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寿綾乃という女 第2部  作者: トモサン


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19/99

寿綾乃という女 第2部 19

…警戒警報、発令中…


 私の頭の中に、そんな気持ちが芽生えた…


 これは、入院以来、初めて…


 初めの経験だった…


 思えば、私もトロくなった…


 それが、偽らざる本音だった…


 寿綾乃の本名は、矢代綾子…


 寿綾乃になりすましているに過ぎない…


 その秘密が白日の下に晒され、直後に、ジュン君の運転するクルマにはねられて、入院した…


 それをきっかけに、緊張感がなくなった…


 緊張感が、消失した…


 もはや、私には、なにも隠すものがない…


 失うものが、なにもない…


 そんな開き直りに似た気持ちが、緊張感を失わせた…


 まるで、仮面をつけて生きてきた人間が、仮面を脱ぐ…


 すると、仮面の下に、どんな素顔が隠されているか、世間のひとは、知りたがっていたと、思っていて、それを晒すことに怯えていたが、いざ晒してみると、たいした反響はなかった…


 それと、似ている…


 だから、脱力感といおうか、ホッとする気持ちが先行して、緊張感が、なくなった…


 なにより、病と事故という、二つの危機が、同時に、私に、到来して、それどころじゃなくなったという気持ちもあった…


 いや、


 それが、すべてだった…


 だが、


 これは、危険…


 危険、極まりない…


 あの勝新太郎が演じた座頭市の最期は、目が見えなかった市が、ある日、目覚めると、目が見えるようになった…


 が、それがきっかけで、戦いの際に、なまじ、目が見えたことで、それまで、目が見えないことで、相手の動きを読んでいたのが、できなくなり、目に頼ることで、敵にあっけなく切られて死んだ…


