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2.退院後~0ヶ月


 わたしの母乳の出や赤ちゃんの成長には問題なく。


 要経過観察のひともちらほらいたけど、わたしたちは問題なく帰された。あとは二週間検診と一ヶ月検診に行くだけ。


 退院には、夫と義母が付き添ってくれた。わたしは赤ちゃんを抱っこするだけで、荷物は彼が持ってくれた。


 ひっさびさに鏡に向かって化粧をするのが嬉しくて。


 赤ちゃんとおうちに帰れるのがとてもとても嬉しくて気分が高揚していたのを覚えている。


 お世話になった助産師さんたちにお礼を言って病院を出た。


 病院から家までは、歩けない距離ではないけれど、真夏のさなか。しかも酷暑だし、タクシーで帰ろうという話になった。


 帰宅すると――犬の匂いがした。


 部屋に入って義母が犬のケージをあけると、まっさきに、犬がわたしに飛びついてきた。足元にじゃれるという感じ。一週間不在で、彼は彼なりに思うところがあったのだろう。しかも、未知の存在がいるときた。もっとも、犬のほうは、しばらくは赤ちゃんの存在に気づかず、わたしの帰ってきた喜びに、興奮して吠え続けただけだったが。


 ベビーベッドに赤ちゃんを乗せると、犬ががりがりとベッドの柵を削る。興奮して覗きこむ。一連の流れに、笑ってしまった。


 その後。夫と義母は買い物があると出掛けたのだが――待つ間。ものすごく腰が痛く。あまりの痛さに泣いた。いろいろと積もり積もったものが出たのだと思う。疲労とか。ストレスとか。


 初めての出産に耐えて。超安産だったけど。でも出産ってある意味トラウマティックな体験だと思う。


 初めての育児に奮闘して。孤独で。誰も知るひとが居ないなかで。それはやはりわたしのこころに相当な負荷をかけていたのだと思う。


 腰が痛い腰が痛いとうめくわたしのために、夫がいい敷布団をポチしてくれたのを覚えている。


 かくて――赤ちゃんとの生活が始まった。


 前述した通り。夫は激務。彼の協力は期待できない。


 義母が頻繁に来てくれ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。本当に、助かった。困らないよう食事を作り置きし、部屋の掃除をし、洗濯をしてくれたり。おかげで、わたしは育児に集中できた。――のだが。


 振り返ると集中しすぎてしまったのかもしれない。


 わたしは三つの児童館に行った。育児相談を行う施設にもいろいろと顔を出して、そこでもママさんたちと話をした。すくなく見積もっても五十人以上と話したと思うが――


 一日に二十四回授乳したなんてひとは、誰一人いなかった。


 ちょっと、異常だったのだと思う。過敏だったというべきか。


 わたしは典型的なマニュアル世代で。言われたことを信じてやるタイプ。病院でも育児本にも『泣いたら吸わせる』と書いてあるので、信じて本当に実行した。――やり過ぎた気がする。赤ちゃんも長く眠れなくて辛そうで(しかも、夏は暑いし)、わたしも辛くて。人生史上最大に辛い時期だった。子が、右手を上げたり左手を上げたりとなにか合図のようなものを出しており。赤ちゃんの意図をなんとか汲み取ろうと努力するわたしの育児日記の字はもはやみみずみたいで。とても読めたものではない。母乳をあげた時間や赤ちゃんが寝た時間などがきっちり記録され。……振り返ると几帳面な性格をしていたなあ、と苦笑いしてしまう。


 とにかく。退院してから授乳回数が増える一方で。最大二十四回。十四~二十回らへんをうろうろしていた。――そらバテるわ。


 例えばある半日の行動。朝起きて、授乳。ご飯を掻き込むように食べてまた授乳。寝る、……と思ったらまた授乳。これがエンドレス。母は、いったいいつ寝ればいいのか分からない。夜中だって一時間に一回を上回るペースで授乳しているのだ。


 うちの子はモロー反射が激しくて。『寝た。やった』と思って布団やベッドに置くと必ず、――泣く。なにかの呪いかと思うくらいだった。わたしは、なんとか、寝続けてくれないかと。授乳クッションを使わずに座布団を敷いてそのうえに赤ちゃんを授乳して。その座布団をスライドさせたり――してもはやりうまくいくはずもなく。(ぎゃあ! と起きる。……あの両手のふわあ、とあがるときの恐ろしさといったら!)授乳向きの座布団がないものかと必死で楽天で探したのを記憶している。……人間睡眠を妨げられると本当に訳の分からない行動に出るものだ。必死、だったのだ。


