56.野営2
姿を消すのと、気配を消すのは別物なのね。
姿を消す魔法を使い、足音を忍ばせて近づいているのに。なにかを感じた兎が、まさに脱兎のごとく逃げていく。
兎では難しいのかもしれないわ、じゃぁ手始めに鳥を狙いましょう!
姿を消し、梢にとまる大きめの野鳥に近づこうと、身を屈め足をすすめる。
バサササッ
まだ全然近づいても居ないのに、大空へ飛び立つ鳥を見上げる。
いまのはきっと、タイミングが悪かったのよ。飛び立とうとしていた鳥だったのよね。
もう一度……いた。
今度は小さめの鳥、呑気に毛繕いしているそれに、足音を忍ばせてゆっくりと近づ――
パタタタッ
焦るような羽音を響かせて飛び立つ小鳥を、呆然と見送る。
姿は見えていない筈なのに。
鳥を落とすための魔法の詠唱だってしていないのに……どうして逃げられてしまうの。
いいえ、二度や三度の失敗……っ
――……八度や十度の失敗……。肩を落とし、一度、姿を消す魔法を解除した。
近くに居たらしいカティールさんに、突然肩を叩かれ驚いた。
「姿は消えていましたけれど、殺気が出ていましたわ。自然に溶け込むように、周りの空気と同化するのが理想ですよ。ほら、リコルさんのように」
そう言ってカティールさんが示した先には。姿消しなど使わずに兎に忍び寄り、木の棒で一撃の下に仕留めるリコルさんが居た。
「気配を消すというのは、簡単に覚えられるものではありませんから。……もう暗くなってまいりましたし、今回は諦めましょう。夕飯は、リコルさんが仕留めてくださいましたし、ね?」
そう優しく窘めてくれるカティールさんに、自分の至らなさを痛感する。
彼女の言うようにお腹も空いているし、もう、すっかり暗くなり獣達も見えなくなっていた。
手段を選ばないのであれば、いくらでもやりようがあったのに、気配を消す方法を身につけたくて、無理を通した結果がこの様……。
悔しさに歯がみしている私に、カティールさんは諭すように声を掛ける。
「気配を消すのは、そう簡単に習得できるものではありませんよ。野生動物にすら悟られずに近づける、リコルさんの気配の消し方は、常人には難しいですし」
「てへっ!」
いつの間に近くまで来ていたのか、ぐったりとした兎を片手に可愛らしく小首を傾げるリコルさんを、カティールさんは微笑んで見ている。
「凄いのですね」
「家の仕事を手伝わせようとする父ちゃんから逃げる為に、自然と身についた技よ! それでも、三回に一回はとっ捕まるんだけどねっ」
「パン屋のご主人の察知力って、凄いのね。世の中には、私の知らないことばかり、机の前で勉強するだけが大事じゃないってわかったわ」
勉強ではわからない事を、二人と友達になることで、たくさん知る事ができた。
「コーラルさん、コーラルさん。リコルさんの家を基準にしてはいけませんからね? 普通のパン屋さんは、普通の人の身体能力よ? 気配を消すことも、気配を消した人間を捕まえることもできないものですからね?」
少し焦ったようにそう言うカティールさんの気迫に圧されて、何度も頷けば、ホッとしたように表情を和らげる。
「さぁ、食事にしましょ! 捌くの手伝ってね!」
「ええ、勿論」
リコルさんの元気な声に返事をして、兎の後ろ足を持って歩く彼女に続き、川まで戻る。
そして、リコルさんの指導の下、彼女が捕獲した兎計三匹を、私そしてカティールさんが震える手で捌いていく。
「そうそう、ぐっと引っ張っちゃって。柔らかいところは破けやすいから、気を付けてね」
「…………」
「…………」
口を開くこともできず引き結び、必死に言われたことをこなす、私とカティールさん。
「じゃぁ、切るから、中を抜いて。最後に川の水で冷やしながら洗って、終了ーっ」
あ、温かかった……。
「お疲れ様、二人とも!」
「リコルさん……三匹も、必要あったのかしら?」
ぐったりしてそう尋ねると、リコルさんは「勿論」と胸を張る。
「いざという時、捌けなかったらどうするの? 一度やってさえおけば、度胸が付くのよ。二人とも、動物をバラしたことなんてなかったでしょ?」
彼女の問いに、私達は頷きを返した。
「コーラルさん、前に卒業したら冒険もしてみたいって言ってたでしょ? それなら絶対に外せない、技術だもの」
「じゃぁ、わたくしは? なぜわたくしも、やらされたのかしら?」
カティールさんが、珍しく疲れた顔をリコルさんに向けると、彼女はペロッと舌を出した。
「いつもの無茶のお返しっ」
「…………」
「ウソよ! ウソっ! 冗談だってば! 本当は、機会があれば教えてやってくれって、言われてたのよぉっ」
私の後の隠れて、涙目でカティールさんに謝罪する。
「お父様ね。わかったわ、ありがとうリコルさん。とりあえず、捌き方は覚えたわ。うまくできるかは別として」
身の刮げた兎肉をチラリと見やり、カティールさんはため息をつく。
「ダイジョブ、ダイジョブ! 練習すればうまくなるよ」
「……練習」
彼女が許したのを見て取ったリコルさんは、すぐさま私の後から出ると、最初につくって置いた石積みの竈に、魔法で火を入れた。
細い木の枝を兎……いえ、肉の塊に刺し、常備しているのだという塩を振りかけて、火にあぶってゆく。
「本当は何日か置いてからの方が、お肉が柔らかくなっておいしいんだけどねぇ。食べきれない分は、食堂に寄付しよっか?」
「そうね……。三匹も、食べきれないものね」
カティールさんが疲れた笑みを零す。兎を捌くのがよっぽど堪えたみたい、かくいう私も会話に混ざれないくらいには、色々と疲労していた。