 それと、似ている…


 矢代綾子が、寿綾乃と名乗っていることを、誰にも知られたことで、誰にも隠すことがなくなり、それゆえ、緊張感がなくなり、周囲のひとの動きが読めなくなった…


 それと同じだ…


 つまり、このまま、進めば、私も座頭市同様惨めな死が待っているということだ…


 遅ればせながら、それに気付いたのが、良かった…


 私は、思った…


 とにかく、緊張するに、限る…


 警戒するに、限る…


 私は、傍らの佐藤ナナを見ながら、考えた…


 私は、佐藤ナナと廊下で、ゆっくりと、リハビリルームに向かって歩いていた…


 これは、ここ数日の毎日の習慣になっていた…


 佐藤ナナに見守られながら、ゆっくりと、病院の廊下を歩く…


 最初のときは、文字通り、病室を出ることもできなかった…


 松葉杖をついても、二、三歩が、せいぜい…


 それでも、自分一人で、立ち上がることができたことに、感動した…


 それからは、毎日が、その延長というか…


 二、三歩が、五、六歩になり、やがて、十歩を超える…


 十歩が二十歩になり、それが、三十歩、四十歩と、増えてゆく…


 そんな感じだった…


 すると、最初はぎこちなかった、足元が、少しずつだが、慣れてきたというか…


 たとえ、五、六歩でも、これ以上、歩けないだけで、歩くコツは、掴めた状態…


 これは、例えば、自転車に乗るコツを覚えたのと、似ているのかもしれない…


 あるいは、スケートでも同じ…


 要するに、コツは、掴めた…


 あとは、ただ歩くだけだ…


 ただ、体力が追い付いていないというか、カラダが、満足に動かない…


 だから、わずか、数歩歩けるだけ…


 ただ、わずか、数歩でも、歩けたことで、コツは、掴めた…


 あとは、日々、進化する=回復する肉体を待てばいい…


 日にちが経つごとに、少しずつだが、肉体が回復して、歩けるようになってきた…


 ただし、まだ松葉杖なしでは、歩けない…


 だが、それでも、歩けないよりも、マシだった…


 ただ、病院のベッドの上で、寝ているときよりも、はるかにマシだった…


 「…寿さん…ゆっくり…焦ってはいけません…」


 私は、佐藤ナナに見守られ、あるいは、ときに、介助されながら、ゆっくりと、病院のリハビリルームに向かう…


 やっと、リハビリルームに通うことができるほど、カラダが回復したということだった…


 たしかに、この調子ならば、長谷川センセイの言う通り、半年以内に、この病院を退院できるかもしれない…


 思わず、そんなことが、脳裏に浮かんだ…


 そんなときだった…


 「…こ…寿さん?…」


 と、驚いた声が、近くでした…


 私は、慌てて、その声の主を見た…


 それは、冬馬…


 菊池冬馬だった…


 白衣を着た、この五井記念病院の理事長、菊池冬馬だった…


 「…こんにちは…」


 私は、とりあえず、言った…


 本当は、お久しぶりです、と、言いかけたが、この菊池冬馬とは、二週間前に、会ったばかりだった…


 意識が回復して、まもなく、病室で、出会ったのだ…


 わずか、二週間前だが、遠いといえば、遠い…


 わずか、二週間前は、ベッドの上で、起き上がることもできなかったのだ…


 それを思えば、隔世の感…


 今、こうして、松葉杖を突きながらも、病院の廊下を歩く、今の自分とは、隔世の感だった…


 「…驚きました…」


 菊池冬馬が、口を開いた…


 「…長谷川から、寿さんが、松葉杖を突きながらだが、歩けるようになったと、聞いていましたが、まだ、この目で見るまでは、ちょっと、信じられなかった…」


 「…」


 「…わずか、二週間で、ここまで、回復するなんて、まさに、驚異的だ…」


 菊池冬馬が、感嘆する…


 「…寿さんは、美しいだけでなく、強いんですね…」


 菊池冬馬が、言った…


 しかし、その言葉の内容とは、裏腹に、目は、挑戦的と言おうか…


 どこか、ケンカを売っている、感じだった…


 要するに、険のある目で、私を見ているのだ…


 いや、文字通り、見下ろしていた…


 長身の菊池冬馬が、160㎝の私、寿綾乃を見下ろしていた…


 いや、


 見下していたというべきか…


 険のある目で、冷ややかに、私を見下していた…


 …一体、なぜ、こんな目で、この菊池冬馬は、私を見るのだろう?…


 と、不思議だった…


 私が、この菊池冬馬になにか、したのなら、まだわかる…


 しかし、私は、この菊池冬馬になにもしていない…


 にもかかわらず、どうして、そんな目で、私を見るのだろう…


 が、


 私の口を突いて出てきた言葉は、


 「…ありがとうございます…」


 と、いう言葉だった…


 ここで、冬馬と言い争っても仕方がない…


 ケンカをしても仕方がない…


 菊池冬馬は、私の挨拶に、


 「…」


 と、なにも、言わなかった…


 いや、


 単に言いたくなかったのかもしれなかった…


 冬馬が、私に好意を持ってないことは、一目で、わかった…


 なにより、好意を持った人間が、私を見下すように、見るはずがなかった…


 まるで、私を劣ったもののように、見ている…


 明らかに下に見ている…


 それは、わかるが、その理由がわからなかった…


 私を下に見る…


 私に敵意を抱く理由が、わからなかった…


 だから、私も、これ以上、


 「…」


 と、なにも、言わなかった…


 これは、冬馬も同じ…


 ただ、互いに、無言で、睨み合った…


 まるで、生涯の宿敵同士が、睨み合ってる感じだった…


 その空気を察した、佐藤ナナが、


 「…行きましょう…」


 と、私の腕を軽く掴んだ…


 「…理事長も、お忙しい身です…ここで、時間を潰すのは…」


 佐藤ナナが、言って、菊池冬馬に軽く頭を下げると、私をリハビリルームに急がせた…


 だから、私も佐藤ナナに従って、菊池冬馬に軽く頭を下げて、その場から去った…


 松葉杖を突きながらだから、びっくりするほど、ゆっくりとだが、少しずつ、菊池冬馬から、遠ざかった…


 菊池冬馬は、当たり前だが、私を追いかけては、来なかった…


 ただ、耳元で、


 「…やだ…理事長、振り返って、こっちを見てますよ…」


 と、佐藤ナナが、私に教えた…


 だから、私は、つい佐藤ナナに、


 「…あの理事長…どうして、あんな目で、私を見ていたんだろ?…」


 と、言ってしまった…


 佐藤ナナが、答えを知るはずがないにも、かかわらず、だ…


 愚痴ではないが、つい、言いたくなった…


 が、


 驚くべきことに、佐藤ナナは、その理由を知っていた…


 「…それは、簡単ですよ…」


 実に、あっけなく、言った…


 「…簡単って?…」


 「…理場長…この病院をクビになるって、噂が、今、この病院内で、飛び交ってるんです…」



 「…クビ?…」


 あまりにも、意外な言葉だった…


 菊池冬馬が、この病院の理事長をクビ?


