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暁に消え逝く星  作者: ラサ
第七章
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大公宮にて


 アウレシア達と別れてから、全てがめまぐるしく動き出した。

 公にすることのできない皇子の登場に、サマルウェアの重臣達が上へ下への大騒ぎで、秘密裏の論議を繰り返している。

 事前に密約がなされていたにも関わらずも擁護派と反対派が今になっても論議を繰り返しているということは、自分を追っていた刺客の内の最初の方が、こちらの反対派と繋がっていたのだろう。

 政治に疎い自分でもよくわかる。

 いくら婚約しているとはいえ、滅びた国の皇子など厄介事にしかならぬのだ。

 故国では皇族は全て処刑されたと聞く。

 ならば、唯一の生き残りの自分を引き渡すよう、暫定政府は申し出るかもしれない。

 対応一つで戦争さえ起こりうる。

 内乱後の故国に戦をする力があるとは思えないが、すでに刺客は来た。

 あれで最後とは思えない。

 身分を明かせば、これからも常に命の危険を感じながら、ここで生きていくしかなくなるのだ。

 冷めた食事と、眠れぬ日々。

 義務と身分に縛られ、自分ではなく、誰かに、命の処遇を決められる。

 生きるために逃げてきて、死んだような故国での日々を繰り返すだけなのか。

「皇子になど、生まれるものではないな…」

 つい漏れた言葉とともに、装身具がしゃらりと音を立てる。

 エギルディウスを含めた重臣会議の間、身支度を調えられ、故国の正装までさせられ、こうして自分の命がどう転がされるのかをただひたすら待たねばならぬ身の上を、イルグレンは情けないと思った。

 久々に着る、裾の長い着物には、居心地の悪さしか感じない。

 指にはめられた宝石のついた指輪も、ごてごてとかけられた首飾りも、妙に馴染めない。

 生きてきた内の大半を身につけて過ごしていたものだというのに。

 額冠さえむしり取ってかきむしりたかった。

 こんなものをつけていては、剣を振るうのに邪魔以外の何ものでもない。

 どうせ身につけるなら、剣帯と、剣が欲しかった。

 落ち着かずに身じろぎを繰り返すイルグレンに、恐る恐るウルファンナが声をかける。

「恐れながら皇子様」

「許す」

「そうお動きになってはお召し物が皺になってしまいます」

 自分の処遇がかかっている時に、衣服の皺など見当違いも甚だしいが、ウルファンナは至極真面目に言っているのだ。

 彼女は公宮殿に来てから、イルグレンに正装しか許さなかった。

 今は亡き皇国の威信を損なうものは何一つ許さぬ勢いだ。

「ファンナ、全て売れと言っていたのに、どうして故国の服が残っているのだ」

「エギルディウス様のご配慮でございます。国が失われようとも、高貴な身である皇子が平民の衣服などで公式な場に出られることがあってはならぬと。賢明なご配慮であったと感服しております」

 暁の皇国に生まれた者には、そのような意識が特に高いことをイルグレンは旅の間に気づいた。

 かつての自分がそうであったように、〈暁の皇国〉はそれ自体が誇るべき象徴なのだ。

 神々の末裔と誇る皇族の住まう国。

 神の愛でし国。

 麗しの皇国。

 そこに生まれ生きることこそ、彼らの誇りだったのだ。

 一介の侍女でさえ、そのように思うなら、生粋の貴族や皇族などもっと気位の高く、傲慢な者であっても仕方あるまい。

 しかし、その中で最も賢明なエギルディウスさえ、皇国の崩壊は防ぐことはできなかった。

 変わらぬ明日が続くものと、本当に信じていたのだろうか。


 宰相だったのに――?


 自分は皇国の滅びを見なかった。

 宮の外のことも何一つ知らなかった。

 だから、未だに信じられないのだ。

 あの、麗しの皇宮が今はもうないなど。

 あの父が、弟妹達がいないなど。

「なぜ、父はエギルに私を託したのだろう」

 小さな呟きに、ウルファンナは怪訝そうに、それでも言を継ぐ。

「私には分かりかねますが――」

「許す、続けよ」

「陛下におかれましては、皇子様をお助けしたかったのではないかと」

 言われて、イルグレンは素直に驚いた。

 そのような言葉が返ってくると思わなかったのだ。

「なぜそのように思うのだ」

「陛下と宰相閣下は幼年来の御学友と聞き及んでおります。その陛下が宰相閣下に託されたのは、皇子様ただお一人です。そして、他のどの皇子様も、皇女様も、生きておいでではございません」

 暁の皇国は、その歴史的血統の誉れ故に、皇族を他国へ出すということはなかった。

 だから、自分がサマルウェアに出されるということは、例外中の例外だったのだ。

 無論、これが、純粋な血統であればあり得なかった。

 身分の低い、踊り子の血をひいた皇子は彼らにとっては忌避すべきものだった。

 だからこそ、十七年間、命を狙われ続けてきた。

 下賤の血など純粋な血統に相応しくなかったからだ。

 厄介払いできるのなら、願ってもないことだった。

 それが結果的に自分を助けたのだ。

 父の記憶は曖昧だった。

 長い時間をともに過ごしたこともなく、言葉を交わしたことさえ滅多になかった。

 母親をとても寵愛していたために、自分を見るのが辛いのであろうと側仕えの者が噂しているのを聞いたことがあった。

 母が死んでから離れに訪れることもなかった。

 すでに母親の面影さえおぼろで、自分が父に似ていたのか母に似ていたかさえ定かではないが、異母弟妹達とは似ていなかったことだけは確かだ。

 絵姿を頑なに残そうとしなかったため、覚えているのは皇帝の衣服と、なぜか伸ばされた手だけだった。

 エギルディウスが何かと世話を焼いてはくれたが、剣術や護身術以外に興味を持てず、後ろ盾もないため帝王学や他の学問も嗜み程度にしか教わらなかった。

 母親の死から、食事にだけは厳しい監視と毒味が加えられたため、冷めた食事しか知らなかった。

 それが、皇子として生まれた自分の全てだった。

「ファンナ、そなたは父をどのくらい知っている?」

「陛下はご立派な方でした。聡明で、私どものような下々の者にさえわけ隔てなく話しかけてくださるような、お優しい方でした」

 夢見るように語るウルファンナの皇帝と、自分が知る父の姿は決して重ならなかった。

 彼女は皇帝を敬愛している。

 国を滅ぼしたのに。

 たくさんの人々を、死に追いやったのに。

「では、なぜこんなことになったのだ?」

 宰相の侍従にさえ慕われながら、寵愛した側室の息子には言葉さえかけなかった。

 皇太子時代のあらゆる偉業から歴代のどの聖皇帝より聡明と謳われながら、その血統と国をついには滅ぼした。

「お前のいうような賢い皇帝が、なぜ国が滅びるまで何もしなかったのだ?」

 先ほどまでとはうって変わって、ウルファンナの表情は、硬く、そして、悲しげだった。

「――陛下は、お変わりになられてしまったのです」

 何故に、と問うことはできなかった。

 余りにも悲しげに、ウルファンナは視線を逸らした。

「エギルディウス様なら全てをご存知です。後ほどお聞きになるとよいかと」




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