寿綾乃という女 第2部 46
…五井の混乱の張本人?…
どうして、私が、五井の混乱の張本人なの?
聞かずには、いわれなかった…
五井一族でも、なんでもない、私が、どうして、五井一族を混乱させることができるのか?
聞いてみたくなった…
だから、
「…菊池さん…どうして、私が、五井の混乱の張本人なの?…」
と、聞いた…
「…佐藤ナナ…」
即答した…
これは、意外だった…
ここで、佐藤ナナの名前が出るとは、思わなかった…
「…佐藤さんが、どうしたの?…」
「…彼女が、五井南家出身であることは、知ってますね?…」
「…ええ…知ってるわ…」
「…彼女の出現で、五井の力関係が崩れました…」
「…どういうこと?…」
「…五井南家…あの分家が、五井東家に代わって、五井本家を、仕切ろうとしているんです…」
「…本家を仕切る?…」
「…一体、どういう?…」
「…五井南家は、今の五井の分裂騒動で、キャスティングボードを握ろうとしています…五井南家が、本家につくのか、それとも、他の分家といっしょになって、本家に歯向かうのか、そのキャスティングボードを握ってます…」
私は、菊池リンの言う意味を理解した…
たしかに、五井家は、五井保存会の株を握ることで、五井の会社を支配している…
そして、その五井保存会の株は、本家が、30%、東西南北の分家が、それぞれ10%、残りの30%を、他の8家の分家で分けていると、言った…
だから、今、本家と東家が、40%を、握り、一族を支配している…
が、残りの分家が、束になれば、60%で、勝ち目がない…
だから、南家を味方につければ、本家側が、50%になり、互角になる…
そうなれば、他の分家が、束になって、本家に歯向かうとは、限らないので、事実上、勝負は、決する…
だから、南家の去就が大事…
本家につくのか?
反本家なのか?
わからないからだ…
ただ、いずれにつくかで、大勢が決するので、キャスティングボードを握ることができる…
だが、その南家と、私が、なんの関係があるのだろうか?
「…菊池さん…どうして、私が、ゴタゴタの張本人なの?…」
と、再び、聞いた…
「…それは、綾乃さん…アナタが、伸明さんを、惑わせるからです…」
「…惑わせる? …それは、どういう?…」
「…綾乃さん…まだ、わからないんですか?…」
菊池リンが、スマホの向こうから、じれったそうに、言った…
「…伸明さんは、アナタに会わなければ、惑うことも、なにもなかったんです…」
「…なに、それ?…」
「…伸明さんは、綾乃さんに、会ったから、変わったんです…」
「…私に会ったから、変わった?…」
「…そうです…」
意味がわからなかった…
一体、私に会ったことで、諏訪野伸明のなにが、変わったのだろう?
「…菊池さん…伸明さんが、変わったって?…」
「…伸明さんは、本来、五井家を第一に考えるひとでした…」
「…」
「…でも、綾乃さんに、会って、変わった…」
「…変わった? …なにが?…」
「…伸明さんは、自分の幸せを考えるようになった…」
「…自分の幸せ?…」
「…本来、伸明さんは、五井家を第一に考えてました…だから、以前、私との結婚が、話題になったとき、私は、伸明さんと、結婚するのは、歳が離れすぎているから、不本意でしたけど、伸明さんは、真剣に考えざるを得なかった…」
「…」
「…でも、歳が離れすぎてるから、伸明さんも躊躇うものが、あった…そして、その根底には、私の幸せがあった…」
「…菊池さんの幸せ?…」
「…歳が離れすぎてるから、自分と、結婚しても、うまくいかないんじゃないか? とか、私には、もっと、歳の近い、男と結婚すれば、幸せになれるんじゃいか? とか、私の幸せを考えてくれた…」
「…」
「…でも、今の伸明さんは、違う…明らかに、迷っている…」
「…迷ってる?…」
「…自分の幸せと、五井の未来をはかりにかけてる…」
「…どうして、わかるの?…」
「…自分の結婚相手を決めれない…」
「…それは、どういう?…」
「…以前の伸明さんなら、私でも、五井南家の佐藤ナナでも、どっちを選べと、言われれば、どっちかを選んだ…それが、今は、迷っている…」
「…」
「…その選択肢に、綾乃さんが、入っている…」
「…私が?…」
仰天の言葉だった…
思いもしない言葉だった…
でも、それは、本当だろうか?
