cell memory #01 《英雄と忘れ形見》
己を探すため、サクの町に訪れた少年。そこで輩を束ねる虎の子と出会う。
町に近付くに連れ、重低音で響く機械音が彼方からも此方からもと聞こえて来る。
町は今正に変わろうとしている最中で、町全体に渡る長い長い改革工事が行われていた。
地図上に印された新しい地名。
サクの町。
太陽が真上に登り、容赦なく陽光が照りつけるこんな日でも工事の音はなりやまない。こんな日の労働者はさぞ暑かろうに。
「…ここはいつも騒がしい」
男は独り言のように空を見上げて呟いた。
《英雄と忘れ形見》
町を行き交う人々は陽気のせいか少しでも体温を下げようと皆薄着をしている。その中でフード付きの表裏兼用ロングマントで全身を包み、深々とフードを被っている男はさぞ目立つだろう。
行き交うもの達は皆目の端で男を見て不快感を露にし煙たそうに距離をとった。
男はそんな人々の様子に気が付いたのか、人の多い表道から人気のない細い路地へ入っていった。
「おい、ガキがこんなとこ来ちゃ駄目だろ〜。ハハハッ」
「俺達困ってんだぁ、お金くれよぉ!」
「やっ、やめろよ!返せよ!」
ケッケッケ!カッカッカ!
脇道にそれて直ぐの事。柄の悪そうな男達が数人で小柄な犬人の少年の周りを取り囲んでいた。
人と余り関わる事を良しと思っていない男だが人気の無い路地裏に入れば必然的にこんな場面にも良く出くわす。何時もなら男が絡まれるのだが今回は先客がいたようだ。かかわりたくない場面だが、この容姿では十中八九、逃れられないだろう。
「おや、新しいお客が来たぜ!」
一人の人間が男に気付くと伝染したように他の男達の視線が集まり微かに笑い声が広がっていく。そのなかから口元にリング状のピアスをつけ、濃いサングラスをした猫人が男の正面に立った。
「本当だ!おいニーチャン、此処を通るなら金を払わねぇとダメだぜ!カッカッカ」
猫人はピアスの着いた口元を大きく開き馬鹿みたいに笑う。そのたびにピアスが上下に揺れ鈍く光った。
「……。」
一方此方の男は、フードで覆ったその内で、眉一つ動かさず道の先を見据えていた。まるで男達など眼中にないと言った様子で猫人の横を擦り抜けた。
「おいっ!無視してんじゃねぇよ!」
猫人の男はその態度が気に入らず怒のこもった声を上げ、男の肩を掴むと同時に乱暴に深々と被っているフードを無理やり剥ぎ取った。露になった男の素顔。冷たい氷の様な薄水色の髪に白銀の獣毛。顔には左目を被い隠す様に黒い眼帯が良く栄えた。
それはまだ、少年と呼ぶに相応しい年齢を伺わせた。
見るからに獣人のそれは、けれどどの種族にも合致しない顔をしていたのだった。
犬人にしては口吻は短く、猿人にしては耳が違う。曖昧でそれでも整った綺麗な顔。
それを見ていた他の男達もぞろぞろと集まり男のまわりを取り囲む。
「おいっ!何とか言えよ!その口は飾りかあぁ?」
「……。」
「一著前に眼帯なんかしやがって!かっこつけかよ!」
「……。」
男達が口々に罵声を浴びせるが手拭いを押しているかの様に彼は無反応だった。それが男達の感情を逆撫でした。
「っのガキ!……ッブォハ?!」
ドサッ
「お…おい…どうした?!大丈夫かよ?!」
無視を続ける少年に腹を立て、胸ぐらを掴み右手を振り上げた男だが、その拳を振り下ろす事無く急に倒れてしまう。仲間の男達は何が起きたのか理解出来ずにソワソワと浮足立ち、俄かに狼狽した。
「おい…コイツ気絶してるぜ…。」
「な、なんで…。おいガキ!テメェ何かしやがたな!」
「……。」
「わかったぜ、テメェ術者か!」
理解出来ない出来事に男達は早まった答えを出し、結果的にその場の混乱を招くことになる。
男の言う術者とは所謂魔法の使い手の事をさしている。術者には己の気を使う者や自然界にある気を使う者と人により違う。十人十色、千差万別なのだ。だが彼はそのどれにも該当しない。何故なら彼は術者ではないから。
「……。」
「反論しねぇって事はそうなんだな!そうと分かればガキだろうが容赦しねぇぞ!コイツの慰謝料と受けた傷の100倍返しだ!一斉にかかれ!!」
「「「ウッシャァ!!!」」」
決起を焦った男の掛け声に、他の男達も声を上げ、手に手に武器を持ち束になって押し寄せる。
「……。」
「あっ!危ない!」
離れた所でその光景を見ていた犬人の少年は、今まさにやられそうになっているにめ関わらず、無防備な彼を見て肝を冷やした。
「「「ウラァァ!!」」」
声高らかにナイフを振り回す男達。彼めがけ渾身の一振りを浴びせるが何の手応えもなく空を突き刺した。呆然とする男に考える暇を与えずバサッ!と布が風になびく音がする。続け様にバサバサッと音だけが聞こえた。
「「……ウッ?!」」
次第にバサッと布音がするたびにドサッ!と何かが倒れる音がしだしそれが連鎖するようにドサドサドサッと続く。
「へっ?」
男達は何が何やらわからないと言った顔のまま地面に倒れこむ。何せ男達の目には何も見えていなかったのだ。
倒れたまま起き上がる者は1人も居らず、男達の後ろで見ていた少年は目を白黒させ重なり合う様に倒れた男達の真中で凛と立つ彼を見て、ただ呆然と立ち尽くしていた。
やがて不粋な輩が静かになり、周りも静寂へと帰ると、細い道の真ん中で土嚢のように積み重なった輩の小山が出来上がった。
彼はマントを軽く数回叩き、何事も無かったような涼しい顔で気絶した輩を見下ろすと、最初に気絶した男の懐に手を入れ、1つの紺色の財布を取出し呆然と立ち尽くす少年の手に財布を落とした。
「…行け」
「えっ?…あっ、はい!ありがとう…」
彼は少年が立ち去るのを見届けて、また細い道を奥へと進んでいった。
細い路地を奥へ奥へと進んで行くと、一軒の古びた酒場が建っていた。
そこは昼間だというのに薄暗く一見潰れているようにも見えるが、古びた扉には確りOPENの掛け札が吊され揺れていた。
