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暁に消え逝く星  作者: ラサ
第四章

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回想    最後の望み


 男は、女の腕を掴んで、立ち上がらせようとした。

 しかし、女は魂を抜かれたようにその場に力なく座り込んだまま動かなかった。

 男は女を抱き上げようと傍らに膝をついた。

 北側から、蹄の音がした。

「――」

 女はゆっくりと斜め後ろを振り返った。

 男も女の動きに合わせるように視線を流した。

 皇宮殿のほうから、二台の馬車と荷馬車、それを守るように馬に乗った護衛が周囲を囲んで南へ――大門へと向かっている。

 一瞬、行商の一行かと思えるような様相であった。

 しかし、砂漠越えを初め、たくさんの行商隊を見てきた男には、それがささやかな偽装であることは明らかだった。

 馬車につけられた荷台や馬の鞍などはあまりにも豪勢すぎる。

 あの中に、身分の高い者が乗っているのは間違いない。


 その時。

 扉が開いた。


 女のどんな懇願をも聞き入れなかったあの、門番達が門扉を開けたのだ。

 女が弾かれたように、動いた。

 門へ向かって走りよろうと立ち上がりかけたその細い体に、男は手を伸ばす。

 暴れられないように、細い両腕ごと片手をまわして自分の身体に押しつける。

 もう片方の手で、女が声を出せないように口元を覆いながら。

 華奢な女の身動きを止めるには、それで十分だった。

「すまん。だが、今行っても無理だ。出してはもらえない」

 耳元で、短く告げる。

 女の涙が、口元を覆った手に、感じられた。

 暗闇の中、男は目をこらした。

 馬車の窓から顔を出したのは、壮年の貴族の男だった。

 門の両脇に備えられた篝火のほのかなゆらめきの中でも色褪せない、最高位の貴族のみが身につけること許された濃紺のショールが見えた。

 それだけで、男には全てがわかってしまった。


「あれに、皇族が乗っている――」


 小さく、男は呟いた。

 間違いない。

 いずれ来るであろう崩壊から逃れるために。

 近隣の国のどこかに援助を申し出るために行く豊かな国、そして、何かしらのつながりのある国。

 宰相の奥方はサマルウェア公国の出だ。

 そして、皇子の一人が、内密に第二公女と縁組を整えたばかりだ。

 行き先は、サマルウェア公国だ。

 皇子を連れて、宰相が直々に同盟を結ぶ気か。

 この内政が乱れきっている中で、政務を司る宰相を国外に出すなど、どれほど愚かなのだ。

 新たな怒りが、男の内に沸いた。

「――」

 皇子一行は、開かれた大門を抜けて、外へと出て行った。

 そして、大門は、何事もなかったかのように閉じられた。

 静けさが戻ってくる。

 男は、女から手を離した。

 そして、立ち上がらせる。

 女の目から、もう涙は流れていなかった。

 ふらふらと、女は来た道を戻る。

 男は、かける言葉を探せず、ただ少しだけ離れてついていく。

 表通りに着いて、通用門のある裏手に回る角を曲がろうとしたところで、

「おい、お前達。こんな時間に何をしている」

 見回りの兵に出くわした。

 男はゆっくり振り返った。

 松明を持った皇宮の衛兵が四人、こちらを見ている。

 どうするか、一瞬男は迷った。

 斬ることはたやすいが、表通りではまずい。

 男の逡巡を断ち切るように、

「彼は主の護衛、私は主の侍女です」

 女はすっと男の傍らに出た。

 衛兵は美しい女の顔を見て、一瞬驚いたようだが、女の着ている侍女の衣服を見て、警戒心をやや和らげ、気さくな声で問うた。

「主の護衛と侍女がこんなところで何をしている?」

「逢引か?」

 からかうような男達の声。

「――そうなの」

 女は淀みなく応えた。

「彼、今日で主の護衛を終えて、別のお屋敷に行くことになったのよ」

 男達の好奇の目に応え、女は傍らの男の腕に腕を絡めて寄り添った。

