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44.誘3

 彼の背を見送っていると、不意に手を取られ、堅い指先で先ほどカンドリック様の唇が触れた部分が擦られる。

「先生?」

「君は……もっと自分を大事にしなさい」

 手を握ったまま、強い視線に見下ろされて戸惑う。

 だって私は自分が大事だから、こんなに足掻いているんですもの。

「大事に、しておりますよ?」

「なら何故あの話を受けた。君が居なくても、なんとかなるはずなんだ。なのに……」

 悔しそうに歯がみする先生の手を握り返す。

「私にも関係があることです。なんとかなる、ということは私の力があったほうが、より有利に事が運ぶのでしょう?」

 見上げた先生の目が辛そうにゆがめられていて、私の言ったことがあたっているとわかる。

 先生にはいまの私の現状がとても不当なものに見えるのかもしれない。でも先生は覚えていないのかもしれないけれど。私、あの時、人を殺めようとすらしていたのです。

 深く暗いまとわりつくような悪意が、私を満たして……あの卒業試合の舞台に立ったとき、私はあの子を殺すつもりだったの。相打ちで死ぬ覚悟すらあった。

 ただただあの子が憎くて、道連れに。

 だから、あの時の毒々しい感情を思えば、私が前向きに行動できる今の状態は何倍もましなんです。

 醜さを内包した心を押し隠し、先生には決意だけを伝える。

「ヴィゼル先生、私、頑張ります。自分ができることをせずに、後悔などしたくありません」

 言い切った私の肩に腕を回して体を引き寄せた先生に、驚いて硬直する。

「わかった……。どのみち、彼らが望めば断ることはできまい。――せめて君が自分で選んだ道ならば納得もできよう。君は大事な私の生徒だ。生徒を傷つけるものは、教師が守るのが勤めだ」

「あ、あああのっ、せんせっ」

 先生の腕に囲われて動揺しながら彼の胸を押し返すけれど、フレイムのような逞しさはないのに腕の中から抜け出すことができない。

 せめてもの抵抗に先生の胸を手のひらで押し、困って腕の中から見上げれば、先生も困ったような表情で私を見下ろしていた。

「それともう一つ。男性と二人きりにならないように注意しなさい」

「は、はい」

「もしも、不埒な事をされそうになったなら、魔法を使って撃退してもかまわない」

 まじめな顔でそう仰るけれど、今の、この状況は、魔法を使ってもいいということなんでしょうかっ。

「あ、あの、それは規則違反では……?」

 なんとかそれだけ尋ねた私に、ヴィゼル先生は頷いた。

「勿論違反だが私が許す。君ならば、適切な場面で適切な魔法を使えると信じている。多少のことならば私の方で、もみ消せるしな」

「もみけす……」

 不穏な発言に絶句した私に、先生は生真面目な表情を少し崩す。

「ところで、君は私が男である事は理解しているか? 君が言ったんだぞ、たった五つの差しかないと」

「ヴィゼルせ……んせい?」

 片方の腕で私の腰を抱き、もう片方の手が私の頬を撫で、長い指先が私の唇に乗る。

「珍しい。紅をさしているのか?」

「は、はい。あの、派手、でしたでしょうか?」

 唇に乗った指先を食まぬように、緊張しながら小声で尋ねる。

 もしかして、いま私は試されているのかしら? ちゃんと魔法で攻撃すべきなの?