考えた…
ブラフ=ハッタリではないのだろうか?
考えた…
と、同時に気付いた…
以前、伸明の母、昭子は、伸明の結婚相手として、この菊池リンではなく、私、寿綾乃を推した…
あれは、やはり、ウソだったのだろうか?
私を騙したのだろうか?
思った…
が、
そんなことを、考えてる間にも、菊池リンは、しゃべり続けた…
「…伸明さんは、そんなひとじゃなかった…」
スマホ越しに、菊池リンが、泣いている声がした…
菊池リンは、伸明が、変節したことが、悔しいのだろう…
その悔しさが、涙になって、現れた…
と、同時に、気付いた…
以前、会ったとき、菊池リンは、諏訪野伸明を認めてなかった…
伸明は、前当主、建造の実子ではない…
だから、菊池リンは、諏訪野伸明を認めてなかった…
それが、一転、今回は、諏訪野伸明を認めている…
これは、一体、どういうことだ?
どんな心境の変化があったのだろうか?
考えた…
だから、
「…菊池さん…」
と、声をかけた…
「…なんですか?…」
「…アナタは、この前、会ったとき、伸明さんを、認めてなかったでしょ?…」
「…エッ?…」
「…伸明さんは、前当主の建造さんの血を引いていない…だから、認めないと、言っていた…それが、どういう心境の変化?…」
私の質問に、
「…」
と、絶句した…
答えなかった…
「…それを教えてくれない?…」
つい、いつもの上から目線で聞いた…
これは、失敗だったかもしれない…
が、
すでに、言ってしまった…
口にして、しまった…
が、
予想外に、菊池リンが、
「…状況が変わったんです…」
と、告げた…
「…状況?…」
「…五井南家の背後に、米倉平造の影があるんです…」
「…米倉平造?…」
まさか、ここで、米倉平造の名が出てくるとは、思わなかった…
あまりにも、意外だった…
「…菊池さん…米倉平造は、アナタと、関係があるんじゃ…」
私は、つい、言ってしまった…
あのとき、私に、
「…食えない女…」
と、吐き出すように、言った…
あれは、明らかに、誰かの影響…
そして、その誰かとは、米倉平造か、菊池重方の二人だけだった…
だから、私は、あのとき、わざと、二人の名前を口にして、菊池リンの反応を見た…
すると、菊池リンは、見るからに、動揺した…
あの姿を見て、私は、米倉平造と、菊池重方の、どちらか、あるいは、両方が、菊池リンの背後にいる…
そう、確信した…
が、
今、菊池リンは、五井南家の背後に、米倉平造がいると言った…
これは、一体、どういうことなんだろ?…
「…綾乃さん…米倉平造は、五井家の主だった人間には、皆、接触している…」
菊池リンの発言に、私は、
「…」
と、絶句した…
唖然としたと、言っていい…
「…米倉平造は、私から、五井南家に乗り換えた…そういうこと…」
あっけらかんと、内幕を暴露した…
「…乗り換えた?…」
「…私の背後には、和子おばあさまがいる…だから、意のままに、操ることはできないと、悟った…」
たしかに、菊池リンの言う通り…
この菊池リンは、伸明の母、昭子の一卵性双生児の妹…
なにより、昭子同様、女傑だ…
とてもではないが、誰かのいいなりになる人間ではない…
だから、菊池リンのことは、諦めたのだろう…
本当ならば、菊池リンは、五井東家の人間…
五井東家は、他の西南北家の分家同様、五井の分家では、本家についで、地位が高い…
だから、ハッキリいえば、この4家に狙いを絞るのは、わかる…
そして、菊池リンがダメならば、他の3家に狙いを定めたのだろう…
私は、思った…
と、同時に気付いた…
ということは、どうだ?