 「…理事長の父親が、五井家と、うまくいかなくなって、五井家から追放されるという噂が、飛び交ってるんです…そして、父親が、追放されるとなると、息子の理事長も同じく、追放されるんじゃないかと、言われてるんです…」


 驚いた…


 たしかに、あの女傑の昭子が、怒っていたから、そういう展開になるのは、わかる…


 だが、


 こんなにも、早く、そうなるとは、思わなかった…


 いや、


 それだけではない…


 問題は、どうして、あの冬馬が、私を睨むのか?


 それが、問題だった…


 わからなかった…


 「…でも、あの理事長…どうして、私を睨むんだろ?…」


 私の質問に、


 「…エヘヘ…」


 と、佐藤ナナが、笑った…


 「…どういうこと? …なぜ、佐藤さんは、笑うの?…」


 「…寿さんのせいです…」


 「…私のせい?…」


 「…あの理事長、五井家のゴッドマザーを怒らせたんです…」


 「…ゴッドマザー?…」


 「…当主のお母様です…寿さんへの対応で、すっかり、ゴッドマザーを怒らせて、父親同様、五井家を追放されるという噂が、もっぱらです…」


 だからか…


 私は、佐藤ナナの言葉に、納得した…


 「…でも、どうして、佐藤さんが、そんなことを?…」


 「…病院は、女が多い…女は、なんといっても、噂話が好きだから…」


 佐藤ナナが笑った…


 佐藤ナナの言葉は、ひとつひとつ、私を納得させるものだった…


 と、同時に、佐藤ナナの能力に脱帽した…


 まさか、そんなことまで、知ってるとは、思いもよらなかった…


 やはり、この佐藤ナナには、警戒が必要…


 あらためて、私は、思った…



 菊池冬馬が、この五井記念病院から、追い出される?


 しかし、それに、私が関係しているとは、思わなかった…


 私、寿綾乃が関係しているとは、思わなかった…


 あの菊池冬馬が、この病室にやって来たとき、諏訪野伸明の母、昭子を怒らせたのは、たしかだ…


 しかしながら、それが、原因で、菊池冬馬が、この病院を追放されるとしたら、それは、おかしい…


 それではまるで、明智光秀が、本能寺の変を起こした原因が、信長に殴られたから、と言われた、あまりにも、子供じみた旧来の俗説と同じだ…


 そんなバカげた話は、普通ありえない…


 明智光秀は、有能な武将…


 配下に何万もの部下を従えている…


 その全員の面倒を見ることはできないが、配下の有能な部下の面倒を見ることは、光秀の義務だ…


 責務だ…


 彼らを路頭に迷わすわけには、いかない…


 たとえ、信長に殴られようと、それを恨みに思って、謀反を起こすのは、子供のケンカと同じだ…


 自分には、生活の面倒を見なければ、ならない大勢の人間がいる…


 それを考えれば、そんな単純な動機で、謀反を起こすわけがない…


 仮に、信長に殴られたとしても、それは、引き金に過ぎない…


 元々、謀反を起こしたいと思っていたが、大勢の人間の前で、信長に殴られたから、これで、ようやく謀反を起こす決心がついた、というように、だ…


 あくまで、トリガー…


 引き金に過ぎない…


 それと、同じで、もし、あの私の病室に、菊池冬馬が、訪れたとき、諏訪野伸明の母、昭子の機嫌を損ねたとしても、それは、単に、きっかけというか、引き金に過ぎないのでは、ないか?


