砂漠への旅
乾いた赤土が風に舞って、視界をかすませる。
ごつごつとした岩場の隙間には赤い砂塵が通り抜け、虚ろな音をたてている。
寂寥とした光景だった。
草木もない、どこまでも死に絶えた乾いた世界。
女は馬上からこの乾いた景色をじっと見つめていた。
馬の蹄が凹凸の多い岩場をゆっくりと抜けていく。背後では、まばらな蹄の音と男達の時折の話し声が重なり合って途絶えることがない。
「どうした?」
自分の後ろで手綱を操る男が問う。
「砂漠と言うから、一面の砂かと思っていたのよ」
男は得心したように小さく笑った。
「砂漠を旅したことのない者はよくそう言うな。だが、砂漠と呼ばれる大半のところはこんな風な景色ばかりだ。お前の言う砂の海はもっと西の、それこそ地図でいうなら中央の部分だ。旅も一番きつくなる」
「砂漠を渡るのには何日かかるの?」
「急げば二月もかからん。クナに乗れば、移動は遅くなるが、その分馬で急いでいるからな」
今は6月を中ほど過ぎた。
急がねば真夏に砂漠を渡ることになる。
砂漠を旅したことのない女にもわかる。真夏の砂漠越えが、どれほど過酷かは。
今はまだ、砂漠のほんのさわりだ。
このような乾いた、まだ足場のしっかりしている大地では馬を使える。
徐々に砂地となっていくにつれて、砂漠では、クナと呼ばれる乾燥地帯に強い動物に乗り換える。
クナは1日に90ガルナも歩くといわれ、その間の水分補給もほとんど必要ない。
やわらかく波打つ背中は厚い脂肪で覆われ直射熱による急激な体温の上昇を防ぐため、昼間の高い気温に対しても持久力が強いのだ。
また、夜の打って変わった気温の変化にも耐えうる順応性により、夜の寒さの中での移動も可能だった。だからこそ、砂漠を旅するものは必ずクナに乗る。
女は、クナを見たことはないが、馬のような動物だということは知っていた。
砂漠越えどころか、旅さえしたことのない女には、何もかもが見知らぬものばかりだった。
「先を急ぐ。しがみついていろ」
ごつごつとした岩場の間を抜け、地面が比較的なだらかになった頃、男が言った。
女は言われたとおり、前かがみになり、馬のたてがみにしがみついた。
手綱を操る男が馬の脇腹を蹴った。
それを合図に、先頭を走る自分達の馬に続いて、後ろの男衆の乗る馬の速度も一気に変わった。
激しい揺れに女は馬から落ちないよう腕と脚で、必死にしがみついていた。
太陽が色を変え、ごつごつした岩場のはるか彼方へ沈もうとしていた。
男が馬を止めたのは、その太陽より少し南の岩場の影に張られた天幕が近くに見えてからだった。
昼食と休憩をとったあと、先に行かせた男達が野営のために準備しておいたのだろう。
今日の移動はここまでだ。
女は内心で安堵した。
体中がこわばっていた。
先に下りた男が女の身体を持ちあげ、馬から下ろす。
「奴らについていけ」
先に下りて天幕近くの焚き火に向かっていく男衆を追って、女はゆっくりと歩いた。
自分がまだ、揺れているように感じた。
乗り慣れない馬に揺られていた身体は、極度の疲労であしもとさえおぼつかない。
自分の身体が支えをなくしたように一足ごとに揺れている。
不様に倒れないためには、立ち止まるしかなかった。
先を行く男衆がどんどん遠くなる。
「リュシア?」
背後からかかる声に、女は初めて男が自分の後ろにいたことに気づいた。
歩きださなければならない。
すでに立ち止まっていても揺れる世界に必死で耐えながら、足を前に出す。
「――」
そこで、視界は途絶えた。
一足先に焚き火の前で夕飯の支度に動き出していた男衆は、自分達の統領が女を抱き上げてこちらに来るのに気がついた。
「統領?」
「気を失った」
「ここまで耐えたんですかい。ものすごい姐さんだ。砂漠越えどころか、馬に乗ることさえ初めてだってのに」
男達はもっと早く音をあげると思っていた。貴族のお姫様のように華奢な女が、この道行きについて来れるはずはないだろうと。
だが、女は文句一つ言わなかった。
必要最小限のこと以外は何一つ言わず、ただ黙って馬にしがみつき、ついてきた。
その執念たるや、男衆でも脱帽だ。
「天幕へどうぞ、統領。飯ができたら持って行きますかい?」
「頼む」
用意された天幕に女を運ぶと、毛布の上に横たえる。
帯をゆるめ、胸元を開くと、かすかに女は身じろいだ。
しかし、起きる気配はなかった。
皮袋の栓をとり、水を口に含むと、男は身を屈め、女のわずかに開いた口を塞ぎ、口移しに水を流し込む。弱々しく嚥下するのを確かめてから、もう一度同じことを繰り返す。
「――」
男は女の目が辛そうに開くのをじっと見ていた。
「倒れたの…?」
「ああ」
「そう…」
青ざめたその顔は、痛ましいほどの美しさを湛えていた。そして、絶望も。
「やめるか」
男の問いに、女は弱々しくも頭を振る。
「――それなら、寝ておけ。明日も早い」
そう言うしか、なかった。