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続き



「な、お、わぁっ!」


先に硬直から抜け出したヒロは大男を見て混乱した頭で自分は攫われて、今からこの大男におぞましい事をされるのだと設定を作り上げる。

ヒロの大声に熊人の大男も硬直を解き、大手大股でヅカヅカと室内に上がり込んだ。


「静かにしてろ!」


「ングッ!!」


手を伸ばす大男から逃れよう後退るも直ぐ様捕まりゴツゴツした大きな手で口を塞がれたヒロ。それでも何とか魔の手から逃れようと懸命に暴れるが、暴れれば暴れる程に大男は身体に腕を回してガッシリと押さえ付けてきた。


「餓鬼ってのは案外需要があってのぉ。働き手としてだけじゃなく、その筋じゃぁ男児女児関係なく安くて重宝されるんだのぉ。お前も精々気を付けるこった」と意地悪い笑みで言っていたゴクウの言葉が蘇る。ヒロはまた何時ものホラ話だと思い聞く耳持たずでいたのだが、今に成ってそれが忠告だったのだと思い知った。

男の荒い息遣いが耳に当たって冷や汗と共に背中がゾクゾクと震え上がる。蒸気が上がりそうな程火照ってる男の体温が伝わってくる。それが嫌で嫌で吐きそうになるのを押えてヒロは渾身の力で後ろに跳んだ。

それでも男の腕を振り解く事は叶わず、逆に布団に足を捕られて男共々倒れると言う反って悪状況を作り出した。

男の下敷きとなったヒロはその重さに更に身動きが取れなくなり、これから起こるであろう事態に嗚咽を覚えた。

こうなってはもう覚悟を決めるしかない。隙を視て脳天に風穴を開けてやろうと指先に気を集中させ始めた。


「っ、騒がしいのぉ」


そんな矢先、聞き覚えのある不機嫌な声がヒロの耳に届く。身動ぎを止め、声のした方へ頭を仰け反らせば部屋の隅に置かれた文机から赤い毛玉がムクムクと動き出して睨むような眼差しで此方を向いた。

気だるそうに大きな欠伸を掻き文机に肘を着く。



「…治ったようだが、礼もなしに病み上がりの朝っぱらから盛るとはいい根性してるのぉ。その上、騒ぎ起こしてまでこのオイに視姦しろってのか?」


赤い毛玉、もといゴクウはやつれた顔に目の下に隈と言う酷く疲れた様子で尚且つ何時もの数倍は機嫌が悪そうだった。

その所為か、言葉の節々に刺があり殺気じみた気迫が溢れている。


「ったく、さっき寝付いたばかりだってのにのぉ」


「す、すみませんっ!そんなつもりではっ!」


舌打ち混じりに頭を掻き毟り不機嫌を顕にするゴクウに対して頭を下げたのは案の定大男の方だった。

なにやら酷く恐縮した男の声音にヒロの理解は追い付かない。そればかりか大男は身体に似合わぬ手付きで手早くヒロに服を着せると布団から降りて三つ指を着いてゴクウに頭を垂れた。

畏まったその姿にヒロは見覚えがある。故郷で一団体の頭を張っていた頃、こうして下の者が窺いたてをしたり謝罪をしたりしたものだ。

ヒロにしてみれば珍しい光景では無いし、寧ろ懐かしく思うものでもあった。それでも何処か異様に見えるのは他人行儀に映る男の挙動の所為か。


「昨夜の失態をお詫びしようと伺ったのですが、彼が意識を取り戻していまして、それがその、病み上がりなのに服も着ないで騒いでいたものですから、ぶり返しがあってはいけないと焦ってしまいこのような…」


「お前に言った訳じゃないでのフク。オイはコッチの阿呆に言ったんだ」


弁明を口にした大男に対して溜め息混じりに訂正したゴクウは肩を落としてヒラヒラと力無く手を振って惚けたままのヒロに睨みを向けた。もの言いたげな視線にヒロはビクリと肩を跳ね上げたが、ゴクウの口からは溜め息ばかりが漏れるのみで疲弊の度合いを窺い知った。

何時もならば、悪口(アッコウ)の一つ二つも言ってくる場面での尻すぼみにはヒロで無くとも疑念を抱かずにはいられない。

それでも惚け顔で小首を傾げる辺り、その原因が自信にあるなどヒロは微塵も感じていないのだろう。その態度にゴクウは見る気も失せたと視線を落としてしまう。



「なまじ若いだけあって回復も速いか。まぁいい。フク、オイはもう少し休ませて貰うでの。ソイツのお守り頼む」


「はい!では少し片付けを」


「かまわん。後でやる」


「わかりました」


短いやり取りにフクと呼ばれた男がゴクウの信頼を勝ち得ている事が容易に見える。

素のゴクウがこの男に対して悪口を吐かないのもそうだが、男はゴクウの意とする事を読み取り対応している様に思えた。また、ゴクウに対する姿勢はそのまま二人の関係を表している。ヒロの経験にあてがうなら頭と部下の関係と言える。実際フクの態度は下っぱソレと酷似しているし、二人は何らかの繋がりがあるのだろう。


「では、失礼します」


もしや、この男。ゴクウの弟子なのでは。と顎に手を添え探偵気取りで決め顔を作るが、襟首を摘み上げられてゴクウを見据えたままに踵を引き摺って男共々、部屋を後にした。


その様を見るでなく見ていたゴクウは障子戸が閉まると同時にひっくり返り、天井を見上げて呆れたようにシシッと短く笑った。




ヒロはそのままズルズルと廊下を引き摺られ二部屋ほど離れた所で解放された。

障子戸を開け室内に入ったフクに手招きで促されたそこは、壁一面にびっしりと抽斗の取り付けられた異様な一室だった。

古びた付け金具が規則正しく並び、碁盤の目のように区切られた小さな真四角がずらりと並ぶ姿は美しくも見える。ただし室内に入った瞬間から混ざり合った無数の漢方の独特の匂いが強烈に鼻を突いた。


フクは慣れたもんだと眉一つ動かさずにせっせと座布団やらお茶やらを用意しているが、免疫の無いヒロは両手で鼻を押さえて涙を堪えるのに必死になってしまう。

暫くして戸口に突っ立ったままのヒロの挙動に気付いたフクは、ハッと目を見開いて窓を開けた。

忽ち山の少し肌寒い風が室内を洗って行き、ヒロは漸くまともな呼吸をする事が出来た。


「すまん。気付かなかった」


「ダイジョウブデス」


眉尻を下げて謝るフクの向かいに座り湯飲みを受け取りながら笑って見るが、ヒロの顔は引き吊ってしまう。

誤魔化すように飲んだお茶もまた苦い。ヒロの顔は一気に歳をとったように皺だらけなった。


「苦いだろ?湯液だからな」


「ゆえき?」


「漢方の一つ、煎じ薬の事さ」


「薬?道理で苦い訳だっての」


べーと舌を出してフルフルと顔を振ったヒロを苦笑したフクは、湯飲みを受け取り中身を半分ほど撒けて立ち上がると壁の抽斗の一つに手を掛けて、大き目な豆の様な物を2粒取り出して湯飲みの中へ入れ更に白湯を足して蓋をした。


