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寿綾乃という女 第2部  作者: トモサン


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寿綾乃という女 第2部 80

「…冬馬さん…一体、なにを?…」


 私は、冬馬に抱きすくめられたまま、文句を言った

…


 これは、誰だって、そうだろう…


 好きでもない男に、いきなり、抱きすくめられたら、文句の一つも、言いたくなる…


 しかも、


 しかも、だ…

 

 「…寿綾乃…アンタを伸明さんから、奪ってみせる…」


 と、伸明の名前まで、出された…


 つまり、伸明に対抗する意味で、私を抱きすくめた…


 そういうことだろう…


 別の見方をすれば、私が、伸明と交際していなければ、こんなことを、しなかったということだ…


 だから、私は、今、冬馬に抱き締められながら、


 「…冬馬さん…」


 と、声をかけた…


 「…なんですか?…」


 冬馬は、私を抱き締めながら、呟いた…


 「…失礼じゃ、ありませんか?…」


 「…失礼?…」


 「…そうです…冬馬さんの今の言い方では、まるで、私が、伸明さんの所有物のようじゃ…」


 私の言葉に、私を抱き締めた冬馬のカラダが、固まったというか…


 明らかに、動きが止まった…


 「…私は、伸明さんの所有物じゃ、ありません…」


 私は、強く、言った…


 「…誰かの所有物じゃ、ありません…」


 「…」


 「…私は、私です…誰のものでも、ありません…」


 さらに、強く、言い切った…


 すると、すぐに、冬馬が、私を抱き締めた腕を離した…


 私から、後ずさりして、距離を置いた…


 それから、私のカラダを、頭の上から、足の先まで、ぶしつけに見た…


 まるで、検査するように、無礼なまでに、ジロジロと、見た…


 それから、


 「…寿綾乃…」


 と、私の名前を呼んだ…


 「…いや、矢代綾子…」


 いきなり、私の本名を呼んだ…


 「…五井記念病院に運ばれてきた時、アンタは、虫の息だった…」


 冬馬が、突然、言った…


 「…だが、周囲の尽力もあり、奇跡的に、回復した…」


 一体、なにが、言いたいのだろう…


 私は、思った…


 いきなり、私が、五井記念病院に、運ばれてきたときの話を始めたから、驚いたが、この菊池冬馬は、当時、五井記念病院の理事長だった…


 だから、私が、五井記念病院に運ばれてきたときのことを、知っていて、おかしくはない…


 しかし、今、いきなり、私が、五井記念病院に、救急車で、運ばれてきたときのことを、語るとは、思わなかった…


 あまりにも、突然というか…


 一体、どうして、そんなことを、言い出すのだろう?


