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あの夕方を、もう一度  作者: 秋澤 えで
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分かれ道 (3)

 今のおれはここ数日のうちで最も頭を働かせている、とラパン・バヴァールは一人思った。


 この子供を決して上司に会わせては、いや知られてはいけない。もし彼がこの子供の身の上を知ってしまえば彼がどうするか。短いとは言えない上司との付き合いの中でカルムクール・アムの為人は十分に分かっているつもりだ。だからこそ、アルマ・ベルネットという得たいの知れない子供を彼に会わせたくなかった。


 無論、カルムクールが冗談で言っていることは明らかだ。だが、責任感の強い彼が子供に起きたことを知れば、間違いなく罪悪感に駈られた末に選択を誤るだろう。



「それじゃあ坊主、名前は?」

「アルマ・ベルネット。」

「年は?」

「8つ。」

「若いなぁ!訓練学校に入るのは五年後だな。出身地は?」



 何の気なしに、普段の新兵採用と同じようにテンプレートの質問をする。ああ、やはり聞くのかとラパンは唾を飲み込んだ。彼が何のリアクションもしないなんていう薄い希望を抱くが、それは十中八九叶わない。



「フェールポール。」

「フェールポール……?」



 アルマを抱き上げたまま問うた彼は目を見開き言葉を失った。琥珀の目の奥には様々な感情が渦巻いているが際立って罪悪感の色がうかがえた。彼の表情は自身が危惧した通りで、こんな表情をするのが目に見えていたから、アルマという子供を彼に会わせたくなかったのだ。


 アルマ・ベルネットは、カルムクール・アムの柔らかで甘い部分を無意識のうちに抉りとる存在なのだ。



「……少佐、気分が良くないなら先に執務室に行ってくれて大丈夫っすよ?この子供は俺たちが面倒見ますから。」



 おそらく無駄であろうと知りながらも一応声をかけるが、青い顔をしたカルムクールはまるでラパンの言葉など耳に入らないかのようにじっとアルマを見ていた。肝心のアルマは先ほどラパンに向けたような訝し気な視線を送っている。



「……坊主は、何で軍人になりたいんだ?」

「何でって……、」



 色を失ったまま新たに質問をぶつけるカルムクールに腕の中の子供は微かに困惑しながらもはっきりとした口調で答えた。



「大事な人を、助けたいから。……助けるためには、王国軍の兵になって強くならなきゃいけない。」

「……大事な人が、いるのか?」

「まだ、いない。……でもこれからできる。」



 子供らしくない赤い双眸はカルムクールに向けられながらも彼を通り越して別の人間を見ていたように、ラパンには感じられた。先の戦いですべてを失ったであろう子供の『大事な人』とは誰なのか疑問に思ったのだろう、カルムクールは深くは触れず一部のみ言葉足らずに聞いた。それに対し、子供は随分と曖昧に答えた。いや、曖昧に答えたはずなのにそれはひどく確信した声色で、全く未来に出会う『大事な人』を見据えていた。望みという言葉でも、予言という言葉でも言い表せない。



「……そうか、」



 無意識であろう、止められていた足が再び本館に向けて歩き出す。慌ててその青い背中を追い追い越すようにして前から彼の顔を覗きこんだ。いまだ罪悪感の色がうかがえるがそれ以上にどこか覚悟したような目をしていた。ラパンは確信した。おそらく敬愛すべき上司は、自分がもっとも言ってほしくないろくでもないことを言い出すに違いない。しかもそれは提案や相談という形ではなく、決定事項として。



「あの、少佐……、」

「……よしっアルマ・ベルネット!」

「ん、」



 恐る恐るかけた言葉は容赦なく切られ、何か決心したような顔で抱き上げた子供を先ほどよりも高く上げて見上げ名前を呼んだ。対する子供は唐突に上がった視界に戸惑ったのか、返事とも言えないような返事を持ち上げる太い腕の主に返す。



「お前を今日からおれの部下にする!」

「は……、」

「しょ、少佐殿っ本気ですか!?」



 やはり嫌な予感こそよく当たる。支部の一等兵は驚きの声をあげ、部下にすると告げられた本人でさえ目を見開き絶句している。半ば殴り込みのように支部へ乗り込んできた割には現実を理解しているらしく、まさか本当に自分の要望がかなえられるとは思っていなかったのだろう。ずっとほぼ無表情だったその顔が驚愕の色に染められ、年相応の顔つきに見えた。



「……少佐、少しお話を。」

「おう、わかってるって。そっちの君はアルマを本館の応接室に連れて行ってくれねぇか。詳しい話はあとでおれがするから待たせておいてくれ。それと一応フェールポールの住民票の確認も頼む。」

「りょ、了解しました!」

「ま、待って!」



 当人を置いておいてあれよあれよと決定されていく自身のことで、ようやっと我に返ったアルマが制止をかけた。



「ん、何だアルマ。」

「聞きたいことは、色々ある……。」

「まあ、そいつぁあとでいい。あ、とりあえずはおれたちの名前な。おれがカルムクール・アム。王国軍本部勤務で階級は少佐。で、こっちの赤髪がラパン・バヴァール。おれの部下で階級は大尉だ。これからお前の面倒は全部おれがみる。よろしくな!」