彼は辺りを気にし、何かを確認すると店の戸に手をかけ、ギィィと錆付いた金具に悲鳴を上げさせながら彼は店内に足を運んだ。彼が手を放すと戸はまた悲鳴を上げてゆっくりと閉まっていく。
「…らっしゃい。」
店内に入るやいなや老犬のマスターがやる気なく彼を見もせず出迎える。暫しカウンターに立ってグラスを拭いていたマスターは横目で彼を確認すると溜め息でもつきたそうな表情を見せた。
「ないだい、おまいさんか。…まぁ座れ。茶でも飲みねぇ」
渋い表情でマスターは冷蔵庫から瓶を一本取出し中身をグラスに注ぎスッと彼の前に出すと残りを自分のグラスに注ぎ、今度は確りとため息を吐いた。
「…。」
彼はグラスに手を付けず無言のままマスターを見た。その眼は急かさんばかりに見開かれマスターもヤレヤレと肩を竦め、仕方なさげに口を開いく。
「相も変わらず無愛想だな。まぁいい。おまいさんが探してた情報の内、3つわかったぜ。」
「……。」
彼は無表情のままマスターの話に耳を傾け一言でも聞き漏らさんとしていた。
「先ず1つ目。ココから西へ300キロいった小さな港町に探している奴が住んでいたらしい。2つ目。組織の連中はまだ、おまいさんが生きている事に気付いていないようだ。ただ、2人目が完成に近いようだ。最後に3つ目。それ以外の情報はまだないって事だ。」
「……。」
彼は話を聞き終えるとグラスに手をつける事無く、テーブルに銀貨を置くと彼は席を立った。
「もう行くのか。もうちぃいと居ればいいものを。」
「……。」
名残惜しそうに茶を口に運ぶマスターに背を向けて戸口に急ぐ彼。マスターも何を言っても無駄な事はわかっているのだろう。諦めた様にマスターも彼に背を向けた。
「この町も、若い連中が幾つかグループを作りはじめた。性悪グループばかりじゃねぇが、梟のグループには手をだすなよ。つっても遅いか。それからヒウン。あまり派手に動くな。奴等に気取られるぞ。」
「………。」
ヒウンと呼ばれた彼はマスターに軽く会釈をし、店を後にした。
――――
店を後にし来た道を戻るヒウン。彼が大通りに辿り着いた頃には、太陽は大分傾きオレンジ色を纏いはじめていた。これでは道中で夜になってしまう。そう考えたヒウンは仕方なく宿屋を探し始めた。
「よおニーチャン!泊まる所探してらんなら案内してやるぜ。」
宿屋街を人気の少ない宿屋を探していると大柄の猫人の男に声をかけられた。
「……。」
「そう睨むなって!別に取って食うつもりはねぇよ。」
服装は宿屋の従業員を装っているが宿屋の従業員らしからぬ肉付きが服装の上からでもわかる。
ヒウンは直感的に相手の何等かの企みに気付き何事にも対処できる様に準備をする。けれど依然として笑顔を振りまくだけの男にヒウンは口を開いた。
「…さっきからチョロチョロついてきてる奴の仲間か」
ヒウンがそう言うと男の顔付きが変わり、一瞬笑顔が消えたが、直ぐに苦笑いをし何の事やらと白をきる。そんな男の態度にヒウンが一言二言続けると男は開き直った様に笑いだした。
「何だバレてたか。出て来て良いぜ。」
男の合図で物影から鼠人の男がひょっこり姿を現しチッと小さく舌打ちして不愉快丸出しで路地へと消えていく。ケラケラと悪びれる様子も無く顔を緩めたままの男は、けれどヒウンの独眼を見て息を呑んだ。
「…20メートル後ろの女も」
「驚いた…まさか他にも…」
「言っていいのなら言うが…」
「いや結構。悪かった騙すとかそんなつもりは無かった。この通りだ。」
男は深々と頭を下げ指笛を吹くと、ヒウンの動向を監視していた気配が全て消え、張り詰めた空気が変わった。
彼等の尾行は決して下手では無い。特に鼠人はターゲットに近いのに足音さえ消す技術を持っていた。普通なら先ず間違いなく気付かれない。けれどヒウンには通じなかった。
「改めて言わせてもらう。騙すつもりは無かった。すまない。」
男は何度も頭を下げ両の掌を合わせるが、未だ何かを企んでいる気配はあったのだが、男からは何の闘気も感じられずヒウンは警戒を緩めた。
「…なぜ俺を見張った」
ヒウンの問いに男は腰をくの字に曲げたままひとしきり唸ると、上目にヒウンを伺い見て誤魔化しは通用しないと踏んで素直に答えた。
「いや、身内がお前に助けられてな。リーダーが礼を兼ねてお招きしろと言うので探していたんだ。」
「…そんな覚えはない。」
そう言って立ち去ろうとするヒウンの行く手を阻む男は両手を広げ、慌てた様子で手をばたつかせた。
「いやいやいや!喝上げされてた奴いたろ!小さい犬!アイツ!」
「…邪魔だった。助けたつもりはない。」
ヒウンは吐き捨てる様に言うと男の横を大回りして立ち去ろうとするが男が柄にもなく泣きべそをかき大声だす。すると忽ち道行く者達が足を止め、ヒウンとヒウンに頭を下げえずくような声を上げる男を遠巻きから見てきたのだ。
男を無視して通り過ぎるには遅すぎた。そこは宿屋街で1番ピンクの電光輝く宿屋の店先。どう見られているかは明らかだ。次第に視線の数が増えてきて人垣が出来る。この場を一刻も早く切り抜ける為ヒウンは止むなく男の頼みに同意した。
「申し遅れた。ジフだ。鼠はアーダ。猫女の方はヘリィ。」
「ドゥモ〜。」
道すがら追跡を試みた数人が現れヒウンを取り囲む。歩きながら自己紹介を受けるがヒウンは興味を示さず黙々と歩みをすすめた。猫人の女はそんなヒウンの顔覗き込み手を軽く上げ、ウィンクをする。それでも無反応なヒウンにヘリィはこれでもかと身体を近付け腕を絡ませた。
「子供だからって気を緩めた覚えはないんだけどぉ〜。やっぱり術者は凄いわぁ〜。」
耳元で息を吹き掛ける様に絡むヘリィに流石のヒウンも表情をしかめ、直ぐ様ヘリィの腕を振りほどき、表情薄く睨み付けた。けれど女は科を作り威嚇に全く動じないので、ヒウンは早々に諦めた。
