第2話
それから1週間後。
僕は、いつもの喫煙コーナーで、いつものようにタバコを吸っていた。
「今日こそは、彼女は来るだろうか?」と気にしながら・・・
あの日以来、僕は彼女を見かけていなかった。有給を取って旅行にでも行っているのだろうか? それとも風邪でもひいて仕事を休んでいるのだろうか? 僕は、あらゆる状況を想像して、「今日こそは彼女に会えるだろうか?」と、毎日、思っていた。もしかしたら時間を早めたのかもしれない・・・と思い、電車を1本早くもしてみた。けれども、彼女の姿を見かけることはなかった。
「もう、このまま、会う事もないのかもしれない・・・」
いつからか、僕はそう思いかけていた。
僕はタバコを灰皿に押し付けて、火を消そうとした。
すると、ちょうどその時、見慣れたコートを身に着けた彼女が駅の方へと走ってきた。
「あっ・・・」
僕は心の中で小さく呟くと、心の動揺を隠すかのように、慌ててタバコを灰皿に押し付けた。
けれども、タバコの火を消し終わると、そのタバコの火はまるで僕の心に燃え移ったかのように、僕の心を熱くした。
僕はだんだんと冷静さを失い、そして気が付いた時、彼女の前に飛び出していた。
僕と彼女は、僕の思惑どおり、軽くぶつかった。
「きゃっ」
咄嗟に彼女が叫び、そして、倒れるように座り込んだ。
「うわっ」
僕も、自分から飛び出しておいたくせに、驚いたように叫んでみた。
「ご、ごめんなさいっ!」
彼女はそう言うと、慌てて周りを見回した。
彼女の鞄からは、本や携帯、ポーチ、財布などが飛び出していた。
「こっちこそ、ごめん」
僕はしらじらしくそう言うと、彼女の前にしゃがみ込み、それらを拾い集めて彼女に渡した。
「こっちこそ、ごめんなさい。私が前も見ずに走ってたから」
彼女はそう言うと、僕が渡した物を鞄に放り込み、すくっと立ち上がると、ぺこりと一礼して、駅の中へと消えて行った。
「はぁ」
彼女が駅に消えてゆく姿を確認すると、僕は、ひとつ、小さくため息をついた。
それから、何気なく周りを見回した。
と、その時、僕の目に、小さなペンギンのキーホルダーのついた鍵が目に入った。
僕はそれを拾うと、目の高さまで持ち上げてまじまじと見た。
自転車の鍵? バイクの鍵? どこかのロッカーの鍵?
僕は、その鍵の形状とは、全く合わないだろうありとあらゆる鍵を想像した。
けれども、どこからどう見ても、それは家の鍵にしか見えなかった。
「彼女の家の鍵なのかなぁ? だとしたら困るよなぁ?」
僕は、一瞬、彼女を追いかけようかと思った。けれども、追いかけたところで、もうホームに彼女の姿はないだろうと思ったし、第一、僕は、彼女の乗るはっきりとした電車を知らなかった。
僕は、仕方なく、その鍵をコートのポケットに入れると、「明日にでも渡そう」と決意し、バス停へと歩き出した。
翌日、僕は朝からずっと考えていた。どうやって彼女に鍵を返そうかと。普通に話しかけようか? それとも、また、偶然じゃない偶然を作り出そうか?と。
結局、僕は、ただ単に「すみません・・・」という形でしか話しかける事が出来なかった。
「昨日、僕とぶつかった時、これを落としませんでしたか?」
僕はそう言うと、ペンギンのキーホルダーのついた鍵を、彼女の前に差し出した。
一瞬、彼女の顔が曇った気がした。
「あ、ありがとう」
言葉に詰まりながら、彼女はそう言って、僕の手の平の上の鍵を取ろうとした。けれども、彼女はそれを上手く取る事が出来なくて落としてしまった。
「あっ」
僕達はほぼ同時に小さく呟き、僕はその鍵を取ろうとしゃがみ込んだ。それから、そのまま、下から覗きこむような感じで、彼女に鍵を渡そうとした。
けれども、僕は、そうした事を少し後悔した。
下から彼女を覗き込んだ僕の目には、彼女の涙が映ったのだ。
僕は言葉につまり、そして、彼女は「しまった!」というような顔をした。
そして、彼女は鍵も持たずに、そのまま走って行ってしまった。
後に残された僕の脳裏からは、彼女の涙が離れなかった。
結局、僕は、彼女に鍵を返せないまま、それからまた数日を過ごしていた。僕に涙を見られた事が気まずくて、彼女は僕を避けているのか、それとも、ただ単に会わないだけなのか?
いきなり泣くなんて、きっと何かあったんだと気にはなったけれど、僕にはどうする事も出来ず、いつかまた、彼女と会う日が来る事だけを、ただひたすら待っていた。