無能力者と、止まれない暴走靴
防壁都市ファルデン。
冒険者ギルド『虹の足跡亭』の掲示板の前で、見習い冒険者たちはざわついていた。
「谷の向こうの開拓村まで、至急『解毒薬』を届ける特急配達か。だが、最短ルートはあの『針岩の谷』だぞ。馬も馬車も通れねえ悪路じゃないか」
筋力特化のガルドが、掲示板を見上げて腕を組んだ。
「俺なら魔物をハンマーでなぎ倒せるが、足場が悪い崖っぷちを走るのは専門外だ。今回はパスだな」
その言葉を聞いて、豪商の息子・スニールが金糸のローブを揺らしながら優雅に笑う。
「ガルドくんでも難しい依頼があるんだね。なら、今回は僕が引き受けよう。親に買ってもらった『一人乗りの低空浮遊絨毯』を使えば、険しい岩場も宙に浮いて一直線さ」
スニールは得意げに鼻を鳴らし、さらに言葉を続けた。
「それに、あの開拓村の村長は、うちのパパの商会と懇意にしていてね。この緊急事態に僕が薬を届けて恩を売っておけば、今後の貴重な鉱石の大きな取引に繋がるってわけさ。だから――」
スニールは懐から硬貨の入った袋を取り出し、チャリンと鳴らしてみせた。
「どうだい? 少し日当を弾むから、誰か僕のお供に来ないかい? 手柄を山分けにする『対等なパーティー』なんて組まなくたって、金さえ払えば護衛なんていくらでも集まるからね。道中の安全代なんて、今後の利益を思えば安い投資だよ」
「俺が行くぜ!」「さすがスニール、商人の鑑だな!」
親の権力と金に物を言わせた狡猾な誘いに、おこぼれに与ろうとする見習い冒険者たちが群がり、媚びへつらう。
そんな中、スニールの嫌味な視線が、ギルドの隅で一人取り残されていたノルビンに向けられた。
「おいノルビン。お前の唯一の取り柄である『逃げ足』を活かすチャンスじゃないか? まぁ、僕のように金で人を動かすこともできず、誰からもパーティーを組んでもらえない孤独な貧乏人じゃ、岩につまずいて転ぶか、魔物の餌になるのが関の山だろうけどね」
「なっ……!」
嘲笑の的になり、ノルビンが悔しさに唇を噛んでいると、受付嬢のリーナが小走りにやってきた。
「もう、スニールくんったら意地悪言わないの。……ノルビンくん、谷の道は本当に険しいのよ。急いで走って転んだら、お顔にすり傷ができちゃうわ。あなたはここで、安全なお掃除の依頼でも受けていなさいね?」
まるで、よちよち歩きの幼児を心配するような、徹底的な保護者目線。
それが、ノルビンのちっぽけな男のプライドに引火した。
「……っ! 転ばないよ! スニールの絨毯より速く、僕一人の力で走って届けてやる!」
リーナの過保護な眼差しから逃げるように、ノルビンはギルドを飛び出した。
***
「……というわけなんだ! スニールの絨毯より速く、しかも絶対に転ばないような、最高の靴を出してよ!」
実家の自室。ベッドにダイブして喚くノルビンを見下ろし、二匹のウサギが呆れた顔をしていた。
青毛のウサギ・デリは、空中に浮かべた『監視の水晶板』に羽根ペンで何かを書き込みながら、冷ややかな声を出す。
「はぁ。この前の『巨大ニンジン事件』で懲りたかと思えば、また見栄を張ったのね。どうせ今回も自業自得な結末になるのがオチなのに、本当に学習能力がないわ」
「うるさいな! いいから、早く出してよ!」
「いーよー! ノルビンは元気だねぇ!」
赤毛のウサギ・メリが、ボリボリとニンジンをかじりながらノリノリで宙を舞った。
「転ばずに、スニールより早く到着したいんでしょ? じゃあ、メリちゃん特製! 『強行突破の韋駄天靴』!」
ポンッ、と虚空から、鮮やかな真紅のブーツが飛び出してきた。
「どんな悪路でも絶対に転ばず、風のように走れる魔法の靴だよ! これを使えば、険しい岩場でもスニールをぶっちぎれるよ☆」
「やった! さすがメリ! 君は最高だ!」
目を輝かせてブーツを抱きしめるノルビン。しかし、その背後からスッとデリが近づき、ブーツのかかと部分に冷たい光を放つ『ダイヤル付きの金属部品』をガチャン!と強制的に取り付けた。
「な、なんだよこれ! デリ、勝手に変な部品をつけないでくれよ!」
「手軽に限界を超えるんだから、相応の代償を払うのが等価交換よ。この靴は『先払い式の魔力チャージ』で動くように設定させてもらったわ」
デリは意地悪く目を細めた。