 疑問だった…


 が、


 聞かなかった…


 あえて、なにも、言わなかった…


 なにも、言わずとも、待っていれば、この冬馬が、わけを話し出す…


 そう、思っていたからだ…


 「…菊池リン…彼女からの連絡があったから、慌てて、オレは、アンタのために、手術の用意をした…」


 「…」


 「…オレは、運ばれて来た、アンタを一目見て、手遅れだと思った…」


 「…」


 「…カラダ中から、出血があるとか、そんなことは、なかったが、すでに、意識がなく、なにより、顔に死相が出ていた…」


 「…」


 「…これまで、いろんな患者を診てきたが、顔に死相が出て、生き返ったのは、ごくわずか…数えるほどだ…」


 「…」


 「…あくまで、結果論だが、あのとき、アンタは、癌が原因で、死相が出ていた…事故が原因じゃ、なかった…」


 「…」


 「…だから、事故の後遺症もなかった…長谷川が言うには、たまたま、運が良かったに過ぎない…」


 「…」


 「…五井の…この国の最先端の医療技術で、アンタは、なんとか、生き返った…少しは、それに、感謝してもらいたいな…」


 冬馬が言って、笑った…


 私は、黙って、そんな冬馬を見た…


 だが、


 問題は、そこではない…


 冬馬ではない…


 一体、なぜ、冬馬が、突然、そんなことを、言い出したか、否か、だ…


 まさか…


 まさか…


 私は、考え込んだ…


 考えたくないことだが、ひょっとして、この冬馬は…


 と、


 そこまで、考えて、考えることを止めた…


 いくら、考えても、答えが出ないからだ…


 「…伸明さんは、アンタを利用した…」


 「…」


 「…アンタと結婚するフリをして、それに反発する一族を粛清しようとした…その最たる標的が、菊池重方(しげかた)だった…」


 「…」


 「…重方(しげかた)は、バカではないが、軽いというか、思慮が足りないところがある…米倉平造に、うまく、五井情報を売り渡して、そのお礼に、キックバックした金を、受け取って、自分の派閥を作ろうとした…いかにも、わかりやす過ぎる…」


 「…」


 「…アンタも同じだ…」


 …同じ?…


 …どういうことだろう?…


 「…ユリコ…藤原ユリコ…アンタの同居人、藤原ナオキの妻だった女だ…」


 「…ユリコさんが、どうかしたんですか?…」


 「…伸明さんが、今、アンタとの結婚を隠れ蓑にして、五井家の中で、自分の当主としての地位を確立しようとして、あくせくしている最中に、五井の株を買い漁っているよ…」


 「…五井の株を買い漁っている?…」


 思いもよらない言葉だった…


 いや、


 そもそも、私は、ユリコの存在すら、忘れていた…


 ユリコは、言うまでもなく、ジュン君の母親…


 そのジュン君は、私をクルマで、轢いて、その罪で、今、拘置所の中…


 ユリコは、ずっと、私を目の敵にしていた…


 それは、私が、ユリコから、ナオキを奪ったから…


 私としては、その気はなかったが、結果的に、私は、ユリコから、ナオキを奪った…


 それは、確かだ…


 だから、ユリコが、私を恨むのは、わかる…


 ジュン君が、私をクルマで、轢いた事故…


 あの事故は、まさに、私にとって、僥倖(ぎょうこう)だった…


 なぜなら、あの事故を境に一転して、ユリコは、私に敵対しなくなった…


 私を目の敵にするのを、止めた…


 理由は、ただ一つ…


 ジュン君の減刑…


 被害者である、私が、裁判で、一言、


 「…宥恕(ゆうじょ)する…」


 と、言ってもらいたかったからだ…


 宥恕(ゆうじょ)=許すと言ってもらいたかったからだ…


 被害者のその一言があれば、ジュン君の刑が、減刑される可能性が高い…


 それを、狙って、ユリコは、私に敵対するのは、止めた…


 宥恕(ゆうじょ)というのは、許すの裁判用語…


 一般に、馴染みがある言葉ではない…


 だから、私を目の敵にするのは、止めた…


 だが、それは、私にとっては、まさに、僥倖(ぎょうこう)…


 僥倖(ぎょうこう)=思いがけない幸運だった…


 まさに、災い転じて、福となす結果だった…


 ユリコは、それを狙って、何度も、私が入院中の五井記念病院にやって来た…


 私が、ジュン君を一言、


 「…宥恕(ゆうじょ)する…」

 