「…術なんて使えない」
ヒウンの答えにヘリィはどうしてと言わんばかりに首を傾げ、興味深々とヒウンの顔を覗きこんだ。
「…ただ敏感なだけだ」
ヒウンの答えに男二人は驚いた様な表情で首を傾げた。けれどヘリィはどう取り違えたのか顔を赤らめる。
「その敏感ってヤツにオネェさん興味あるわぁ〜!!」
「ヘリィ…すまんな、悪い奴じゃないんだ。スルーしちゃってくれ。」
身体をくねらせ尚も顔を赤らめるヘリィにジフは頭を抱えヤレヤレといった様子。ヒウンも元からそのつもりだと言わんばかりに眉をよせた。
ジフの道案内はどんどんと人気の無い方へと進んで行く。次第に廃墟が目立つ様になってきた。
「着いたぜ。さぁ客人、どうぞお入りを。」
案内されたのは廃墟街にある潰れた宿屋。ジフはその宿屋の扉を開きヒウンを招き入れ広間へと案内する。外見からは一転、中は綺麗で落ち着いた雰囲気を醸し出している。潰れる前はそれなりの宿屋だったのだろう。
ジフは広間の扉を開けて一足中に入ると声を張り上げた。
「ヒロ連れて来たぜ!」
「おせーっての!準備万端でまってたっての!」
ジフの声に舞台カーテンが開きチカチカするほど眩しいライトが点滅を始め、その光の中から姿を現したのはヒウンと同年代位の小柄な虎人だった。ただ普通の虎人の模様とは逆で黒地に黄色いシマ模様と珍しい出で立ちをしている。
「待ってたぜ!身内が世話になったな!礼を言うぜー!俺がこの町の平和を守る黒虎ヒーローヒロ様だぁーっての!ヒャッフー!!」
威勢よく出て来たヒロはマイク片手に決めポーズらしき体制をとり、マイクがハウリングするほど声を張り上げ、続け様にボンボンと色付の煙り玉でド派手な登場をして見せた。
響く爆音に華麗な登場。決まったと言わんばかりに自身にご満悦だ。
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
けれどヒウンが余りにも無反応なので暫し無言の嫌な空気が立ち込めた。やがてヒロは羞恥心に駆られ見る見る顔を赤らめた。
「…大体テメェがちんたらしてるのが悪いんだジフ!」
「えぇ!俺のせいかよ!?」
「何で尾行失敗してんだよ!ちゃんとやれっての!」
ヒウンには何だかよくわからないが、ヒロは耳まで真っ赤にして誰彼かまわず八つ当たりをする。お門違いも甚だしい。
「ヒロ、客人が見てるよ。」
「しるかっての!!大体お前も無視すんなよ!」
取り巻きの一人が見兼ねてヒロを宥めようとするが逆にヒウンに火の粉が降り掛かる。
「……。」
「無視すんなっての!!無視すんな!無視すんな!無視しないでぇ〜!」
けれど余りにヒウンが無反応だったためかヒロの勢いが次第に尻すぼみ、こんどは今にも泣きそうな声をだす。一見情緒不安定にも見えるが、ただ丹に癇癪をおこした子供に過ぎないのだ。
「(客人、無視しないで、なんか反応してやって下さい。ヒロさんあぁ見えてメンタル弱いのに強がりで、恥ずかしがりなのに目立ちたがりなんです。)」
再び慌てた一人がヒウンにこっそり耳打ちをしてヒウンにその場を治めさせよとした。が。
「…面倒だな。」
「「「はっ!!」」」
ヒウンの一言でその場が一瞬凍りつく。他人との拒絶を主にしてきたヒウンにはコミュニケーション能力が著しく低い。結果火に油を注ぐことになってしまう。
「何だと…面倒だと…俺の何処が面倒だっての!」
ヒウンに悪気が無かったにしろそれは初対面の相手に通じるわけもなく、当然の結果ヒロは怒りに身体を震わせた。
ベルトに着いたホルダーから子供には凡そ似付かわしくない黒光りするチャカを引き抜いた。
「ヤバイ!皆ヒロを押さえろ!」
「ヒロ駄目だって!こんなとこで気泡使うな!」
「せっかくの接待パーティーがダメになりやすよ!」
近くにいた数人が一斉にヒロを押さえつけようと飛び掛かる。先程まで漂っていた煙はかき消され、取って代り埃が舞い上がる。
壇上はさながら大捕物をしているようだ。
「うるせぇっての!!俺の指が疼いてたまんねぇっての!一発打たせろぉぉ!」
「駄目だって言ってんじゃん!お前の一発は洒落になんないんだから駄目だって!」
2丁の銃弾を振り回し、押さえ付ける手を振りほどこうと大いに暴れるヒロ。それでも銃口をヒウンに向けてくる辺り、ある程度の場馴れが伺えた。
「きゃ、客人!!何か褒めてやって!ヒロの何でも良いから褒めてやって!そしたら納まりますから!」
蚊帳の外といった様子で事の成り行きをただ黙って見ているヒウンに三度助けを求める声がした。皆三度目の正直を願わずにはいられなかった。そしてヒウンは正直だった。
「…無駄に明るい。」
「なっ!?」
「「「なっ!」」」
「何だと!ボケぇぇぇ!」
ヒウンの正直さに皆固まりヒロは怒髪天を衝く。手を伸ばし怒りにまかせチャカを所構わず連射した。
バンバンバンと発砲音が鳴り響き、所構わず射たれた銃弾は壁に天井に穴を開け、花瓶や硝子を破壊した。
発泡に逃げ惑う輩の群れを他人事と見ていたヒウンは、ヒロの放つ銃弾の異変に気付き目を見張った。
それでも大混乱の広間のなかヒウンは表情一つ変える事は無く、彫刻の施された柱に寄りかかり、静かに佇んでやはり我関せずと冷めていた。
「すまん、取り乱した。」
「……。」
「ムッ!」
1時間後、漸く正気を取り戻したヒロは今、ヒウンと向かい合う形で座っている。
軽く頭を下げるもヒウンの無反応振りにまたしてもヒロの眉間に皺が寄るが輩の介入にチャカに添えた手を離した。
「リーダー、彼は無口なんです!いわゆる無口キャラなんです!話し聞いてないとかじゃないですから!」
慌てた一人が助け船を出す。これ以上暴れられては身が持たないのだろう。ヒウンにヒロを任せようと思う者は最早誰一人としていなかった。
「そ、そうか。ごめんな。奴等が暴れて騒がしいしたな。」
(((えぇー、暴れたのお前じゃん!)))
