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9.ティータイム

 人気のない校舎を、ヴィゼル先生が管理する準備室へと向かう。



 ゆったりとした足取りで歩いてくれる先生の横を少しだけ急ぎ足で私が歩く。

 窓の外を見れば、木々は朝露に濡れ、小鳥が朝の挨拶を交わしている。

 なにもおしゃべりせずに歩くけれど、なんだかこの静かに歩くというのも心地よくて。ふと、隣を歩く先生を見上げれば、気づいた彼に見下ろされ思わずはにかんでしまう。

「髪が……」

「え?」

 言いかけて口を閉ざした先生に首を傾げて先を尋ねると。足を止めた先生が長い指で、私の下ろしたままの黒い髪をすくいあげてくように指を通した。

「髪が絡まっている」

 数度、髪を手櫛てぐしで梳かれるのを、少し驚きながら受け入れる。

「ありがとうございます」

「いや……。君の髪は真っ直ぐで綺麗だな」


 ――まるで君の心根のようだ。


 そう続けられた言葉に、今度こそ驚いてぽかんと彼を見上げてしまった。

「な、なんだ、その顔は」

 大げさに怯んだ様子に、ますます驚いて、それからカァッと顔が熱くなる。


「そ、そんな風に先生に褒められると、照れてしまいます」

 恥ずかしさから顔を伏せ、弁解する。


「それに、私の心根は真っ直ぐじゃありません……」


 小さく吐息を吐いてから、懺悔を零す。



「誰かを……憎く。とても憎く思ってしまうことも、あります」

 ランを……。


 記憶にある一度目の人生の、あの燃え上がるような醜い妬心を思い出し血の気が引く。

 殺意というどす黒い、恐ろしい衝動を知ってしまった私は、真っ直ぐな心根であるはずがない。

 震えそうになる両手を胸の前に握りこんで、戦慄わななく唇を噛み締める。


 フワリ


 突然ヴィゼル先生のマントに包まれた。

「せん、せ?」

 びっくりした私は、先生から「シッ。静かに」と小声で制される。

 何事かと固まっていると、マントの上から先生の腕に抱き寄せられ、頬が先生の胸に当たる。

 トクトクと聞こえるのは私の胸の音? それとも先生の?

 胸の前で両手を握りしめたまま、先生が動き出すのを待つ。

 囲われたときと同様に突然マントが取り払わられたが、先生の右手が私に腰に添えられ、なぜか急かすように押されて歩かされる。


「あの、先生。どうかなさったんですか?」

「問題ない。それよりも早くお茶にしよう。……喉が渇いた」

 少しだけ子供っぽい言い方に、小さく笑ってしまう。

「ふふっ、私に淹れさせてください。実は上手なんですよ」

 促されるまま、急ぎ足で先生の準備室に行き、魔法で部屋の鍵を開けた先生の後に続いて中に入った。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 初めて入ったヴィゼル先生の準備室は壁のほとんどを本棚が埋め、部屋の奥には大きな机と立派な椅子が置いてあり、手前には品の良いソファとテーブルがセットで置かれている。

 整頓された室内は空気を循環させる魔法具でも置いてあるのか、閉めきっているのに清涼な空気で満たされていた。


 心地よいその空気を思わず、胸一杯に息を吸い込んでしまう。

「どうした?」

 怪訝な顔をするヴィゼル先生に「先生のお部屋、良いにおいですね」と伝えれば少し眉をひそめられてしまった。

 そ、そうよね。先生に対して馴れ馴れしすぎちゃったわよね。

 あの心細い反省房で優しくしてもらったけれど……ちゃんと分別をわきまえないと。

 小さく肩が下がり、謝罪しようと顔を上げれば、先んじられてしまった。

「あー、いや。若い女性にそのように言ってもらえるのは、なんというか、恥ずかしいものがあってだな。別に、怒っているわけではない」


 弁解するようにそう言いつくろってくれる先生は、本当に優しいと思う。

 記憶にある前の人生のときは、あんなに恐ろしかったのに。


「私、入学するのが遅かったので、先生と五つしか離れてないんですよ? 若いって言ってもらえる程、離れてません」

「そうなのか」

 少し驚いたように言われて、微笑んで頷く。

 前の人生のときは、こんな風に先生とおしゃべりをするなんて思ってもみなかった。なんだか、こんなふうに優しくしてもらえて凄く嬉しい。


「お茶、淹れますね。先生はおかけになっててください」


 壁際の低い棚に置かれたお茶の一式を見つけて、そちらへ足を向ける。

 伏せてあるカップを二つ用意し、ポットに茶葉を入れる。

 あら、良い香り。おいしく淹れなきゃ!


