。」


 たなびく雲から三日月が顔を出した。この時俺は、初めてこの子供の顔を見た。

 俺の返事を待つことなく、少年は俺の手を握り引き起こした。

 抵抗だってできた。馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うこともできた。


 それなのに俺は、月明かりを反射させるその琥珀色の双眸から目を逸らせなかった。


 「僕はメンテ・エスペランサ。一緒に行こう、アルマ。」


 寒くて冷たくて痛くて、なのに右手だけが温かい夜だった。




*********




 随分と、懐かしい夢を見た。

 仮眠室のベッドは硬く、伸びをすると背中がパキパキと音を立てた。カーテンの隙間からはまだ日の光は見えない。いくつか並んだベッドを見るとちらほらと知っている顔が見えた。

 廊下からは足音が聞こえてくる。おそらく、夜通し戦いの準備をしていたのだろう。佐官以上だとこうして一時的な休息も与えられるが一兵卒や文官はそういうわけにもいかなかった。一番危険な位置にいるのは将校たちではなく一兵卒だというのに。


 随分と古い記憶だった。けれど幾度となく見た夢だった。

 きっともうこの夢を見ることはなくなるだろう。

 すべてはこの日のために準備をしてきたのだから。

 不要なものをそぎ落とし、何もかも捨て去ってきた。

 ズシリと重いコートに袖を通す。最期の日に着ていた白いコートとは似ても似つかない。


 何度も見た夢だった。夢であり、事実。

 けれど改めてわからないことがある。

 なぜメンテは俺の名前を聞いて笑ったのだろうか。

 上司、アンタス・フュゼから仕事を任されどこかへ向かっていたはずで、途中まで俺のことなど捨ておこうとしていた。なのに急に態度が変わったのだ。

 それは確かに喜色だった。

 なぜああも嬉しそうだったのか、いくら考えてもわからなかった。そしてもうそれを知るすべもない。


 所詮過ぎ去った夢であり、俺が捨て去った過去だった。俺は同じ選択はしなかった。

 あの夜はもう俺の記憶の中にしかない。


 「おはようございます中将!」

 「……おう、」


 緊張のせいか、ここ数日の浮足立った空気のせいか、やたらと力んだ挨拶をした新兵を見る。夜明け前、きっと徹夜で作業をしてきたのだろう。しかしそこに疲れは見えず、高揚だけがある。


 こういう奴が一番殺しやすい。


 「ど、どうかされましたか!?」

 「……いや、何でもない。お疲れ、気をつけろよ。」

 

 あともう12時間もない。

 不思議と、不安はなかった。


 後悔など、ない。

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