ある王の話 (2)
王はくすくすと笑う。まるで算術の問題に頭を悩ませる幼子を宥めるように。
「少々意地が悪かったか。だがそれこそ真理。愚かな民に必要なのは尽くしてくれる者ではなく、導いてくれる者だ。そしてこの国に必要なのは導いてくれる者。民主主義などこの国には合わん。持て余すことが目に見えておる。」
「……いえ、大変勉強になりました。浅学で申し訳ございません。」
「良い、良い。我こそ気分が良い。貴様くらいだ。私の話をまともに聞こうとし、まともに対話をしようとするのは。ここに来る者は皆自分のことばかりでな。まるで頭を使っておらん。さしずめ奴らの頭の断面図はピーマンのようなものであろう。」
否定も肯定もせず、あいまいな笑みでお茶を濁す。こういったことは下手なことを言うとろくなことにならないのは常識だ。
「少々話がずれてしまったな。その、なんだ。反乱軍が来ておるから、形だけでも対話の場を設けよと。そんなところであったか。」
「……ええ、」
大いに脱線された話に、当初の話は流されたかと思ったが、それはそれで答える心づもりであったことに内心驚く。髭も生えていないつるりとした顎を白い指が撫でる。
「反乱軍を率いるのは確か、年若い小僧であったな。先代のアンタス・フュゼの遺志を継いだ、と言ったところか。」
「はい、勢力を国中に紛れ込ませゲリラ的活動を行っています。先日の出来事であれば、コンケットオペラシオンでの会議の襲撃、それから東の小さな村付近で三番部隊が交戦しています。」
「捨ておけ。」
「……はい?」
思わず阿呆のような声が出てしまった。そんな私を王は王で「貴様はそんな顔ができたのか」と目を丸くしていった。
「捨ておけ、とはなぜ。すでに王国軍には甚大な被害が出ています。このままでは消耗していくばかり。」
「問題ない。所詮は愚民の寄せ集め。その身の丈に合わぬ武力を手に入れ、未熟な思想で突き進んでいるだけ。銃を持った幼子への最良の対処は弾丸が尽きるのを待つことよ。」
「それがいつになるか、」
「ゆるがん。」
王は言う。悠々とまるで一点の憂いもないかのように。
「この国は決して揺るがん。たとえ武力を持ち蜂起したとしても、それはただの幼子の癇癪に過ぎん。たとえ、軍が消耗しようとも、それでも決して敗北はない。銃を撃ち尽くすのがいつになろうとも、その時に王国軍が倒れているということはあり得ない。」
はるか遠くを見据える紫の目は、どこまでも先の未来を見て言う。
「王国軍とはこの国の矛。この国の盾。そしてこの国その者である我がいる限り、地に膝をつくことはかなわん。我がこの世にある限り、この国もまた盤石である。」
一人思う。この自信は一体どこから来るのかと。この慢心の源とは何なのか。
圧倒的であり不可侵の王は余裕を見せつける。だが私の記憶にある限り、この王が生まれてからこの国には片時の余裕も、栄華もありはしなかった。生まれた時にはすでに天災に襲われ始めたころ、この国に陰りを見せ始めたころだった。
なのに国とは己であり、己とは国そのものだと謳う。己が生きている限り国の死は起こり得ないと。
「……王は、国民を導くのではなかったのですが?」
「ああ、国民を導くことが仕事である。しかし今の国民は王におとなしく導かれるか?かの反乱軍の長は愚かである自覚がない。我の言葉を聞き入れることはない。ゆえに今の我は静観せねばならん。我はただ徒に力をふるう暴虐の子を見守らねばならん。」
「しかし、」
「そうせねばならん。」
王は笑う。愛しき幼子を見るように。
「導く者として、己は愚かであったと自ら知れる機会を与えねばならんのだ。アンタス・フュゼを見ると良い。あれは我が手折ったのだ。その結果怒りに震えるものが現れた。あれではいかんのだ。愚策であった。力任せに手折ってしまえば「力を奪われた」と感じてしまう。けれど力尽きてみると良い「端から己には力などなかった」と気が付けるであろう。」
王は言う。
「この国の民は皆愚かである。愚かでありながらそのことに気が付いていない。子供でありながら己は成熟していると思い込んでいる。ならば我がそれを正してやらねばならん。導くものとして、王として、国として。身の丈に合わぬ思想は排除しよう。身の丈に合わぬ文明も取り去ろう。この国のすべきことは異国との交流を行うことではない。未来異国との交流が行えるよう力を蓄え、我らは我らとして、国として成熟せねばならんのだ。徒に異国の物を取り入れれば、適切な治療をされなかった骨折のようにいびつな形で成長を遂げてしまうであろう。」
先ほどの王からの視線の意味を知った。
王は国民を愚かだという。学がなく、知識もない。だがそれだけではないのだ。
学を持ち、知識を持つ者―例えば己のような―でさえも、王は平等に”愚か”であるという。
