遺書
がらんどうの執務室。第三中将王国軍本部執務室からはすでに元中将、カルムクール・アムの私物は運び出されていた。
「……アンタ、またこの部屋にいたのか。」
「おれがどこいようとおれの勝手だ。」
「構わないが、仕事は。」
「辞表を出した。明日にはもうここを発つ。今日で最後だ。」
ほとんどからっぽの部屋の中、机に座るラパンがいた。カルムクールが死んだあと、暇を見つければこの部屋に来ていた。もう彼を感じさせるものは何も残っていないというのに。
「明日からはここもお前の執務室なんだろう?アルマ。」
「ああ、さっき総統から人事異動を渡された。」
第三中将カルムクール・アムの後釜は、恙なく少将アルマ・ベルネットに決まった。本来であれば華々しく就任式が行われる手はずだが、有事続きのここ数年行われていない。誰もそんなことをしている余裕がないのだ。死を悼む間もなく着任が決定する人事は、確実に兵士たちの精神を蝕んでいた。
「ふん、あの小生意気なクソガキが今じゃあ中将様か。」
「有事だからな。」
「……結局、お前は何者なんだ。あの時の殺気は何だ。その爪はどこで手に入れた。」
尋問ともいえないような緩やかな追及。なんともラパンらしくない様子に、唇を軽く噛んだ。
表舞台から姿を消すこの男は果たして何を見ているのか。
「おれはアルマ・ベルネット。……出身はラルムリューではなく、フェールポール。爪はアルムファブリケで拾った。」
「随分物騒な拾いもんだな。」
黒い爪は今も腰に下げられている。強い血の匂いを放っていたそれはもうその残滓を残してはいない。軍に来てから、この爪を実戦に使ったことはない。しかし今も手入れだけは続けていた。手の大きさが爪に相応しくなる。この爪を次に手に嵌める時、それは前回と同じ時にと、決めていた。
「それから、何のために、王国軍に来た。」
「守りたいものを守るため。守るだけの力をつけるために、来た。」
エメラルドの目がジトリと探るようにこちらを見る。ここ数日の彼の様子からすれば今日は落ち着いている方だ。少なくとも誰彼構わず殺意を振りまき、通りすがる情報局の人間に呪詛にも似た言葉を投げつける様子はない。理知的でしばらく見なかった人間の目だ。
「ふうん……で、守りたいもんは守れたか?」
「…………、」
おれは黙らずにはいられなかった。
本当に守りたいもの、守るべきものが何であったか。それがわからない。
大切なものに順番を付けて、守って。それでなんとかできていたはずだ。優先順位は変動しなかったというのに。
「わかんねえのか。」
「……分からない、まだ。」
「そうか、」
素っ気無く返事をして、それから深いため息を吐き、片手で頭を掻きまわした。赤毛がそこら中に跳ねている。きっちりとしていた彼の、見る影もない。
「……ほれ、」
「なんだ、それ。」
「手紙だ。」
動くことなくぞんざいにラパンが片手を振る。その指先には白い封筒があり、眉を寄せた。手紙など、もらう覚えがない。まかり間違ってもラパンではないし、手紙を送られるような間柄の人間などいない。
「手紙、じゃあねえな。遺書だ。」
「は……、」
「カルムさんからの、遺書だ。」
もう一度、言い聞かせるようにラパンは言った。
駆け寄り、封筒を受け取る。何枚も入っているのか、厚みがある。裏返せば、Calmecœur Ameとサインがされている。宛名に、Alma Bellnet。
「何で、遺書が……。死ぬのをわかってたのか……?」
「書いてある内容は、知ってる。遺書というよりも、告白に近い。」
「告白……?」
じろり、机の上から温度の無い目がおれを見下ろした。
「カルムさんがお前を拾った理由。そしておれたちがお前に隠し続けてきたことが、書かれている。」
いま、ここで読め。
促されるまま、糊付けされた端を剥がしていく。得体の知れない何かが腹の底にあったの。恐怖なのか、不安なのか、それとも好奇心なのか。
何故か、手が震えた。
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深い、ため息が零れる。喉が微かに戦慄き引き攣った。
「どんな気分だ?」
はっとして顔を上げる。存在を忘れていたが、ラパンはじっと俺の方を見ていた。
ぐちゃぐちゃの頭、まだ思考回路が機能しない。
「自分の後見人が間接的に両親を殺した奴だって知って、どんな気分だ?」
口元に自嘲を滲ませ、ラパンはもう一度聞いた。
フェールポールとアルムファブリケの戦いは仕組まれたものだった。
あの日、ラルムリューに来ていた本部の部隊は視察に来ていたわけではなかった。