「薬と言っても、医学違いの物でね。菌に対抗する薬と言うよりは身体を助ける方の物なんだ。免疫力を上げる助けをしたり、老廃物の排出を促したりとかね」


「ん?わかんないけど、フクは凄いんだな」


「そんな事ないさ。俺はまだまだ」


フクはヒロにも分かるよう噛み砕いた説明をするが、それでもヒロには難しい事柄であり、説明されても説明の意味が分からないと首を傾げて未知との遭遇に眉間に皺を寄せりのだった。

それでも分からない事は分からないと言える辺りがヒロらしい。

そんなヒロを見てまた苦笑を漏らしたフクは右手の親指で額の中央を掻いて少し照れたように顔を緩ませた。


「口で言うより、見たほうが早いか」


そう言って再び手渡された湯飲みを覗き込むと、湯の中で細い花弁をいっぱいに広げて咲き誇る二輪の花があった。ソレは湯飲みを動かす度に波に優雅に揺れる。その姿はまるで清流に咲く水中花のようだった。

思わずヒロの口から歓声が漏れる。


「スゲー!何か匂いも違う!甘い匂いになったっての」


「湯液も薄めたから最初より苦く無いと思うよ」


湯飲みの中で咲く花の可憐な美と穂のかに甘い花の香りに誘われて、湯飲みに口着けたヒロは一気に喉へ流し込む。鼻に抜ける香りは更に甘く、少しとろみの着いた湯は喉ごしがいい。


「ガハッ!」


それでも苦いものは苦いで変わり無い。

所詮、薬は薬と言う事かと哽返りながらもヒロは思った。

何はともあれ、フクと打ち解けたヒロは、ふとある事に気付き目の色を変えて立ち上がる。


「どうした」


急に慌てふためきだしたヒロに驚きながらも宥めに入ったフクは、単語ばかり発するヒロを何とか落ち着かせ改めて事情を訊き、「ああ」と頷いた。


「ゴクウさんの話しだと、ヒロは街道で意識を失ったみたいだね。その原因が山賊に襲われた際に負った矢傷からの毒に依るもので、ゴクウさんは薬戸を頼りに俺の家へ来て、そのままヒロの治療に入ったんだよ。ゴクウさん、余程心配だったのか、明け方までヒロの看病してたらしいよ」


俺は途中で寝ちゃったらしいけどね。と照れながら言うフクを見ながらも、ヒロの意識はゴクウへと向かっていた。

アレだけ人を小馬鹿にしては意地悪く笑うゴクウが、そんなにも自分を心配してくれたのかと嬉しく思うのと同時にひっくり返りそうになる程の驚きもあった。

そして漸く、ゴクウがあんなにも疲弊していた訳を知って、何も知らずに惚けていた事に申し訳なさが込み上げてきた。


ヒウンを探さなければならない大事な時に、自分は又も足を引っ張ってばかりだと肩を落とすヒロ。そんなヒロの心情を知ってか知らずか、フクは優しく肩を叩くのだった。


暫し俯いていたヒロだったが、急に尻尾をピンと伸ばし、フクの手をやんわりといなして顔を上げる。

それはこれ以上自分の至らなさを誰かに慰めてもらう事への拒絶する意志だ。

至らなぬ自分は世間知らずの餓鬼なのだ。それを何時までも慰めで覆っていてはいけないと気付いた瞬間であり、餓鬼から抜け出そうとする成長への藻掻きだった。


「大丈夫、だっての」


フクに感謝の意を込めた声音にはヒロ自信への尻を叩く意が含まれていた。


直ぐに消えてしまったが、急に漢の目色を覗かせたヒロに一瞬の驚きを見せたフクは少し羨まし気に、それでも何処か浮いた気持ちで微笑んだ。

人の中で起きた気持ちの変異を勘繰り、問うのは野望な事だとフクは思う。



「フクは、ゴクウと知り合いなのか?」


場の雰囲気が変わり、それが自分の所為だと気付いたヒロは気恥ずかしさを誤魔化すように話題を変える事にして、ついでに気になっていた事へ触れる。するとフクは正しく微妙といった顔で小首を捻って見せた。


「知り合いと言えば知り合いですが、ご本人とはお会いしたのは昨夜が初めてです。ただお噂はかねがね」


気には成っていた事だが、フクはゴクウの話になると急に改まって本人が居ないにも関わらず敬語を使う。そんな時は決まってフクの瞳は爛々と輝くのだ。それは敬意の眼差しと言うべきか。

普段のゴクウを知っているヒロから見れば、フクのゴクウへ対する想いは異様な物に感じられる。

身体はその場に置いて、精神だけが引いて一歩後へと後退した。


「フクも、その、ゴクウと同じなのか?」


「いやいや、俺なんかゴクウさんの足元にも及ばないです。同業者として遥か高見にいらっしゃる方ですからね。元来、薬屋は世に出回る一般薬の他に独自薬の製造、販売をするものですが、それらは調合から抽出、精選等の詳細については門外不出が基本。極秘事項なのでし。しかし、ゴクウさんは、自分で作られた独自薬の調合法、使用法等の機密を隠す事無く公に広言し、世に広めました。そして、それまで難病とされていた病の特効薬まで作ってしまい、さらには高い技術を必要とした高価な薬を誰でも手に入る薬草、誰でも持っている道具で簡約化し、今まで庶民には手の届かないかった薬を安く提供しました。更に更に、ゴクウ様の考案された薬は、どれをとっても効き目抜群、副作用の出にくい一級品なのです!

そのため、薬師ゴクウと言えば、業界で知らぬ人が居ないほどの有名人ですし、貧しい人々からは何かと理由を着けて代金を受け取らない堅気なお人です。正に東の国で語られる如来の生まれ変わり!いや、薬師如来こそゴクウ様をモデルに作ったと言っても過言ではないのです!」


「…?……ソレは、誰?」


ヒロの問、それはフクが口悪屋なのかと言うものだったのだが、どうにも話が噛み合わない。おまけに話の後半は一体誰の話しをしているのかすら定かでは無くなっていた。


熱く語るフクは後半、ゴクウを神や仏と崇める始末。そんなフクには悪いがヒロにはどうしても話しのゴクウと現実のゴクウが同一人物には思えないのだった。




ただ、確かなことは、フクは口悪屋では無いと言う事だ。

フクでは出来る役に制限が多過ぎる。何よりゴクウの役を見抜けていない。

そうと解ればヒロは胸を撫で下ろし、ホッとする事が出来た。

勇ましく大きな身体と厳つい顔で、一見恐ろしい大男のフクの中身は堅実で優しいただの薬師だった。それでいいとヒロは思う。


「どうかしたのか?俺の顔に何かついてるか?」


「いや、何でもないっての」


いつの間にかに苦笑して、それでもじっとフクの顔を見ていた物だから、フクは少々不安気に顔を気にして手の甲で頻りに顔中を洗い始めてしまった。

そうじゃないと伝えたかったが、フクの中に居るゴクウを壊してはいけない気がして、何も言わず首を左右に振る事を選んだ。

ゴクウには本人が高言する幾つもの役がある。その中の一つに、フクの憧れて止まないゴクウが居ても善いはずだ。


今度は一人ウンウンと頷くヒロにフクは何だ何だと首を傾げ、困惑しながら右手の親指で額を掻いた。


それから他愛ない話しをしていると、何処からともなく皺枯れた声が聞こえて来た。その声にヒロは忽ち背中を震わせ「デタッ!」とばかりに、血の気が引いた顔で辺りを見渡し何処だ何処だと視線を彷徨わせる。