「かかとのダイヤルを回して、走る『距離』を事前に設定するの。ただし、一度走り出したら、設定した距離を1ミリの狂いもなく消化するまで、絶対に足の回転が止まらない仕様だから」
「えっと……つまり、途中で止まりたくなっても止まれないってこと?」
「そうよ。それに、走っている最中は靴に魔力の結界が張られるから、途中で脱ぐことも、ダイヤルを回し直すことも不可能。あなたの意志に関係なく、設定距離分を完全に走り切るまで足は動き続けるわ。……計算ミスにはくれぐれも気をつけてね」
「あははっ! 大丈夫だよ!」とメリが無邪気に笑う。「もし壁にぶつかっても、足だけは元気に走り続けるからね! すっごく面白い絵面になると思うなー☆」
「面白い絵面にするなよ! ……でも、まあ、距離の計算さえ間違えなければいいんだろ? それなら簡単さ。僕の頭脳を舐めないでくれよ」
ノルビンは自信満々にブーツを履き、勢いよく部屋を飛び出していった。
***
一時間後。ファルデン郊外、『針岩の谷』の入り口。
「よし、開拓村までは片道10キロルだ。……でも待てよ」
(※キロル=この世界の距離の単位。1キロルは現代の約1キロメートルに相当する)
ダイヤルを回そうとしたノルビンの脳裏に、ビビりゆえの「最悪のシミュレーション」がよぎった。
(もし途中で魔物の群れに遭遇して、大きく迂回することになったらどうする? 結界のせいで走りながらダイヤルは回せないんだ。もし10キロルに設定して、村の手前で靴が止まってしまったら、僕は魔物に食べられちゃうじゃないか!)
考えれば考えるほど恐ろしくなったノルビンは、ある「天才的なひらめき」に行き着いた。
(そうだ! 往復で20キロルだけど、余裕を持って**『30キロル』**に設定しておけば絶対に安心だ! 村に着いても、足踏みでもして待機して、帰り道で残りを消費すればいいんだから!)
過剰なまでの安全マージン。
ノルビンは自分の賢さに酔いしれながら、ダイヤルをカチカチと『30』に合わせた。
時を同じくして。
その様子を実家の『監視の水晶板』で覗き見ていたデリは、持っていた羽根ペンをポロリと落とした。
「……あいつ、片道10キロルって分かってて、なんで『30』に設定したの? 往復でも20なのに、残りの10はどうやって消費する気?」
「あははっ! ノルビンったら算数もできないんだねー☆ きっと街に着いてから、壁に向かって全力疾走するつもりなんだよ!」
「いや、いくらなんでもそこまで馬鹿じゃないでしょ……」
デリがドン引きして頭を抱えている間に、水晶板の向こうのノルビンは自信満々に一歩を踏み出していた。
ギュイィィィン!!
かかとの部品が唸りを上げ、靴の魔力が爆発した。
「うおあああっ!?」
ノルビンの足が目にも留まらぬ速さで回転し、彼の体は文字通り「風」となった。
険しい岩場も、デコボコの山道も、魔法の靴は一切のブレなく完璧に駆け抜けていく。
谷の中腹で、低空を飛ぶ絨毯に乗り、小遣いで雇った取り巻きたちを盾にしながら進むスニールに追いついた。
「ふふん、金で雇った連中がいれば魔物も怖くない……って、えっ!?」
「はははっ! 見たかスニール! 最速は僕だぁぁっ!」
猛烈な土煙を巻き上げ、ノルビンはスニールと雇われの仲間たちを一瞬でぶっちぎった。
「最高だ! これなら魔物に追いつかれる心配もない! 僕の計算は完璧だった!」
***
魔物に遭遇することもなく、最短ルート(10キロル)であっという間に谷の向こうの開拓村に到着したノルビン。
「よし、着いたぞ! お届け物でーす!」
ノルビンは解毒薬の小瓶を取り出し、村の入り口に立っていた自警団員に渡そうと――。
「あれっ!? 止ま、止まらないっ!?」
当然である。**『設定した距離を消化するまで絶対に止まれない』**のだから。
ノルビンは入り口でピタッと止まることができず、村の広場を猛スピードでぐるぐると周回し始めた。
「お、おい君! なぜ走り回っているんだ!?」
「止まれないんです! 薬、投げますから受け取ってえええ!」
ノルビンは走りながら、自警団員に向かって見事なコントロールで解毒薬を放り投げた。
「おおっ、確かに受け取ったぞ! 助かった!」
「よ、よかったー! じゃあ、このまま帰りまーす!」
ノルビンは自分の意志とは無関係にUターンし、来た道を猛スピードで戻り始めた。
(計算通りだ! このまま帰れば、往復で20キロル。……あれ?)