つまりこの男は最初から己以外すべての国民を愚かであると言っているのだ。その学や知識に左右されず、等しく。その”愚か”とは学ではない、ただ未熟であるか、そうでないかと言っているのだ。
彼は愚かであるという。けれどそれは決して見下しているわけではない。幼い、故に愚かであると、いっそ庇護愛すらも抱いているのだ。
会話の中にあった違和感が解ける。ああ、これだったのだと腑に落ちた。
「陛下は、貴方様は正しく国であったのですね。」
最低限のことしか指示せず、異国との交流を拒絶し、ただただ泰然と俯瞰してこの世を見る。
それは人の上に立つ者としての在り方、行動ではなかったのだ。故に、どれほどの人が上に苦しみ死のうと、どれほどの人が戦火に飲み込まれ命を落とそうとも、その心も指先も、ピクリとも動いたりしない。
なぜなら彼は”王”であり”国”だからだ。
国のための民なのだ。国のために民は成長しなければならず、その犠牲は払うべきもの、払われるべきものという認識がある。故にその指針を変えることはない。
”王”とは”国”である。故にどれほどの国民が死のうとも、”王”在る限り”国”もまた在る。
「この国の天災は、この国の意思だ。この国が愚かな民たちに学びの機会を与えようとしている。これは必要なものであり、それが足りた時、自ずと天災も姿を消すであろう。」
そして彼は”人間”ではない。”王”であり”国”である。それだけだ。
「……この反乱軍たちも、己が愚かさを学ぶ機会であると。」
「ああ、正しく。」
「では陛下、貴方様は反乱軍の凶刃を恐れてはおられないのですか?」
虚を突かれたような顔、それだけで十分な答えであった。
「なぜ恐れることがあろう。反乱軍が我が国の軍を破ることはない。決してな。」
「万が一、すらお思いになりませんか。」
「くどい。蟻が獅子に勝つことがあろうか。」
少し鬱陶しそうに手を払う彼に、興が乗らなくなったことを察し、頭の中で要点をまとめて早々に自走とする。ここらが潮時だろう。これ以上食い下がろうとすれば間違いなく機嫌を損ねる。
しかしふと顔を上げると、王はなぜか笑っていた。先ほどの慈愛をにじませるようなものではなく、実年齢よりも少しだけ若く見えるような、いうなればとっておきの秘密を誰かに教え与える時のようなそれ。
「そうかリチュエルは知らなんだか。我が決して死なぬ理由を。」
「死なない理由……?」
からからと笑うそれは先ほどのけだるさなど嘘のようである。「周りの者たちは知っておるから貴様も知っておるかと早合点していた」怪訝な顔を隠さない。ひとしきりおかしそうに笑ってからまた王が口を開く。ただベッドに寝そべりながら話すあたり、重要な田無というわけでもないのだろう。
「ずっと西、メタンプシコーズ西岸にあるアルテミュラと呼ばれる島は知っているか?」
「……申し訳ございません、存じ上げません。」
「良い、岩や洞窟しかない小さな島だ。そこの洞窟には”魔の女”と呼ばれる女がいた。」
「”魔の女”、ですか。」
「いわゆる西の魔女という奴だ。」
西の魔女、と言われればピンとくる。この国のおとぎ話における悪役だ。東の魔女は良い魔女。西の魔女は悪い魔女、そんな役回りをしている。子供を浚い鍋に放り込む魔女は西の魔女。主人公のために便利な魔法をかけてくれるのが東の魔女。幼子に対して「夜更かししてると西の魔女に食べられてしまうよ」なんて脅し文句があるほど、おとぎ話における”西の魔女”はこの国の国民に定着している。
「それは、おとぎ話では、」
「おとぎ話でも語られる。だが奴は魔の女であった。」
話の先が見えない。にやにやと笑っているが、それは決して私をからかっているようなものではなく、時折上方へと投げられる視線は、かつて見たもの聞いたものを思い出そうとするような仕草であった。
西の魔女は、所詮おとぎ話でしかない。この世に魔法はないし、魔女もいない。
されどいたと、王は言う。
「魔の女は我に言った。『彼の王は決して死なない。この国の生んだ者に、王を手にかけることはできないだろう。弾丸はその道を曲げ、凶刃がその身を傷つけることはできない。王はこの国とともにあり続ける。』とな。」
「それは、預言ということですか?」
「ああ正しく。メタンプシコーズの国民に我を手にかけることは適わん。騒ぎたてる反乱軍の者共、何人たりともな。」
西の魔女が授けたという預言。それはあまりにも非現実的だった。
預言なんてものは信じていない。魔の女と称される者たちは地方の薬師であったと今では言われている。
「……信じておらんな?」
「滅相もございません!」
「いや、貴様ならそう思うだろう。自らの力のみでここまで上り詰めた完全実力主義の貴様なら、このような非現実的なものは聞き流すのであろうな。」