冷や汗を流すヒロに今度はフクが苦笑を見せて片手を顔の前に出して、待つように合図して部屋を出ていった。程なくして帰ったフクは実はと話しだした。


「ゴクウさんには話したんだけど、この家には俺と父方のオジイとオバアの三人で暮らしていてね、その二人が数年前から急激に身体を悪くしてね。寝たきりでは無いけれどそれでも不自由してるんだ。歳の所為もあるし」


「フクの両親は?」


聞いてヒロはハッとした。フクの顔が見る間に哀しげな色を乗せ、痛々しく笑う。


「おふくろは俺が6歳の時に。オヤジはオジイ達が身体を患い出した頃、薬を手に入れて来るって言って出ていってからそれっきり…」


何処で何をしてるやらと小さくぼやくフクは肩を落として身体を丸めた。そこには寂しさや呆れの他に別の何かが在るようで、それがフクを苦しめているのだとヒロには想えてならない。


こんな時、何を言えばいいかとか、何とか元気付けられないかとヒロは頭の中で奔走するが、何処を探しても名案も解決策も出てこない。そんな自分の無力さが腑甲斐なくて堪らなく悔しいと下唇に牙を立てた。


どちらとも喋り出せず、重い空気が場を包み始めた矢先、そんな空気なんてモノともしない型破りな強者が現れた。

グーグルグルと一声上げて重い空気を一刀両断してしまったのはヒロの腹に住み着いた虫。一瞬己でも何事かと驚く程に響いたソレは忽ち場の空気を和らげて、ヒロだけでなくフクをも驚かせた。

一気に赤面したヒロは恥ずかしさと惨めさに顔を上げられず、「こんな時に!」と腹の虫へ拳をぶつけた。

けれど強者はそんな攻撃に屈しない。反論するようにもう一度大きく唸りを上げるのだった。


「ククッ、いけない。朝食と言うかもう昼食だけどまだだった。直ぐに用意するから」


ヒロを赤面させた腹の虫のお陰か、フクの顔に色が戻り、元気を取り戻したようで必死に笑いを堪えて肩を震わせながら部屋を出ていった。

そんなフクの様子を伺いながら、ヒロは場の空気を壊してくれた鶴の一声にほんの少しだけ感謝するのだった。


炊事の音が心地よく耳に響いて来て、煙突から立ち上る煙が一筋の道の様に晴天の空へ登って行く。程なくして香ばしく焼ける肉の匂いが廊下を駆けてやってきた。

その匂いだけでヒロの口元は涎で濡れる。腹の虫は催促するように盛大にいななき、まだかまだかとその時を待った。


廊下を軋ませながら歩む足音にヒロは堪らず顔を出し、目を爛々と輝かせ、繕を3つ重ねたフクの姿が見えた途端に飛び出そうとして片手で軽くいなされた。繕はヒロの前を通り過ぎて行き、どうやら先にゴクウへ献上されるらしい。その間ヒロはじりじりと業を煮やし、焦らしに焦らされ漸く繕が運ばれた頃にはフクが引く程に床に水溜まりを作り、警報さながらに腹を鳴らしていた。


「イッタダキマスッ!」


返事が先か、食い付くが先かと言う程にヒロは飯を掻き込んだ。

香ばしく飴色に照る皮パリパリの鳥肉の香草焼きは、頬張れば肉汁と香草が口いっぱいに広がって、噛めば噛むほどパリパリプリプリと歯を楽しませ、喉元過ぎても尚旨い。生姜にゴボウと人参とキノコが入った薬膳スープはトロ味が効いた温かい味わい。箸休めの木の芽の和物も香りがいい。

繕を合わせたフクを圧倒させてしまうほど、ヒロは無我夢中で箸を動かし、おかわりを繰り返し、早めの昼食は騒々しくも笑顔が溢れ、愉快に過ぎて行った。



――――


隣で騒々しくキャンキャン虎が鳴いている。部屋には先程フクが持ってきた繕が湯気を上げてゴクウが手を着けるのを待っていた。勿論、ゴクウも早々に手を伸ばしたい。それでも先に話して置かねば成らぬ者がいた。

ゴクウはまだ少し眠た気の残る目蓋を擦り、背伸びをしてついでに関節を鳴らしながら気配を読む。


「ヒロならあの通り、無事だのぉ」



空を見つめ発せられる声音は、独り言のそれとは違い、明確な相手に向けられていた。はっきりと良く通る声に、けれど応える声は無い。それでもゴクウはシシシッと笑い見えない相手を茶化すのだった。


「ちぃと苦労はしたが、毒は抜いたし、薬も飲ませた。心配は要らんのぉ。目が覚めるなり盛る程だ薬が効き過ぎたかの。何はともあれ次は己に専念しろのぉ」


「…」


視線の端で揺れた影を追い、開け放たれた障子戸から晴天に栄える中庭の木々へと視線を移せば、いつの間にか障子戸に人影が写っていた。音もなく突如現れた人影に強いて驚きもせずにゴクウまたシシシッと笑う。

ヒウンもまた何時も通りで言葉も無く、表情も無いまま見るでなく騒がしい部屋へと視線を注いでいるのだった。



「昨夜はお前もご苦労だったのぉ。こっちはお前を探す手間が略けて良かったが、お前もだろう」


「…」


「灼に触るが結果を見れば、ヒロ様々だったのぉ。奴もたまには役に立つ」


繕を手元に引き寄せて軽く合掌を見せたゴクウは、何時ものように片膝を立てそこに腕を乗せて肉を一口頬張った。ヒロまで騒ぎはしないもののその味にご満悦の様子だ。

これで酒でも有れば尚良しだがと、杯を掲げる振りをしてヒウンに同意を求めるも直ぐにゴクウは軽く首を振った。


一点を見つめるヒウンの姿に思う節がある。恐らく、いや確実に記憶の干渉は既に起きた後だろう。

試しに親指で額を掻いて見れば、ヒウンの視線が此方を向いて薄氷のような瞳が物言いたげに何かを秘める。

その輝きに申し分は無い。後はヒウンのタイミングのみ。時は近いと経験が語る。


「…」


一瞬きの物言わぬ会話が終わればヒウンの視線はまた騒がしい部屋へと戻り、ゴクウには横顔を向けた。その横顔を見る度に、ゴクウの目尻はほんの少しだけ落ちて、旨い飯も身体が受け付けなくなる。