あの佐藤ナナの背後に、米倉平造がいるということなのだろうか?
私が考え込んでいると、
「…状況が変わった…」
と、菊池リンが、繰り返した…
私は、その言葉で、気付いた…
これは、すべてに当てはまるのではないか? ということだ…
以前、昭子がやって来たとき、この菊池リンと私を比べて、私を選ぶと、断言した…
あれは、リップサービスでもなんでもなく、本気で言っていると、私は、信じた…
しかし、あの言葉は、あの状況での本気…
つまりは、今と、状況が、違うということだ…
今であれば、昭子はあのような言葉は、口にすまい…
そして、これは、妹の和子もまた同じだろう…
以前、和子は、孫の菊池リンの結婚は、本人の意思に任すと、私に言った…
しかしながら、この状況下では、そうはいくまい…
五井が割れるかもしれない危機に、個人がアレコレ、好きだ、嫌いだ、言ってられない…
そういうことだ…
今、会えば、また違うことを、言うだろう…
そして、それを、きれいごとと言うつもりは、まったくない…
誰もが、そのときに、置かれた状況で、発言が変わるからだ…
それは、仕方がないことだからだ…
子供ではないのだから、状況が変われば、発言が変わっても、仕方がないと思う…
私は、そう思った…
思いながら、今、一番、驚いたのは、諏訪野伸明のことだった…
嬉しいのは、諏訪野伸明が、真剣に、私との結婚を考えていると、言った、菊池リンの言葉だった…
まさか…
まさか、菊池リンの口から、そんなことを、聞くとは、思わなかった…
これは、嬉しいと、同時に、驚きだった…
私の中では、すでに、終わったことになっていた、諏訪野伸明との結婚が、脳裏に、ハッキリと、浮かんだ…
ありえないと、思いながらも、どこか、ボンヤリとした、諏訪野伸明との結婚が、私の中で、復活したのだ…
そんなことを、考えていると、
「…綾乃さん…」
と、菊池リンが、スマホの向こう側から、言った…
「…なに?…」
「…私も、綾乃さんが、嫌いじゃありませんよ…むしろ、好きです…」
一体、どういうつもりで、いきなり、そんなことを言うのだろう?…
怪訝な気持ちだったが、
「…そう…ありがとう…」
と、礼を言った…
「…でも、五井にとっては、迷惑極まりない存在です…」
いきなり、断言した…
「…綾乃さんは、個人的には、好きですが、私にとっては、五井の方が、大事です…五井あっての私です…綾乃さんには、申し訳ないですが、綾乃さんが、いなければ…いえ、綾乃さんと、伸明さんが、出会わなければ、伸明さんは、私か、佐藤ナナさんのどちらかと、結婚しました…いえ、今は、佐藤ナナさんかな…」
菊池リンが、息せき切って言った…
「…今は、五井南家かな…五井南家が、本家側につけば、五井の争いに勝てる…」
菊池リンが、明言する…
だが、それから、一転して、トーンを落として、
「…でも、南家が、本家側につけば、どんな条件を出すか、わからない…」
「…条件?…」
「…今の本家は、事実上、五井東家…そこへ、五井南家が入れば、南家出身の佐藤ナナさんが、伸明さんと結婚するだけでなく、なにかと、注文をつけてくる可能性が高い…」
「…」
「…それでも、今の状況では、南家の佐藤ナナさんと、伸明さんが、結婚するのが、ベスト…丸く収まる…そのためには、綾乃さんが…」
と、そこまで、言って、後は、言葉を飲み込んだ…
要するに、私に、自分から、身を引いて欲しいと、言っているのだ…
これは、あの諏訪野マミと、菊池冬馬が、私に言ったことと、同じだ…
ふと、思った…
ふと、気付いた…
もしかして?
もしかして?
この菊池リンの背後には、あの二人が、いるのではないか?
気付いた…
いや、
二人ではない…
冬馬…
菊池冬馬がいるのではないか?
