第4話
4日目の夜も、僕は、彼女の携帯に電話をかけた。
プルルルル・・・
いつものように呼び出し音が鳴る。留守番電話に繋がる前の呼び出し音。
「あぁ、また留守番電話か・・・」
僕は、小さくぼやいた。
と、その時、僕の耳にかすかな音の変化があった。
何回か鳴り続いていた呼び出し音が途切れたのだった。
そして、いつもと違う状況に戸惑う僕の耳に、「もしもし」と低く沈んだ男の声が届いた。
「おとこ? どうして? どうして男が出るんだよ」
咄嗟に、僕は電話を切ってしまっていた。
僕はショックを受けていた。 どうして、彼女の電話に男が出るのか? 何故、彼女が電話に出ないのか? そんな思いが、ずっと頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
頭の中に、先ほどの男の声が、何度も何度も語りかけてくるようだった。もしもし・・・と。
僕は、しばらく、何も考える事が出来なかった。
息をする事さえも忘れたかのような、そんな感じだった。
そして、そんな僕の遠くなった意識を引き戻すかのように携帯が鳴った。携帯の液晶画面には、彼女の名前が表示されていた。
出るべきか、出ないべきか・・・
僕は少し迷った後、勇気を出して通話ボタンを押し、電話を耳にあてた。それから、ゆっくりと、「もしもし」と言った。
「もしもし」
電話の主は、彼女ではなく、先ほどの男からのようだった。それは、先ほどよりもずっと低い声に感じられた。僕の気持ちに追い討ちをかけるかのような、そんな感じの声だった。
「どうして・・・」
僕は心の中でだけそう呟き、相手が話すまで、ずっと黙り込んでいた。
そして、男も黙り込んでいた。
どのくらいの時間がたったのだろうか?
その男は、ゆっくりと話し始めた。
「姉貴の・・・ 姉貴の知り合いですか?」
姉貴? お姉さん?
ん? 何だ? こいつは、彼女の弟なのか?
この時、僕は、自分で、自分の体の力が抜けていく感じがはっきりとわかった。
この電話を取った時から、いや、最初の電話で男が出た時からずっと、僕は、まるで、戦場にでも出たような気がしていた。だから、声の主が、彼女の弟だと知って、僕は本当に安心したのだった。
僕の心が少しずつ穏やかになりかけたその時、電話の向こうの彼女の弟が言った。
「姉貴が事故にあって、意識不明なんです。もう、4日も目を覚まさないんです」
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ・・・
静かな病室で、心電図の音だけが鳴り響く中、僕はかたく目を瞑っていた。そして、両手を顔の前で合わせ、祈っていた。
「お願いだよ。お願いだから、目を覚ましてくれよ。もう一度、俺に笑いかけてくれよ」
僕の合わせた右手と左手の間には、白いシーツから伸びた彼女の右手が挟まれていた。
僕は、その手に、ぎゅっと力をこめた。
けれども、彼女の右手の反応は全くなかった。
彼女の眠るベッドの横の机の上には、薄いグリーンの紙袋が置かれていた。紙袋の口は開けられていて、そして、その袋の口を閉じていたと思われる同系色のグリーンのリボンが、無造作に置かれていた。
「たぶん、あなたにだと思うんです」
電話を受けた翌日、僕は仕事を午前中で終えると、急いで病院へと向かい、そして、彼女の弟は、僕に会うなり、そう言って、そのグリーンの紙袋を僕に渡してきた。
開けてみると、そこには、見るからに手編み風という感じの淡いグレー色のマフラーと、そして、『〜 Valentine's Day 〜 いつまでも一緒にいようね♪』と書かれた1枚のカードが入っていた。
それから、僕は、彼女の弟から、彼女が毎晩徹夜で頑張ってマフラーを編んでいたという事を聞いた。そして、僕は、この数週間、何故、彼女が、毎朝、ギリギリに走ってきていたのかを知ったのだった。
「馬鹿だよ。本当に馬鹿だよ。こんなものの為に、事故に遭うなんて」
僕は悔やまれてならなかった。
あの日、事故に遭った人は、僕の大切な人だったのに、今、僕の目の前で、かたく目を閉じて眠っている彼女だったのに、なのに、僕は、それに全く気がつかなかった事がとても悔しかった。
僕が彼女の眠るベッドの隣に座り、彼女の手を握ってから、1時間、いや、1時間半が経とうとしていた。
病室の西の窓からは、夕日が射し込み始めていた。
「ぁ・・・っぃょ・・・」
僕の耳に、小さな蚊の鳴くような声が届いた。
僕は慌てて顔を上げると、彼女を見た。
彼女は目を開けて、僕を見ていた。そして、どうしたの?と言いたげな瞳で、またもう一度繰り返した。
「あついよぉ。武志の手・・・」
僕は涙が溢れそうになるのを堪えて言った。
「温かい!だろう?」
「温かいじゃなくて、熱いだよぉ。だって熱すぎて、目が覚めちゃったんだもん」
彼女は、自分が4日間も眠り続けていた事など全く知らず、脳天気にそう言った。
「いいんだよ。生きてるって事なんだから」
僕はそう言うと、机の上の紙袋を取って、彼女に見せるようにして言った。
「ありがとう」
彼女は、「初めてで、ほんと大変だったのよ」と言い、ゆっくりと微笑んだ。
僕は、そんな彼女に優しく微笑み返すと、ナースコールで先生を呼び、病院の待合室で待機していた彼女の弟にも、意識が戻った事を伝えた。
しばらくすると、彼女の両親もやってきて、涙を流して、彼女の無事を喜んでいた。
僕はその光景を見て、少しうらやましさを感じながら、病院を後にした。
外はとても寒く、僕は彼女にもらったマフラーを取り出して首に巻いてみた。普段、マフラーをしない僕には、それは、少しちくちくとして嫌な感じがした。けれども、なぜか、僕はマフラーをはずそうという気にはならなかった。
次回でいよいよ最終話です。
本当は14日までに完結したかったんですが、バレンタイン終わっちゃいました。
でも、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。