 ラッコ抱きで寝ればいいんだと気づいたのは一ヶ月を過ぎたあと。ネットで『寝ない子』を検索して――知った。


 ラッコ抱きとは、お腹のうえに赤ちゃんを乗せてそのままママが寝る方法。落っこちないように赤ちゃんの背中を両手で支えながら。慣れれば、漫画なんかも読めるし当然携帯もいじれる。――手の届くところに用意さえしておけば。


 話は戻るが。授乳が十八回ということは、以外の時間が眠れる――といえば、勿論そんなはずがなく。だいたい、抱っこしているのだ。赤ちゃんを。母は二十四時間中細切れに二十分下手すれば十分ずつしか眠れていない。


 ――まともな思考能力を働かせることなど産後に期待しちゃいけない。『準備が大切』だとわたしが強調する理由はそこにある。


 拷問の種類に睡眠に落ちた瞬間を妨害するものがあると聞くが、納得だ。眠りを妨げられれば人間おかしくなる。


 わたしも、そうなった。


 寝ない、赤ちゃん。感情を返さない赤ちゃん。


 抱っこも三時間し続けて疲れて布団おけばぎゃあ!


 一時間のうちに三度授乳することもしばし。


 ――なにをしても報われない。


 夜中。誰も起こさないように、ベランダに出る。ベランダに出ると寝てくれる率が高かったのでそうした。まだ痛むからだを引きずるようにして。腰が痛くて本当に辛かった。半べそで、歌った。そうでもしないと、精神が崩壊すると思った。


 また夜中。窓を見ながら――こっから飛び降りれれば楽になるな、と思った。


 消えてしまいたい、と思った。


 また次の瞬間。頭からなにかべりっべり剥がされるようなおぞましい感覚とともに目を覚ます。夢すら見ることができなかった。現実に聞こえるのが赤子の泣き声。もう――いい加減にして欲しい。胃からせり上がる吐き気と怒りとを抑えつつ、赤ちゃんに対応する。また、――背もれ。うんちがついていた。布団カバーもろとも洗わなければならない。最悪。


 ……こんな負の部分。わたしは育児日記に記録していない。すべてわたしの頭のなかに残っている出来事だ。思うに、もっと誰かに相談してもよかったのかもしれない。いっぽうで――わたしが乗り越えられなければならないものだったとも思う。


 とにかく、苦しかった。ひとりで赤子を抱え――これがいったいいつまで続くのかと、不安で、苦しくて、仕方なかった。助けられているにも関わらず、だ。


 このままだと赤ちゃんに殺されるかもしれないという恐怖すら覚えた。


 わたしは出産するまで虐待など他国で起きている戦争みたいな他人事だと思っていたが。そうではないことをこの身をもって、知った。――子育ての暗部を描いたものがもっと世にあっていいのではないかと思う。グッズを揃えてきゃあきゃあ騒ぐのもいいけどもっと苦しい部分もそして救い方も描けよと。世の育児本よ。そして、頼れるものはなんでも頼れという教訓も、例えば高校生の性教育とともに教えてもいいんじゃないかと思う。みんな経験するまでは――分からないものだから。


 暗部の話はここまでとして。一ヶ月のあいだ、検診以外でも病院に行った。沐浴をするときに耳に水が入ってしまい、耳垂れをしてしまったのだ。診察してもらい、大したことはないようで安心したが。


 一ヶ月検診では3.7キログラム。一キロ以上も増えていた。順調そのものだった。


 そのときに、授乳が十八回もあって辛いんですけど、と相談したところ、……門外漢だったらしい。「(赤ちゃんの)飲みが足りないんじゃないですか」とか言われて終わった。入院中に母乳がなんミリリットル出ているかは退院前の二日間授乳前後に赤ちゃんの体重を計測したから明らかで(これがとんでもない苦行だった!)。母乳はじゃばじゃばとあふれる。子に授乳中空いている方の乳から母乳が母乳パッドに染みるくらいだったし子の飲みもいい。なにを言っているのかという感じだった。……ちょっと、恵まれなかったと思う。ノントラブル過ぎて行ったことはないが、母乳外来に行ってみてもよかったのではと思う。母乳の出がいいことがわたしの救いだった。