だから酒でも有ればと思ってしまう。酒が有れば胸の騒つきも、駆けるような脈打ちも酔った所為だと言い訳になる。

言い訳無しでは虚構の世渡りも辛い。


張り詰めた何かが早く無くなればいいと思う一方で、そのままで良いのだと想う自分が居た。


「庵内から視る空に、この世全てを観たと説き、得いる己は、井蛙も同じと想いけり」


謳うゴクウは、駄作と笑った。


ふと気が付けば其処にヒウンの姿はもう無かった。辺りを見渡すが気配も消えている。どうやらまた外へ出ていったようだ。

ヒウンにもまた、思う所があったのだろう。




――――


大飯を食らい、一心地ついたと思えば今度は下が落ち着かない。

フクに廁の場所を聞き、ヒロは廊下を駆け行く。けれど廊下は途中で途切れ、庭を挟んだ対岸に廁と思し気小屋があった。


「ガチか」


廊下の縁で足踏みをし、何か無いかと見渡してサンダルを発見すると直ぐ様足を入れるが、住人が熊である為にサンダルのサイズがどうにも合わない。

駆け出そうとすれば直ぐにサンダルは飛んで行き、ケンケンと片足で飛び跳ねサンダルを取りに大回りをする羽目になり、焦れったい思いをしてやっと廁の戸を開けた。

嫌な予感はしていたがちゃんと男用もあり、事無きを得た。

廁を出て手を洗おうと井戸へと向かい、滑車を鳴らして水を汲み上げた。桶に並々と張った水は澄みきり、揺れる度に陽光がキラキラと反射するまるで鏡の様だった。


そこへ躊躇無く手を突っ込んだヒロは、全身の毛を総毛立ちにして飛び上がる。


「冷たっ!!」


手が痺れる様な冷たさに目をしばたたき身震いをして手に息を吹き掛けた。

それもその筈。基本、井戸水の水温は外気に関係無く14〜16度とされている所をこの井戸は土地柄か6度しかなく、迂闊に手を突っ込めば心臓が止まりそうになる。

しかし、良い薬造りには良い水が必要であり、従ってフクの先祖はこの井戸水の為に人里離れた山奥に居を構えたのだった。


そんな事とは露知らず、奇襲を受けたヒロは堪ったものではない。

それでもとへっぴり腰で近づき指を伸ばす辺り、好奇心旺盛な種族柄と言える。

放って置けば飽きるまで同じ事を繰り返しただろうヒロは、急に動きを止めて桶の中を覗き込んだ。


はじめは波紋の所為だと思い気にも止めていなかったのだが、鏡の様に辺りを写す水面に異物が浮かんでいる気がした。

水面が静まるのを待ち、異物の正体を探ったヒロは、いきなり立ち上がり視線を上げた。


「あっ!あぁ――――っ!!」


逆光に目を細くして見上げた先で光の帯を纏いながら降り来る影があった。薄氷の瞳に片や眼帯のおもむきを持つ者に、ヒロは指差しで大声を上げた。

柔らかく中庭へと着地した影は声もなく、ただヒロを見てゆっくりと瞬きをするのだった。


「ヒウン!どこ行ってたんだっての!」


「…」


愛しの男へ駆け寄る娘のように傍へ迫るヒロを、ヒウンは何時ものように愛想の欠片も無い顔で迎えた。

そんなヒウンに構う事無くヒロは質問を投げ掛け、身の上を案じ、自分がどんな目に遭ったのかを応える間も与えず矢継ぎ早に喋った。けれどヒウンもまたヒロの話に構う事無く敷地内を見渡して何かを探している風を見せた。


「なぁ!訊いてんのかよ…ヒウン?」


そして一通りを見渡し終えたヒウンは右手を上げて額の中央に親指を当て掻く様な仕草をした。

何時もと違うヒウンに疑念を抱いたヒロは、そのモヤモヤした不信感の出所を探った。


「あ…」


何が何時もと違うのかと頭を捻ったヒロは、遂にその出所を突き止めた。それはそのままヒウンの行動に繋がり、ゴクウから訊いた癖へと結び付き答えへと導いた。

ヒウンが今正にした仕草は、額を親指で掻くと言う癖であり、その癖はヒウンの物では無く、させられた癖。そしてその癖を持つ者をヒロは良く知っている。


ゴクウは言った。ヒウンに兆候が見えた時が記憶の蘇った時だと。

正にそれだと気付いた途端、ヒロは堪らなく嬉しくなった。これで自分も役に立てると歓喜に震えた。


「ヒウン!こっち!こっち来いっての!オレ知ってんだ。その記憶が誰に繋がっているか知ってんだ!紹介してやる!」


ヒロは今にも飛び跳ねたい気持ちをグッと堪えてヒウンの手を取り引っ張った。

急く気持ちを押さえていても声は弾み、尻尾は千切れんばかりに揺れてしまう。


張り切るヒロに引き摺られ、嬉々として揺れる尻尾を見て、ヒウンの無表情の中にも微かな感情が浮かび上がる。


何もしていないのに目を細めてしまいそうになるのは何故だろう。胸が温かいのは何故なのだろう。

それはまたヒウンに未知の感情をもたらした。



「フク!フク!話があるっての!」


ヒウンの手を引いたまま、余所様の家を我が物顔で探し回るヒロ。行儀が悪いと言われ様が今はそれどころでは無い。


「どうかした?」


ヒロのただ事では無い大声を聞き付け中庭に顔を出した大男に、屋敷からは支え合いながらは老夫婦が顔を出してヨロヨロと近寄ってきた。


「訊いて貰いたい事があるんだ!」


さあ、場は整った。






「あれ?ゴクウは…」


主役は揃ったと言うのに姿を見せぬゴクウを探して頭を振ると、フクが部屋を教えてくれた。聞けば繕を下げに行くと転寝をしていたのだと言う。

「こんな大事な時に」と何時も言われて居る事を舌打ち混じりに言い返したヒロは、急いでゴクウの居る部屋へと跳んで行った。


記憶を頼りに部屋を探し当てたヒロは、障子戸の前で立ち止まりシシシッとゴクウの真似をして意地悪く笑うと、両手で左右の戸の縁を掴みそのまま勢い良く障子戸を開け放った。


「起きろぉ――!」


障子戸が勢いそのままに柱へ激突し、パシンッと激しい音を響かせた。そこでゴクウが飛び上がるのを想像していたのだが、室内は思いの外静かで物音もしない。

期待外れに眉根を寄せたヒロは室内をグルリと見渡して呆気に取られた。其処には文机に肘枕を着き、何事も無かった様に転寝を続けるゴクウの姿があった。


半ば呆れながら、すっかり綺麗に片付いた室内を足を踏みならし歩み寄ったヒロは、ゴクウの派手な着物の腕を掴み、力一杯に身体を揺らした。


「何時まで寝てんだ!」


「んんっ」


揺らされた事に寄り、拳に乗せていた顎がずり落ち変な声を漏らしたゴクウは、寝呆けた顔でヒロを睨み上げる。


「一々騒がしい奴だのぉ。何の用だ。下手な事なら承知せんぞ」


「シッシッシッ」


不機嫌さを顕にするゴクウに対し、ヒロは真似事の不適な笑みを浮かべてゴクウを見下ろした。そんなヒロの態度に半開きの目で更に深い皺を眉間に寄せたゴクウは、嫌気が差してかヒロを視界から外して大きな欠伸をすると寝ると言ってヒロに背を向けようとした。

そんなゴクウの態度さえ今のヒロには面白く写る。

透かさず手に入れたばかりの自信を胸に鼻息荒く口を開いた。


「ヒウンがコレから記憶を伝えるんだっての!オレ、癖に気付けて、ヒウンの助けをしてやったんだ!」


胸を張り、意気揚々と宣言した途端、ふて寝をしようと横を向いたゴクウがピタリと動きを止めて、半開きだった目が一気に見開かれヒロの方を向いた。

ゴクウのその驚きっぷりにヒロの胸は更に張り、鼻高々で空を仰ぐ。

けれど、文机が轟音と共に蹴り飛ばされたのを見て、ヒロは一気に縮み上がった。

眼前には朱色の獣毛を逆立てて鼻の頭に皺を寄せたゴクウの殺気迸る形相があり、犬歯のちらつく口からは今にも火炎が吐き出されるようだった。

余りにも恐ろしい修羅の形相に震えの止まらないヒロは、睨まれるだけで涙がでそうになる。


「己は…馬鹿な真似をしくさりよったなっ!!!」


割れ鐘のような怒声が鋭い犬歯を持つ口から放たれヒロの身体を打ち、空気が皮膚を貫く針のむしろへと姿を変えた。

ガクガクと骨を震わせるヒロは、脂汗を流し確実に殴られるのだと思い身体を強張らせた。しかしゴクウはそんなヒロを突き飛ばして部屋を飛び出して行く。


一瞬、心臓が止まった錯覚を起こしたヒロは、尻餅をついて動けなくなったが、ゴクウの態度に不吉な予感を覚え、震える足でぎこちなくゴクウの後を追うのだった。


ゴクウの背中を追って恐る恐る中庭へ出ると、空気が痛い。胸も抉られる様に痛かった。



――――


「…フク」


敷地の中を大声で呼び回り、その声に姿を現した熊人の大男。誰かの記憶に出て来た幼子とは随分違うが、それでも面影は残っている。何より身体が温かい。間違いは無さそうだ。


