62.友
朝の寒さに身震いして、寝たときと同じ床の上で目が覚めた。
白みはじめている空を見上げ、昨日は重くて持ち上がらなかった体を起こして立ち上がる。
芯まで冷えている体に炎の魔力を巡らせて、無理矢理体を内部から温め、両手を上に伸ばして、体を解す。
眠ったお陰で、気分がすっきりしている。
一度部屋に戻り、顔を洗って体を拭き、服を着替えた。
制服ではなく、訓練するときに着ている脇の空いた、動きやすいタイトなワンピースに細身のズボン、そしてブーツも履き替える。
髪の毛も解いて櫛で丁寧に梳かし、頭の上の方で一つにまとめ上げる。
全身が映る鏡の前に立ち、胸を張る。
少しだけ疲れた顔をしている自分に、気合いを入れるように両手で頬を叩く。
「よしっ」
本音を言えば、ちゃんとベッドに横になりたいけれど。それをしてしまえば、間違いなく寝過ごしてしまう。
早い時間だけれど、いつもカティールさん達と朝の訓練をしている裏山の裾野に向かい、彼女達を待つ間、ゆっくりと体を動かしながら考える。
まずは彼女達がどのくらい深く、クレイロール伯の魔法に掛かっているのかを確かめよう。
魔法を使えないくらいの魔力量だと言っていたのが本当ならば、リコルさんに掛けた一瞬の魔法ならば、そう長い効果はないのではないかしら。彼が魔法を使ったあの時、流れを感じない程度の魔力しか使っていなかったもの。
今日は授業に出ずに、図書室で精神系の魔法を解除する魔法を調べて、なんとか今日中に習得しなきゃ。解除や相殺する魔法は制約があって難しいけれど……。
「コーラルさんっ!」
「リコルさん、おはようございます」
走ってきた彼女に、笑顔で朝の挨拶をする。
「おはよう、じゃなくてっ! 昨日はあれからどうなったの! あたし、なんで、あなたを置いてっちゃったのか、本当にごめん! 大丈夫だったの?」
私の体をぺたぺた探り、私の両頬を温かい両手で包み込んで瞳を、心配そうな顔でのぞき込んでくる彼女に、安堵と喜びで泣きそうになってしまう。
よかった、魔法が切れているみたい。やっぱり、あの時の魔法は一時的なものだったのね。
「大丈夫です。リコルさんこそ、大丈夫でしたか?」
「わたしはこの通り! さっきまでぐっすり眠っていたもの。それよりも、あの福々しい顔のおっさ……伯爵サマ、一体何だったの? あんな時間に、こっそり会おうとするなんて、絶対に真っ当な用事じゃ無いわよね」
私の頬から手を離して、胸の前で腕を組んだ彼女は、私の答えをじっと待つ。
「私に、全力で卒業試合に臨みなさいと、そう仰ったわ」
「試合に全力だなんて、そんなの当たり前の事じゃない! わざわざ、そんなことを言いに来たの? まだあるんでしょ!」
全力を尽くすのは当然だと言い切り、更に追求してくるリコルさんに、苦笑を零す。
「あとは、身の上話かしら――」
「お二人とも、遅くなってごめんなさい!」
話を区切って、息を切らせてやってきたカティールさんを受け入れる。
「おはようございます。カティールさん」
「おはよー!」
「お、はよう、ございます。もうっ、リコルさんったら、起こしてくださればいいのに!」
荒い呼吸のまま、リコルさんを詰る彼女に、リコルさんは首を竦めてみせ、それから、ハッとしたように彼女に真剣な顔を向けた。
「ねぇカティールさん。昨日の茶番は何だったの? クレイロール伯をコーラルさんと会わせる為だけに、あんな訓練したの?」
率直なリコルさんの問いかけに、カティールさんは顔色を悪くした。
もしかして、カティールさんはまだクレイロール伯の魔法に掛かったままなのかもしれない。ドキドキと脈打つ胸を押さえ、私もカティールさんに注視する。
「クレイロール伯は……コーラルさんを、とても心配なさって……」
「なんで? だって、あの人は、ラン・クレイロールのお父さんなんだよ? コーラルさんを心配するって、おかしいよね?」
リコルさんの疑問に、彼女の顔色は一層悪くなる。
「彼は、優しい方ですもの。お嬢さんが、コーラルさんにしたことを知って、義憤に駆られ……」
「なに言ってるの? じゃぁなんで、コーラルさんのお父さんを貶めようとしてるの?」
「え?」
リコルさん達に、お父様とシロウネ草の事は伝えていなかった筈なのに、と驚けば。リコルさんはばつが悪そうな顔をして私の方を向いた。
「御免ねー。大貴族がやる気になったら、大抵のことはわかっちゃうんだよね……。おっかない世界だよねぇ。安心してとは言えないけれど、今は様子見になってるみたいだから」
「あ……ああ、そうでしたのね。でも、どうして、その事を教えて下さるの?」
どうやら秘密裏に調べられていたのね。そして、本当は喋ってはいけないだろうに、教えてくれた彼女に当惑する。
「コーラルになら言ってもいいって、許可が出てるもの。じゃなきゃ、わたしにまでそんな話教えて貰えないわよー」
あっけらかんという彼女に、首を傾げてしまう。
「私、当事者の娘だけれど、いいの?」
「いいの。だって――」
「隣国が深く関わっている以上、こちらでも迂闊に手出しできない案件ですもの。この件を、我が国に不利にならぬように、なんとかできるのは。現時点でコーラルさんだけですわ」
リコルさんの言葉を引き継いでそう言ったカティールさんに視線を移せば。彼女は大量の汗を流しながらも、顔色を良くしていた。
「カ、カティールさん、大丈夫ですか?」
少し目を離しただけなのに、こんなに汗をかくなんて、もしかして何か悪い病気にでもかかったのではと気遣う私に、彼女は晴れ晴れとした顔で笑みを作った。
「やっと、頭がはっきりしてきましたわ。私も、彼の人の魔法に掛かっていたのね」
ハンカチで汗を拭き取った彼女は、珍しく怒気をあらわに声を荒げ、そんな彼女をリコルさんはまぁまぁと、その背中を宥めるように撫でる。
「カティールさんは、一体いつ、クレイロール伯に会ったのですか? きっとその時に、彼に覚醒魔法を掛けられたのだと思うのですけど」
私の問いに、彼女は怒りを納めて答えてくれた。
「お会いしたのはつい先日、一昨日ですわ。エルグ先生に呼び出されて、引き合わされ。最初は、クレイロール伯という事で気を張って相手をしていたのですが、他愛の無い会話ばかりをしていて、気が抜けたのでしょう……いつの間にか魔法を掛けられていたようですね。自分の不甲斐なさに腹が立ちますわ」
怒りを再燃させた彼女が今日の放課後は解除魔法をヴィゼル先生に教えて貰おう、と提案してくれてハッとした。
「私、実は授業をお休みして、図書室で解除魔法を探そうと思っていたの」
思わずそう明かした私に、リコルさんが頬を膨らませた。
「コーラルさん、なんでも自分ひとりで、解決しようとするの、悪い癖だわ! わたし達だって、先生だって、もっと頼ってよ!」
ヴィゼル先生にも同じ事を言われたのを思い出した。
「卒業試合は明後日ですわ。授業なんて、教養の課程ばかりですもの。自主休講したところで問題ありませんわ」
「そういうこと! ご飯を食べたら、早速ヴィゼル先生の所へ行って、相談しよう!」
リコルさんの決定に、すっかりお腹がすいていた私も頷いた。