1.入院中
――振り返ると入院中は天国だった。
掃除も洗濯もしなくていい。ご飯の用意も後片付けも専門のひとがしてくれる。
年齢のせいか産後のダメージがでかくて。腰が痛いし全身が筋肉痛でとてもとても辛かったが。出産した翌朝に、保育器に入れられた我が子が「赤ちゃんですよー」と連れてこられた場面は、たぶん、一生忘れないと思う。
こんなに可愛い子は世の中のどこにもいない。
まさに、天使。
小さくて、可愛くて、おサルさんみたいな頭で真っ赤っ赤で。
たとえ、寝ているだけであっても。振り返ると、入院中、うちの子はよく寝てくれていた。退院後はなんだったのって話。
わたしが入院した病院は、母子同室。母乳育児を推進する病院だ。……ミルクを足す話をするとものすごく嫌な顔をする助産師さんもいた。スパルタと言っていいくらい、母乳育児を推し進めていた。
いま、日記を読み返すと、一日の授乳回数は約十二回。平均的なものだと思う。乳首が切れて痛い思いをしたけれど(当時は痛いなんて思う余裕もなかった)、比較的順調に進んだと思う。
病院では、赤ちゃんの体重を測ったり、毎日の様子を見てくれた。母体の様子も診察があったりと、なんだか、いたせりつくせりだった。
ちなみにおむつは紙おむつで。ふんどしみたいなかたちをしてるんだけどあまりにちっちゃくて。ちっちゃ! って言ってしまうくらいの小ささだった。
病院で、支給された長肌着を着せられている我が子は、とっても可愛らしかった。
わたしが出産した数日前がスーパームーンとやらで。超、出産が立て込んでいた。普通なら個室に入れるところを、出産四日目まで大部屋で過ごした。
六名一室の大部屋は……すごく、辛かった。赤ちゃんがひっきりなしに泣くんだもの。よその赤ちゃんも。大部屋で入院した同士なかよくなるひともいるけれど、わたしは結構コミュ障で……。しかも、うちの子が昼間よりも夜中に泣く傾向にあり、非常に肩身が狭かった。助産師さんは笑顔で『みんなお互いさまだから(気にしなくていいわよ)』と言ってくれるけれど。これが、気づかぬうちにわたしをとても追い込んだのだと思う。――つまり。同室のひとと顔を合わせても超気まずい。『夜中に泣いてしまってすみません』という感じ。少なからずわたしは自分の子に対して『夜中にばかり泣きやがって』という気持ちはあったと思う。認めたくないけれど。ところでいったいどういう経緯なのか。大部屋のひとと個室のひととで結構仲が良かったみたいだが、わたしはそれに入れなかった。
従って。病院内で喋れる相手が助産師さんしかいなかった。
変な言い方をするけれど、わたしは孤独だった。
子どもがいるにも関わらず。
当時のわたしは。たとえは不謹慎だが病院はまるで収容所だ、と思ってしまった。
みんなノーメイクでぼろぼろでゾンビみたいで頭ぼっさぼさで虚ろな目をしていて。すいませんが帝王切開したひとの歩き方が特にぎこちなく。
子どもが可愛く思えるいっぽうで。
自分たちは子どもに傅く奴隷みたい。――と、思ってしまった。
子育ての暗部をこの胸に感じたのだった。
なお。わたしの使う狭い空間では、あろうことか携帯の充電ができず。(こんなことはほかの病院ではないと思うが)コンセントがベッドとライトとで埋まっていて、差口が余っていないのだ。ありえない。『病室内携帯電話使用禁止』という張り紙をまともに受け(みんなはどうやら普通に使っていたらしい)、……こうして外界から封鎖された結果。わたしはちょっとしたノイローゼに至った。
入院中の見舞いは親族に限られる方針の病院だった。
面会時間は15時からだったんだけど。わたしはこの意味でも周囲と波長が合わなかった。わたしのところへ面会に来てくれるのは、夫に、義理の両親。夫は大概、面会時間終了間際の18時頃に来ることが多かった。15時に周囲が面会者の会話でものすごく騒がしくて。その時間に限って眠たくなるので貴重な睡眠を妨げられ正直いって迷惑だった。第二子出産のママも多く、弟や妹の誕生を無邪気に子どもたちが喜んでいた。なお、子どもよりも案外大人のほうがうるさかった。残念ながら面会室なるものが存在せず。病室で喋るしかないのだ。
ちなみに。わたしの子もその時間に眠くなるらしく。その辺、妙に、親子だなあと実感したのだった。
母乳育児を推進する病院がすべてこうなのはか知らないが。夜中に母乳をあげても赤ちゃんが泣く場合は、ミルクではなく『糖水』が与えられた。……ぶっちゃけ、『ハズレ』の助産師さんに当たると、糖水をお願いしても何時間と持ってきてくれず……。二回目のコールでようやく「あっ忘れてたっ」と気づいてくれ。ほかには、糖水を頼むときに「ちゃんとなんミリリットル欲しいかまで伝えて下さい!」と叱られたりと……結構辛かった。
日記を振り返るとうちの子は0時~6時のあいだに、平均で五回くらい起きている。平均的なものだ。しかし……、他の赤ちゃんも泣くともう、とんだパラダイスだ。
非・眠り天国。
三日目だったかに会陰切開して縫った場所を抜糸した。ちょきちょきされる変な感覚。そんなには、痛くなかった。他の経産婦さん曰く『アタリ』の医者だったらしい。とっても優しく丁寧にしてくれたらしい。
退院する前の日に、ようやく個室に移れた。シャバの空気がうめえ! って叫びたい心境だった。携帯もがんがん充電できる。2ちゃん見られることの幸せ……、を、噛み締めたのだった。
そして最終日の夜にはお祝い膳。病院の食事は(総合病院だから期待してなかった割には)総じて美味しかった。ちなみにおやつもしっかり与えられて、前日のおやつには『おめでとう』のカードがついているのがとっても嬉しくって、写真まで撮った。
病院に対して少々不満めいたことも書いてしまったが。総じて満足はしている。助産師さんは(一部棘のある対応をした二名以外は)とっても明るくて親切だった。ハードな仕事をやり遂げているという気概にあふれていた。
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