42.誘
設定変更のお知らせ
カティールの家の爵位を伯爵から侯爵へ変更
ちょっとだけ近道をして、寮から食堂を目指した。
生徒が一堂に会して食事ができる広い食堂は、時間外の喫茶もやっている。いまは食事の時間では無いので人はまばらで、一番奥の席にいたカンドリック・シソーリム様をすぐに見つけることができた。
カウンターで紅茶を購入して、トレーを持ってそこへ急ぐ。
「やぁ、随分早かったね」
「廊下は走っておりませんから、大丈夫ですよ」
立ち上がって私を迎えてくれた彼と一緒に、席に着く。
「うん、指摘したい部分はあるけれど。急いでくれた心意気に感謝するよ」
「どういたしまして?」
向かいに座る彼に顔を向けると、彼に髪の毛を示された。
「頭に枯れ葉が付いてるよ」
「あ、あら」
近道をしたときに木の脇を通ったから、その時に付いたのね。
取った葉っぱをハンカチに包んで、そそくさとポケットに戻す。
「それで、どんなご用件でしょうか?」
穏やかな様子の彼に背中を押され、早く用件を聞きたくて思わずそう言ってしまった私に、肘掛け付きの椅子にゆったりと座った彼は珈琲を一口すすって苦笑をする。
やっぱり、噂に聞くような短気な雰囲気は見受けられない。用件を急かすなんて不作法なことをしたのにそれを咎めないなんて。
噂はやっぱり噂なんだと確信して、彼と向かい合う。
「ふむ、君は案外せっかちなんだな。お茶を飲んでからと思ったんだが、まぁいいだろう。君に一つ聞きたいことがあってね」
「なんでしょう?」
組んでいた足を解いてカップを受け皿に戻してテーブルに身を寄せる彼に、大きい声で話したい事では無いのだろうと私も少し前屈みになる。
「君は『彼女』の事をどこまで把握している?」
茶色の瞳が、私の表情をじっと見つめる。
「……彼女とは? 誰のことでしょう」
十中八九『彼女』の事を指しているとは思っても、努めて表情を変えないようにして彼を見返す。
「君の親友である金髪の伯爵令嬢の事だよ」
やっぱり、ランの事なのね。
「最近は皆様の方が一緒にいらっしゃる時間が長いのでは?」
休みごとに騎士科に通い、昼食は必ず殿下達三人と摂っているのは有名な話だわ。
嫌みにならないように注意しながら言えば。彼は上体を起こし、背もたれに背を預けて首を振る。
「残念ながら、なかなか機転の利く人物でね。感情さえも上手に消してくれる」
「感情を、消していますか?」
私と居るときの彼女は、明るく奔放で。まるで感情のまま生きているような子だったのに?
彼の前に居るときの彼女は違うのだろうか。
「笑顔も、拗ねた顔も、怒った顔も、すべて計算した上のものだな。消しているという表現は違ったか、正しくは、理性で制御している、かな」
彼が言葉を区切ると、一度口を閉ざしカップを傾ける。
感情を制御する……。教会の地下で会った時に、神父の暴言すら笑って聞き流していた彼女を思い出す。
そうかもしれない。もしかしたら、私と一緒に居たときの彼女も、すべて計算されたものだったのかしら。
胸に沸いた寂しさを、紅茶と一緒に飲み込み、顔を上げる。
「そうかもしれないですね。それで、それを知っている事が、なにか?」
「では、彼女が『覚醒』していることは?」
私の瞳を見つめる茶色の目を見つめ返す。
彼……もしかしたら、彼だけでは無く殿下もご存じなのかしら。でも、どうやって知ったの? もしかして彼等にも記憶が?
心臓が強く鳴る。
でも、彼等はどっち側についている人間なのかわからない。リコルさん達は私の味方になってくれたけれど、彼らも味方になってくれるとは限らない……慎重に口を開く。
「彼女が覚醒していると、カンドリック様は思っていらっしゃるのですか?」
「君も、そう思っているんだろう。いや、もしかしたら既に、知っているのかな」
――彼女が何を覚醒したのかを。
小さくそう続けた彼の視線から逃れるために、カップを持ち上げ口をつける。
「そうか……。さすがは魔法科の才女だ」
そう言う彼をじっと見つめる。次代の宰相と目されている彼の目から、私の内心を隠すなんて無理だったのかしら。
それにしても、彼も彼女の覚醒した魔法を知っているのだろうか。この態度ならば、きっとそうに違いない。
「そう睨まないでくれ。我々は……国の万難を排除するために行動している。君の敵では無いよ」
ゆったりと椅子に座って膝の上で両手を組んで言う彼は、とても腹黒く見える。信用してもいいものだろうか……いえ、敵では無いというだけよね。だけど、彼女側の人間では無いというのはとても大事な事。
「我々、とおっしゃるけれど。カンドリック様の他には? どなたですか」
もしかしたら、いつもお二人と仲良くしているゲイツも? でも、あの様子ではそんな風には見えないのだけれど。
「それはまだ言えないが。ああ、ゲイツには教えていない、あれは、彼女に心酔していて……すまない、君は彼の婚約者なのに」
「構いませんわ。今の彼の心の在処は私では無いと存じております」
目を伏せてそう伝えるけれど。私の心も彼には無く、お互い様であることは打ち明けられない。
「何度も説得したのだが。いや、でも、こんなに美しくなった君なら、あの男も目を覚ますのでは無いか?」
美し……? 驚いて視線を上げれば、照れたように視線を逸らされた。
「あ、あの、基本的な造作は変わっておりませんし、中身も変わっていませんから、きっと無理ですわ」
思わぬ彼の照れが私にもうつり、視線をカップに落としかけたが、照れている場合ではなかったことを思い出し顔を上げる。
「それで、カンドリック様は彼女のことを私に確認してどうなさるおつもりなんですか?」
私に接触してきた彼に、率直に真意を尋ねる。
「君をこちら側に引き入れたい」
射るような目でそう告げられ、私は口を噤む。
こちら側……。
彼の側というと、殿下の……ということは、国の方でも彼女のことを把握していて、なんとかしようと動いているということかしら。
私が頷けば、もっと詳しいことを教えてくれるのだろうけれど。
「なぜ、私を?」
問う私に、彼は面白そうに目を細めて椅子に深く座る。その尊大な態度を少し不愉快に感じながら、彼の返答を待つ。
「むしろ君を引き入れない理由は無いだろう。君にとっても悪い話ではないはずだ」
敵の敵は味方、ということなのかしら。もしかして、お父様がシロウネ草を栽培していることまでは知らないのかしら。知っていたら……私に話を持ちかけたりはしないわよね。
私には“生きて卒業する”という目標があるけれど、彼らは? 彼女が行う時間戻しを止めるのが目的と考えていいのかしら。
フレイムはシロウネ草の流通元をつぶすためにこの国に居る。
では、ランが時間を戻すのは何のため? 彼女は自分の力で幸せを掴むと言っていた。
私が死んだあの時、彼女は少なくとも三人の男性から求婚されていたはず。でもそれは、彼女の望んだ“幸せ”では無かったの? 殿下とカンドリック様そしてゲイツ……あの三人の中には彼女の狙いはなかった? ではなぜ、今も、彼らと共に居るのかしら。
彼女の望む幸せは、一体どんなものなのだろう。
……彼女は、低く強い声で言っていた――これが最後だと。
希望とか要望ではない、もっと強い意思の力を感じる声だった。