「私達、これが最後の夜なのよ。だから、二人きりになりたかったの。お願い、これが大事になったら、私も彼もひどくしかられてしまうわ」

 見回りの一人がさらに問う。

「どこの侍女だ?」

「すぐここの、ほら、そこに見えてる門柱のお屋敷よ」

 女が指差した屋敷の門を見てから、衛兵達は同情とも苦笑ともつかぬ顔を見合わせた。

 女が言った屋敷の姫の噂は聞き及んでいたからだ。

 小さく何事か話し合った後、

「今日だけ見逃してやる。すぐに屋敷に戻れ」

 そう告げた。

「ありがとう。お礼に今度何か差し入れするわ。また夜の警備にあたったら、教えてちょうだい」

 男たちは笑いながら、手を振った。

 行けと言っているのだ。

 女がすぐに男の腕にすがったまま屋敷の裏手へと急いだ。

 先程女が飛び出していった通用門がある。

 それをあけて、男を中に引き入れる。

 扉を閉めて、男は大きく息をついた。

「命拾いをした。礼をいう」

 女は動かなかった。

 背を向けたまま、

「もう行って。弟の葬儀は――代わりにしてちょうだい。あたしは、行けないから」

 低くそう言った。

「一緒に来るか?」

 そんな言葉が思わず口から出た。

 男の言葉に、女は静かに振り返る。

「あんたの髪は濡れていた。ということは、きっと水路から皇宮に入ったんでしょう? あたしはいけないわ。泳げないし、息も続かないもの」

 頭のいい女だった。

 観察力にも優れている。

「このままここにいたら死ぬぞ。内乱が起こりかけてる、もう時間の問題だ」

「起こるなら起こればいい。あたしにはもう関係ない。弟がいないなら、意味がない。別に死んだってかまわない」

 女の声は、すでに死期を悟った病人のように虚ろに響いた。

 そうだ、彼女の人生は、ある意味終わったのだ。

 弟の死を、知った時点で。

 男が、その訃報を齎らしたせいで。

 背を向け、歩きだす女を、男は咄嗟にとどめた。

「お前には命を救ってもらった借りがある――望みを言え」

 女は振り返らず答えた。

「できない誓いはしないほうがいい」

「誓った以上は命に懸けて果たしてやる。望みを言え」


「――あんたに何ができるというの?」


 呻くように呟いて、女は振り返った。

 美しい顔が、挑むように男を見上げた。

 忘れかけていた怒りが、女の胸の内に甦る。

 理不尽な行いになす術もなく、諦めた怒りだ。


 望み?


 そんなものは、一つだけだ。

 そして、それはもう叶うことのない望みだ。

 命に懸けて――男は言った。

 簡単に、そう言う男が憎かった。


 突然現われて、弟の死を告げた、自分の希望を打ち砕いた、死神のような男。


 女は時が戻ればいいと思った。

 つい先程の、耳飾りを探していたあの時に戻れれば、この苦しみから逃れられるのに。

 話など聞かねばよかった。

 男の言うことを信じなければよかった。


 美しい振りをしたこの醜い世界で、弟に会えることを夢見て、騙されたまま死ねれば――


 全てが憎かった。


 貧しさも、餓えも、貴族も、皇族も。

 この世界が。

 この国が。

 幸せになれない、この存在が。


 虚ろだった眼差しに力が宿り、それが強い怒りに変わるのを男は見た。


 弟を返してくれ。


 女の瞳は、そう言っているようにも見えた。

 だが、きっと女はそんなことは言わないだろう。

 男の思い通りに女は告げた。


「この国の崩壊を。皇族全ての滅びを――それがあたしの望みよ。あんたにそれが、できると言うの」


 叶えられるものかと、女は男を見据えた。

 絶望の中に、まだ怒りが残っていた。

 このような理不尽で残酷な結末を齎らした全てのことに対する怒りだ。

 それは力強い眼差しだった。

 怒りとともに男を見据える女は美しかった。

 男は小さく笑んだ。


「いいだろう。お前の望みを叶えてやる。

 お前は生きて、その結末を見届けるんだ」




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