勝利
剣を振るうのは、時間の経つのを忘れることでもある。
最初は、イルグレンが何度もアウレシアに剣をはじき落とされるので、一時間の内に何度も休憩がてらのアウレシアの指導が入っていたが、今ではそのようなこともなく、休憩もないまま一時間ずっと闘い続けることはざらだった。
間合いが取れたときに、互いに相手の様子を窺いながら、呼吸を整える。
力任せではない剣術のため、疲労はするが、ひどくもない。
それ故に、互いの技の癖を捕らえれば、剣舞のように長く打ち合うこともできた。
二人は闘うことをいつしか楽しんでいた。
己れの肉体と精神をぎりぎりのところまで追いつめる。
決して殺さず、けれど手を抜かず、持てる限りの技で相手に対峙する。
そこに、身分はなかった。
性別もなかった。
偽りもなく、打算もなく、あるのは剥き出しの己のみ。
それはどこまでも真摯に相手と真向かうことだった。
それ以外、何も見えない。
何も聞こえない。
相手の動きを読み、相手も自分の動きを読む。
右に左にと交わる剣。
きらめく刃光。
研ぎ澄まされた刃音。
純粋に、目の前の相手と打ち合えることが楽しかった。
どちらも、この時が終わらなければいいと思っていた。
だが、終わりは訪れた。
ほんの一瞬の隙だった。
イルグレンの剣を払ったアウレシアの足が、小石を踏みつけて揺らいだ。
その一瞬を、イルグレンは見逃さなかった。
一気に間合いをつめ、力任せに、アウレシアの剣を、今度は自分から払った。
「――」
払った剣はアウレシアの剣を跳ね飛ばし、その勢いでもつれ込んで一緒に体勢が崩れた。
仰向けに倒れるアウレシアに刺さらぬよう咄嗟に地面に剣を突き立てる。
剣を持っていないほうの手と両膝を突いて身体を支え、剣ごと倒れこむのは免れたが、仰向けに倒れた彼女の首筋のすぐ脇の地面にイルグレンの剣が刺さったので、動きを封じるような形になった。
イルグレンは肩で息をしながらアウレシアを見下ろしていた。
少しでも時宜を誤れば、彼女を傷つけていたかもしれなかった。
そのことにぞっとした。
「――」
紙一重の幸運に感謝して、言葉をかけようとしたその時。
「あたしの負けだ」
大きく息をついてアウレシアは言った。
一瞬、言われた言葉の意味が理解できなかった。
「は?」
アウレシアは負けたと言った。
そう聞こえた。
視線をしばしさまよわせ、それからもう一度アウレシアのほうへ向けると、確かに、体勢的には、イルグレンはアウレシアの動きを封じていた。
彼女の剣は弾き飛ばされ、空手だ。
そして、自分から負けを認めた。
「勝っ――た、のか…?」
信じられないというように、イルグレンはまだアウレシアをじっと見下ろしていた。
まぐれ当たりの勝利だ。
にわかには信じがたい。
だが、アウレシアは素直に負けを認め、両手を軽くあげて、降参の意を示す。
「あーあ、負けたよ。油断したもんだ。たった二週間で皇子様に負けちまうとは」
剣を抜いて立ち上がるイルグレンとともに、アウレシアも起き上がる。
届く範囲で背中と尻の汚れを払い、落ちている剣を拾い上げ、鞘へと戻す。
そして、未だ勝利を信じられないイルグレンに向き直る。
「取り消す。グレン、あんたは腰抜けじゃない。立派な戦士だ」
そう言えば、己の勝利を納得し、実感するだろうとアウレシアは自分より目線の高いイルグレンの表情を見上げた。
だが、イルグレンはその言葉を聞いても、ちっとも嬉しそうな顔をしていなかった。
それどころか、不満げにアウレシアを見下ろしていた。
「取り消す言葉が違う」