57.野営3
騎士科の人達が刈ったのか短い下草が柔らかな場所に、三人で頭を寄せるように放射線状に寝転がる。
訓練の後に散々動物を追い回したから、疲労で体がまるで土の中に吸い込まれそう。
心地よい倦怠感に身を任せて空を見上げれば、木々の間から星の洪水が降る。
ああ、なんて綺麗――
「――それで、どうして突然、野営なの?」
静寂を破り、ぽつりとリコルさんがカティールさんに尋ねた。
その問いは、私も疑問に思っていたことで、頭をずらしてカティールさんの方へ顔を向けて答えを待った。
カティールさんはゆっくりと上体を起こすと、服に付いた草を払い、私達の方に向き直った。
「コーラルさんに是非会いたいという方がいらっしゃるの」
私も起き上がると、リコルさんも起きて彼女を見つめた。
暗くても分かる彼女の真剣な表情に、寒くなる胸が息苦しさを感じる。
「一体どなた、ですか」
努めて柔らかな声で尋ねた私に、彼女はフッと力を抜く。
「心配なさらなくても大丈夫ですわ。貴方の為になりたいと、おっしゃってくださっているの。義理とはいえ、娘の行った罪を償いたいと」
義理の娘の……罪。
彼女の言葉に続いて、木陰から出てきたのは。ふっくらとした体型の男性だった。はじめてお会いするけれど、きっと彼が……クレイロール伯爵。
彼が近づく前に立ち上がり、服の汚れを払う。
「はじめまして、コーラル・ユリングス嬢。いつも不肖の義娘がお世話になっているね」
柔らかな声音と共に差し出された手を取らず、膝を曲げて礼をする。
「はじめましてクレイロール伯爵様」
姿勢を正し、彼を見据える。
ふくよかなお顔に、柔らかい表情がとても優しげで。彼の行っている事を知らなければ、その優しげな様子に絆されてしまいそうな程だ。
彼は寂しげな様子で、差し出していた手を下げる。
私のしたことは、身分的に許されるものでは無いけれど。彼の覚醒魔法がどのような形で行使されるのか分からない以上、触れるのはおろか、本当ならば近づくのもしたくはない。
身を守る為に、いつでも炎を出す心積もりをして、隙を見せないように気を付ける。
「おや、僕は随分と警戒されてしまっているようですね」
「警戒されないとでも――んがっ」
食って掛かろうとしたリコルさんを、カティールさんが慌てて後ろから口を塞ぐ。
そうね、相手が悪い事をしている人でも、その身分は確かで……言いたくは無いけれど、平民の彼女が食って掛かると、それだけで問題になってしまう。
「ああ、君は。カティール嬢から聞いているよ、彼女の片腕となる素晴らしい女性だとね」
そう言うと、カティールさんに押さえられているリコルさんに向かって、不格好なウィンクを飛ばして笑った。
「うぐっ……」
リコルさんは彼のそのお茶目な仕草に思わず吹き出し、カティールさんが手を離してももう食って掛かることはなかった。
「失礼致しました。クレイロール伯爵様、お目にかかれて光栄です」
彼女は軽く膝を曲げ、にこやかに挨拶をした。
それを見た彼は、満足そうに頷くと、私の方へ視線を戻した。
「……なにを、なさったのですか」
明らかに、リコルさんに対して魔法を使った彼に、顔が強張り後退る。
「おや? 流石は、義娘の親友だけあるね。面白いことだ」
本当に愉快そうに破顔した彼は、一層福々しい顔になる。
「君は随分と察しがいい。それならば、ならわかるね? 僕の手の内にあるものが」
そう言って、わざとらしく友人二人の方へ笑顔を向けた彼に、ゾワッと嫌悪感が増す。
ギリッと軋む奥歯に気付き、無理矢理顎の力を抜き、肩に入っていた力みも抜く。
緊張しすぎた体は咄嗟に動けない。頭も同じ。カッと血が上った頭を、無理矢理そこから意識を離して余裕を作る。
細く息を吐き出して、私も微笑みを作った。
「伯爵様は、私に一体どのような御用があって、このような場所までいらしたんですか?」
「はっはっは。これはいい、流石ですよ、コーラル嬢。あの成り上がり一代男爵の娘であるのが勿体ないくらいのできだ。全く、子爵令嬢であった母君に似て本当によかった、よかった」
悪意の透けて見える言葉なのに、その声音と表情はそんな事を感じさせない柔らかさを保っている。
「ああそうだ、カティール嬢。こうしてコーラル嬢と会う機会を設けてくれて、本当にありがとう。心から感謝するよ」
彼がすこし大きめの声でカティールさんに礼を言えば、彼女は柔らかく微笑みを返す。
「いいえ、どうぞ彼女と話をして、誤解を解いてくださいね。私達はお邪魔でしょうから、失礼させていただきますね」
「お気遣いありがとう。話が済めば、ちゃんと彼女を寮に戻しますから、心配せずにゆっくりお休みなさい」
彼の言葉に、カティールさんもリコルさんも口々に「おやすみなさいませ」と挨拶をして、寮の方へと戻ってしまった。
二人を引き留めたい気持ちを耐えて、心細さを表に出さないように気を付けながら彼女達の背中を見送った。