変化
さんざん文句をつけながらも、アウレシアは三日もすれば皇子の相手をすることにも慣れてしまった。
一番最初の差別的発言を別にすれば、頭のねじが弛んでいると思わせる天然皇子が、とても素直で真面目に稽古を受けていたからだ。
リュケイネイアスに宣言したとおり、アウレシアは皇子にも特別扱いはしないことを告げた。
皇子は腹を立てるどころか、望むところだと嬉しそうに承知した。
呆気ないほど素直な反応に、怒り続ける気持ちも、不機嫌を装う気もなくなる。これで自分一人が怒っていたら、馬鹿みたいではないか。
気持ちを切り替えたら、仕事と割り切り、アウレシアは早速、皇子の剣さばきに関して短く助言し、後はひたすら実戦あるのみで、稽古をつけた。
一週間で、皇子は剣をはじき落とされることがなくなった。
力任せの打ち込みもしなくなった。
それどころか、アウレシアの剣さばきを真似、流れるような打ち込みを見せ始めた。
剣術が好きなことは疑いようもなかったが、戦士としての素質があることには驚いた。
稽古を始めて皇子と向き合う時間が増えてから気づいたが、最初は、長身なのに細身なため、十七歳だというのに歳よりもやや幼く見えた。自分と4つしか違わないのに、そのように見えるのは、やはり、育ちがすこぶるいいせいだろう。
だが、真剣勝負な剣技が二週間も経てば、顔つきまで変わってきたようにも思えた。
透けるように白かった肌が強い日差しの下の稽古で、健康的に焼けたせいもあるだろうが、以前のような人間離れした印象は薄れ、人形のように無機質な印象もなくなっている。
幼さが表情から消え、歳相応の若者らしく見える皇子は、日が経つにつれ戦士に相応しい身のこなしや佇まいを備えていった。
アウレシアは内心満足していた。
彼女にとって、男というものは仲間であるリュケイネイアスやアルライカのような、まさに戦士を具現化したような鍛え上げられた体躯の闘士を指す。ソイエライアは、戦士にしてはどうも皇子のように上品さが目立つような貴族のような顔立ちや体躯なので、尊敬し、信頼もするが、理想の男としてはやや外れる。
そんな男としては問題外だった皇子が、徐々に男らしさを備えていくのは、弟子の成長を見守る師のように感慨深いものがある。
鍛えれば鍛えるだけ応えてくる対象には、教えがいもあるというものだ。
最近のアウレシアは、皇子を一人前の戦士として鍛えることが楽しみとなっていた。
旅も順調に過ぎて、今日は山間を越えて下り切った麓の小川沿いで夜を明かす予定だった。
砂漠を迂回した道のりは、命の危険こそないが、長く、険しい山脈や悪路も多い。しかも馬だけでない、馬車を伴っての移動はどうしても時間がかかる。彼らの一日の移動は馬の疲労を考えても七時間が限度だった。
朝早くから山を登っていた一行の昼食は、旅用の携帯食のみだった。今日は日が落ちきらぬうちに移動をやめ、野営をすることになっていた。
予想以上に時間のかかる下りを、無事に下り切って、続く森を抜ける頃には、日は真南より西側に大きく傾いていた。あと3時間もすれば、日も沈むだろう。
移動をやめ、野営の準備をするにはちょうどいい時間帯だった。
先導の護衛が川に向かって道を外れ、丈の短い草原を進む。
リュケイネイアスは、先導のため、ソルファレスとともにいるので、今日のしんがりは残りの三人だった。
「ようやく到着か。ライカ、今日の飯は俺らだぞ」
ソイエライアが隣のアルライカに声をかける。
「おう。夕食のために、山で二羽仕留めといたこいつをつかうぜ。ソイエ、パンはお前な」
「ああ、レシア、今日は早めに切り上げて戻ってこい」
「はいよ」
先を見ると、どうやら馬車が止まったらしい。
「レシア、お出ましだぜ」
先に気づいたアルライカがにやりと笑って言った。
「全く、こっちはまだ馬を止めてもいないってのに、せっかちな皇子様だよ」
大きく息をついて、アウレシアはぼやいた。
しんがりのアウレシア達が止まる前に、前からずんずんと歩いてくるのは――初めて会った頃の人形のような美しい皇子様とは見違える、若々しい青年だ。
長く明るい金の髪を後ろで三つ編みにし、長剣を腰に差して大股に歩いてくる。
夜明けの紫の瞳は変わらないが、表情豊かで、生きる力に溢れていた。
「レシア!」
アウレシアの姿を認めると、早足は駆け足となり、一気に近づいてくる。まるで主を見つけた子犬のようだ。
「おや、皇子様。今日もやるのかい?」
「当たり前だ!」
気合満々の皇子の様子に笑いをこらえつつ、アウレシアは馬を下りた。
山の麓なので、空気は乾燥しているものの、まだ丈の短い草があたり一面を覆っていた。まばらな低木のすぐ先には小川が流れている。
見晴らしはいいが、みんなが野営の準備をしているところで剣の稽古をすることはできない。
「少し戻るよ、グレン。森の途中に少しひらけたところがあったから、今日はそこでだ」
「わかった」
アウレシアは仲間達を振り返る。
「じゃ、いってくる」
「おう。グレン、がんばれよ」
アルライカに声をかけられ、イルグレンは笑って返す。
「ああ、今日こそは勝つ」
「その意気だ。レシア、油断すんじゃねえぞ」
「するかよ。グレンに負けるようじゃ、あたしのほうがケイに稽古をつけなおしてもらわなきゃいけなくなるだろ」
「二人とも、暗くなる前に戻れよ。森の中だから、誰か近づいてくれば音でわかるが、稽古中も周りに気を配ることを忘れるな」
ソイエライアが忠告をする。
「ああ」
「わかった。気をつける」
ソイエライアの助言を至極真面目に受け止めるイルグレンに苦笑しつつ、二人は森へと歩き始める。
皇子がこうして外に出て稽古をしていることは、アウレシア達の他は、エギルディウス、ソルファレス、ウルファンナ、そして、皇子の身代わりをつとめている護衛しか知らないのだ。他の者達は、皇子は宰相とともに馬車にずっと籠っていると思っている。
護衛の者は隊長のソルファレスを含め、東の大陸の出身者に多い金髪の者がほとんどだ。しかも、全員が髪をのばし、後ろで三つ編みにしている。
だから、皇子が護衛の格好をして歩いていても、遠目には仲間だとしか思わない。
二人は森の中へと入り、道を外れてひらけた場所へと着いた。
「じゃ、始めるかい」
「ああ」
すらりと剣を抜く仕草も、慣れたものだった。
呑み込みの早い皇子様の相手をすべく、アウレシアも気持ちを切り替え、剣を抜く。
抜いてしまえば、後はもう戦うだけだ。
二人は互いにそれ以外のことを忘れた。