58.ティータイム
「ほらこれで、安心だろう? 人質を解放してあげたよ」
二人きりになった彼は朗らかな調子で私に両腕を広げてみせる。
なにが解放なものですか、信じさせる力を覚醒しているくせに。一体どこまで彼女達の心に浸食しているか知れない……だから、まだ彼女達は彼の手の内に居ると思っておくべきね。
「ああ、そんな顔をしないで。彼女達には他愛の無い魔法を掛けただけだよ、二日もすれば切れてしまうようなものさ。さて、ちょっと僕とお話をしようか。きっと君にとって、有意義な時間になるだろう。ついておいで」
足元が悪い道を、よたよたと危なっかしく進む彼の歩みでは、いつまでたっても裏山を降りられそうにないので。不本意だったけれど、詠唱して仄かな灯りを作り、先を歩くクレイロール伯の足元を照らす。
「ああ、これは素晴らしい。ありがとう、コーラル嬢。でも、できれば、この、虫もなんとかしてくれはしないか。光に集まってきて、うぷっ」
虫が顔に当たった彼は、閉口して必死に顔の周りに近づく虫を手で払う。
生憎と私は虫を除ける魔法を覚えていないので、灯りをすこし先へ進めることで、虫を離すことぐらいしかできない。
決していい気味だわ、なんて思っていない。
なんとか山を下り、連れて行かれたのは学園内の食堂の喫茶室だった。
「ここなら安心だろう? こうしてお茶も味わえるしね」
服に付いた虫を綺麗に落として、人心地付いたらしい彼は。喫茶室に待機させていた従僕にお茶とお菓子の用意をさせる。
アンティークなテーブルの上に灯された燭台の灯りと、従僕の使うワゴンに置かれたランプの灯りだけが、深夜の喫茶室をほんのりと色づかせる。
いい香りのする紅茶のカップと、ビスケットを用意した従僕はそっと喫茶室から出て行く。
「随分と寡黙なお嬢さんだね。まぁいい、警戒するのもわかるよ。だけど安心してくれたまえ、僕は君に、僕の能力を使うことはないから。ふふっそんなことをしてしまったら、面白くないだろう?」
彼はそう言うと、丸っこい指ながら優雅な仕草でティーカップを持ち上げ、紅茶で喉を潤す。
精神系の魔法に対抗する方法は、隙を作らないこと。そして、掛けられそうになった場合、一番効率的な解除の方法は痛みだけれど、掛けられてしまった後では効果がない。
無詠唱であっても魔法を使う瞬間はわかるものだから、その瞬間を逃してはいけない。
私はビスケットにも、紅茶にも手を付けずに、彼を見据える。
彼は私の警戒を知りながらも、優雅に寛いだ様子を見せ、にこりと福々しい笑みを作り、お腹の前で組んだ指をトントンとリズミカルに合わせる。
「さてと、どこから話そうかな。そうだ、君は僕の奥さんの事を知っているかい? 僕らは、おしどり夫婦で有名だったんだけど」
目をキラキラさせて身を乗り出して聞いてくる彼に、少し体を引いて首を横に振る。
「社交界に疎いもので、申し訳ありません」
「なんだ、知らないのか。まぁ、それも仕方ないかな。もう十年も前に死んでしまっているからね」
そう言って唇を尖らせた彼は、つまらなそうに椅子に深く座り直し、気を取り直したように私を見る。
「君の友人であり、僕の義娘であるランはね。本当は、正真正銘僕の子供なんだよ。あの髪色なんか僕の奥さんに生き写しだ」
得意げに言う彼の言葉が理解できない。
「ふふっ。意味がわからないって顔をしているねぇ」
「だって……いえ、あの。ランさんは、貴方に拾われたのだと、そうおっしゃっていましたわ」
喘ぐようにそう口にすれば、ウンウンと彼は頷く。
「僕の娘はねぇ、髪色こそ僕の奥さんそっくりだけど、内面は全然似て無くてね。そりゃぁ、メイド達の手を焼かせる、お転婆……いや、小悪魔と呼ばれていたのだったかな。とにかく、僕が仕事に没頭している間、家の中で君臨する女王様だったようでね。家の者達は皆手を焼いていたようだよ」
くつくつと楽しそうに笑う彼を見れば、娘さんの事を可愛がっていたのだと思う。
不意に笑いを引っ込めた彼は、不意に遠くを見つめる目になり、低い声で話を続けた。
「あの子が生まれたせいで、彼女に掛けていた魔法が解けてしまってね……。君は知っているんだろう? 僕が『信じる心』を操る能力を覚醒していることを。僕も知っているよ、君が『炎』を覚醒していることをね。ほら、折角の紅茶が冷めてしまうよ、飲みなさい」
そう言って、紅茶を口にする彼から目を離せない。
隙を見せれば、私まで……。
そんな私の心情を知った上でだろう、彼は苦笑しながらカップを戻して話を続けた。
「一目惚れだった、誰よりも、何よりも愛していた女性だ。彼女と添い遂げる為に、とんでもない魔法を覚醒してしまう程、愛していたんだよ」
寂しげに視線を外に向ける彼は、嘘を言っているようには思えないけれど……。
「僕の愛の鎖は、脆くも出産の前に砕けてしまった。魔法から解き放たれた彼女は、どうしてだろうね、僕を捨てようとしたんだ。あんなに、愛し合っていたのにね」
自重するように視線を落とし、言葉を続ける。
「そんなわけだから、僕は原因となった娘を愛せなくてね。あの子は、僕にそっくりな子だったよ。我が儘で、自己中心的で、なにもかもが自分の思いのままで無ければ許せない、まさに、僕の子だ」
小さく肩を揺らして笑った彼は、ゆっくりと顔を上げて私に視線を戻した。
自分から離れようとした奥様が一体どうなったのか、聞くのも恐ろしく、唇の内側を噛みしめる。
「あの子は、父親の愛を求めた、求めて、求めて、得られない事を知って絶望したんだよ、そして覚醒した――『誰か自分と代わって』と。どういうことかわかるかな、そうだよ、あの子はランと自分を入れ替えたんだ。本当に、親子揃ってはた迷惑だろう!」
愉快そうに笑い声を上げる彼を、呆然と見つめる。
「そ、それなら、ランは元の世界に……」
「戻れないだろう。あいつが、僕の娘に戻ろうなんて思うわけがないからな」
暗い目をして、にぃと口の端を上げる彼の顔が、まるで悪魔に見えた。