「よ、ろしく……?」



 満面の笑みで躊躇うことなく求められた握手に戸惑いながら小さな手で答えたアルマは、まともに質問をすることも叶わず目を白黒させながら、同じく混乱している一等兵に手を引かれ本館へと促されていった。

 先ほどまでラパンと話していたときとはうって変わった子供の様子に、上官への態度は演技だったのか、もしくは独特の彼の調子に飲み込まれ素が出たのか。前者であれば質が悪い。


 警戒すべき小さな背中が本館の中へ消えていくのを見届けてから問題の上官に向き直る。太陽のような笑顔は仕舞われ、真剣な表情をする彼にやはり無責任にものを言っているわけではないと悟る。いっそのこと無責任な発言であれば諌めるのも止めるのも簡単だっただろうに、と内心ため息をついた。



「どういうつもりっすか、カルムクール少佐。あんな怪しい子供を懐に入れようとするなんて……。」

「……あの子がフェールポールの子だからだ。国を国民を守ると堂々と国家守護を掲げてるってぇのに、あんな小せぇ子一人守れないなんてことがあってたまるかっ……。あの子にはもう何もねぇんだ。できるなら何でもしてやりてぇ。」

「それでも、フェールポールの生き残りだからこそ危ないんじゃないっすか。まだ生き残りのいる、スパイかもしれないんすよ。何よりあれはただの餓鬼じゃないでしょう?少佐も腰に下げてた爪を見たんすよね?そう古くない血の匂いがこびり付いてる武器持った餓鬼がただの可哀想な子供なわけないでしょう?」



 カルムクール・アムという男が、一度決めたことは決して曲げようとしない人間だということは重々承知していた。それでもラパンは反対の声をあげないわけにはいかない。明らかに自身のみに向けられた殺気。銃口を突き付けられてなお落ち着いた様子。そして何より腰から下げた見慣れない武器。一般的な爪とは違う妙な形をした黒い爪はどう見てもあの子供の手に余るものだった。手に余るはずなのに、あの子供は間違いなくあれを使って人に害をなした経験がある。それはこびり付いた血の匂いが、場慣れしたような態度が、戦いのせいで治安の悪いはずのフェールポールからラルムリューまでの道のりを子供一人で乗り切った事実が証明していた。



「可哀想な子供だと思って近づいて、背後からぐさり、なんて笑い話にもならないっすよ。」

「考えすぎなんだよ、ラパン。あんな子供がそんな暗殺じみたことができるわけねぇだろ。」

「……八歳にもなれば暗殺の一つや二つくらい、誰だってできます。」

「昔のお前と一緒にすんな。」



 揶揄うように笑われ、居たたまれなくなり目をついと逸らす。しかしそれはあり得ない話ではない。あの子供は使われた形跡の在る獲物を身につけており、それをわざわざ王国の守護中枢である本部へと招きそれどころか軍の内部へと組み込もうとしているのだ。いつ寝首をかかれてもおかしくない。おまけにこちらは寝首をかかれるような心当たりがあるのだから、なおさら。



「暗殺なんてできるような奴じゃあねぇよ、たぶん。握ったときにわかったが、暗殺者とか殺し屋として訓練を受けてた手じゃねぇ。今はかなり荒れてるが、古い肉刺とかじゃなくて真新しい擦り傷とか圧迫痕、あと少しタコができ掛けてた。あの爪は手ぇ突っ込むタイプみてぇだから使い始めてすぐなんだろうよ。身体も筋肉がついてるってわけじゃねぇし、手の皮膚もまだまだやわらかい。爪のサイズも見るからに合わねぇのにそれを無理に使うから皮膚がボロボロになってんだろうよ。」


「……自分に合た獲物じゃないってことは適当に拾ってきたもの、っすかね。訓練されてるような奴であれば自分の身体に合ったものを持ってるし、皮膚も硬くなってるはずだから一般人の子供、ってことっすか。」


「そういうこと。それにいきなり支部に乗り込んでくるあたり計画性は0。潜り込もうとするならもうちょっと頭使うだろ。正面の門からご丁寧に門兵に話しかけるなんて馬鹿みてぇな真似はしねぇ。」



 彼の言うこともわからないでもない。実際にラパンはアルマに触ったわけではないからわからないが、彼がそう言うのなら皮膚の質の話はまず間違いないだろう。だが決して手放しで信用するわけにはいかないし納得も行かない。つい最近まで一般人だった子供が使い勝手の悪そうな武器をたまたま拾い、たまたまうまく使えて自分の身をそれで守れていたというのか。明確な殺気を他人に向けられるだろうか。