おれを連れて本部に向かった時の兵たちのあの顔は、助けられなかった罪悪感で歪められていたわけではなかった。
おれの出身地をラルムリューと偽らせたのも、同情や憐憫のためではなかった。
「だから、あんたはおれをずっと殺そうとしてたのか。」
「そうだ。真相を知っておれたちに復讐するため、本部までついてきたんだと思ってたからな。まあその顔じゃあ気づいてなかったみたいだな。」
事実、おれは気づかなかった。いや、そもそもフェールポールのことを思い起こすこと自体がほとんど皆無と言って良かったのだ。
「……あんたらはずっと嘘を吐き続けてたのか。」
「ああ、下手なこと言って恨まれちゃあかなわないんでね。」
まあカルムさんが死んだ今、恨まれようがなんだろうがどうでも良い、ラパンがそう笑うのを複雑な気持ちで見ていた。
いったいどこからどこまでが、嘘だったのだろうか。
恨みなどは湧いてこない。見殺しにしたのはおれだって同じだ。今更こういう事情があったと知ったところで何の感慨もない。ただただ困惑だけが胸の中に渦巻いた。
カルムクールはどんな気持ちでおれを拾ったのか。何を思って本部に連れて帰り、自分の子のように扱い、暮らしてきたのか。
一つ、想像がついた。コンケットオペラシオン城での会議の前、あの人はおれに何か言おうとし、そしてやめた。おそらく言おうとしていたのはこのことだった。
「恨みは、ない。今更誰がやったとかそういうのは、どうでも良い。」
「へえ、淡白だな。想像はしてたが。」
恨みはない。だがうまくまとまらない、聞きたいことがたくさんある。もうそれを答えてくれる相手はいないのだけれど。
懺悔にもよく似た手紙を、封筒の中に仕舞う。
「で?」
「で、ってなんだ。」
「それ読んで、これからどうする。お前の故郷を潰した政府にそのまま居続けるか?革命軍の動きがわかるようにって言ってたが、それにしたって殺されたカルムさんはお前の親を殺した人だ。革命軍にこだわる理由もないんじゃないか。」
「あんたはどうしたっておれを辞めさせたいのか。」
「違う。単に興味がある。お前がどうするのか。」
折れないように、手紙をポケットに入れる。
そもそも、メンテの動きがわかるように軍に残ろうとしていたのだ。ラパンの言っていることの前提が違う。
だがそれもあいまいになりつつあった。フェールポールのことは文字通りどうでも良い。誰のせいだろうと、何だろうと。
おれは奇妙な二週目の人生、メンテのために生きてきた。
メンテを助けるために王国軍に入り込み、強くなり、中将にまで上り詰めた。
何もかも予定通り、理想通りことは進んだ。そのはずだった。
なのにこの言い表しがたい胸のつっかえは何なのだろうか。
「変わらない。」
おれは何も変わらない。
おれのすべきことは最初から変わらない。
「おれは軍に残る。」
やることは、変わらないのだ。
「そうかい。まあせいぜい革命軍どもを粛正すると良い。」
「……あんたはしないのか。」
鼻で笑い、話は済んだとばかりに部屋を出ようとするラパンを呼び止める。
おれよりもラパンの方が大概だろう。誰よりもカルムクール・アムが殺されたことに憤り、恨みつらみを募らせているのだから。
「革命軍は、まだだ。それよりも、ゴミを処理する方が、先だ。」
口角を釣り上げ笑う悪鬼のようなラパン。ゴミが何を指すか、想像はつく。だからこそ退役するのだろう。
「……あんたが掃除するなら、大丈夫そうだな。」
もっとも、どこまでがゴミなのかはこの男の裁量に任せられるのだろうが。止められないし、止めたいとも思わない。
「あと一つ良いか。」
「……なんだ。」
「あんた確かピアッサー持ってたよな。」
ラパンはいつかのように眉間に深い皺を刻んだ。
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いつだって気づいたときには遅い。おれはいつもそうだ。本当に大切なものは守れない。ことごとく手のひらから零れ落ちていく。
最期まであの人にこたえることがなかった。おれはただ不機嫌そうに口を噤み眉を寄せる。
まともに礼も言わなかった。
ついぞつけることのなかった、琥珀のピアス。とてもつける気になれず、遠征から帰った後も机の引き出しにしまったままだった。何も付けられていないおれの耳を見ても、カルムクールは何もいわなかった。強制することもなかった。冷たくなって本部に帰ってきた彼の耳には、同じデザインの赤いものがついたままだった。遺品として受け取るかと問われたが、受け取ることなく、琥珀と対になるそれは、いまはもう主と共に土の中にある。
久しぶりに光の下に出されたピアスは年月を感じさせず、明かりをほのかに吸い込み反射させていた。