皆心の中ではそう思ったものの後の面倒を考えると口に出すものはいない、ただ一様にガックシと肩を落とすのだ。
「…べつに。」
「そっか、良かった。そんでお前名前はなんての?」
「…名乗らなければいけないのか。」
名前など減るものでもない質問にヒウンは不自然なほど嫌悪し眼光鋭くヒロを睨んだ。
「いや、言いたくなければいい。そんかし勝手に呼ぶけどな。」
「……好きにしろ。」
ヒウンの心情を知ってか知らずかヒロはヘラヘラしている。恐らくヒウンから放たれる精神的圧迫感など微塵も感じていないのだろう。
肝の据わった奴かただの馬鹿かは分からないが、恐らく馬の方だろう。
「良いねぇ。そんで、お前に来てもらったのは、礼をしたかったからともう一つ。」
ヒロは人差し指を立て自分の顔の前にだす。ヒロの眼の奥が光った。
「お前を呼んだのは他でもない。俺達の仲間にならねぇか。」
ヒロの唐突な申し出にヒウンは顔色一つ変えずにヒロを見た。
「……。」
ヒウンは応える気は無いのだろう。それを察したのかそうでないのか、ヒロはスッと立ち上がりヒウンの目を見て指を差した。
「直ぐに答えを出せとは言わねぇっての。ただこっちはいい答えが聞きたいがな。」
「…断る。」
ヒロの期待を込めた眼差しにヒウンは即答した。納得のいく答えではなかったヒロは眉を寄せ、目の色を変えた。
「なぜだ。」
「…答える義理はない。」
「こっちは納得ができねぇっての。」
ヒロは身を乗り出しバンッとテーブルを叩き、感情を露にするがヒウンは顔色を変えない。それが余計にヒロの感情を逆撫でする。
「…悪いが他を当たってくれ。」
立ち去ろうとするヒウンを数人の男達が取り囲む。男達に敵意がない分、ヒウンも手を出す事なく、仕方なく重い口を開いた。
「…やる事がある。邪魔をするな。」
少々刺がある様に聞こえるがヒウンにも争う気はない。ただ一刻も早く目的を達成したいだけなのだ。
「ならそのやる事ってやつを手伝ってやる。それが終われば仲間に入るよな!」
ヒロは名案とばかりに胸を張りニカッと笑みを見せる。
「……。」
けれどヒウンは再び口を閉ざし黙り込んだ。その様子にヒロから笑みが消え、諦めた様に両手を腰にあてがいクルリとヒウンに背を向けた。
「…まぁいい。今日はココまでにしよう。一晩ゆっくり考えてくれ。ここは見ての通り元宿屋。部屋ならいくつもある。一番いい部屋を用意しといたからな。ジフ。」
「何だ。」
呼ばれるなり直ぐ様現れたジフにヒロは人差し指をくるくる回して見せた。何かの合図にも見える指の動きは2〜3回程度で終わり、再び腰に手を置いた。
「客人を部屋に案内してやれ。」
「あいよ。客人こっちだ。」
それだけ言い残しヒロは奥の扉に消えて行った。ヒウンはジフに案内され、3階の大きな部屋に通された。鍵を渡し部屋を出ようとするジフをヒウンが呼び止める。
「…あんた、何でアイツの取り巻きやっているんだ。」
ヒウンの問いにジフは苦笑いして言った。
「ヒロは俺達にとっては何より大切にしなきゃならねぇもんだからさ。」
どう言う意味なのかさっぱりわからないが、ジフ達がヒロを大事にしているのは明らかだ。けれどヒウンはどうでもいいと言わんばかりにジフに背を向けた。
「…。」
「ゆっくり休めよ。」
そう言い残しジフは部屋から出て行った。
一人残されたヒウンは何かを確かめる様に室内を歩いた。
案内された室内は思いの外きれいで、掃除もしっかりされている。ただ、見張られているのがわかる。あからさまなカメラの他にも微かな機械音がヒウンの耳に入る。
普通ならば決して好ましく思えない事だろうがヒウンは眉一つ動かさず荷物やマントをベッドの上に置き、電気を消して開いているもう一つのベッドに寄り掛り目を閉じ眠りについた。
端から見れば決して寝ているとは思わないだろうし、座って寝るのは考えられない事だろう。けれどヒウンは眠っていた。その姿は遠い島国にいる侍と言う者達のようだった。
〜
「ニーチャン!」
白い靄の中で小さな子供の声がする。あどけなさの残る声は幼児のそれだ。まるで誰かに呼掛ける様な声に誰かが応えた。
「どうした。」
振り返りざまに視線を下に落とし子供を見下ろす声。口調は優しく愛おしむように緩やかだ。
「ボクおっきくなったらニーチャンのお手伝いするよ!」
「そうか。ありがとう。」
キャッキャと笑う声が響き、その笑い声に呼応するように靄の世界がふわりと暖かくなっていく。
〜
「…。これは誰の記憶だ。」
夢から覚め、目を開き自分の体に意識を集中させるヒウン。彼の記憶では無い事ははっきりしている。ヒウンにとって夢とは己を辿るもの。記憶とは彼以外の物でしかなかった。
「…ここか。お前の記憶。」
彼は右側の鎖骨とその周りの筋肉に語り掛けながらゆっくりと撫でる。それに応える様に撫でた部分が少し熱を増す。まるでヒウンに何かを伝えだがっているようだ。
再び目を閉じたが今度は夢を見る事無く、そのまま朝を迎えた。
朝と言っても太陽がようやく顔を出しはじめたばかり、町はまだ穏やかだ。
どうやら見張りも居なくなっている。彼にとって3階から飛び降りるなんて造作もない事だが、窓には鉄格子がついており、外す手間を考えると普通に階段で下に降りる事を選んだ。
1階に降りると皆ソワソワと落ち着かない様子で何やら話して居る。こんな時間に、と思うだろうが彼にとってみれば太陽が出きってから起きる人々の方がよっぽど不思議なのだ。
「おぉ、客人。」
扉の前で佇んでいるヒウンにジフが気付き声をかけてきた。ヒウンは一瞬ジフに顔を向けると再び集まって話し合いをする人集りに視線を戻した。
「…騒がしいな。」
「それが…」
ジフの話しによると、仲間が梟のグループに連れ去られ、ヒロが1人で助け行けば仲間は解放、多人数で来た場合と、来ない場合は連れ去られた仲間が見せしめとして殺されると言う事だった。