ヒウンは独り小さく頷いた。

ヒロが去り、初対面の者だけとなった中庭でヒウンはフクと呼ばれた男に向き直った。

突然ではあったが、記憶の干渉は終えている。また自分の物では無かったが、記憶を伝える事が出来る。


「…トクジを知っているな」


「えっ」


記憶の持ち主の名を上げると、フクと老夫婦は目を丸くして息を詰まらせ、己の耳を疑う素振りを見せた。

会ったばかりの赤の他人が、いきなり身内の名を口にしたのだから無理もない。それでももう一度確認の為に問い掛ける。


「…知っているな」


「は、はい。トクジはオヤジ、です」


驚きと無機質で起伏の少ない声音で問われる事に戸惑いを隠せない表情で、それでも頷いたフク。そのぎこちない頷きに心は決る。


「…関係者なら、話さねばならない。…トクジの記憶はココにある」


右手の親指で額を指し、額の中央を軽く掻く。ヒウンの行動に一様に驚いた三人は疑念の色を瞳に宿しながらもヒウンの話に聞き入った。


「…俺の身体は何十何百の他人(ヒト)の細胞等が組合せられ出来ている。キメラと言ったらわかりやすいだろう。それは俺が幼少の時にアル場所で人体実験をされたからだ」


唐突に始まったヒウンの身の上話に、三人は更に目を見開いて隠し切れない疑いと戸惑いを面にだした。

これまでの誰もがそうだった様に、耳を疑い、ヒウンの話が嘘か誠か思案し困惑する。

そんな本人達は気付かぬ内に無意識で奇異の目を作りヒウンに向けている。その視線が凶器である事を知らずに。


足元から競り上がる黒い靄はピッタリとヒウンに纏わり着いて締め上げてくる。

ずっしりと重たくなった身体に鞭を打ち、息詰まる空気を無理矢理身体に取り込んで、伝えるべき事をそのまま口にする。


言葉の少ないヒウンには、伝える為にわざと言葉を曲げたり縮めたりする事は出来なかった。

想いのままに。記憶のままに。

ただ真っ直ぐ伝える事しか知らなかった。

その結果、身を引き裂かれる事になっても。身体に言葉の刃を突き刺される事になっても。ただ真っ直ぐに言ってやるしか出来ない。


ヒウンが身の上を語る度、黒い渦はその色を更に淀ませて、靄は更に重たくなってヒウンの包み込む。

身体に刺さる刃の数は増していき、貫く深さはより柔らかい部分へと到達する。

それでも止める訳には行かないのだ。


「…俺の記憶は途中からしかない。けれど時折、記憶が蘇る事がある。俺はその記憶を頼りに各地を周り、誰の記憶なのかを確かめている。自分の抜け落ちた記憶なのか、他の誰かの記憶なのか、確かめて行くしか己を確かめるすべがない。それは、俺の記憶と存在を探す旅でもある。そして今、トクジの記憶に出会い、その想いを伝える」


「オヤジの…」


「グッ…」


想いを伝えるべく、伝えるべき相手を真っ直ぐに見つめたヒウンは、意を決して一歩フクに歩み寄る。

けれど、言葉を紡ぐ事は叶わなかった。


鈍い痛が肩を伝って全身に走る。

続いて足や胸にドンッドンッと痛みを伴う衝撃が襲いかかった。


ヒウンは息を詰まらせて苦しみに耐えながら思った。鈍く光る刀身が抜かれたのだと。この身が斬り付けられるのだと分かった。


それでも、逃げてはいけないのだ。

覚悟は決めた筈なのに、身体は勝手に震えてしまう。

何十と繰り返し、何十と経験した筈なのに、それだけは慣れる事はない。逆に、回を重ねごとに顕著になっている。



「息子の名を語る悪党がっ!何が記憶だ!嘘を吐くな!」


「息子は生きているのに、何故そんな事を言う!まるで息子が死んで戻らぬ様な事を言いよって!」


罵声と共に石のつぶてが投げつけられる。幾つも幾つも投げつけられる。つぶては膝を、肩を、腕をズシン、ズシンと打ち付けてヒウンの表情を強張らせた。

老婆は髪を振り乱し、皺枯れた声で何かを叫び、老夫は目の色を変えて息絶え絶えになりながら力一杯つぶてを投げた。

手元に手頃な石が無くなれば、次は植木鉢がヒウンを襲い、次は食器が無抵抗のヒウンに襲いかかる。


身体は痛い。ぶつかった箇所は腫れて熱を保ち、骨が軋む。ただそれよりも、胸の内の方が酷く痛く苦悶を与える。

罵声が刃を振るい柔らかい部分を滅多刺しにしてくる。息をするのも辛くなる程に胸が痛くて堪らない。

気付けば胸の前でマントを握り締めていた。



「息子が帰って来ないのはお前が殺したからだろう!この人殺し!!」


「…ッ」


老婆の悲痛な叫びが遂に心臓を貫いて止めを刺す。

前を確りと見据えていようとしたけれど、一気に血の気が引くのを感じたヒウンは、黒く淀む渦に引き摺られ、顔を伏せた。

其処へ老夫が水をぶちまける。

あの身も凍る様な井戸水だ。今は心までその冷たさに凍えてしまう。

投げつけられた桶が伏したヒウンの額を強打した。滴る水滴に、朱色が混じり落ちて行く。

生暖かいそれは、とても鮮やかで同時に毒々しく目に焼き付いた。


もう、言葉も出ない。記憶を伝えなければいけないのに、強張る身体が言う事を聞かない。


どす黒く不吉な色を混ぜ込んで靄は膨らみ全身を被われたヒウンは、完全に自由を奪われる前に、それ触れてみようと手を上げた。

けれど誰かが邪魔をする。自分と同じように震えた手の感触が服の上からでも確りと感じられた。誰だと横目に伺うと今度は反対側から腕を掴まれて強く握り締められた。

途端に軽くなった身体に、靄が薄れるのを感じたヒウンは勝手に歩き出していた。


――――


何故だと思った。

何故、ヒウンの言葉を、ヒウンの想いを分かってくれないのだと思った。

何故、その瞳を視てはくれないのだと。


ヒウンは震えているではないか。無機質で起伏の少ない言葉で、普段は全く喋りもしない口で、懸命に想いを伝えようとしているではないか。

なんの陰りもない薄氷のような瞳に、一切の偽りのないその目を何故視ようとしないのだ。


無数のつぶてをその気に成れば全て躱せるのに、身体を強張らせ無抵抗で受けているではないか。

その姿に何故罵声を浴びせ罵るのだ。


ヒウンは何も偽ってはいないではないか。


「ヒウン」


恐怖に震えていた身体は、いつの間にか別の感情に寄って震えていた。

奥歯が軋み砕ける程に食い縛り、常が食い込む程に握り締めた拳がわなわなと身体を震わせる。

ヒロには、何故その姿を見て尚信じる事が出来ないのか理解し難い。


確かに突拍子も無い話だ。現実離れした内容だ。でも答えは目の前に有るではないか。ヒウンがそれを体現しているではないか。

それなのにと肩を震わせずには居られなかった。

同時に、これが自分のもたらした行為の結果なのだと思うと、身を引き裂かれるような気持ちに心が軋んだ。


だからこそ。傍観者に成のを拒んだ。自分の行動がもたらした結果ならば、自分が罵られ、つぶての標的にならねばとその身でヒウンを庇う為に傍らに立ち、ヒウンの腕を掴んだ。