 と、言ってもらいたかったからだ…


 しかしながら、あのユリコのことだ…


 転んでも、ただでは、起きない…


 五井記念病院に出入りする過程で、五井の内情を掴んだのかもしれなかった…


 内情を掴んで、金になると、思ったのだろう…


 そう、考えれば、極めて、わかりやすい…


 まさに、ユリコの本領発揮だった(笑)…


 なにより、以前、ユリコは、投資ファンドの代表だった…


 株の売買には、慣れている…


 っていうか、株の売買が、ユリコの仕事だった(笑)…


 抜け目ないというか…


 実に、したたかな女…


 私は、それを、思うと、ため息をついた…


 「…それで、ユリコさんは、一体?…」


 「…五井に揺さぶりをかけてきた…」


 「…揺さぶり?…」


 「…あのユリコという女は、投資ファンドの代表だったんだろ?…」


 「…」


 「…あの女の経歴は、確かめた…五井の株を買い集めて、会社の経営権を、握るべく、五井に乗り込んでくる気はないだろう…」


 「…」


 「…だが、集めた株にモノを言わせて、色々と、五井を揺さぶることはできる…」


 「…」


 「…例えば…」


 「…例えば、なんですか?…」


 「…五井の再編…」


 「…再編?…」


 「…五井は連合体だ…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…五井は、本家と東西南北の分家とその下の8家の十三家で、成り立っている…それゆえ、五井十三家と、世間で、言われている…」


 「…」


 「…でも、内実は、バラバラなところがある…五井情報、五井金属、五井造船など、世間に知られた五井の会社は、皆、本家の直轄ではない…」


 「…どういうことですか?…」


 「…東西南北、それぞれの分家が、筆頭株主だ…」


 「…」


 「…要するに、明治時代に、日本が近代化したときに、五井のそれぞれの分家が、それぞれの力で、金属やら、造船、鉱山など、事業を拡げた…そして、そのまま、その会社の筆頭株主になった…」