その話にヒウンの意志に関係なく肩がピクリと反応した。
「いくらヒロでも無理だ。」
「梟の奴等限度をしらねぇ、ヒロが1人で行ったって約束なんて守らねぇぞ!」
「私達も行きましょうよ!」
「そうだ!ヒロは何があっても
ら守ってやらねぇと!」
皆口々にヒロを心配し、手に手に武器を持つ。一人が叫べば便乗するように次々に声が上がる。
そんな様子を興味薄に眺めているとドックンと鼓動が脈を打つ。
「グッ…。」
ヒウンは激しくなる鼓動に顔を歪め倒れそうになる。身体が熱く火照り、汗が頬を伝い流れ落ちる。
彼の様子に気付いたジフが手を差し伸べる
「どうした客人!顔色が悪いぞ、」
苦痛に歪むヒウンの顔。身体は小刻みに震えていた。ジフは余りの事態に大声で医者を呼んで来るように指示をだすがヒウンはそれを遮った。
「…平気だ。」
「いやいや平気じゃないだろ!凄い汗だぜ!」
ヒウンはジフの言葉を聞き流し、己の中に意識を集中させた。
ドクンドクンと脈が大きくなり、血が沸き立つほど身体が熱くなる。
「…俺は記憶の為に…。」
独り言の様に呟いたヒウンはジフの腕を払いのけるとクルリと身体の向きをかえた。
「ど、どうした…」
ドックン!!と大きく心臓が跳ね上がる。と同時にヒウンは走りだした。
止めようとしたジフの腕は空を掴む。その場にヒウンはもういない。あるのは巻き上げられた土埃だけだった。
「お、おい!」
「行っちまったぞ…それにしてもなんつう速さだよ」
ジフはただヒウンの背中を見送るしか出来なかった。
ヒウンは身体の赴くままに走る。常人ではあり得ない速度だろうが、それでも彼のMAXには届いていない。
彼が地面を踏み締めると一呼吸遅れて地面が凹む。それでいて無音に近い風を切る音が彼の後を追うようについてきた。
「…この路地を右だな。」
然程詳しくない町の見取図が頭の中に鮮明な映像として流れてくる。
小さい頃からこの町を駆け回り隅の隅まで知り尽くした者の記憶がヒウンに力を貸していた。
「…。」
走り続けて漸く止まった彼の目の前に錆付いた外装の建物があった。
いまは使われる事無く無造作に積まれたドラム缶が至る所にある。そこは廃工場。昔は栄えていたであろう大きな工場だが、今は此処が梟のアジトらしい。
ヒウンは山積みにされたドラム缶に飛び乗り一気に屋根まで飛び上がった。無論音を立てる事はない。屋根の真ん中に並ぶ天窓の一つから中の様子を覗きこんだヒウンは薄暗い工場内に動く人影を捕えた。
人質は3人、皆同じ縄にに縛られていて、傍に刃物を持った男が2人立っていた。
「…ヒロ。」
視線を動かすとヒロと彼を一定の距離を取り2〜30人の武器を持った男達が取り囲んでいた。
その男達の少し後ろに立ってる白い奴、アレがリーダーの梟と言う訳だろう。梟人の方翼は付け根から30センチ程度でその先の翼を失っていた。義翼を付けている様だがあれでは飛ぶ事は出来ないだろう。
梟人は薄ら笑いを浮かべながら何やら話しているようだ。ヒウンは息を潜め耳に意識を集中させた。
「約束通り、1人で来てやったっての。仲間は帰してもらおうか。」
「クックック、何の事でしょう。」
2丁のチャカを放り投げ無抵抗を現すヒロの態度に梟人は喉を鳴らし不適に笑う。顎を指で擦りながら目の奥を光らせる。
「しらばっくれるな!テメェ等の残した置き手紙がココにあんだっての!」
「あぁ、それですか。クックック、でも私、解放するとは書きましたが帰すとも約束とも書いてないんですがね!クックック」
ヒロが懐から出した紙を見て梟はわざとらしく両手を広げて首を左右に振った。ヒロは眉間に皴を寄せ梟を睨み付ける。
「テメェ!」
ヒロは拳を握り肩をゆらしていた。
「焦らずとも貴方も貴方のお仲間も解放して差し上げますよ。痛みも苦しみもない、死と言う解放をね!!」
梟はヒロの姿に顔を綻ばせあざけ笑う。
「クッソ…」
ヒロは怒りに捕らわれ拳を開き、指に力を込めた。しかし梟は顔色を変えず腕をスッと上げて見せた。すると人質の傍らに居る男が刃物を人質の首もとに押しあてた。
「おっと、妙な真似をしたらお仲間の首が飛んでしまいますよ!クックック。」
刃物を首にあてがわれた人質の獣毛が薄らと赤く染まる。ヒロは歯を食い縛り手を力なく垂らした。
「…。俺をどうしようとかまわない。だが、仲間だけは逃がしてやってくれないか。」
「ホォー。仲間を想うその心掛けは素晴らしい。いいでしょう。貴方の命でこの3人はお返ししましょう。」
ヒロは俯き瞼を固く閉ざす。覚悟を決めたヒロに梟は満面の笑みを見せた。
「ヒロ駄目だ!俺達の事は良いから逃げてくれ!」
「そうよ!私達は貴男さえ無事ならそれでいいの!」
「だから早く逃げてでやんす!」
懇願し、叫ぶ人質を振り向き、ヒロは困ったように眉を上げて苦笑いする。
「バカ野郎。家族を置いて逃げられるかっての。」
人質になった者達は唇を噛み苦悶の表情を浮かべ首を左右に振るがヒロは哀しげな笑みを見せるばかりで首を縦に振る事はない。再び梟に向き直ったヒロの小さな背中を見て今にも零れ落ちそうな涙を目に溜めて何度もヒロに声をかけた。
緊迫したやり取りを遮るようにパチパチと乾いた拍手が工場内に響く。
「虫唾が走る演劇は其処までです。死になさい!」
梟が手を振り下ろすとヒロを取り囲む男達が一斉に走りだした。いち早くヒロに駆け寄った男の一人がドスを振り上げヒロに襲い掛かる。
けれどバリンッ!!と硝子の割れる音に男達は動きを止めて降注ぐ硝子の雨を回避しながら頭上を見上げて。
硝子の破片と共に一陣の風を纏い降り立った華奢な彼の姿に男達は身構えて再び距離を取る。
「な!屋根から人が落ちてきやがった、」
戸惑う男達の中で数人が彼の姿を見てビクッと身体を強張らせ目を見張る。
「あっ!コイツ!昨日のクソガキ!!」
声がした方を見ると此方を指差し目を見開いた猫人がいる。情報屋の言っていた通りだ。その中の一人がヒウンを指差し声を上げた。
