47.記憶
「ゆ、優等生の渾名は伊達じゃ無かったのね」
「え?」
朝の訓練の前に、昨日の練習の成果を見せた私に、リコルさんが呆然と呟いた言葉に驚く。
「でも、カティールさんからは、明日までに覚えるように言われていたわよ?」
「期待を裏切らない素晴らしさですわ。たった一度見ただけなのに、出来てしまうんですから」
楽しそうに言うカティールさんに、リコルさんが首を横に振る。
「普通はできないわよ。わたしなんか、少し動かすだけなのに十日もかかったのにー」
憤慨する彼女になんと言っていいかわからずに、曖昧に微笑んでおく。
「これができれば、他の魔法はそう悩まずに習得できるはずですわ。私の方で用事が出来てしまったので、今日は、授業の後の特訓と魔法の勉強は自習としますね。走り込みはしておいてくださいね、筋力はすぐに落ちてしまいますから」
「ええ、わかりました」
素直に答えると、優しく微笑まれた。
今日の授業を受けた後、カティールさんに言われていた体を使う訓練を終え。思うところがあって、図書館へと向かった。
いつもは自習をするときにしか入らない場所だけれど、もしかしたら、カティールさんが見せてくれたような『使える』魔法の本があるかもしれない。
できれば、ヴィゼル先生が使ったような、声を他に聞こえなくする魔法や、見えなくする魔法を覚えたい。
そうすれば、機会を見てランと話をする事もできるわよね。そうだわ、逃げられないように留めておく魔法も無いかしら。ええと、他には……。
独特の匂いのする図書室の書架の間を、本の背表紙を確認しながらゆっくりと移動する。
司書の先生が不在だった為に、手探りで探していかなければならない。
探し歩いて、書架を三列ほど見たところで、図書室のドアが開き、誰かが入ってきたことを知る。
試験が近くなくても、ちゃんと利用する人がいるのだと、感心しながら本の背表紙を見て歩いていると、声が聞こえてきた。
「やっぱり、なにも無い時期は利用者が居ないな」
他にも利用者が居るのに気付いていない様子で、入ってきた人物がそう小声で一緒に入ってきた人物に話しかけた。
その聞き覚えのある声に、ぎくりと身が竦む。
「ええ、本当ね。でもいいの? 今日も探すのを手伝って貰っても。自主訓練、あるんでしょう? 魔法騎士科で上位を維持するのは、凄く大変だって聞いてるわよ」
そう答えた声も、よく知っている相手で、思わず両手で口をふさいでその場にうずくまった。
――ゲイツと、ラン……。
「大丈夫だ。卒業試合のメンバーには、もう決まったから。それに、急いで調べないと、卒業まで時間が無いんだ。卒業したらなかなか学園には入れなくなるぞ」
本の隙間から見た二人は、近すぎない距離で会話をしていた。
私が会うときは、いつもくっついていたから、その距離に少し違和感を感じる。
「それは……そうだけど。ゲイツ、主席卒業して魔法騎士部隊に配属されるのが夢なんでしょ? なら、万全を期さなきゃ、ね?」
おずおずとそう言うランは、心からゲイツを心配しているようで。
ゲイツは微苦笑を浮かべると、少し切なげな様子で彼女の頭を大きな手のひらで優しく撫でた。
「夢は、魔法騎士部隊で活躍することだから、主席じゃなくても大丈夫だ。ほら、探そう。特殊な魔法だから、どこに書かれているのか中を見て虱潰しに調べなきゃならないだろ」
彼が穏やかに話す声を聞いて、胸が引き絞られた。
自分の夢を語るほど、ランのことを信頼しているのね……。
私が息を殺しているのに気づかない彼らは、書架に近づいてくる。
「あるのかどうかもわからない魔法よ。全部調べても無いかもしれないの。だから、ゲイツは訓練してきてよ。あたしは、大丈夫だから」
「馬鹿だな。うだうだ言ってる暇があるなら、手を動かそう、ラン」
そう言って率先して本を手に取るゲイツに、ランもそれ以上言うのは諦めて本を手に取った。
「転移魔法……か。どこか行きたい場所でもあるのか?」
本を捲る手は止めずに質問するゲイツに、ランは顔を上げ、じっと彼の横顔を見てから、本に目を落とした。
「――うん。あたしの、生まれた場所」
その答えに、今度はゲイツが顔を上げた。
「クレイロール伯の……外戚では?」
私もそう聞いていた。外戚であるランが、子供の無いクレイロール伯の養女になったのだと。なぜ女性を養子に迎えたのかと不思議には思っていたけれど。品行方正な伯の噂を聞いていたので、何かワケがあるものとばかり……。
「ふふっ。うん。そうよ、外戚」
言いながら本を捲るランは、とても大人びて見えた。
「遠い所なの、あたしの故郷って。突然こっちに来ることになったから、時々、無性に帰りたくなるのよね。ああ、この本にも無かったわ」
閉じた本の表紙に、ぽつりと水滴が落ち。彼女の指がそっとそれをぬぐい取った。
「……俺に、出来ることは無いのか?」
本を捲りながら、ゲイツがそう尋ねると、新しい本を手に取りながら、彼女は微笑む。
「一緒に探してくれてるじゃない。充分過ぎるくらいなのよ。ありがとうね」
「そうか」
それから二人は、黙々と本を捲っていた。
私はそこから動けないまま、膝を抱えて目を閉じた。
「ふぅ……。今日はもうこのくらいにしましょう? あんまり根を詰めても、ね」
「君がそう言うなら」
本を戻して図書室の入り口に向かった二人を、そっと窺う。
「あ、待って」
ドアに手を掛けたゲイツを、ランが呼び止め……。
ふわりと、風が舞い上がった気がした。彼女の魔力が、風のように。
かくんとゲイツの膝から力が抜け、彼は片膝を床につけ。ランも彼を支えるように床に膝を付き、倒れそうになった彼の肩を抱きしめた。
――時間を戻して、彼の、記憶を消したの……? どうして……っ。
胸が酷く不安定に大きな音を立てる。
彼の肩を抱きしめていたランが、ゆっくりと私の方を見た。
そのきつい視線に、呼吸が止まる。
「っ……。ラン? あれ? ああ、また立ちくらみをしたのか。すまないな、重かっただろう」
「ううん、平気よ。今日はもう寮に戻りましょう」
柔らかく微笑むランは、怒りも憂いも無い、綺麗な顔をしていた。
二人は立ち上がると、振り返らずに図書室を出て行った。
どういうこと……?
私も以前に、彼女の胸が痛くなる程綺麗なあの表情を見た気が……する。
――そう、この……場所、で……。
わからない、わからない、わからない、どういうことなの? 胸が、胸が、胸が……っ……くるしい……。
不安定な鼓動に呼吸が乱れ、私は胸をきつく押さえ、その場で、意識を失った。




