10.級友
会話など無いのに心地よい空気の中でヴィゼル先生の準備室で過ごし、先生にお礼を言ってから部屋を出た。
身だしなみを整えるために、寮の自室へと向かう。
成り上がりの男爵とはいえ、父に爵位があるので小さいながらも一部屋あたるのは、最初は贅沢だと思ったけれど、こういう時にはとてもありがたい。
着ていた、皺がついた服を脱ぎハンガーに掛けて埃を払ってから、新しいものを取り出して着る。
反省房に入って一日もたたずに出るという話は聞いたことがないから、朝食の席に顔を出せば、私が反省房に入っていたことは知られずに済むのではないかしら。
丁寧に髪を梳かし、顔を洗い口を漱いで身支度を整え、少し緊張しながら部屋を出て食堂へ向かえば、級友に出会い挨拶を交わす。
「あら! おはようございます、コーラルさん。やっぱり反省房に入っていたわけではなかったんですね」
「おはようございます、リコルさん。ふふふ、入っていたように見える?」
小首をかしげて肩を竦めて見せれば、彼女は「見えません!」と、望んだ答えをくれた。
笑顔の裏でほっと胸をなで下ろしながら、連れだって食堂のカウンターに用意された食事をとりに行く。
「あれ? でもおかしいですね。じゃあなんでランさんは……」
隣を歩く彼女が、眉を寄せて首をひねる。
リコルさんの口をついて出た彼女の名前に緊張してしまったのを、笑顔でごまかして先を促す。
「彼女が、どうかなさったの?」
少し言いにくそうに視線を彷徨わせた彼女だったが、先に立って食事の乗ったトレーを持ち私を誘導するように人の少ない方のテーブルに場所をとった。
私が椅子に座ると、彼女はやっと口を開く。
「わたし、さっき男女共用玄関の方でランさんを見かけたんです。わたしはあまり彼女と親しく無いので、挨拶だけしてすぐに離れようと思ったんですが……」
親しく無いのあたりで、少し眉根を寄せるリコルさんにちょっと驚く。あの人当たりの良いランの事を、苦手に思う人も居たのね。
少しびっくりしながら、リコルさんの話の続きを聞く。
「珍しく彼女の方から声を掛けてきて。今から、ゲイツ様と町に出かけるのだと……反省房に居るコーラルさんの代わりに、自分が彼とデートをしてくるのだと――」
すーっと血の気が引くのを感じる。
手が震えてカチカチとフォークと皿が触れるのに気づき、手を離してぎゅっと膝の上で両手を握り合わせた。
私……彼女に「お願い」なんかしていないわ。だから、彼女がゲイツと出かけるなんてことあるはずがないのに。
どう、いうこと……なのかしら。
言いにくそうに自分のトレーを見て話すリコルさんは、混乱する私の様子に気づかず話を続けてくれる。
「コーラルさんの婚約者とデートするなんて堂々と言って、なんて馬鹿な話だと思ったんです。わたしのような平民でも、それが恥知らずな事だってわかります。なのに……男子寮の方からゲイツ様がやってきて、彼女をエスコートして外出されたんです」
一通り話し終わって顔を上げた彼女は、私の顔を見て泣きそうな顔をする。
その表情を見て、自分が情けない顔をしていることに気づき、慌てて笑顔を取り繕った。
「教えてくれてありがとうございます」
「いえ! いいえ! ごめんなさい。どうしようか、迷ったんです……だけど、後から知ってショックを受けるよりは良いかと思って……」
きっと、たくさん考えて、悩んで、そして私に伝えることを決断してくれた彼女の優しさに、心からの笑顔を浮かべる。
「ええ、ありがとう、リコルさん。今日は久しぶりに、お父様の顔でも見に行こうかしら。実はもう何ヶ月も実家に顔を出してないのよね」
話題を変えて、ちょっと困ったような顔をして小さく肩を竦めれば、リコルさんはホッと眉尻を下げて心配そうな顔を消してくれた。
「まぁ! コーラルさんの実家って、街の中に有りましたよね? まめに顔を出さないと、きっと寂しがってますよ! うちの父ちゃ……あ、父も、休みの日に帰らないとしょげてますもん」
前に一度お会いしたリコルさんのお父様は確か、パン屋さんなのに騎士様よりもがっしりした体躯の熊さんのような方だったはず。
「ええと。あの、お父様が、しょげて?」
「ええ! あの熊みたいな父がしょげるんです!」
顔を見合わせて、小さく笑い合う。
ふふふ、リコルさんと話していると、なんだか元気が出てきたわ!
「うちのお父様もしょげているかもしれないわね。うん、今日はお父様の顔を見てくるわね」
「それが良いですよ!」
リコルさんの元気な後押しを受け、沈み込みそうな気持ちを切り替えて、お父様に会いに行くことを決めた。