 冬馬の言葉で、思い出した…


 たしか、以前、それと同じ内容の話を聞いたことがある…


 五井は連合体…


 五井本家は、東西南北の分家よりも上にあるが、それとは、別に、それぞれ、独自の会社を持っている…


 つまりは、五井の本家、分家各自で、会社を保有しているということだ…


 通常は、誰もが、五井家で、すべての会社の株を管理していると思うが、さにあらず…


 おそらくは、各分家に金でも与えて、やりたいように、やらせたのだろう…


 ヤクザではないが、その方が、力が出る…


 各分家が、それぞれの力で、この先有望と、思われる分野に、投資する…


 それが、鉱山だったり、海運だったり、金属だったりする…


 そして、それぞれの会社は、各分家に、所属する…


 例えば、五井鉱山の筆頭株主は、五井家だが、内実は、五井西家とか…


 五井では、あるが、五井本家ではない…


 各分家の所属というか…


 所有…


 この場合、五井本家は、あくまで、サポート役というか…


 本家は、分家に金を貸して、分家は、本家の力というよりも、各分家の力で、会社を興した…


 そして、その会社は、各分家の所有…


 つまり、各分家のモノ…


 五井家のモノではない…


 ちょうど、ヤクザの二次団体、三次団体が、抗争で、他のヤクザの団体と戦って、領土を広げるようなもの…


 戦って、広げた領土は、自分のモノになる…


 だから、当然、やる気も出る…


 いくら、頑張っても、報酬が、少なければ、誰もが、やる気が出ない…


 そういうことだろう…


 が、


 その代わり、どうしても、欠点が出る…


 それは、いわゆる、団結心だ…


 五井が、一体となって、勝ち取った領土ではない…


 あくまで、分家の所有…


 だから、五井が、一致団結しにくい…


 それが、五井の弱点だった…


 五井は、あくまで、連合体…


 本家は、各分家よりも、上だが、各分家は、それぞれ、独自に子会社を経営しているということだ…


 これは、たしか、以前、諏訪野マミか、誰かに聞いた…


 それを思い出した…


 「…藤原ユリコ…あの女は、その弱点を突いた…」


 「…どういうことですか?…」


 「…五井は連合体…五井傘下の企業は、五井家所属の企業もあれば、各分家の所有の企業もあり、内実は、バラバラだ…」


 「…」


 「…だから、それを突いた…」


 「…」


 「…具体的には、五井情報が、米倉平造に、格安で、売却された、その裏で、あのユリコという女が、五井造船の株を買い漁っていた…」


 「…五井造船の株?…」


 「…今、日本は、造船が、不況だ…昔の勢いはない…以前は、韓国が世界一だったが、今は、中国…」


 「…中国?…」


 「…あのユリコという女は、いくつかの名義で、五井造船の株を買い漁った…米倉平造が、五井に揺さぶりをかけている最中だったから、こちらも、気付かなかった…」


 さもありなん…


 いかにも、ユリコらしい…


 思わず、苦笑した…


 「…だが、五井造船の株の大半を買い占めると、一転、株の名義人を変えた…一つに、統一したんだ…それで、わかった…」


 「…」


 「…あの女は、五井造船にTОBを仕掛けてくるかと思ったが、違った…」


 「…違った?…」


 「…揺さぶりというか、脅しをかけてきた…」


 「…脅し? …どういうことですか?…」


 「…五井に、五井造船の株を今の株価の3倍で、買い取れと…」


 「…3倍…」


 「…そして、それができなければ、中国の企業に株式を売ると、言ったんだ…」


 「…中国に?…」


 「…さっきも、言ったが、今は、造船世界一は、中国だ…その中国に、五井造船の株を売るとなると、当然、大騒ぎになる…日本政府もまた絡んでくるだろう…」


 「…」


 「…もはや、ことは、五井家だけの問題では、なくなってくる…」


 「…」


 「…それを、見越して、あのユリコという女は、仕掛けてきたんだ…実に、したたかな女だ…」


 「…一体、どうするつもりですか?…」


 「…わからない…」


 冬馬が、首を横に振った…


 「…政府にどうするか、聞けば、3倍の値段でも、買い取れと、言うだろう…まさか、日本中誰もが知っている五井造船を中国に売るわけには、いかないからな…」


 冬馬が、説明する…


 私も冬馬の意見に賛成だった…


 「…かといって、政府は、口は出すけれども、金は出さないだろう…」


 冬馬が、苦笑した…


 「…いわば、口先き番長だ…口は出すが、金は出さない…」


 冬馬の言葉に、思わず、私も失笑した…


 「…だから、困った…実に困った…」


 私は、冬馬の言葉を聞きながら、一体、なぜ、冬馬は、私をここへ、誘ったのか、考えていた…


 当たり前だが、私をここへ、誘った理由があるに違いないからだ…


 「…一体、なぜ、冬馬さんは、ここへ、私を?…」


 言いながら、ふと、気付いた…


 今、冬馬は、ずっと、ユリコの話をしている…


 ナオキの妻だった、ユリコの話をしている…


 ということは、どうだ?


 当たり前だが、この冬馬は、ユリコのことは、調べている…


 いや、


 調べ尽くしているに違いない…


 ということは、どうだ?


 当然、ジュン君のことも知っているに違いない…


 私が、ジュン君の運転するクルマに轢かれて、五井記念病院に入院したことを、知っているに違いない…


 そして、ジュン君が、ユリコの息子であること…


 そのユリコが、ジュン君のせいで、私に頭が上がらなくなっていることも、知っているに違いない…


 だとすれば、どうだ?


 これから、この冬馬が、私に話すことは、どうだ?


 ひょっとしたら?


 ひょっとしたら、この私に、ユリコを説得させようようとしているのではないか?


 いわば、ユリコの弱みを握る、私に、ユリコを説得させたいのではないか?


 そう、思った…


 それならば、私を、ここへ誘った理由が、納得できる…


 が、


 だとすれば、どうだ?


 ここに、私を呼び出したのは、冬馬の一存だろうか?


 この目の前の菊池冬馬の一存だろうか?


 それとも…


 それとも、他に誰か、いるのだろうか?


 誰か、いるとすれば、それは、一体?


 私は、考えた…


 思い浮かぶのは、五井家の面々…


 諏訪野伸明…


 諏訪野マミ…


 諏訪野昭子…


 諏訪野和子…


 菊池リン…


 菊池冬馬…


 菊池重方(しげかた)…


 佐藤ナナ…


 だ…


 それとも、もしや、五井家以外の人間…


 大場小太郎とか…


 米倉平造とか…


 高雄組組長とか…


 私の頭の中を様々な名前が、浮かんでは、消えた…




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