なにしろ、冬馬は、この菊池リンと、結婚することで、五井家から、追放されるところを、首の皮一枚で、繋がった…
本来、五井東家は、菊池冬馬が継ぐはずだったが、この菊池リンと結婚することで、菊池リンが、五井東家を継ぎ、夫となった、冬馬も、五井家に残れることになった…
ただ、権限はない…
権限は、妻となる、この菊池リン…
それを、思い出した…
つまりは、すでに菊池リンが、冬馬と結婚する以上、伸明と結婚する、五井一族は、佐藤ナナだけ…
彼女だけ…
伸明は、私か、佐藤ナナのどちらかを、選べばいい…
そして、私が辞退すれば、残るは佐藤ナナだけ…
実に、都合がいい…
それに、気付いた…
だから、
「…菊池さん…」
と、声をかけた…
「…なんですか?…」
「…同じことを、諏訪野マミさんと、菊池冬馬さんに、言われたわ…」
「…」
「…二人に頼まれたの? …それとも?…」
私は、わざと言った…
「…米倉平造にでも、頼まれたの?…」
図星だった…
明らかに、驚いた様子で、スマホの、向こう側から、声が聞こえなくなった…
「…どうして、そう思うんですか?…」
少し間を置いて、菊池リンが、聞いた…
「…だって、それは、菊池さん…アナタが言ったでしょ?…」
「…私が?…」
「…米倉平造は、五井家の主だった人間には、皆、接触しているって、言ったでしょ?…それは、つまり、その中に、菊池さん…アナタも入っているってこと?…」
「…」
「…米倉平造が、なにを狙っているかは、知らないけど、おそらく…」
「…おそらく…なんですか?…」
「…冬馬さんの父の重方さんの復権じゃないかな?…」
この仮定の話に、またも、菊池リンは、
「…」
と、答えなかった…
少し間を置いて、
「…どうして、そう思うんですか?…」
と、聞いた…
「…冬馬さん…アナタの夫…冬馬さんは、やはり、追放された父の重方さんが、気がかりでしょ?…」
「…」
「…それが、アナタたち夫婦のアキレス腱…米倉平造は、そこを突いてきた…」
私の言葉に、
「…」
と、菊池リンは、沈黙した…
それから、少し間を置いて、
「…私は、まだ、冬馬さんと、結婚したわけじゃありません…」
と、反論した…
「…でも、その運命と言うか、結婚する予定に変わりはないんでしょ?…」
私の言葉に、またも、
「…」
と、沈黙した…
「…菊池さんは、五井東家の当主になり、冬馬さんは、五井東家の当主の座にはなれなかったけど、五井家を追われることは、なくなった…でも、冬馬さんの父の重方さんは、違う…追放された…」
「…」
「…冬馬さんの立場なら、重方さんを助けたいでしょ?…」
「…」
「…そうでしょ?…」
念を押した…
しばらく、沈黙した…
まるで、電話が切れたように、声が聞こえてこなかった…
そして、ようやく声が聞こえたとき、
「…綾乃さん…甘いです…」
と、菊池リンが、言った…
「…甘い? どういう意味?…」
「…そんなにうまくいきません…米倉平造は、そんなに甘い男じゃないし、昭子さんもそう…和子おばああさまにしても、そんなに甘い未来を夢見ているわけじゃありません…」
今度は、私が、
「…」
と、絶句する場面だった…
「…どっちにしても、事態は、動いてます…綾乃さんを、この先、綾乃さんを巻き込まないためにも、綾乃さんに身を引いてもらうのが、一番だったんですが…」
後は、言わなかった…
ただ、二人とも、黙りこくったままだった…
そして、
「用は済みました…これで、電話は切ります…」
と、言って、菊池リンが、一方的に電話を切った…
私もまた、無言で、スマホを眺めたままだった…
すでに、言葉は尽きた…
なにを言っていいか、わからなかった…
その数日後だった…
五井の主要な関連会社の一つ…
五井情報が、米倉の大日グループ入りをした…
そんな真偽不明な情報が、兜町を発信源に、日本中を駆け巡った…