 どうにも、アルマ・ベルネットはちぐはぐだ。


 客観的な事実だけ述べれば、間違いなくあの子供は戦争孤児、哀れで運の無い子供。

 だがあの赤い目が、子供らしくない口調が、毅然とした態度が、銃口を向けられても微動だにしない度胸が、ラパンの本能に警鐘を鳴らさせていた。


 しかしそれはラパンの主観でしかなく、殺気を向けられたなどと言ってもおそらく気を張りすぎだと笑われるだけで、銃口を向けたときの反応など、きっと話を聞く以前に烈火のごとく怒鳴りつけられるのは目に見えている。結局は確実とも言えない情報を話すために敬愛すべき上官に怒鳴られるなど、割に合わない。



「……それでも、疑いのない白とは言えないんですから。武器を持った血なまぐさい子供なんてわざわざおれらが面倒みる必要はないじゃないっすか。孤児院なり何なりに突っ込んでおけば済む話っす……。」

「あの子は被害者だ。」



 説得できないとわかりつつもグチグチと役に立たない言葉を重ねるラパンの声をカルムクールは遮った。凛とした声に思わず口をつぐむ。下がっていた視線を上げれば黒曜石のような双眸とかち合う。



「あの子は被害者だ。助けようと思えば、助けられたのに。おれたちは顧みることはなかった。あの子のような子供はたくさんいただろう。焼け死ぬのを、おれたちは知っていて何もしなかった。すべてが終わったのを、一度見に行っただけだ。国のため、なんて大義名分を掲げて。」

「……仕事っす。公僕にできることなんて限られていますから、おれたちに求められてるのは上の命令にひたすら従うことっす。」



 仕事だった。その一言で済む話だ。命令だった、それが大勢の人間の幸せだった。あの二つの街を、王政府は看過できなかった。国のため、多くの国民の幸福のための仕事だった。確かに王国軍は、あの二つの街を見捨てた。助けられるのに手を貸さなかった。だが同時に殺してもいない。王国軍の手は決して二つの街に住む市民の血に汚れてはいない。ただ助けなかっただけだ。



「なあ、ラパン。子供一人守れない人間に、国が、国民が守れると思うか?正義の味方なんて、笑わせる。」

「……時に大義のために小義が消えることは避けられません。」

「それをどんな顔して小義、小市民に言える?」



 じろりと向けられた目にごくりと唾を飲み込んだ。決して自分が責められているわけではないとわかりながらも思わずたじろぐ。彼が責めているのは国の在り方と、何もできない彼自身だ。国のために身を粉にする軍人にはよくあるなんてことない葛藤。ただのどうしようもない嘆き。だが彼は、目の前の上官は真摯過ぎた。あまりにも真摯なら嘆きだった。嘆きであり憤りだった。そんな葛藤一つ負ったことのないラパンは、その瞳に返す言葉など持ち合わせていない。



「自己満足だって言われても構わねぇ。おれはアルマ・ベルネットのためにできることをしてぇ。」

「…………ただの子供なら、おれも反対しません。哀れな子供をどうするのもあなたの自由です。しかし、」



 じっと見つめられる瞳に息苦しさを感じながらも、言わなければならないことがある。彼のように立派な信念を持たずとも、自身にも譲れないことくらいある。



「あの子供を引き入れることで貴方自身の命をさらすこともありうるのですよ。貴方だけではなく、他の仲間の命もまた同じように。そこまで覚悟してますか?」

「……あの子は被害者だ。あの子には、アルマにはそうするだけの権利がある。」

「少佐っ!」

「んな怖い顔すんなよ。弓を引かれるのはおれだけで良い。他の奴に迷惑はかけねぇ。面倒だって見張りだっておれがする。」

「貴方に弓引かれるのがいけないんですよ!」



 まるで害をなされるのは当然、あまつさえそれを受け入れようとでもするかのような言いように声を荒らげる。自分が襲われるのは構わない。むしろ始末できる大義名分ができるのだから大歓迎だ。だがそれがこの上官では話が違う。



「おれがあんな子供に負けると思うか?それなりの力はあると自負してる。……万が一、万が一あの子がおれたちに刃を向けるようなことがあれば、おれが全責任を持つ。」

「…………本気ですね。」



 つう、と額から汗が滑った。彼の言う『全責任』は、責任を取り退役することや万が一なんてことはないという大口でもない。彼は全責任を持って、拾ってきた子供を殺すと言っているのだ。


 何考えてるかわかりやすくてわかりにくい人だと、昔からラパンはわかっていた。だが、あんな太陽のような明るい笑顔を浮かべながら、最期の責任の取り方まで考えているとは思わなかった。あの腹の読めない子供ですらも、笑って自身を抱え上げる優し気な軍人が自分の始末の付け方を思索しているとは夢にも思わなかっただろう。



「まだ、反対することがあるか、ラパン?」

「……いえ、何も。ただおれはおれなりに警戒させてもらいますから。」



 二人の間でお決まりになったようなラパンの妥協の言葉に、カルムクール・アムは晴れやかな笑みを浮かべた。

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