風になりながら、ノルビンは致命的な事実に気がついた。
(行きで10キロル……帰りで10キロル……合計20キロル……。でも、靴の設定は『30キロル』……。つまり、街に着いても、あと10キロル分止まれない!?)
「ぎゃああああ!? どうしよう! 止めてええええ!」
森の中を、涙と鼻水を撒き散らしながら爆走する姿は、目撃した商人たちから「絶叫する幽霊」として恐れられることになった。
***
「ボ、ボイドさあああん! 助けてええええ!」
ファルデンの裏門。
猛スピードで迫ってくる土煙を見て、門番のボイドは目を丸くした。
「なんだ!? 魔物の襲撃か!? ……って、またお前かニンジン坊主!」
「止まらないんですううう!!」
ノルビンは減速することなく、門の横にある強固な城壁に向かって一直線に突っ込んだ。
ドンッ!!
鈍い音が響き、ノルビンは壁に激突した。
しかし、靴の魔力はまだ『残り10キロル分』残っている。
「痛っ……ひぐっ……だ、誰か、助け……」
激突して顔面を壁に押し付けたまま、ノルビンの両足だけが超高速で「ドドドドドドドド!」とその場走りをし続けている。
まるで壊れた魔導具のように、狂ったように走り続けるその姿は、あまりにもシュールで情けない光景だった。
「お、おいノルビン……。お前、壁に向かって全力疾走して、何かの修行か?」
「ちがい、ます……。足が、止まらないんです……っ!」
結局、残りの「10キロル」を、壁に向かってひたすら足踏みして消化しきったノルビン。
『0』のメモリに達し、かかとの音が止まった瞬間、彼は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
そこへ、ギルドの買い出しから戻ってきたリーナが通りかかった。
「あっ、ノルビンくん! 壁に向かって一生懸命走る練習してたの? えらいわね」
「リーナ……。僕、スニールより早く、ちゃんと薬を届けたよ……」
死にかけのノルビンを優しく介抱しながら、リーナはふと思い出したように手を打った。
「あ、そういえば! 村長さんから『受領のサイン(証明書)』はもらってきてくれた?」
「……えっ」
止まれずに薬を投げ渡しただけなので、当然サインなど貰っているはずがない。
「……もらって、ない……」
「もう、ダメじゃない。受領書がないと、ギルドから報酬は出せないのよ? 仕方ないから、後から向かったスニールくんがサインをもらってきてくれるのを待つわね。お供の皆さんも一緒だから、帰りは少し遅くなるかもしれないけど」
完璧な配達をしたはずが、ただの徒労(と、無意味な10キロルの壁走り)に終わり、しかも美味しいところは打算的なスニールに持っていかれることになり、ノルビンは疲労と情けなさで泣きながら完全に気絶するのであった。
***
時を同じくして。ノルビンの自室。
『対象者、ビビりゆえに過剰な安全マージンを取り、結果として10キロルの壁走りを行う。……本当にそこまで馬鹿だった模様』
デリが空中に浮かぶ記録用の魔石板に、少しだけ震える指でレポートを打ち込む。
「あはははっ! 私の言った通り、壁に向かって走ってたねー☆ ねえデリ、今度はノルビンに『後ろ向きにしか走れない靴』をあげてみようよ! 絶対もっと笑えるよ!」
「……あんた、本当に息をするようにエグいこと思いつくわよね」
才能なき少年の生存戦略は、今日も絶望的なまでに空回りを続けている。




