母上様は乙女ゲームの断罪を強制的にキャンセルさせた
上品なシャンデリアの光が贅沢に彩られた王宮の広間を照らし出している中央で、マイアの可愛い娘であるルルシアが冷ややかな視線を浴びせられていた。
「ルルシア・リバプール公爵令嬢。君のような傲慢な女性に、王太子妃の座はふさわしくない。今この場で婚約を破棄させてもらう」
王子ワークスがあざ笑うような響きを含んだ声でおっしゃっている傍らには、いかにもか弱いといった風情でハンカチを目元にあてた子爵令嬢が寄り添っていた。
──あらあら。
脳裏に幾度となく読んだ小説の記憶が、波のように鮮明に蘇ってきた。ここは、愛する娘が悪役令嬢として断罪され、不条理な破滅を迎えるはずの乙女ゲームの世界ではないか。目をぱちぱちとさせる。
「失礼いたします殿下」
優雅にドレスの裾をひるがえし、一歩一歩、品よく。揺るぎない足取りで社交場の中心へと歩み出る。周囲のざわめきがすーっと引いていく。権力者を理解しているようで何よりだ。
「母上……?」
不安げに振り返るルルシアの肩に手を置き、優しく微笑んでから王子の方へ向き直る。まだ強気な態度らしく、こちらを見る目は強い。
「お言葉ですが、我が娘をそのように悪しざまに言うのは少し早計ではありません?」
「なんだ公爵夫人。引っ込んでいなさい。我が国と愚かなお前の娘の未来にかかわる重大な決定だぞ」
ワークス様は不機嫌そうに眉をひそめた。こちらはふふっと静かに笑い、懐から上品な装飾が施された魔導記録水晶を優しく取り出す。これを見て、まだ余裕を保てるのか見物だ。
「愚かとはなんと恐れ多いお言葉。ですが、本当に愚かなのはどちらでしょうか」
「……なんだ、それ、は」
こてんと首を傾げた。
「お忘れ?殿下が数日前に、取り巻きの方々とどうやってリバプール公爵家を陥れようかと楽しそうにお話ししていたお声と姿を、こうして綺麗に収めさせていただいたのですけれどもねえ」
水晶に魔力を込めると空間に淡い光が広がり、高音質な映像と音声が広間に映し出される。王位を利用して無実の罪を捏造しようと企むワークスの、何とも見苦しい姿がバッチリと映し出されていた。
会場は氷点下に冷え切ったかのように静まり返る。先ほどまで余裕の表情だった王子の顔が、みるみるうちに真っ青に染まっていく。
「な、なっ!?そ、それは……あ!あり得ない!捏造だ!誰か、夫人を引っ立てろ……!」
「お静かに。見苦しい声をあげなくてもよろしくてよ?恥ずかしい」
母親は目を細め、有無を言わせぬ圧を持った声で囁く。
「証拠はすべて王宮の法務局と、あいにく私の手元の水晶にしっかりと残っております。身の程をわきまえず人の善意を踏みにじった代償は、たっぷりとお支払いいただきます……辺境の厳しい寒さは頭を冷やすのにちょうどいいかもしれませんね?」
「なっ……そん、な!」
我が夫であるリバプール公爵が怒りをたたえた足取りで、近づいてきた。
「愛妻と愛娘を愚弄した罪、決して軽くはありませんよ殿下」
「う、あ、ひっ!」
夫の纏う凄まじい気配に、ワークスはついに耐えきれなくなり、その場に崩れ落ちるようにへたり込む。くだらない茶番だった。本当に。
「お疲れ様ルルシア。もう怖いことは何もありませんから」
ルルシアを優しく抱きしめ、ふんわりと微笑む。娘から漂う香りは悲しみと安堵と少しの哀愁。
「こんな息の詰まる場所は早くお暇して、家で美味しいお茶と焼き菓子をいただきましょう」
「は、はいっ」
会場を出て真っ直ぐ馬車がリバプール公爵邸の重厚な門をくぐり、静かに庭園へと滑り込んだ。車内ではルルシアがまだ少し緊張の色を浮かべたまま、母のドレスの裾をギュッと握りしめている。
「母上……あんな風に王太子殿下に直接お声を荒げるなんて、私 本当に驚いてしまって……父上も、あんなに怖いお顔をなさるなんて……二人が周りから怖がられてしまわないかと」
「ルルシア。大切な娘が不当な濡れ衣を着せられようとしているのですもの。母親が黙っているわけにはまいりません」
小さな手を包み込み、クスッと笑う。
「でも、本当に大丈夫なのでしょうか……私、これからどうなってしまうのか……不安です」
「心配いりません。あの程度の稚拙な陰謀、大人の本気を見せつければ一網打尽です。それに」
馬車が完全に停止し、夫が外から優しく扉を開けてくれた。
「よくやったなマイア。鮮やかな手並みには何度惚れ直したことか」
「ふふ。ありがとうございますあなた。でも、ここからが本当の始まりですわ」
サロンへと移動し、温かい紅茶と焼きたてのマカロンを囲む。すっかり落ち着いたルルシアに優しくカップを差し出した。
「晩餐をしましょうね。あなたが愚者から離れられたお祝いに」
数日後には結果が出ていた。
「ルルシア。あの後、王宮ではどうなったか気になりませんこと?」
「……はい。ワークス様はどうなってしまうのでしょう」