「コイツです!コイツですよ梟さん!昨日話した奴です!」
その声に梟の眉が寄る。
「ホォー。其方から来て頂けるとは探す手間が省けましたね。この場面で現れるとは、ヒロ側の人と言う事でしょつが、いくら貴方が術者でもこの数では無傷ではすみませんよ。」
人を小馬鹿にした態度で嘲笑う梟にヒウンは顔色すらかえない。
沈黙を保ったまま梟を見つめるヒウンのマントをヒロが引っ張った。
「な、何しに来たんだっての!…」
ヒロの問に答える事はなく見下ろされたヒウンの瞳は酷く冷たい。威圧感と凍える様に冷たい視線にヒロは押し黙りマントから手をはなす。その様子を遠目で見ていた梟が口角を上げた。
「けれど貴方は強いと聞きましたし。どうです。此方の仲間になりませんか?そうすればガキとガキのお仲間は帰してさしあげますよ。」
「…。」
「っ!」
ヒウンは視線を梟に向けるがウンともスンとも言わない。その態度に梟は目を細める。
「…。」
「話に、ならないようですね。やってしまいなさい」
何の反応も示さないヒウンに対して梟は小さくため息を吐き出すとカッと目を見開き手下に命令をだした。その声に待ってましたと言わんばかりに吠えた男達か一斉にヒウン目がけて走りだした。
「「「うぁぁぁぁ!」」」
「…」
ヒウンは振り返り地に膝を付くヒロを見下ろし迫りくる集団に視線を戻す。
その場で地面を強く蹴るとズダンッ!と響く踏切音と共にヒウンは土埃を上げて姿を消けす。
一瞬男達のどよめきが聞こえた。しかし直ぐ様怒の籠もる雄叫びが右に左にこだまする。
ヒロが彼の姿を視線で捕えた時には既に2人が地面に倒れこんでいた。
風を切る音が鳴り止まない。ヒウンは武器と言える武器を持っていない。けれど刃物や銃に臆する事無く相手の懐に潜り込み急所を的確に殴打していく。
己の拳のみで何十もの敵を倒していくその姿に梟は唖然とし、その背中にヒロは胸を押さえ涙を堪えた。
「…」
倒しても倒しても次々に襲い掛かってくる男達。その大半がヒウンの残像に斬り掛かり次の瞬間には地面に寝転んでしまう。
遠目から辛うじてその動きの速度を目で追うヒロは何度息を呑んだだろう。そしてヒロは小さく小さく呟いた。
「こ、コレって体術…。…似てる。」
左にドサッと人の倒れる音がすれば続いて右でドサッと人の倒れる音がする。
発砲音が聞こえたと思えば忽ちそれはうめき声に変わり地面に崩れ落ちる音に変わる。
次第に見晴らしが良くなってきた。それは倒れた男達数を意味している。
未だに立っている者達は焦り、混乱し、取り乱す。
残り僅かになった者達は何時襲って来るか分からないヒウンに身体をびくつかせ震える手で武器を懸命に握り締める。
ある者は顔を歪め汗だか涙だか分からない雫を垂らし。
ある者は額に血管を浮き上がられ逆ギレしたように怒鳴り散らす。
それでも一人、また一人と男達は土埃の中に姿を消していった。
カランカランカランとドスが地面に落ちて数回バウンドする音が何処か虚しく聞こえた。
すると今度は静けさが訪れた。まるで音が消えた様だ。
その場をもうもうと立ち込める土煙と静寂が支配した。
フワフワと立ち込めた土埃が時の流れを遅くさせたかの様に錯覚させる。ただゆっくりと漂うそれは何処からか吹いてきた風に追いやると薄く人影を映しだす。
ユラユラと揺れた影はゆっくりとその輪郭をはっきりとさせていく。
それは凛と佇むヒウンの姿であった。その足元には重なり折り合い地面を覆う様に倒れた男達の無様な姿がある。
死んでしまっているのかと思う程皆静かにゆっくり呼吸をしていた。
「ば、馬鹿な…、そんな…」
梟は身体を小刻みに震わせ嘴を情けなくカチカチと鳴らし青ざめた表情で部下達を見るように視線を下ろし、事の有様を拒否するように頭を小さく左右に振る。
「このっ!」
呟くと眉を寄せ嘴を固く結ぶと顔を上げて梟は震えた手でジャケットの内側から拳銃を取出しヒウンに向け汗で滑る手で引金を引いた。
「あっ!」
バンッと言う発砲音にいち早く反応したヒロが梟の手に握られたモノに気付き声を漏らす。
ヒウンは梟に背を向けた状態で立っている。いくらヒウンでも死角からの銃弾に反応は出来ない。ヒロはそう思い瞼を固く閉じ、最悪の事態が頭に浮かんだ。
皮膚を貫き、骨を砕き、肉を引き裂く嫌な音がヒロの耳に入ってくるはずだ。ヒロは現実から逃れようと更に固く瞼をとじ両手で頭を覆った。
けれどヒロの耳に届いた音は、高く響く金属音。
瞼を薄らと開け、事態を確認したヒロは唖然とした。
凛と佇むヒウンのマントは風に舞い揺れている。そのマントに穴や傷は見当たらない。
けれど、彼のマントをから出た掌に、キラリと輝きを放つ刄が握られていた。その刄は地に落ちたどれとも違い、スラリと伸びた細身の刄だった。
柄の無い不思議な刄。彼は何処から出したのか、その一本の刄の刀身を握っている。
いや、違う。
柄がない理由に気付いてヒロの顔から血の気が引き、顔を歪める。
ソレはヒウンの包帯を巻かれた掌から生えていた。
おぞましい光景の筈なのに、魅入ってしまいそうになる程美しい刄。
掌から生えていると言うのにヒウンは一滴も血を流してはいない。
新品の様に光を反射させる刄は血に濡れても美しいのではないかとさえ思わせる。
血の滴る刄など気分を悪くするだけだと思うヒロでさえもそう思わせる程の魔力に似た魅力を持つ刄だ。
恐らく弾丸すらも切り捨てた刄に刃零れ一つない。素人目にも名刀だと分かるソレははスーとヒウンの掌に吸い込まれて行った。
「なっ!消え…ブファ!」
同じく刄に見惚れていた梟が蛙を潰した様な声を出した。
「…。」
見ればいつの間にか移動したヒウンが梟を倒し背中を踏み付けていた。
「そ、そんな、ガキ1人に、こんな!」
悪態を吐く梟をギロッと鋭く冷たいヒウンの目が見据えて光る。
「ヒィッ!も、もう悪い事はしない!だ、だから許してくれ!」