「先生、お湯はどちらですか?」

「ああ、ちょっと待ってくれ、いま用意する」

 棚の前を陣取る私の後ろに来た先生は、私を間に挟んだまま後ろから手を伸ばし、分厚いコルクの鍋敷きの上に置かれたケトルに指先を当てる。

「“水よ満ち、熱よ水に宿れ”」

 しなやかで淀みのない魔力が、ヴィゼル先生の詠唱に乗ってケトルに注がれる。

 ケトルの細い注ぎ口から、勢いよく湯気が上がる。でも、勢い良すぎる気がするんだけれど。

 そろりと手を伸ばし、ケトルの取っ手に指を掛ける。

「ぁつっ!」

 まるで火に触れたような熱さに、驚いて手を離す。

「大丈夫かっ! 何やってんだ! 馬鹿がっ」


 聞いたことのない粗野な口調の先生に腰を抱かれて棚から離され、ジンジンと痛む右手を掴まれた。


「熱くなっているのが見て分からないのか! っ、俺は治癒が苦手なんだ。治癒術のハースラ先生を探してくるから待っていろ!」

「ヴィゼル先生待って! このくらいなら私、自分で治せますから! 大丈夫です!」

 今にも駆けていきそうな先生の右腕に渾身の力でにしがみついて、なんとか引き留める事ができた。

 逃がさないように腕を抱きしめたまま、驚いた顔で見下ろしてくる先生を見上げる。

「これでも、ハースラ先生の治癒の授業では、一番上手なんですよ。だから、大丈夫です」

 ねっ? と笑顔を作れば、ヴィゼル先生は深く息を吐いて、私がしがみついていた腕をそっと引き抜いた。

「そう、か。いや、そうだったな。君が優秀な生徒だということを忘れていたよ」

 取り乱してしまってすまない。と続けた声は、もうすっかりいつも通りの先生の調子に戻っていた。


 さっきの粗野な口調……昨日、私の覚醒かくせいを助けてくれた彼を思いだしてどきどきしてしまったのだけれど、顔に出さずにいられたかしら。

 ひりひりと痛む右手を見れば、ケトルに触れた指先が赤くなっている。

「“回復せよ、痛いの痛いのなーいない”」

 呪文を唱え、魔力を込めた左手で火傷を撫でて、詠唱が終わると同時に、痛みが飛んでいくようにぽいっと宙に手を払った。そして、見た指先はもう赤味が消えていて、痛みも無くなった。

 ふふふっ、ちゃんと治ってる。

 あまり酷い怪我の場合は、魔法を行使する集中力を得られないので自分で治療することはできないけれど、このぐらいならば余裕でできる。

 まかり間違って、力を過信して治癒を行い、完治させる事ができなかった場合は、同じ傷に同じ治癒魔法を繰り返すことはできないから……自然に治るのを待たなくてはならなくなってしまうのだけれども。


「……」


 何か言いたげなヴィゼル先生をちらりと見てしまい、頬が熱くなる。魔法の詠唱は、自分が起こしたい現象を明確にするために唱えるものだから、これと確定したものじゃないって先生も知ってるはずなのに。

 仕方ないじゃない、小さい頃に亡くなった母にしてもらったおまじないの言葉が、一番しっくりとくるんだもの。ちょっと子供っぽくて、私の外見に似合わない詠唱だっていうのは自分が一番良く知っているもの。


 心の中で言い訳をしながら、今度は火傷をしないようにケトルの取っ手に布巾を巻いてから、お湯の温度を下げるために空のカップに一度お湯を移して、次にそのお湯を茶葉の入れてあるポットに注ぐ。


 背後に立つ、長身の先生の気配を感じるのだけれど……なんで先生、私の後ろに居るのかしら。もしかして、また何かしでかさないか見張ってるのかしら。


 どぎまぎしながら、ポットと向かい合い、静かに茶葉が開くのを待ってからカップにお茶を注いだ。

「先生、お茶が入りました」

「ああ美味しそうな香りだ」

 カップを二つとも取り上げた先生はそれをソーサーに乗せると、そのままソファの前のテーブルへと運んでしまう。


 先生に促されて向かいのソファに腰を下ろす。

 すでにカップを傾けている彼にならって、私も自分の入れたお茶に口をつける。

 上品な香りのするお茶を、ゆっくりと堪能すると、ホゥと吐息がこぼれた。


「――美味いな」


 カップから口を離したヴィゼル先生が、感心するようにそうつぶやき、もう一度カップに口をつける。美味しいと言われて嬉しくなりながらも、独り言に近いそれに返事はせずに、私もゆっくりとカップを傾けた。



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