第1話
朝、駅のホームや改札は、大勢の人でごった返している。通勤や通学で、様々な人が行き来する。
人ごみの嫌いな僕は、そんな雑踏に、毎朝うんざりする。
僕は、そんな人達に紛れて駅の改札を通り抜けると、いつも、駅の外の喫煙コーナーで、タバコを1本吸う。
僕は、その駅からバスに20分程乗った所にあるの電子機器やコンピュータを扱う会社に勤めているのだが、バスの発車時間までに、そこでタバコを吸う事が、朝の日課のひとつになっていた。
僕がそんな風にバスを待つ数分の間には、いろんな人が僕の目の前を通り過ぎて、駅に入ってゆく。
スーツを着てびしっと決めている人。セーターにジャケット、ジーパンというカジュアルな格好の人。いや、そういう服装の違いだけではなく、少し眠そうな顔をしている人や会社で会議か何かがあるのか、少し張り詰めた顔の人など、本当にいろんな人が僕の目の前を通り過ぎてゆく。
それから・・・
それから、1人の女性と―――。
彼女は、いつも、僕の目の前を走ってゆく。
僕が、その喫煙コーナーでタバコに火を点けた瞬間に、僕の目の前を走ってゆくのだ。
電車の到着時間、ギリギリなのだろうか。いつも、駅のホームを気にしながら走っている。とても早く走り抜ける日もあれば、少しゆっくりと走り抜ける日もあって、僕は、そんな彼女を見ると、「そんなに走るくらいなら、もう少し早く、家を出ればいいのに・・・」と思わずにはいられないのだった。
けれども、それは決して苛立つものではなかった。なぜか、逆に、とてもおかしい事に、妙に微笑ましくなってしまうのだった。
そして、僕は、いつの間にか、そんな彼女の姿を探すようになってしまっていた。
電車が到着すると同時くらいに、僕の前を走り抜ける時などは、彼女が改札を通り抜け、そして階段を駆け上がり、電車に飛び乗る様子を想像せずにはいられなかった。もしかしたら、間に合わなかったかもしれない。そんな風に想像する事もあった。
そして、そういう時、僕は思うのだった。もしも、もしも突然、彼女の目の前に、そう、彼女が走って来るその前に、僕が飛び出したのなら・・・と。
彼女とぶつかり、そして、彼女が電車に乗り遅れる姿を、いけないと思いながらも想像せずにはいられなかった。
そして、たまに、僕は、本当にそうしたいという衝動にかられるのだった。
そんな日々が数ヶ月続いたある日のことだった。
その日も、僕は、いつもの喫煙コーナーで、いつものようにタバコに火を点け、彼女がやってくる方を見つめながら、タバコを吸っていた。
やがて、しばらくすると、彼女の姿が見えた。
けれども、その日、彼女は走っては来なかった。
時間もいつもどおり、いや、ほんの1分ほどだけれども遅いくらいだった。
けれども、彼女は、ゆっくりとのんびりと歩いて来た。
僕は自分の事のように時間を気にし、そして腕時計を見た。やはり、ほんの数分だけれどもいつもより遅い。
僕はちらりとホームの方を振り返った。
彼女が乗るであろう電車が到着して、人が一斉に降りてきた。けれども、彼女は、そんなホームの様子すら目に入らないという感じで、ホームを気にもしなければ、走ろうともしなかった。
あまりにも、いつもと違うその光景に僕は戸惑い、そして、その日のその様子は、僕の心に強く根づいてしまったのだった。