動揺した梟はヒウンの目を見て顔を強張らせ脂汗を流す。
「 。」
「わ、わかりました…」
ヒウンが屈み梟の耳元で囁くと梟は震えながら頷いた。それを確認するとヒウンはゆっくりとヒロに歩み寄る。
「…大丈夫か、」
ヒロの前に立ち手を差し伸べるヒウン。その後ろで梟がフラフラと立ち上がる。
「油断しやがって!死ねっ!」
懐からドスを取り出した梟がヒウン目がけてドスを振り下ろす。
「っう…ッ!」
苦悶の声に振り返ったヒウンは、苦痛に顔を歪める梟の姿を見た。
ドサッと地面に崩れるように倒れて呻き、あらぬ方に曲がった腕を押さえていた。
「お前の負けだっての!」
ヒロの声に再び視線を戻せば彼は指で銃の真似をして構えていた。
ヒウンはそれを見て初めて理解した。
初め、ヒロがアジトでチャカを振り回したあの時、発泡音に違和感を覚えた。それはヒロ自身と握るチャカに鉛臭さや火薬の臭いが無かったからだ。
そして今、ヒロはチャカ無しに何らかの物を打った。
それをヒウンは見たことがあった。己の体内で気を練り弾として使う物。気泡だ。
気泡。それは指先に集めた気を銃弾の様に放つ技の事で気弾とも呼ばれ、人差し指と中指を合わせた指先に気を集める事が一般的とされている。大きさは術者にもよるがコインサイズがいいところだろう。そしてヒロはチャカにそれを加えて放っていたのだ。
その証拠にヒウンが拾い上げた2丁のチャカに鉛玉は装填されてはいなかった。
彼の指先から放たれた気泡は、梟を腕を見事にへし折っていた。
「安心しろ、威力は押さえたから死にゃしないっての!って聞いてないか。」
ヒロは梟が気を失ったのを確認すると人質を解放しヒウンに歩みよった。
「悪いな。助かった。」
ヒロはあえてヒウンの包帯をしている方の手を握った。なんて事はない、普通の手の感触だ。
ヒウンは少し驚いたように数回瞬きをして、またいつもの顔に戻った。
「…。」
ヒウンはヒロの手に温もりを感じると己の体内から熱が引いて行くのを感じていた。
…もういいのか。
内側でそう問い掛けると霞の向こうで誰かが頷いた様な気がした。
ヒロは仲間の1人に警察を呼びに行かせ、後の2人を連れアジトに帰って行った。
ここで別れて町を出ていく事も出来たがヒウンにはまだ伝えなければならない事があった。
アジトの玄関先にはソワソワと落ち着きのない兎人が今か今かとヒロの帰りを待っていた。そして遠くで揺らめく人影に気が付くと大急ぎで広間の扉を開けた。
「ヒロだよ!ヒロ達だ!良かった!皆、ヒロが帰ってきたよ!」
「おぉー!!」
古びた宿屋が崩れてしまうのではと思うほどの雄叫びが一斉にこだました。それが聞こえたのかヒロの足取りは軽くなり歩幅が次第に広くなる。アジトに入ればヒロの周りは一瞬にして人集りが出来る。
「ヒロ!良かったぁ!」
「よかったよかったよぉぉぉ、」
ヒロの帰還を心から喜ぶ仲間達にヒロは恥ずかしそうに苦笑いして人差し指で鼻の下を擦る。
「心配かけたな。」
「本当だぜ!」
ヒロの周りに人が集まり笑顔が溢れる。ヒウンはその光景を遠くからそっと見守った。正確に言えばどうしたら良いのかわからないのだ。
「はっ!そうだ…」
ヒロが何かを思い出した様に振り返り真顔でヒウンを見た。輪に入れないでいたヒウンはそれに気付きゆっくりとヒロに近づき立ち止まる。
「…話はがある。」
「俺もだっての。」
二人の会話に他のもの達はなんの事かわからず顔を見合わせる。ただ大切な話になると察したのか一歩下がり二人の様子を伺う。
「お前、俺の兄貴を知っているのか。」
「…。」
ヒロの問にヒウンは首を左右に振る。
「じゃぁ、その打撃技、誰に教わった?」
「…。」
ヒウンはまた首を左右に振る。
ヒウンは誰にも技を教わってはいない。正確には“身体が知っている”だけなのだ。ただそれを説明しようにもうまく言葉が出てこない。
「…お前が関係者なら話さなければいけない。」
ヒウンは覚悟を決めて口を開いた。うまく喋る事が出来るかわからないがヒロには伝えなければならないと思ったからだ。
ヒロは「あぁ。」と小さく呟き、大人しくヒウンの言葉に耳を傾けた。
「…俺の身体は何十何百の他人の細胞が組合せられ出来ている。キメラと言ったらわかりやすいだろう。それは俺が幼少の時にアル場所で人体実験をされたからだ。」
ヒウンの言葉にヒロは、いやヒロだけじゃなくフジやヘリィその場にいた皆が目を見開き呆然としている。
当然のことだ。いきなり現実味のない事を言われて素直に頷ける者などいない。
困惑するのも無理はない。だけどそれが真実であり現実なのだ。
ヒウンは身の危険を覚悟で話しを続けた。
「…俺の記憶は途中からしかない。けれど時折見覚えの無い記憶が蘇る事がある。俺はその記憶を頼りに各地を周り、誰の記憶なのかを確かめている。自分の抜け落ちた記憶なのか他の誰かの記憶なのか、確かめて行くしか己を確かめるすべがないのだ。それは、俺の記憶と存在を探す旅でもある。」
ヒウンは顔に影を落とし俯いた。
この話をするのは初めてではない。けれど、信じてもらえる事は稀で化け物や嘘吐きと呼ばれ蔑まれる事が多かった。その度にヒウンの内側で言い様のない感情が渦巻いてしまう。感情が欠落したヒウンにとって渦巻く黒い雨のような、深海に落とされたような感情は恐怖に身体を震わせる程だった。
ヒウンは躊躇いながらも顔を上げる。また化け物扱いされるのか、嘘吐き扱いされるのか、恐る恐る顔を上げると、ヒロは真直ぐにヒウンを見つめていた。ヒロの目に疑いの曇りはなかった。
そしてヒロが真剣な面持ちで口を開く。
「お前の存在ってどう言う事だ。」
ヒウンは少し驚きながらもヒロの問に答える。
