2.覚醒
「な、なんだぁっ」
赤ら顔の男がたじろいだ拍子に離した腕で、私は割れるように痛む頭を抱え、胃がひっくり返るような苦痛に、道の隅に吐瀉物を吐き出す。
「がっ……あががぁぁぁっ」
壁に背を押し付け、両手で頭を押さえ、内側から溢れてくる熱い『力』に抵抗する。
これは……っ! この感覚はっ!
まだ来るはずじゃない、『覚醒』の痛み……っ!
波のように襲ってくる痛みに嘔吐している間に、男は消えていた。
このままじゃ不味いわ……せめて、休める場所に……。
唇を濡らす吐瀉物を、取り出したハンカチで拭う。
少し痛みの引いている今の内に、動かなくては。
ふらふらと路地を出る……確か、近くに宿屋があったはず。
ふらつく足のせいで何人かにぶつかった気がするが、今はそれどころではない。
早く、休めるところに行かないと!
私の……私の覚醒する力は『炎』だから。
補助をしてくれる人間の居ないこんな町中じゃ、万が一暴走した場合の被害は……考えたくもない。
大丈夫、大丈夫よコーラル、暴走なんてしない。私は、一人でだって、この力を御してみせる。
「おい、大丈夫か」
何人目かにぶつかった相手が気に掛けてくれたようだけど、構っている余裕は無く、無視をして歩き続ける。
また、荒ぶる魔力が強くなってきた。内側から溢れてくる身を裂くような痛みに歩くことも出来ず、なんとか路地に体を滑り込ませ、そこで蹲る。
大丈夫、波があるから、この痛みを超えれば、また少し痛みがましになるはず。
「おい! お前っ」
「っ……お、っきぃ声、出さないで」
頭に響くっ。
突然掛けられた強い声に、顔を歪めて痛みに耐える。
「悪い。お前、覚醒が来てるのか」
大きな手が、蹲る私の肩を抱いた。
波が過ぎたのか、少し痛みが引いてきた気がする。
顔を上げて、私の肩を支える人を見上げる。
濃い茶色の髪の間から覗く綺麗な深い青味が掛かった緑の瞳が、気遣わしげに私を見ている。
「へ、いき。私は……ひとりで、大丈夫、だから。貴方は、離れて」
「平気なわけがないだろうっ。補助をしてやる、手を出せ」
頭を抱えている手を取られそうになり、慌てて手を隠す。
「駄目……っ。私、炎、だからっ、貴方も、怪我する……っ」
こうしている間にも、覚醒した力が体の中を渦巻き、ぶり返す痛みと内から湧き上がる熱さに涙が止まらない。
「炎? 上位系統なのか。だが、系統がわかっているなら早い。大丈夫だ、俺は氷で覚醒している。だから、安心して、俺に委ねろ」
彼は大きな体で私を抱きしめてそう囁くと、左腕の袖をまくりあげて私の腕と肌を重ね、私の首筋に顔をうずめた。
肌を通して伝えられる彼の冷たい魔力が私の中で荒れ狂う熱を和らげてくれる。
「っ……お前、魔力、多いな。こんなんじゃ、足りない」
彼はそう言い、痛みで返事もできない私を横抱きにすると、そこから程近い場所にある宿屋へ駆け込んだ。
彼に運ばれながらも、胸の中央から溢れそうになる魔力をなんとか体の内側に留めようと体を丸め胸の中央を両手で押さえ込む。
押さえ込んだそこが、焼けるように痛い。いや、私の胸が内側から燃えている。
部屋に入り彼が私の服を手際よく剥ぎ取らなければ、胸の中央から溢れた炎が服に燃え移るところだった。
「あああぁぁぁっ!」
「堪えろ! くそっ、手荒い事をするが許せっ」
胸から立ち上がった炎を彼の氷が包み込み打ち消し、そのまま胸を氷で包み込む。
だがそれも一時的なものでしかなく、すぐにじゅくじゅくと私の内側から溢れる熱で溶かされていく。
彼は急いで服を脱ぐと、私に覆いかぶさるように抱きしめる。肌を密着させ、少しでも多く面積が触れ合うことで魔力を通しやすくするためだ。
焼ける痛みにボロボロと涙を零す私の両手を自分の背中に回させる。
「辛いだろ。爪を立ててもいいぞ」
そう言いながら、触れ合わせた肌から彼の魔力が私の中で荒れ狂う魔力を抑えようと包み込んでくれるのを感じる。
溢れ出そうになる熱を、彼の冷気を纏った魔力が囲い込む。
「ふ……っ、くっ」
耐え難い、痛みと熱に浮かされ彼の固く引き締まった体に縋り付けば、一層強い力で抱きしめられる。
「大丈夫だ、俺が居る――」
耳に心地よい低く力強い声が私を支えてくれる。
「うん……っ」
勇気付けられ、私もされるばかりじゃ駄目だと気力を振り絞る。
目を閉じて、痛みで乱れる呼吸を意識して整える。
私の炎を伴う魔力が外に溢れ出さないように補助してくれる彼の心地よく冷たい魔力を頼りに体内を循環する魔力を思い描く。
私の魔力は厭うものではない。これは私の剣であり、盾となる。
大切な、私の力。
これから起こる未来に立ち向かうために必要な力。
本来ならもっと先の未来で手に入れるはずだったこの力。すべての魔法使いが得るわけではない『覚醒』と呼ばれ、無詠唱で使えるようになる私の力は『炎』。
愛すべき私の能力。
私は、生きて魔法学園を卒業するの。
だから、お願い、私の魔力よ、私のものになって――
やがて、暴れ狂っていた魔力が、ゆっくりと私の中を循環する力になった。