「その、魔の女は今どちらに。」
「死んだ。いや我が殺させた。もともとそのつもりで辺鄙な島を訪れたのだ。」
人々に預言を授ける西の魔女は、人々を惑わせるとして処断された。それはおそらく正しい選択だろう。預言、とは人の人生を狂わせる。嘘だと、戯言だと聞き流せるものは良い。だが聞き流せないものはその言葉に縛られてしまう。預言の通りに動いてしまい、結果的に預言が的中したように感じてしまう泥沼だ。
だが王に告げられた預言は、
「……まるで呪いのようですね。」
「ああ全く。国民の手にかけられることはない。けれどそれは他国のものからはいともたやすく殺されてしまう、と言うことだ。」
あまりにも現実離れしている。しかしそれはリアリティなど関係ないのだ。持ち主の手を離れ、宿主の下で根を張り、実を付ける。
そしてこの王は一笑に付すことができなかった。
「我は死なん。決してな。我は国である、国は我である。この国を死なすつもりはない。」
預言故に、王は慢心する。決して国が倒れることはないのだと自信を持っている。
そして預言故に、王は恐れる。訪れるかもしれない他国からの脅威を。未然に排除する。
この王は、預言に縛られているから、自信をもち同時に怯えているのだ。
「……きっとそうでしょう。かの武神の弾除けの加護と同じように、貴方様にはその加護がある。」
加護と取るか、呪いと取るか。それは結果に依るのだ。
「馬鹿馬鹿しい。」
執務室に戻り、着ていた上着を脱ぎすてる。いつもより長時間あの場所にいたせいか、上着からはあの部屋と同じ香りが漂っている。香が嫌いなわけではないがあれはよくない。むせかえるような香は、頭の回転を鈍らせる。
預言など、あるわけがない。あるとすれば預言に惑わされてその通りに動いた愚か者だけだ。ただ預言の呪いというものは看過できない。武神の弾除けの加護と同じだ。そんな非現実的なものはない。だがそれを信じるものにはときにそれが授けられる。妄信とはときに現実すらも覆す。
意味が分からない。理解できない。そんなものはあり得ない。だが起こるときは起こってしまう。計算から外れた不測の事態、不測の因子。その排除はかなわない。
「閣下!よろしいでしょうか!」
「ああ、ヒムロか……、」
ふと思いつく。
非現実的なものを計画に組み込むことは好まない。それはどこまで行っても不測の要素でしかない。
けれどいざとなれば乗ってやろうではないか。
「また、”涙を流す者”から手紙が届いています。」
「わかった。読んでおこう」
「ヒルマからの報告も届いていますので、後程まとめて報告させていただきます。」
相変わらずきびきびと動く。以前よりも仕事が増えているが、ヒムロの顔に疲労の色は微塵も見えない。軍部上がりのそのタフさが彼の売りである。
「それから、閣下はアルマ・ベルネットをご存知ですか?」
「……知らんな。誰だそいつは。」
無駄なことは言わない。必要なことだけを端的に報告するヒムロから出てきた名前は聞いたことのない名であった。だがわざわざ言うのだ、何か重要な人間なのだろう。
「現在、王国軍三番部隊中将として勤めています軍人です。」
「三番、カルムクール・アム中将の後釜、……ああ、思い出した。彼が目をかけていたやつか。それがどうした?」
「……先日、軍本部を訪れた時声を掛けられたんです。」
ようやく思い出した名前。若くして中将となった軍人の一人だ。そんな彼について、珍しく言葉を詰まらせる。いや、珍しくというのも、彼が言葉を詰まらせる時はたいてい決まっている。
「『あんたの妹は元気そうだったよ』と。」
「それは、」
「先日革命軍と三番部隊が接触しました。詳しくは報告書の方に上げますが、……彼についてはどういたしますか?」
革命軍メンテ・エスペランサ。寝返った元王国軍人ソンジュ・ミゼリコルド。伝令係のヒルマ。
王国政府のどこかにいる『涙を流す者』。王国軍中将アルマ・ベルネット。
いよいよ関係性が複雑になってきた。どことどこでどうつながっているのか、私には見えてこない。かろうじて見えるのは革命軍内部についてと上がってくるヒルマからの情報のみ。
すべてを知って、これらの人間を動かしているのは『涙を流す者』だけだ。
「……アルマ・ベルネットについては私も調べておこう。それから頼みたいことがある。」
「はっ、なんでしょう。」
「ヒムロ、軍部で培った腕は鈍ってはいないな?」
役者は着々と揃いつつあるのだろう。だが台本は渡されない。この後どのような展開になるのか、『涙を流す者』がどんなシナリオを望んでいるか未だ見えてこない。
だがこのままそのシナリオに乗ってやるつもりはさらさらなかった。
最後に主導権を握るのは、この私だ。




