自覚
次の日は、剣の稽古をするために、街の北門を抜けてから、レギオンの管理している果樹園へと向かった。
宿屋には剣の稽古ができるほど広い場所もなく、また、目立ってはならないため、人目を避けなければならなかった。
その点で言うと、レギオンの果樹園ならうってつけだ。
あそこも周囲を囲ってあるし、出入り口には常に管理人と見張りがいる。
中を見回る者もいるが、決められた時間にしか来ないので、この広さでは支障はない。
管理人は事前に聞いていたので、快く二人を中に入れてくれた。
中に入ると、それまでの乾燥した黄土色の大地など嘘のような光景が広がっていた。
治水管理が完璧に行われた果樹園には、碁盤の目のように水路が張り巡られ、街中の乾いた石畳や小路の剥き出しの黄土とは打って変わって、通路は丈の短い下草に覆われていた。
見事に計算されつくした木々の並びは、美しいとさえ言えた。
たわわに実った果実が生い茂る濃い緑に鮮やかな彩を与えている。
まさに、緑の楽園のよう。
「素晴らしい眺めだな」
「人手があまり多くないから、少ない人数でも管理できるよう徹底したそうだよ。レギオンの元締めは、この街の出だから、思い入れがあるんだろ。
果実の収穫は朝早くと決まっているから、昼過ぎは、出入り口の小屋にある管理人と見回り以外は滅多にここへは人は来ないんだ」
アウレシアは囲い沿いに右へと進むと、角にあたる所まで来た。
そこは、剣の稽古をするにはちょうどいい広さだった。
「さて、昨日の腕比べのお手前、拝見とするか」
アウレシアが剣を抜く。
続いて、イルグレンも抜いた。
「昨日の腕比べは、お前が出たほうがいいのではなかったか?」
「あたしが出てどうするんだよ。あんたが稼ぐことが目的だったのに。大体、出場者は賭けられないからあたしが出たら、片方しか稼げないじゃないか」
「何? お前も金を稼いだのか?」
「ああ。あの手の腕比べは、必ず賭け事もするのさ。あんたに賭けたのはあたしだけだったから、ぼろ儲けだよ」
「――お前は、私が勝つと思っていたのか?」
「思ってたんじゃない。知ってたのさ」
アウレシアはにやりと笑った。
「最初に言ったろ? あたしは自分の腕に十分自信があるって。ケイとライカとソイエ以外なら、これまで腕比べで負けたことはないんだよ。あいつら、べらぼうに強いんだ。そのあたしと対等に闘えるんなら、あんたも腕比べでは負けることはない」
先に動いたのはアウレシアだった。
イルグレンが受け止める。
それが始まりの合図となった。
それ以上の言葉はなく、ただひたすら、目の前の相手と闘うことに集中した。
昨日の腕比べのせいか、イルグレンの剣の腕が、また上達したことにアウレシアは気づく。
どこまで強くなるのだ、この皇子様は――そう気を引き締める。
もう一月以上毎日剣の相手をしてきたのだ。
癖や、力加減、間合い、面白いほどに互いを知り尽くした。
剣戟は、途絶えることがなかった。
すでに互いが互いの剣筋を見極めていたので、どこにどのように打ち込むかも申し合わせたかのように続く。
二人はまるで、剣舞を舞うように、いつまでも剣を交わし合っていた。
だが、息があがりかけている自分に気づき、アウレシアは驚いた。
どうやら、時間も忘れていたらしい。
自分がこんなになるということは、かなり長い時間剣を交えていた証拠だ。
気分が高揚して、いつまでも、この天然な皇子様と剣を交えていたいと、思っていたからだろうか。
そんなことを考えている内に、互いの攻撃の勢いで間合いが離れた。
肩で息をしているのは、二人ともだ。
「今日は、ここまでにしとこう」
素直に、イルグレンも頷いた。
「ああ――」
二人は、剣を鞘に戻した。
その場で、呼吸を整える。
それから、涼をとるため木陰に移動した。
その時、果樹の向こうから、細かな水音がすることに、イルグレンが気づいた。
「レシア、この音はなんだ?」
「ん? ああ、噴水だ。果樹園にはもったいないぐらい大きな噴水なんだよ。この先に元締めが道楽で造らせたやつがあるのさ」
「見に行ってもいいのか?」
「ああ。来なよ」
二人は果樹の下を通りながら、奥の噴水へと向かった。
丁度よく、午後の暑い日差しを遮ってくれるため、歩きながらでも汗はすぐにひいた。
「――素晴らしい」
イルグレンが、感嘆の声をあげる。
規則正しい果樹の並びを正方形に切り取ったように、その空間だけ開けていた。
円形の池の中心にさらに円台が設けられており、その中心には水を噴出すための円柱が備え付けられている。
「えらく勢いのいい湧き水だから、噴水にするにはちょうどよかったらしい」
噴出す水が落ちる際に散らす、細かな飛沫が周囲の清涼感をさらに増す。
大きな円形の池を取り囲む縁の焼きレンガには排水のための穴が開けられており、そこから四方に水路が伸びている。
どうやら、ここが果樹園の中心らしい。
皇宮にも美しく意匠をこらした噴水がたくさんあったが、白亜に合わせた真っ白な噴水よりも、緑に囲まれたレンガの噴水のほうが、生き生きとして見えて、イルグレンには好ましかった。
「このぐらい大きいなら、一人くらい泳いでもなんともないかな」
その言葉に、イルグレンがぎょっとする。
天然皇子が噴水と周囲の景観を満喫しているというのに、女戦士は、まったく別のことを考えていたらしい。
池の縁に足をかけたアウレシアを、咄嗟にイルグレンが腕を掴んでとどめる。
「待て、この間のように服のまま水に跳び込むのはよせ。私はそこの影で休むから、服を脱いで水を浴びろ。呼ぶまでこちらには来ないから、安心していい」
「なんでだよ」
「見ている私が、気持ち悪いからだ」
真剣に引き止めるイルグレンを、アウレシアは奇妙なほど黙って見つめたが、イルグレンは気づかなかった。
そうして、アウレシアの腕を引いていた力を緩めた。
だが。
アウレシアは自分をとらえていたイルグレンの手を逆に引き寄せた。
「うわっ!!」
急に引き寄せられバランスを崩した身体は、アウレシアをとらえたまま円形の噴水池へと飛び込んでいく。
高い水音が、飛沫がばらばらと飛び散る音とともに辺りに響いた。
「レシア!! 何をする」
思ったより深く、けれど水温の高かった噴水池から顔を上げるなり、イルグレンは叫んだ。
「気持ちいいじゃないか。楽しいだろ、これも」
体勢を整え、濡れてはりついた髪をかきあげると、目の前のアウレシアは声をあげて笑っていた。
彼と同じように、ずぶぬれの状態で。
「皇子様もかたなしだ」
「お前は、めちゃくちゃな女だな」
呆れたように言いながらも、イルグレンは彼女の頬にかかる濡れた髪をよけてやる。
「あたしはしたいときに、好きなことをするのさ」
アウレシアは、イルグレンの首に腕を絡めて引き寄せる。
くちづけると、慣れているといわんばかりに応えてくる。
くちづけては離れ、互いの濡れそぼった顔を見ては笑い合う。
それは、まるで恋人達の戯れのようで。
「あんたが好きだ、グレン」
「私も、お前が好きだ」
あとはもう、言葉にならなかった。