それは、贖罪の念から来る物だったのかも知れない。罪の意識から少しでも逃れたかったのかも知れない。どちらにしても我が儘で自分勝手な思いだが、それでもヒウンが耐えるその痛みを、身体を震わせるその辛さを、別けて貰いたかった。ヒウンと共に肩を震わせたかった。


腕に触れて初めて知った服に隠れて見えない幾つも腫れが、熱を保ち痛々しく脈打つ様子。濡れた身体が酷く冷たくて、胃の腑から何かが込み上げて来た。


こんな結果を望んだのでは無い。自分はただ、今まで足を引っ張った代わりに恩を返したかっただけなのだ。ヒウンの力に成りたかったのだ。


ヒウンの腕に出来た無数の凹凸に込められた悪意がヒロを立ち止まらせる。ヒロだけだったなら、そのまま悪意の雨に打ち据えられて居ただろう。けれどゴクウがそれを許さなかった。


燃え盛る炎の様に逆立つ獣毛を揺らめかせ、怒の籠もった眼力は気迫を放ち見据えられた老夫婦は蛇に睨まれた蛙の如く固まって動きを止めた。


「オジイ!オバア!」


弱った身体で無理をした老夫婦は、ゴクウの威圧感に気圧されてそれを切っ掛けに糸が切れた人形の様にその場に崩れ落ちた。

慌てて駆け寄るフクを横目にゴクウは強引にヒウンの腕を引き、倒れた老夫婦には目もくれず屋敷から出ていった。


ヒロは少し戸惑いを見せたが、顔色の悪い老夫婦に後ろ髪を引かれつつもゴクウとヒウンを追い、後味の悪さに顔を歪め屋敷から逃げるように飛び出した。













――――


出来る事なら今すぐにでも次の町へと駆けて行きたい。こんな気分の悪い場所からは一分一秒でも早く立ち去りたい。

それでも今はヒウンを診る方が先だと苛立つ自分に言い聞かせ、手頃な場所を探った。


昔は自分もあの場に居たし、何度も見た光景だった。それでも慣れる事はないし、あの場面は何度だろうと吐き気を覚える。

息荒く強引に手を引くゴクウにヒウンは黙って従って居た。少しして手頃な場所を見付けたゴクウは、ヒウンを切り株に座らせると細長い薬箱を開く。少し遅れて意気消沈と離れて着いてきたヒロが遠慮がちに距離を置いて佇む姿を横目に、着々と準備を進めた。


「マントと服を脱いで傷を見せろ」


「…」


「早くしろ」


「…」


どんなに急かしてもヒウンは動こうとはせず、何かを考えて居る。その何かを悟ったゴクウはまた眉間に皺を寄せて訝しむ。ヒウンの考えて居る事とゴクウが察した症状は、恐らく合致するからだ。

だから尚の事、ゴクウは納得がいかないし、したくもない。

ガチャガチャと商売道具を掻き分けて抽斗を漁る姿は酷く苛立っていて何時ものゴクウらしくなかった。


「オイッ!さっさと」


「…ゴクウ」


苛立にささくれた言葉が全てを告げる前にゴクウの背中へヒウンの声が投げ掛けられた。

ゴクウはピタリと一瞬の硬直を見せ、直ぐ様何事も無かったように薬を取出し、ヒウンに向き合い膝をつきマントの中から腕を引っ張り出すと服を捲し上げて薬を塗りはじめた。


「…ゴクウ」


ヒウンの顔を見ようとせず、黙々と手当てを続けるゴクウにヒウンの呼び掛けは聞こえている筈だ。それでもゴクウにはヒウンの声が届いていない。手当てに集中して周りの音を受け付けていないのだ。その証拠に薬を塗る手は止まる事がない。

けれどその姿は、わざと集中を用いて無理矢理周りからの音を断絶している様に見える。手を使わずに耳を塞ぎ、そうまでして会話を断ち切ろうとするのは、ヒウンの意としている事の先が分かっているからなのだろう。


それでも声は震動として鼓膜を揺らす。親しきモノなら尚の事耳に良く入ってしまうものだ。


「…頼みがある」


静かに告げたその言葉は口火と成ってゴクウの全身の毛を逆立たせた。握り拳をわなわなと震わせて、戦慄く身体に動かされるよう立ち上がったゴクウは目を吊り上げて鼻の頭に皺を寄せる。


「何故だっ!!話も聞かず罵られたお前が何故あんな奴等の為に頭を下げるっ!お前が恐怖に震えていようと石を投げ付けて来た相手だぞ!在らぬ罪を着せて罵声を浴びせた奴等に何をする義務がある!この腕を見ろ!酷い腫れで痛みしか感じないだろう!こんな事をされて何故奴等を案じる!どうしてお前が堪えねばならんのだ!」


「…」


ヒウンを見下すその顔は己の気炎に焦がされて赤黒く染まっていた。

その剣幕に距離を置くヒロですら縮み上がっていると言うのにヒウンは何時もの様に表情無くゴクウを見上て薄氷の瞳を向けるのだった。


「お前の自力ならあんな奴等一捻りだろ!お前が傷付く必要はない!」


「……。…俺は、傷付けるしか出来ない」


ゴクウは理不尽な対応に気を荒立てているのに、ヒウンは己に絶望したように呟き拳を握る。

そんなつもりで言ったのでは無いのに。



「…頼む」


「グウゥッ!!!」


真っ直ぐ向けられる強い意志の宿る眼差しは、何時にも増して清らかで目を反らす事を許さない。ゴクウは奥歯を軋ませて大きく唸りを上げると拳を振り上げ身近にあった木の幹を殴り付けた。

2、3度大きく揺れ木の葉を散らす木の下で、ゴクウは肩で息をしながら伏した顔を悔しげに歪め、歯を食い縛り頬を濡らした。

一筋の雫が頬を伝い、顎先から落ちる。それは汗か、それとも…。


張り詰めた空気の中、長く感じられた無言の時を利用して息を整えたゴクウは、おもむろに着物を脱ぎ捨てるとヒウンの足元へと放り、己は甚平を着て抽斗から火打ち道具をヒロへと投げた。


「治療を受けろ。それが条件だのぉ。それから阿呆は火を起してコイツの服を乾かしておけ」


そう言ってゴクウは木々の合間に姿を消して行った。





屋敷に続く細い道を踏みしめてゴクウは感慨にふける。思えば初めから凶事だった。ヒウンを見失い、ヒロは山賊の毒に倒れ、自分は要らぬ苦労を強いられてただ働き。挙げ句阿呆に邪魔をされ、避けて来た醜悪の場に立ち会う羽目になった。