「…。俺は、人間だったのか、獣人だったのか、それとも人工的に作られた人なのか。本当に人だったのかを確かめる。その為には1つ1つの細胞から漏れ出た記憶を確かめていく。そしてこの身体中の何処かにあるかもしれない俺の細胞を、記憶を見付けるまで、俺は旅を続ける。…いや、もしかしたらそんなものは無いのかも知れない、それでも俺は己の記憶を探したい。俺の存在を探したい。…俺は…人でありたい!」
自分でもビックリする程の声が出た事にヒウンは戸惑う。
視線を動かせばヒロ以外皆困惑しているようだ。それでもヒウンを化け物扱いするでもなく、嘘吐き扱いするでもない。何とか話を理解しようとしている。
全てを理解する事は出来ないだろうが、それでもヒウンを信じようとしていた。
ヒウンは此れ程多くのもの達の信じる優しいを受けた事がない。
またヒウンの中で言い様のない感情が込み上げる。何時もと違うそれは、妙に暖かいと思えた。
「…ヒロ。…お前の欲しがっていた答えは此処にある。」
ヒウンは右肩に手を乗せ、視線を肩に向ける。
「お前の兄、ユウショウの細胞がここにある。」
「なっ!!」
それはヒウンが知るはずの無い人物の名だった。その為輩は一様に顔を見合せ戸惑いの色を濃く顔に乗せた。その中で一人、ヒウンに顔を近付ける者がいた。
「お前がどうしてユウショウの事を!」
ジフは身を乗り出しヒウンに問う。
昨日会ったばかりの見ず知らずである彼が何故と。けれどヒウンは知っていた。
「…ジフ、お前が昨日言ったあの言葉。」
〜
「ヒロは、俺達にとって何よりも大切にしなきゃならねぇもんだからさ。」
〜
「…あれは、ヒロがユウショウの弟で、お前達に残された形見だからだろう。ユウショウはヒロをお前達に託し行方不明になった。残されたのはヒロとユウショウをリーダーとして創られたグループのみ。そしてユウショウの右腕だったジフ、お前はユウショウの帰りを待ち、ユウショウから託されたヒロをずっと護ってきたんだろ。…ユウショウはずっと感謝していたようだ。」
ヒウンは肩に手を置いたままジフに言った。それはヒロの兄に頼まれた言葉でもある。
「そうか。」
ジフは目に涙を浮かばせ俯きながら笑っていた。
「それで、兄貴は今何処にいるんだ!」
今度はヒロが身を乗り出しヒウンに問うがヒウンは首を左右に振る。
「…わからない。俺には細胞に残された僅かに記憶しかない。」
「まさか…もう…」
ヒロは眉を下げ目を潤ませる。
ヒロの言い掛けた続きは訊かなくてもわかる。けれど無責任な事は言えない。
ヒウンに残された人々の記憶は未来を見せてはくれないのだから。
ヒロの目から涙が零れ落ちる。ヒウンはそれを見て言葉を続けた。
「…お前の兄の記憶が俺をあの場に導いた。お前の兄のお陰でお前を助ける事が出来た。俺はユウショウに会って礼を言う。その為にも旅を続ける。」
そう言うとヒロは袖で目元を擦り、小さく頷いた。
話し終わるとヒロはフラフラと部屋から出ていってしまった。
後を追うようにゾロゾロと部屋を後にするもの達。
最後に残ったジフが深々と頭を下げて部屋出ていった。
気付けば時間はあっという間に過ぎていてヒウンはもう一晩の足留めを余儀なくされた。
翌日早朝、ヒウンはヒロのアジトを後にした。結局2日もこの町に足留めされるとは思わなかったが、1つ記憶を解放し、伝える事ができた。
「何も言わずに行くのかよ。」
町の出入口に差し掛かると人影が邪魔をする様に立ちふさがる。
「…。」
逆光に照らされた人影は腰に手を当て仁王立ちで行く手を阻むように佇んでいる。
ヒウンは目を細め、顔を伺うが、吊り上がった口角しか確認出来なかった。
「また黙りかっての。」
特徴のある語尾にヒウンは逆光に照らされた人物を認識した。
彼らしいと言えばらしい登場の仕方である。
「…ヒロか」
ヒロは逆光の中、大股でヒウンに近付くとヒウンの目の前に立つ。
「まだ答え、聞いて無かったよな。」
「…その話は断った筈だ。」
ヒウンの答えにヒロは犬歯を見せて笑う。そして相変わらずの無表情なヒウンの顔に人差し指を突き付けた。
「あぁ、だな。だけど俺もまだ答えてない!」
「…」
ヒロの嬉しそうな表情にヒウンは何の話だと言いたげに首を少し傾ける。
ヒロはシシッと笑うと声を張り上げた。
「俺も旅にでる!お前の仲間になってやるよ!」
「…」
ヒロの答えと言うものはヒウンには全く理解が出来ない。唐突にも程がある。
「…」
「無視すんなっての!」
一人で喚いて一人で怒りだすヒロにヒウンは息を吐いて答えた。
「…俺の旅は危険だ、俺はいつ狙われても可笑しくない。着いてくるな。」
目線を合わせず言葉を吐き捨てるとヒウンはヒロの横を通り過ぎた。
「なら勝手に旅に出る!行く先がたまたま同じならしょうがないだろ!」
背中にジンッと響く様な大声で言ったヒロにヒウンは足を止めて振り返ると、ヒロの瞳が決意に燃えていた。
「…勝手にしろ。」
「端からそのつもりだっての!」
呆れた様に言ったヒウンにヒロはシシッと笑い胸をはる。
朝日が町を照らしていく。今日の空には雲1つ無い。朧気な月が白く小さく空に浮かんでいる。
「ヒロー!元気でなぁー!」
後ろからこれまた大きな声が町に響く。まだ静かな町にこだまする声に振り返れば横断幕を掲げたヒロの仲間達が勢揃いしていた。
「身体に気を付けてー!」
「いつでも帰ってきてねー!」
「おう!留守を頼むぜぇ!」
ヒロは大きく手を振り仲間達の声を背を向け、町の外へ大きな一方を踏み出した。
「っで、次何処に行くんだよ?」
「…ついてくるな。」
「いいじゃん教えろっての!」
「…。」
少し喧しい旅の連れが出来てしまったが…。
…この気持ちは何と言うのだろう。
ヒウンは少し戸惑ってしまった。
《英雄の忘れ形見》終と…
《…》
「フン〜!フング〜!」
「…」
「見てないで手伝えっての!」
「…荷物多すぎないか」
「いや、だって、俺布団変わると寝れなくて」
∑「布団っ!」
*オマケ*
memory №01 END
To be continued.
主人公なのに無口な少年、ヒウンの成長をお楽しみ下さい。