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暁に消え逝く星  作者: ラサ
第七章
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本当に欲しいもの


 自分を見つけた公女は、無邪気な笑顔で近づいてきた。

「道中ご苦労様でした。お疲れになったでしょう? 離宮ではよくお休みになれまして?」

 話しかけられて、違和感が募るものの、イルグレンは丁寧に受け答えた。

「ええ、とても。御国の素晴らしい庭園に誘われて、このようなところまで来てしまいました。公女殿下こそ、御機嫌いかがですか」

「今朝は早くに目が覚めましたの。昨日には皇子様がお着きになったと聞きましたのに、お父様はお疲れだろうからご挨拶は控えるようにと」

 今年で十六になる公女と聞いてはいたが、どうもそれよりは幼く見える。

 あどけない笑顔のせいだろうか。

 イルグレンの内心の困惑をよそに、公女はイルグレンの腕に自分の腕を絡めた。

「ようやくお会いできたのですもの。少しお話してもよろしいかしら」

「え、ええ」

「では、こちらに、素敵な四阿あずまやがありますの」

「ひ、姫様、そのように急かされては……」

 お付きの侍女達が困惑して声をかける。

 しかし、構わずにぐいぐいとイルグレンの腕をひいてそちらに向かう公女は、やはり幼い子供のように思えた。

「殿下、そのように急いでは転びますよ」

「だって、早くお見せしたいんですもの。とても綺麗なんですのよ」

 イルグレンは妹が兄に我侭をいうならこのような感じなのかと思った。

 自分の異母妹達には、そのように声をかけられることも、甘えられることもなかったが。

「ね、素敵でしょう? 私、ここからの眺めが一番好きなの」

 確かに、公女が連れてきた庭園の中の四阿は素晴らしかった。

 色とりどりの花々が咲き乱れ、庭を巡る水路が小さな川のように流れている。

 すでに季節は夏だというのに、暑さにも負けずに極彩の花が咲き乱れる様は見ごたえのあるものだった。

 あの北の果樹園を思い出し、だが、すぐに心の内から追い払う。

 思い出して、どうする。

 決してもう戻れないのに。

 目の前の無邪気な少女とあの思い出は、何もかもが違っていた。

 公女のおしゃべりはとどまるところを知らず、イルグレンは内心驚いてもいた。

 よくもまあ話題が尽きないものだ。

 しかも、語られる内容は他愛もない日常のこと、家族のこと、お付きの侍女のこと、よくぞそこまでつぶさに観察しているものだと感心半分、呆れ半分で聞いていた。

 侍女達は公女の命令どおり四阿から離れて見守っている。

 婚約しているとはいえ、未だ公然の秘密である皇子と二人きりにするなど、許されたことではない。

 どうしたものかとはらはらしながらこちらの様子を窺っている。

 だが、そんなことには全くお構いなしで、おしゃべりを続ける公女は、話しつかれたのか、ようやく一息ついた。

「公女殿下」

「はい?」

「私の国のことは、ご存知ですか?」

 一瞬、きょとんとした公女は、それから、思い至ったのか、にっこりと笑った。

「はい。御国を出られて幸いでしたわね。ここに無事に来られたのですもの。あとはゆっくりなさいませ」

 一つの国が滅びたのに、しかも、婚約者の国が内乱で滅んだというのに、公女はあくまでもそのことには興味はないようだ。

 開口一番の呑気な物言いといい、国どころか大公宮の中から出たことのない公女にとっては、全ては他人事なのだろう。

「国が滅んでも、私は皇子なのですか?」

「ええ? イルグレン様は何か別のものにおなりなのですか?」

 驚いたように、公女は問いかけてきた。

「いえ、そうではありません。ですが、もし、私が皇子ではない何も持たぬただの男であったのなら、貴女は私と結婚なさいますか」

「まあ。そのようなことをおっしゃられても、何と答えてよいかわかりません」

「なぜです?」


「貴方が貴方である以上、どうあっても、お変わりにはなれないからです」


 公女の言葉は、イルグレンの胸を鋭く突いた。

「私はこの国の公女、貴方はかの暁の皇国の皇子。それ以外の何者になれるとお思いですの?」

 小首を傾げて無邪気に問う公女に、イルグレンは一瞬の後、微笑んだ。

「聡明な公女殿下に、下らぬ戯言をお聞かせいたしましたこと、深くお詫び申し上げます」

 公女はにこやかに謝罪を受け入れ、すぐにまた他愛のない話題を次から次へとまくし立てた。

 イルグレンはただ黙ってそれを聞いて、相槌を打っていた。

 公女が語る言葉は、すでに彼にとって小鳥の囀りと同じように心をうつようなものではなかった。

 否、公女だけではない。

 きっと、この宮の誰と話したとて、自分はもう心うたれることはないだろう。

 そんなふうに思った。



 公女が侍女達に促されて戻っても、イルグレンは四阿に座ったまま動かなかった――否、動けなかった。

 公女の言葉が、自分を動けなくしていた。


 皇子――それが自分。


 国が滅びようと、それは変わらない。

 永遠に。

 それ以外の何者になれるというのだ。

「――」

 強く唇をかみしめる。

 では、それ以外の何にも、自分には、決してなれないのか――?

 皇子以外にはなれないと。


 皇子としてしか、生きられないと。


 否、違う。

 国を追われるように出たあの日、自分はとうに全てを失くしていたのだ。

 この身以外の、何もかもを。

 守るべきものを、守らなかった。

 自分達だけを守り固めた皇宮の外で飢えて死んでいく弱い憐れな者達を守ってやらなかった。

 何をおいても庇護するべきだったのに。

 上に君臨するものが、その義務を怠ったのだ。

 それは、万死に値する罪であろう。

 皇国の崩壊は、必然であったのだ。

 どうして、上に立つものほど、愚かなのだろう。

 愚かであるからこそ、君臨し続けることを望むのか。

 それとも、知らなかったと、みな口々に言うのだろうか。

 知っていたのなら、なんとかしただろうと。

 だが、無知であることは罪だ。

 何も知ろうとせず、理解しようと努めないことは、確かに罪悪なのだ。


 戻れない。

 もう、何も知らなかった、幸せで愚かな自分には戻れない。


 イルグレンは両手を見つめた。

 何も持たぬ手だ。

 掴もうと伸ばし、けれど結局全てを失った手だ、これは。

 自分は悔やむだろう。

 あの最後の日、愛しい女の手を離したことを。

 そうして、後悔しながら生きてゆくだろう。

 後悔しながら、善良で、美しい公女の隣で、心ふるわせる日々を過ごすこともなく生きてゆく。

 これから人生を終えるまで、そうやって生きてゆくことを選んだのは自分だから。

「――」

 故国の庭園に咲く、瑞々しくたおやかで可憐な白木蓮のような婚約者の顔を愛しいもののように思い返そうとした。

 だが、彼の求める美しさも、愛も、そこにはない。

 彼が欲しいと願ったのは、荒野に咲く、生命に輝く力強い薔薇の花だった。





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