 迷っている間にも先生の表情が柔らかくなり。だ、男性にこんな表現をして良いのかわからないけれど、なんだか、色っぽい。

「いや。君の白い肌を引き立てて、とても似合っている。まるで誘われているのかと、勘違いしたくなる程に」

 先生の胸に置いている手のひらから、早い鼓動が伝わってくる。

「さ、誘って、誘ってなんかいませんからっ。ヴィゼル先生、離してください」

 熱くなる顔を先生から背けて、抗議の声を押し返す。もしもこの腕の中に居るのがランならばきっと、喜んで身を任せるのでしょうけれど……。

 不意によぎる卑屈な思いに、キリッと胸が痛む。

 ああ、いけない、どうして過去の負の感情が出てきてしまうのかしら。今はあの時みたいに後ろ向きではないのに。

 もっと、もっと頑張らなくては。受け身でいては駄目、もっと積極的に頑張らないと。

「どうした、コーラル?」

 負の感情に揺らいだ私を心配する声に、私は先生を見上げる。

「――ヴィゼル先生も、ランの魔法の事をご存じなんですか?」

 彼女の名を出すと先生の表情が引き締まり、ゆっくりと頷いた。

 彼女の魔法の内容を口にするべきか否か迷っていると、先生の方から口を開いてくれた。

「彼女が覚醒している魔法は、時を戻すものだな。普通ではあり得ない希有な魔法だ。ときに、コーラル・ユリングス、君は覚醒する条件を知っているか?」

 私を離して半歩離れて教師の口調でそう聞く先生に、私も気持ちを改めて授業を思い出す。

 覚醒というのは無作為に起こるものだと学んだはずなのに。わざわざ聞くということは、違うのかしら? だとしたら……。

 自分が覚醒した時の事を思い出す。胸元を握りしめ、答えを告げる。

「感情が、自分の手に負えない程あふれ出したら、でしょうか?」

「詩的だが概ね合っているな。感情が振り切れ、強くそれを望んだときに手に入れられる力だ。簡単なようだが、感情が振り切れるほどの出来事というのは、早々あるものではない」

 感情が振り切れる。すんなりと納得できるその言葉に、視線が落ちる。

 私の場合は激しい妬心だった……ううん、今回は違うわ、記憶が思い出された衝撃だったもの。

 後ろ向きになってはいけないと思うのに、ふわっと浮き上がってくる以前の記憶と感情を押しとどめる。


「――そしてその感情は多くの場合、悲劇を伴っている」

 はっと顔を上げれば、痛ましそうな視線とぶつかる。

「先生は……私が覚醒をした時の事を覚えているのですか?」

 今まで先生にはっきりと聞いたことは無かったけれど、思い切ってそう尋ねれば苦しげな表情で頷かれた。

「あの時、私は。君を、救うことができなかった」

 絞り出すように言われた言葉に、咄嗟に首を横に振る。

 それは違う筈だわ。だって、私、ちゃんと生きていたもの。火傷は負ったけれど、先生が居なければ覚醒の時に命を落としていたと理解している。

 それに――

「ヴィゼル先生、それは『今』ではない時の事です。どうぞ、気に病まないでください」

 精一杯の笑顔を向けると、前の時に大きな火傷を負っていた左の頬を、確かめるようにそろりと撫でられる。その手を取って、両手でぎゅっと握る。

「今を、大事にしましょう。先生が覚えてるか分かりませんが。私、本当は卒業試合の時に死ぬはずなんです、でも、死にたくない。だから頑張ることにしました。過去に囚われて生きるなんて、時間がもったいないではないですか」

 そうよ、時間がもったいないもの。

 カンドリック様は約束してくださったけれど。もしかしたらこの先には、私が死ぬ未来が待ち受けているのかもしれない。

 だとしたら、私に残された時間はあと僅か。少しだって無駄にするわけにはいかない。

 そう考えたら、なんだかとても元気が出てきた。

 私の元気がうつったのか、先生も苦笑いしつつ頷いてくれた。

「そうだな、時間がもったいないな。だがコーラル・ユリングス、絶対にひとりで無茶はするな。なにかあればすぐに頼ってきなさい。わかったね?」

 はい、以外の返答を許さない表情に、素直に頷く。

 私の返事に満足したように、先生は表情を緩めた。

「目くらましの効果がもう切れる。私はもう行くが、君は少ししてから寮に戻るようにしてくれ」

「わかりました。お茶を飲んでからにしますね」

「部屋まで送りたいところだが。くれぐれも、気をつけて戻るように」

 まじめな口調でそう注意をして私の手を持ち上げた先生は、カンドリック様と同じように指の甲に唇を落とすと振り返らずに食堂を出て行った。

 先生の背を見送り、椅子に座り直してすっかり冷めた紅茶のカップを手に取る。カップを見つめながら両手で包み込んだカップに魔法で熱を送り込む。

 丁度いい温度に温まった紅茶をゆっくりと口に含んだ。味は少しだけ落ちたけれど、喉を流れる温かさに安堵の吐息がこぼれる。

 私の炎はきっと……嫉妬の炎。今回も炎だったのは、きっと前回の記憶に引きずられていたのだと思う。


 ――彼女の時間を戻す魔法は、一体彼女になにが起きて、それを覚醒することになったのかしら。


 時を戻したいほどの激しい感情とは? 覚醒した時に時間が巻き戻ることはなかったのかしら?


 いいえ、覚醒時に魔法が発動するのは必須ですもの、戻らない筈が無いわ。


 ――ならばなぜ、彼女は覚醒が無かったことになっていないの? 冷静に考えれば、時間を戻す覚醒魔法って、本来あり得ない筈ではないの……?


 わからないことが多すぎて、胸がざわざわする。

 気持ちに呼応するように冷たくなった指先を擦り合わせて温め、カップの中身を飲み干して喫茶室を出て寮へと戻った。


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