全ては凶日の元にある所為だと今日と言う日を怨み、やはり世は虚構ばかりと溜め息を漏らす。


「古傷は未だ痛む物だのぉ…」


俯き胸に手を当てたゴクウが溜め息と共に独りごちると、昨日叩き入った古木戸が眼前に合った。


場の空気と雰囲気に醜悪の様を思い出し、カッと頭に血を昇らせたゴクウはフルフルと(カブリ)を振って木戸に拳を打ち付けた。



「どちら様でっ…」


少しして古びた木戸が半分開き、中から訝し気な面持ちで姿を見せたフクがゴクウを見てグッと表情を固くした。

屋敷を飛び出して一刻も経っていないのだから無理もない反応だと思いながらも、フクの作った握り拳を垣間見てゴクウの腹も煮え出した。

長居が出来ないのは分かっていた事だ。


「何の御用か知りませんが、お帰りください」


目を反らし、ささくれ震える声音で木戸に手を掛けたフクにゴクウは感情を押し殺して木戸の隙間に腕を入れた。

突然の行動に驚くフクがゴクウの手を押し返すのを見計らい、その手に包みを落とす。


「何の真似ですか」


「薬だ」


更に機嫌を損ねたフクが睨みを利かせるがゴクウはあえて役を演じる事を選んだ。


「オジイ達にですか。生憎、医師から貰った薬が有ります。こんなものっ!」


「それでも病は治らない。違うか」


包みを地面に叩き付けようと振り被ったフクはゴクウの言葉に射ぬかれてピタッと動きを止めて眉根を寄せる。その態度にゴクウは推察が正しかったのだと苦笑した。


「訳も分からず出された薬は毒にしかならん。今すぐ止めてそれを飲ませろ」


「貴方に何が分かりと言うのです!」


「掌や足の裏に角質のタコがあり、白斑黒皮症が見受けられた」


「それはオジイ達が長年仕事を頑張って来た証拠です」


「更に、身体機能の障害。痺れなどの末梢神経障害」


「それこそ歳の所為です!」


声を荒げて抗議するフクに対し、ゴクウは落ち着いた口調に勤め、次々と症状を上げて確認をしていく。

フクは納得行かないと言わんばかりに否定を口にするが、その否定こそが確信へと近付ける。

否定すると言う事は、その症状があると言う事に他ならないからだ。

そして最後に決め手を問い掛ける。


「鼻出血がまま起こる。こればかりは歳では片付けられまい」


「グッ」


若い頃。特に10代には鼻出血は珍しくは無い。歳を取るに連れ頻度の軽減が見られる症状が出る。その事実にフクは悔しげに押し黙り眉根の皺を深くした。


ゴクウは予め疑いを持っていた。薬師とは薬草を扱い、病を治す薬を作る事に長けており、同時に人殺しの技にも長けた物達なのだ。

薬は古くから暗殺に用いられ、裏の生業として薬師はその調合を覚えねばならない。

薬とは、生かすも殺すも併せ持つ兵器なのだ。


そして、この立地こそ病の原因を教えてくれる。


「フク。お前の家系は代々遊廓との取り引きがあるだろう」


「…えぇ、オジイ達が身体を患う迄は」


「それが原因だのぉ。駆梅剤は知っているか」


「くばい?」


ゴクウの問いにフクは頭を傾げる。その様子からして知りはしないのだと思うと少しホッとするゴクウだった。

そう言えば、フクは漢方薬に特化した薬師だった。

祖父母の心配りが窺える。


「駆梅剤とは梅毒の患者に投与される薬の事で、未だ効き目があると信じる者が多いが、結果は毒だ。その毒は鉱物または硫化物から採取され、防腐剤にも使われ、暗殺にも使われる。名をヒ素と言う」


「ヒ素!?」


フクが驚くのも無理は無い。ヒ素は極めて毒性の高い薬物だ。そんな毒に祖父母が侵されていると言われれば誰でも驚くだろう。

フクの家を訪れて夜中納屋の前を通った時、薬屋に似つかわしくない古びたつるはしを見た。畑仕事に使うのかとも思ったが、長い間使われた形跡が見られない事からもしやとは思っていた。

恐らく鉱脈もこの山々の何処かにあるのだろう。


対策を立てたとしても僅に体内で蓄積したと考えられるヒ素の中毒症状であるならば、恐れるべき病は別にある。その症状が出ていない事が唯一の救いであり、助かる見込みがあるだろう。


「使う使わぬはお前達の好きにしろ。渡した薬が無くなったら添えた紙に必要な薬が書いてある。足らない薬物は近くの医師に頼めば事足りる」


「じゃぁの」とフクに背を向けて来た道を戻るゴクウは投げ掛けられる声を無視して足速に屋敷から離れた。

あんな事が在ったからかやはり気持ちが揺らぐのだ。



フクの声が聞こえなくなって漸く胸の騒つきが収まるかに思えたが、騒つきはゴクウの古傷を呼び覚ます。


それはまだ、ゴクウがヒロと同じく井の中しか知らぬケツ青い頃。ゴクウもまたヒウンの為を思い、要らぬ世話を焼いた事があった。

意気揚々とヒウンを連れて人物と引き合わし得々としていた。その時も今回同様にヒウンは酷く罵られ、棒で滅多打ちにされたのだった。

血の気が引いて死にそうなほど幼きゴクウは傷付き、傷付けてしまったヒウンへの贖罪の念に苛まれた。

ゴクウがいくら謝ろうとヒウンは許しの言葉を口にしなかった。けれどヒウンはゴクウを避ける事もなかった。そんなヒウンが不憫でならず、子供ながらに誓いを立ててヒウンに告げた。


ヒウンは未だ許しの言葉を口にはしない。けれど共に居る事は許してくれる。今でも罪の意識は消えなくてその時の光景が目蓋の裏に焼き付いてうなされる夜も少なくない。


「ちぃと、八つ当たりだったかのぉ…」


独りごちる言葉は複雑な胸の内を表して、重たく地面に転がった。



――――


「…」


「…」


ゴクウに渡された火打ち道具を打ち鳴らし、集めた小枝に火花を飛ばすが一向に着く気配が無い。

そもそもこんな方法での火起こしをした事がないのだ。着けろと言う方が無理である。


「くっそっ!」


何度も何度も石と鉄を叩き合わせるが出てくるのは悪態ばかり、力任せに強く叩けば、皮の擦り剥けた掌がジンジンと痛む。


「…ヒロ。…止せ」


痛みに言葉無く悶えていると投げ掛けられた何処かよそよそしいヒウンの言葉。でもそこに気遣いがあるのをヒロは知っている。だから余計に惨めに思えた。そして同時にそんな言葉を掛けて貰える筋合いは無いと思ってしまう。