 一ヶ月検診を終えた次の日。ロープが切れそうな精神状態だったわたしは、保健センターや家族などあらゆるところに電話をした。とにかく、救いが欲しかったのだ。


 毎日のプレッシャーだとか。睡眠不足、というか障害。赤ちゃんが寝て、寝たいときに頭が冴えて眠れず。逆に赤ちゃんが泣いたときに眠たくなる。赤ちゃんと眠りの波長が合わないことが本当にわたしを苦しめた。


 赤ちゃんの泣き声が神経をかきむしられるような不快感を伴った。黙れ! と絶叫したい自分が確かに存在した。赤ちゃんに八つ当たりなんかできないから、それでも、叩きつけるまではいかなくても強く赤ちゃんをベッドに置いて、ほかの部屋に引っ込んで、泣き続けるなんてこともあった。


 こんなわたしの様子を心配し、翌日の夜にわざわざ来てくれたひとがいる。自分にも幼子がいるのにも関わらず。可愛がって、抱っこをしてくれて――「あらあら。これで寝つくなんて、とってもいい子じゃなあい」と言ってくれた。


 わたしが『寝ない子』だと思い込んでいた子は『寝る子』の部類に入るのだ。目から鱗が落ちる思いとはこのことだった。――しかし。


 最後の難関は布団だ。ここで起きる。絶対に起きる。いつもするように。――彼女は。


 抱きかかえた体勢のままゆっくりゆっくりと赤ちゃんを置く。胸のあたりを指でとんとんし。微笑みさえ浮かべながら。「あれ――」


 起きない。浮こうとする腕を押さえるようにし。


 赤ちゃんの動きが落ち着いた。――静かな寝息。変わらぬリズムでそれが続く。


 背中に添えていた手を抜くと――彼女はわたしに微笑みかけた。「いい子じゃない」



 母親の魔法を――そこに見た気がした。



 いくら、頑張っても起きてしまった子が。すやすやと寝ている。天使の寝顔……。


 その頃。夫も帰ってきた。我々は二人で彼女を駅まで見送った。「寝ているんだから平気よお。ましろちゃんもたまには外出ないと駄目よお」と明るく言うので。我々の調子までも釣られるというか……。


 思いつめていた部分があったことに気づいた。


 わたしはあんなにうまく寝かしつけることができなくても。それでも、あの子の母親なのだ。


 本当の意味で、母親になる覚悟が固まったのが、この日だったのかもしれない。



 ……せっかくなので述べておく。子育てにやや協力的ではない夫を持つ方は、部屋を別にしたほうがいいかもしれない。母子一室、父別の部屋、というかたち。夜中に頻繁に泣かれ、父母ともに疲弊してしまっては元も子もないからだ。夫がおむつ交換や調乳を手伝ってくれるならともかく、手伝いもしないひとを起こすのも無意味で気の毒だ(夫が赤ちゃんが起きる都度起こされたいマゾヒストならともかく)。わたしが失敗したのはそこだ。


 毎日、夕方に。ダイニングテーブルにタオルと広げたおむつとおしりふきとを用意して。


 枕元にはライトを点けっぱなし。だと眩しいからゴミ箱で隠すようにして、寝ていた。


 子の泣き声で起きると。先ずダイニングでおむつを替えて。ソファーのほうに行き、授乳。授乳場所も、腰が痛いからどこがいいか毎回思案して、ソファーにしたり椅子にしたり。その後泣きやまないならベランダに出たりと。産後のぼろっぼろなメンタルと肉体で、授乳をするだけでも大変なのに輪をかけて、いろいろ場所を点々として大変だった。――振り返ると全部布団のうえで済ませたならどれほど楽だったと思う。夫を起こさないようにと気をつけた健気なわたしよ。


 正常な状態で考えればすぐ分かるはずなのに。こんな簡単なことに気づくのにわたしは一ヶ月を要した。(いまだったら、間違いなく即断できる)


 二ヶ月目に、夫に頼んで別の場所で寝てもらうようにした。夫は渋々という感じだったが。一緒に寝るとかえって気を遣うのよと説得して。……頑固なパートナーを持つとなかなか苦労する。


 *

2015.12.1誤字を一箇所修正しました。

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