 なにより、あのときの、昭子と冬馬のやりとりを、見ただけでも、昭子が、冬馬に好意を抱いているようには、見えなかった…


 はっきり言えば、嫌っているというよりも、匙(さじ)を投げた感じだった…


 やんちゃな甥っ子に、手を焼いた感じだった…


 それでも、一族だから、仕方なく接している感じだった…


 これは、私のみならず、あの場に同席すれば、誰もが、同じように、感じたに違いない…


 弟の息子だから、昔から知っている…


 が、


 だからといって、愛情があるわけではない…


 むしろ、その性格に、手を焼いている感じだった…


 なにより、冬馬の、その性格は、冬馬の父、国会議員、菊池重方(しげかた)そっくりと、昭子が、告白した…


 だから、あの場で、冬馬の行動を見て、昭子は、冬馬の父、重方(しげかた)を、思い出しのかもしれない…


 冬馬の行動に、重方(しげかた)を重ねたに違いなかった…


 なにより、重方(しげかた)は、自民党で、大場派に所属するにも、かかわらず、自分の派閥を作ろうとしている…


 菊池派を作ろうとしている…


 その菊池派を立ち上げるために、甥である、諏訪野伸明を、五井家の当主の座から、追い落として、自分が、当主になろうとしている…


 昭子にすれば、いかに自分の弟といえども、自分の息子を、追い落として、代わりに当主になろうなどとは、到底、受け入れられるはずもない…


 許せるはずもなかった…


 だから、どう考えても、菊池冬馬が、この病院を追放されるとしても、私が、関わっているというのは、間違っている…


 私は、思った…


 が、


 冬馬は、そう思ってないかもしれない…


 こう考えたのは、あくまで、私…


 私、寿綾乃の考えに過ぎない…


 当たり前だが、冬馬の受け取り方は、また違うはずだ…


 誰でも、そうだが、自分のことは、客観的に見れない…


 どうしても、甘くなりがちだ…


 傍から見れば、どんなに性格が悪い人間でも、自分のことを、性格を悪いと、思っている人間は、皆無だろう…


 それと同じで、周囲の人間は、菊池冬馬に手を焼いていても、案外、冬馬自身は、なにも感じていない可能性も高い…


 生まれながらの、お金持ちのボンボン…


 お金は、腐るほどある…


 仮に、100歳まで生きて、一生働かずとも、人並みどころか、それを優に超える生活ができるに違いない…


 そんな人間に、


 「…オマエは、性格が悪い…」


 と、言っても、どうこうなるはずもない…


 おそらく、


 「…貧乏人のひがみ…」


 の一言で、終わるに違いない…


 最初から、生まれたステージが、一般人とは、違うのだ…


 それを思えば、私が、間違っているのかもしれない…


たしかに、私は、一目見て、菊池冬馬が、嫌いだったが、それは、私が、菊池冬馬を、私と同等に見ているから…


仮に、私が、江戸時代の農民なら、菊池冬馬は、殿様…


となると、私が、殿様を嫌いだとしても、殿様が、私を嫌いになるだろうか?