「やだっての!」


「…ヒロ」


「何でだよ!何でオレにそんな事言うんだよ!オレはお前に酷い事したんだぞ!」


急に声を荒げたヒロにヒウンは少し驚いて、意味が分からないと言いたげな目をすると、それでも「していない」と呟く様に言うのだ。

せれがヒロの癇に障った。擦り剥けて痛む掌を堅く握って拳を作り、ワナワナと震わせてヒウンの前に立ちはだかった。


「したんだよ!オレがしたんだ!お前に余計な事をしたから、ヒウンがあんな目に会ったんだ!オレが悪いんだよ!」


自暴自棄に怒鳴り散らすヒロ。本当はそんな風に自棄になって八つ当たりをしくもない。けれどヒウンが認めないからヒロはどうせて良いかが分からなくなった。

本心は謝りたいだけなのに。


「…ヒロ」


「どうして怒らない!ゴクウみたいに罵れよ!さっきの奴等みたいに石でも投げろよ!どうしてオレに何もしないんだっ!怒んなきゃいけないだろ、怒鳴って一発ぶん殴らなきゃいけないだろ!なんで何にもしないんだよ!」


ヒウンがそうしてくれたなら、どれだけ楽だっただろう。殴ってくれたなら淀む気持ちに幾許か光が見えたかも知れない。それでもヒウンはそんな事をしてくれない。

ヒロは苦しげに顔を歪めて奥歯を噛み締めた。

そんなヒロの様子にヒウンは困惑した目をする。


「…誰に」


「んっ!」


「…誰に言われたか知らないが。お前はお前なのだから、…したい事をすれば良い。…気負う必要は無い…」


「違う!!!」


何故ヒウンは、自分を許す言葉を言ってくれるのか。今はそんなのは要らないのだ。今のヒロにはそれは欲しい言葉では無い。


「ヒウンっ!お前は今、痛いだろ!」


「…」


「ソコじゃない!コッチだ!」


問いに対し腫れた腕に視線を落としたヒウンを制し、ヒロは自分の胸に親指を立てた。困惑しながらもヒロの真似をして胸に手を置いたヒウンは、確かにそこに針を刺したような小さな痛みがあるのを知った。

これは何だと小首を傾げたヒウン。その態度にヒロの奥歯はまた軋む。


「痛くて悲しいだろ!」


「…かな、しい…?」


「辛くて苦しいだろ!」


「…辛い?…苦しい…?」


胸に手を置いたまま、ヒロの言葉を反復すれば、胸は締め付けられたり、斬られたりする。それは痛みとしてヒウンが一括りにしてきた物で、それぞれに違う痛さがあるなどそれまで知りもしなかった事だった。


「お前がオレに、らしく居ろってんなら、お前もお前らしく居ろよ!もっと感情を出せよ!お前がそんなんだからオレは痛いし苦しいんだよ!だからもっとっ」


「…雨だ」


ヒロはヒウンに逃げて良いのだと伝えようとした。アレは堪えるべき事ではなく避けて良いのだと教えたかった。

ただ堪えるヒウンを見ているのは自分に何をされるよりもずっとずっと辛く苦しい事だった。

けれどヒウンはヒロを遮り空を見上げた。


続いてヒロも空を見上げるが、そこに降り落ちる水滴は無い。

ただ、ヒウンが出した掌は、確かに濡れていた。


「ヒウン…それは雨じゃないんだ」


「…」


「雨じゃないよ…」


ヒロは掌で目を覆い俯いた。

知らないと言う事がこんなにも残酷なのかと目蓋をギュッと引き結んだ。


「…これは…何だ…何で胸が苦しい…」


「クッ…」


ヒウンの頬に、一筋の銀糸が紡がれて、掌に一つ、二つと伝い落ちる。

その光景があんまりで、俯くヒロは喉を詰まらせて肩を小刻みに震わせた。


「ヒウン…」


凍えたような眼差しで、掌に落ちる水滴を受け止めるヒウンを救いたい。寒いなら自分が何とかしたい。

ヒロは首に掛けた真綿のスカーフをその掌へ乗せ、その上からヒウンの手を握った。


「オレ、傍にいるから。独りで堪えないでくれよ。辛いのも苦しいのも分けてくれていいから。オレも一緒に泣くから」


「…な、く…」


知らないなら、知ってる自分が傍に居よう。逃げずに堪えてしまうなら、自分も共に堪えよう。

独りは孤独で、凍えるよりも冷たく寒い。だからヒウンは氷のようなのだとヒロは思う。


その氷がいつか溶けるまで…




雪解けの清く澄んだ雫は冷たいれど、重ねた二つの手には熱い雫も一緒に落ちる。

集い、集まり、溜まった雫。僅かばかりの泉を作り、双方を程よく暖め、言葉に成らぬ想いと共に胸の内へと染み入った。



――――



事を終え、足速に戻ったゴクウは、泣きべそを掻き火打ちに苦戦するヒロを罵ってヒウンの治療に取り掛かり、夜明けを迎えた。


「まだ泣いてんのか!」


「だってぇ…」


「…」


朝に成ってもウジウジと着いてくるヒロを一喝し、額に青筋を立てたゴクウはふと気付く。ヒウンが己と歩幅を合わせてヒロが着いてくるのを待って居るのだ。ヒロもまた、懸命に着いてくる。

どうやら自分が居ない間に何かがあったのだとゴクウは一瞥に察する。


「のお、ヒウン。首のソレ」


「…」


ゴクウの指差しに首に巻かれた白いスカーフを見たヒウンは、ヒロへと視線を注いだ。


「そうか。貰ったのか」


「…」


ヒロはどうしようもない馬鹿だ。馬鹿で一途だ。そんなヒロだからヒウンも微かに反応を示すのかも知れない。

今はまだ、それで良い。ヒウンに足りない感情や言葉が、騒がしく感情豊かなヒロを見て少しずつ、ゆっくり増えて行けば良いとゴクウの目は細くなる。


ただし、面白くはない。


「ナメクジだってもっと早いのぉ、足手纏いは売り飛ばすぞ!」


「ヤダァ!」


怯えながら駆けて来るヒロには見えない様に、ゴクウはシシシと意地悪く笑う。そんなゴクウをヒウンはやれやれと言いたげに横目に見ていた。


自分はコレで良いとゴクウは思う。嫌われようが何しようが、自分が悪でいる事がヒウンの為になるのなら。ヒロを井戸から外に出せるのなら。


今回の件でヒロに気付いて欲しかった事がある。

人の為に頑張る事は決して悪い事ではない。けれど人の為だと言い聞かせ、度を超えた思いは何時しか偽りになってしまうのだと。


今はまだ井蛙も同じ餓鬼に、自分と同じ傷がもたらすモノを味わって欲しくない。


そしてヒウンへ、思う。

首に巻いた真綿のスカーフが、首を締めずにすむようにと。


旅はまだ、続くのだ。



終わりと…


「お前は本当に使えんのぉ、火起こしもまともに出来んのか」


「…すみません」


「ほんっっっとに役に立たんのぉ。手本を見てろ!」


カチッ!カチッ!カチッ…カチッ………カチ…


「つかない…っての」


「…」(狼狽)


「ダッセェ!うわっダッセェ!何が『見てろ!』だっての!自分も出来ねぇじゃんか!」


「…」


「ぬぅぅぅ」


「ダッセェー!!」


「時代は進歩するんだのぉっ!」


ボッ!(着火)


「ヒッ!?妖術!?」


(ただのライターです)


「火打ち道具などもう古いわっ!」


「えぇぇぇ!」


「…身も蓋もないな」



*オマケ*


memory №04 END


To be continued.




大海を知らず、人の為の行いが必ずしも報われない事を知ったヒロ。そして新しい感情に少なからず動揺するヒウン。

そんな二人を意地悪くも見守るゴクウ。

ちぐはぐ三人旅はまだ続く。


記憶を探す冒険ファンタジー


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