12.休日2
強引な彼に連れて行かれたのは、少し路地を入ったところにある、洒落た喫茶店だった。
私ももう少し彼と居たかったので否は無いけれど……。最初に会った時もそうだけど、本当に強引なひと。
程良く薄暗い店内は落ち着いた雰囲気で、まだ早い時間だから人もまばらだった。
奥の小さなテーブルに向かい合わせで座る。
「なんで、ホットミルク?」
強引な彼が勝手に注文した蜂蜜入りのホットミルクが私の手の中にある。彼が傾けるカップの中は珈琲なのに。
私の文句は黙殺されたので、あきらめてカップに唇を寄せた。
あ……、程良く甘くておいしい……。
続けてもう一度口をつける。
「それで、昨日は夕飯には間に合ったんだろう? それなのに、何故反省房に入ることになったんだ?」
珈琲で一息ついてから不穏な空気で聞いてきた彼に、なんて説明したら良いのか迷いながら口を開く。
「一緒に外出していた友人が、先生に言ってしまったらしくて、私だけ反省房に……。あ! でも悪いばかりじゃありませんでしたよ。反省房が生徒の事を思って作られている事を知りましたし、すごく怖いと思っていたヴィゼル先生に優しくしていただいたり、得るものも多かったです」
彼の心配を減らそうと笑顔でそう言えば、彼の眉間にくっきりと皺が現れた。
え、なんで?
「ヴィゼル……彼はまだ、教師をしているのか」
「え? あ、はい。あの、ええと、貴方、もご存じなのですか?」
彼の名前がわからないので、言葉を迷いながらそう聞けば。「知っている」と返された。
「名が分からないと言うのは不便だな。そうだ、俺の名はおまえが決めてくれ」
「え? あ、はい」
きっと名前を名乗れない事情があるのだろうと、詮索はせずに請け負う。
「おまえの名は俺が決めよう。そうだな……アイス、じゃ寒々しいからアイシスなんてのはどうだ?」
「アイシス?」
どっからそうなったのか分からず首を傾げる。
「ああ、俺の属性をもじってな。嫌か?」
彼の属性である氷を私に付けてくれたのか。
「嫌じゃ無いです。では、貴方は炎……フレイムですね、耳あたりもいいですし」
何のひねりも無くそう伝えれば「悪くないな」と受け入れられた。
おしゃべりをしているうちに少し温くなってしまったミルクを、無詠唱の魔法で少しだけ温める。
ふふふっ、こんな風に温めるだけに覚醒した魔法を使うのは初めてだけど、私の魔法ってなかなか便利よね。
再度湯気が立ったミルクに息を吹きかけてから口を付ける。うん、丁度良い温度。
「昨日覚醒したばかりの魔法を、随分と上手く操るな」
片肘をテーブルにつき顎を手の甲に乗せてこちらを見ている彼……フレイムの鋭い目を見返す。
「ふふふっ、私、これでも優秀なんですよ?」
そう言ってカップをテーブルに戻してから、両手を水をすくうような形にして、彼にだけ見えるように手のひらの中に小さな炎を灯して見せ、その炎を渦巻くように小さく丸めて消した。
前の人生の時は思い切りドーンと火龍を作ったり、火柱で闘技場を焼き尽くしたり、そんな派手な魔法ばかりを使っていたけれど。これからはこうして技巧を尽くして、炎の愛らしさを堪能したいな。
「……熟練者でも容易にはできないぞ」
「あら? そうなんですか?」
覚醒したら炎が共にあるのが当然の事だと思っていたけれど……そういえば、前の時は覚醒してからややしばらく、上手く操れなかった時期があったわね。
そもそも、あのときの覚醒は半死半生で……大火傷を負って、半月ばかりベッドの上だったのよね。
何事も一度経験していると違うものね。ああ、あんな痛い思い、二度せずに済んで本当に良かったわ。
「フレイムがあんなに上手に補助してくれたお陰ね。だから、私は怖がらずにこの力を使う事ができるの。そうだわ! お礼っ! 何かお礼をさせてください。私にできることなら、なんでもします」
どれだけ感謝してもしきれないことに思い至り、彼にお礼させてほしいと申し出る。
「俺も役得だったから気にするな」
「役得?」
「ああ、お前――アイシスを抱きしめることができたからな」
裸で抱きしめられたことを思い出し、顔に熱が上がる。
「そっ! そんなのっ、もう、忘れてくださいっ」
「そんな勿体ないことできないな」
口元を緩めてそんなことを言う彼から、恥ずかしくて涙の浮いてきた目をそらせる。
も、勿体ないって! 勿体ないってどういう事!? もうっ、わからないものっ。
「あー、悪かったって。忘れる、忘れるから、そう拗ねるな」
彼の困ったような声音と、忘れると言ってくれた言葉を信じて視線を戻す。
「本当に、忘れてくださいね。でもそれなら尚のこと、お礼をさせてください」
「礼かぁ……特にこれと言って思いつかないんだが」
それでも暫く考えてくれた彼は、肩を竦め「思いついたときでもいいか?」と聞いてきた。
「フレイムがそれで良いのなら、かまいませんけれど」
名前も偽名で、連絡手段の無い私たちだから……もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないのに。
いえ、彼がそう言うのだから、彼はこの街に住んでいて、会おうと思えばすぐにあえるのかもしれないわね。
「じゃあ、そうしよう。しっかり、考えさせて貰うからな」
「ええ、忘れないでくださいね。私、待ってます――」
カランカラン と、小気味良い音と共に開いたドアから、聞き慣れた華やかな声が店内に入ってきた。
「わぁっ! ステキなお店ー」
ザワッと一気に鳥肌が立ち、血の気が引いた。
ドアを背にしていて、良かった……。慌てないように、ことさらゆっくりと膝の上に置いていたつばの広い帽子をかぶる。
「アイシス? 大丈夫か?」
正面に座る彼が、私の様子に気づき心配げに手を伸ばそうとしたとき。
「あらっ! 貴方、さっきの! 奇遇ですねっ。ご一緒しても良いですかっ?」
「ラン!」
ゲイツが止めるのも聞かずに、彼女は私の後ろまでやってくる。
勝手に震え出す手を握りしめて泣きそうになってしまった私を見たフレイムの眉間に深い皺が刻まれ、私の後ろにいる彼女に顔を向ける。
「いや、俺たちはもう出るところだ。ここに座りたければ座れば良い。行こう、アイシス」
先に席を立ったフレイムは、彼女から私を遮るように間に立ち、椅子を引いてくれた。
そして、二人からかばうように私をエスコートしてくれる。
「なによ……あの子のババ臭い服、まるで委員長みたいじゃない」
「やめないか、ラン」
「だって! ゲイツだって言ってたじゃない、委員長にはあたしみたいな華が無いって」
店を出がけに聞こえた言葉に、胸がきゅうっと痛くなる。
確かに同級生よりも少しばかり年上だし、委員長という役を貰っているので落ち着いた態度を心がけているけれど……ババ臭くて華が無いんだ、私って。
「あんな小娘の言葉を真に受けるな、馬鹿」
寄り添って歩いてくれていたフレイムが優しい口調で、ショックを受けている私を諫める。
「だが、まぁ、もっと素材を活かした格好をしてみるのも面白いだろう。この後、何か用事はあるのか?」
尋ねられて、首を横に振る。
まだ午前中だし、屋敷へは夕方までに入れば問題ない。
「じゃぁ、俺につきあって貰おうかな」
そう言って口元に笑みを浮かべたフレイムに促され、人の増えてきた大通りを並んで歩いた。