普通は、歯牙にもかけないに違いない…


そもそも、私のことを、考えることもないに違いない…


そう考えれば、私が、やはり、間違っているのかもしれない…


私は、一般人…


菊池冬馬は、お金持ちの一族のボンボン…


対等ではない…


だから、菊池冬馬が、私を見下しても、不思議ではない…


そう、思った…


そう、気付いた…


が、


やはり、それでも、菊池冬馬に見下された視線で、見られたのは、いい気分ではなかった…


私と、菊池冬馬は、対等ではない…


同じレベルの人間ではない…


そう自分自身に、言い聞かせても、なお、菊池冬馬に見下されたのは、嫌だった…


心底、気分が悪かった…


そして、その感情が、いつしか、余計にリハビリに、力を入れることになった…


なぜなら、この病院から、早く退院すれば、あの菊池冬馬に会うことはなくなるからだ…


あの菊池冬馬の顔を見ることはなくなるからだ…


そう考えると、一層、リハビリに力が入った…


仮に、私が、諏訪野伸明と結婚すれば、同じ一族だから、やはり、なにかの席で、菊池冬馬と、顔を会わせることがあるかもしれない…


あるいは、諏訪野伸明と結婚するまでもなく、すでに、菊池冬馬は、五井家から、追放されて、二度と会うことはないかもしれない…


いや、


それを思えば、今、私が、こうして、一刻も早く、この病院を退院すべく、リハビリに励む間にも、菊池冬馬は、この病院を追放されるかもしれない…


それを思えば、必要以上に、リハビリに力を入れることもないかもしれなかった…


とにかく、菊池冬馬の顔は、二度と見たくなかった…


私は、その気持ちが強かった…


一言で言えば、虫がすかない男…


それが、私、寿綾乃にとっての、菊池冬馬だった…



そして、数日後、病室に長谷川センセイが、検診に訪れたときだった…


「…寿さん…この前、冬馬に会ったんですって?…」


長谷川センセイが、陽気に、私に聞いた…


「…ハイ…」


私は、短く、ぶっきらぼうに、答えた…


が、長谷川センセイは、そんな私の態度に気付かなかったらしい…


「…冬馬は、驚いてましたよ…」


「…驚いて?…」


「…寿さんが、思ったよりも元気で、驚いていました…」


「…」


「…いえ、ボクも、寿さんが、歩けるようになるのは、わかってましたが、寿さんの回復は、想像以上に速い…」


「…」


「…これは、ボクの想定外です…」


長谷川センセイが、陽気に言う…


私は、長谷川センセイの顔を見ながら、やはり、医者にとって、自分の担当する患者が、容態が良くなるのは、見ていて、嬉しいのだろうと、思った…


なにより、長谷川センセイの表情が、明るいのだ…


そんな長谷川センセイの表情を見て、


「…でも…センセイも残念ですね…」


と、同席した看護師の佐藤ナナが、口を挟んだ…


「…残念?…」


思わず、私も反応した…


「…だって、このままじゃ、寿さん、半年も経たないうちに、この病院を退院しちゃいますよ…」


佐藤ナナが、言う…


「…退院したら、長谷川センセイ、もう二度と、寿さんに会えなくなっちゃうじゃないですか?…」


佐藤ナナの言葉に、長谷川センセイが、


「…それは…」


と、口ごもった…


しかも…


しかも、だ…


長谷川センセイの顔が、赤くなった…


これでは、まるで、私を好きだと、告白しているようなもの…


しかも、まるで、子供…


小学生の男のコが、好きな女のコの前で、他の女のコから、


「…長谷川クンは、寿さんのことを、好きなんだよ…」


と、言われて、顔を真っ赤にしているのと、同じだ…


私は、長谷川センセイの態度が、あまりにも、露骨なので、驚くと、同時に、これでは、男女が、逆じゃないか? とも、思った…


女が、好きな男の前で、顔を赤らめるのは、わかる…


だが、


男が、好きな女の前で、顔を赤らめるのは、どうなんだ?


と、率直に思った…


たしかに、好かれるのは、嬉しいが、これでは、男女が逆…


あべこべではないか?


と、思った…


やはり、男たるもの、もっと颯爽としていなければ、ならない…


好きなら、好きと、はっきりと、自分の口から、言ってもらいたい、とも思った…


が、


さすがに、それを口に出すわけには、いかない…


だから、


「…センセイ…私、思ったよりも、早く退院できるかもしれないですね…」


と、話を変えた…


さすがに、長谷川センセイが、私を好きで、あろうとなかろうと、その話題をするのが、辛かった…


さっさと、話題を変えたかった…


「…たしかに、寿さんの言う通り…」


長谷川センセイも、真っ赤の顔のまま、私の質問に答えた…


長谷川センセイが、私を見据えて、言う…


「…寿さんの言う通り、半年も経たないで、この病院を退院できる見込みが、大きい…」


私は、その言葉に、飛び上がらんばかりだった…


予想された言葉とはいえ、担当医から、その言葉を聞いたのは、嬉しい…


退院のお墨付きをもらったに等しいからだ…


「…ただ…」


長谷川センセイの顔色が曇った…


「…ただ、なんでしょうか?…」


私は、長谷川センセイに言葉を促した…


同時に、


…一体、なにを言い出すんだろう?…


と、不安になった…


「…担当医のボクは、そのつもりでも、ちょっと、難しいかもしれない…」


長谷川センセイが、言いにくそうに、呟く…


「…どういうことですか?…」


私は、訊いた…


「…理事長が、OKを出すか、否か、わからない…」


「…理事長が?…」


私は、思わず、声を荒げた…


「…どうして、理事長が、私の退院を邪魔するような真似を…」


私が、不満を口にすると、


「…簡単ですよ…」


と、いきなり、佐藤ナナが、口を挟んだ…


「…簡単って?…」


「…寿さんは、理事長にとって、人質なんですよ…」


「…人質?…」


「…この病院に入院している限り、理事長の手のひらの上にいる…そういうことです…」


「…それって、一体?…」


「…理事長は、この病院の理事長を解任されるかもしれない…だから、解任されないために、寿さんを人質に取っていると、いうことです…」


佐藤ナナが、仰天の言葉を述べた…


私は、佐藤ナナのあまりの言葉に、驚いた…


そして、思わず、長谷川センセイの顔を見た…


長谷川センセイが、どういう反応を示すのか、知りたかったからだ…


長谷川センセイは、


「…」


と、なにも、言わなかった…


無言だった…


そして、その無言の態度が、肯定を表した…


佐藤ナナの言葉が、正しいことを、証明した…


五井家の内紛が、思わぬところで、私に、及んでいる…


そう、実感せずには、いられなかった…


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