「あの方の企てた証拠は法務局と宰相閣下の手にしっかりと渡りました。さらに、今回の件には例の子爵家も深く関わっていますから。王家としても、これ以上醜聞を広げるわけにはいかないでしょ」
紅茶を一口含み、続けた。
「おそらくワークス様は王位継承権の剥奪。頭を冷やすために帝国との国境近くにある氷見の要塞への無期限の謹慎、あるいは辺境の開拓地送りが妥当なところです」
「えっ……!辺境の開拓地ですか……?」
「ええ。傲慢な方が自分の手で泥まみれになって働いたら、数日で泣き言を言うでしょうけれど。自業自得というもの」
ルルシアは少し複雑そうな顔をしたが、やがてふっと肩の力を抜いて小さく息をつく。
「……私、実を言うとワークス様のことは、そこまで好きではなかったんです。国のしきたりだからと諦めていて」
「よく言ってくれました。息の詰まる婚約など、こちらからお断りして正解です。これからはあなたが本当に心から笑顔になれる素敵な方とゆっくりご縁を探せばいいのですよ」
「母上」
ルルシアが嬉しそうに、少し恥ずかしそうに頬を赤らめた数日後。王宮からは正式にワークス王子の廃嫡と辺境への謹慎、リバプール公爵家に対する全面的な謝罪と慰謝料の支払いが通達された。もちろん、例の子爵家も没落の一途を辿ることに。
我が家には王宮からの謝罪の品や、事情を聞いた国内外の貴族たちからのお茶会へのお誘いという名のラブレターが山のように届くようになった。
「ふう、忙しくなりますねあなた」
「ああ。だが、ルルシアの笑顔が戻ったのが何よりの報酬だ」
庭園のテラスで色とりどりの花々を眺めながら優雅に紅茶を傾げた。穏やかで優雅なティーライフは今日も平和に過ぎていく。
*
灰色に染まった空から、冷たい雪まじりの泥雨が容赦なく降り注ぐ。王国の第一王子として、絹のドレスや宝石の輝きに囲まれていたワークスの姿はそこには微塵もない。着古した粗末な麻の労働着は泥まみれになり、手袋をしていなかった両手は荒れた土と無数の切り傷で赤く腫れ上がっている。
「おい新入り!ぼさっと突っ立ってんじゃねぇ!岩を向こうまで運べ!」
ガチガチと歯を鳴らすワークスの背中に、開拓地の頑強な現場監督の怒声が容赦なく浴びせられた。
「は、はい……いま、行きます……」
掠れたか細い声しか出ない。あれほど誇らしげだった黄金色の髪はすっかり艶を失い、伸び放題の無精髭が無残な顔を覆っている。喉が渇き、空腹で胃が痛む。
昨日まで高級な銀食器で食べていた極上の肉料理が、今や冷えた黒パンと泥臭いスープに変わっていた。
──どうしてこうなった。
ワークスは重い巨石を抱え上げながら、幾度目かの絶望に歯噛みした。すべてはリバプール公爵夫人のせいだ。あの時、調子に乗って公開処刑のつもりでルルシアとの婚約を破棄しなければ、こんな辺境の凍てつく泥沼に放り出されることもなかった。
「くそぉ、格下の母親風情が私の人生を!」
「おい!独り言言ってんじゃねぇ!怠けてる暇があったら手を動かせ!甘ったれた根性を直すまで王都には一歩も帰れねぇからな」
監督が手に持った鞭を地面に叩きつけると、ワークスはビクリと肩を震わせ、慌てて巨石を抱えてよろめきながら歩き出した。王宮からはすべての特権が剥奪され。
廃嫡の上、名誉ある極寒の開拓地での労働奉仕という名の無期限流刑が言い渡された。美辞麗句を並べて自分にすり寄っていた子爵令嬢は王子の失脚が決まった瞬間、見事に手のひらを返して別の貴族に乗り換えたが。
今頃どこかで何食わぬ顔で暮らしているという。自分を愛していると言った人間など、最初から一人もいなかったのだ。
足元が泥に滑り、ワークスはバランスを崩して盛大に転ぶ。抱えていた巨石が足の上に落ち、鈍い痛みが走る。あまりの惨めさに冷たい雨粒に混じって、熱い涙が頬を伝って泥のなかに溶けた。
「助けて……誰か、誰か私を王都へ連れ戻してくれ……ああ!」
どれだけ叫ぼうとも荒涼とした辺境の原野に響くのは、冷たい風の音と自分の情けないすすり泣きだけ。
一方、王都のリバプール公爵邸では暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てる温かなサロンで、愛娘のルルシアと一緒に焼きたての特製アップルパイと香り高いミルクティーを楽しんでいた。
「母上、アップルパイすごく美味しいですわ」
「でしょう?りんごをたっぷりはちみつで煮詰めてみたのよ。もっとお食べなさい」
窓の外には相変わらず平和で美しい庭園の景色が広がっている。世間の噂によれば、どこかの遠い辺境で元王子が泥まみれになって泣きながら石を運んでいるとかいないとか。
まあ、他人の不始末に構っている暇があったら、目の前のかわいい娘のティータイムを彩ることのほうがよっぽど大事で有意義というものである。
最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。母親のターンで全滅した話でした




