無能力者と、ウサギを狂わす巨大ニンジン
防壁都市ファルデン。
冒険者ギルド『虹の足跡亭』の掲示板の前で、見習い冒険者たちは顔をしかめていた。
「『魔草ウサギ』の生け捕りか。あんなすばしっこいハエみたいなヤツ、俺の鋼のハンマーじゃ当たらねえし、当たったらミンチになっちまう」
筋力特化のガルドが、早々に不参加を宣言して肩をすくめる。
その隣で、豪商の息子・スニールが金糸のローブを揺らしながら優雅に鼻で嗤った。
「筋肉馬鹿には難しい依頼だろうね。僕は親に買ってもらった『追尾式の催眠玉』を使うよ。泥臭く走り回る必要なんてない、一網打尽さ」
「ああん? 今、誰が筋肉馬鹿だって?」
ガルドが低い声でギロリと睨みつけると、スニールの顔からスッと余裕が消えた。
「ひっ! ご、ごめんよガルド! 君の圧倒的な力ならウサギなんてイチコロさ、ちょっとした冗談じゃないか!」
「ちっ……。相変わらず親の金と口先だけで生きてやがる」
スニールが慌てて媚びへつらうのを見て、周囲の見習い冒険者たちも苦笑いする。だが、金持ちの彼のおこぼれにはあずかりたいのか、誰も強くは非難しない。
そんな中、ガルドのニヤついた視線が、ギルドの片隅で小さくなっていたノルビンに向けられた。
「おいノルビン。お前の自慢の『逃げ足』で、ウサギと追いかけっこでもしてこいよ。いい勝負になるんじゃねえか?」
「は、ははっ、泥まみれでウサギを追い回す底辺。彼にはお似合いの泥臭い役回りだね」
ガルドの言葉に便乗し、スニールも再び強気な態度で嘲笑する。ドッと湧き上がる笑い声に、ノルビンは悔しさで唇を噛むことしかできない。
そこへ、受付嬢のリーナが心配そうな顔で小走りにやってきた。
「もう、みんなやめて。……ノルビンくん、魔草ウサギは小さいけど、蹴られると結構痛いのよ。無理して追いかけて、また転んで泥だらけにならないでね?」
まるで、公園で遊ぶ幼児を心配するような、徹底的な保護者目線。
それが、ノルビンのちっぽけな男のプライドに致命傷を与えた。
「……っ! 転ばないよ! スニールの高価な道具なんかより先に、僕の力だけで捕まえてやる!」
リーナの過保護な眼差しから逃げるように、ノルビンはギルドを飛び出した。
***
「スニールの道具より速く、向こうから勝手に寄ってくるような罠を出してよ!」
実家の自室。ベッドにダイブしたノルビンが泣きつくと、青毛のウサギ・デリが宙に浮かべた『監視の水晶板』から冷ややかな目を向けた。
隣では、赤毛のウサギ・メリがボリボリとニンジンをかじっている。
「いーよー! じゃあ、メリちゃん特製! 『絶対誘引の香水』!」
ポンッ、と虚空から可愛らしいオレンジ色の小瓶が飛び出してきた。
「どんなウサギ系の魔物でも、理性を失って突っ込んでくる超絶美味しいニンジンの香りがするチート香水! これを使えば、向こうから勝手にやってくるよ☆」
「やった! これを服に振りかけておけば……」
小瓶に手を伸ばしたノルビンの言葉を、デリの冷ややかな声が遮った。
「手軽に魔物の理性を奪うんだから、こっちも相応の代償を払うのが等価交換よ。……その香水を浴びた箇所は、24時間『見た目も触感も本物のニンジンと同じ繊維質に変化する』から。せいぜい、かじられないように気をつけてね」
「えっ? ニンジンに変化? それって……」
「「はい、生成完了〜!」」
ノルビンの疑問を無視して、二匹のウサギがハイタッチを交わす。
小瓶が、ノルビンの手にコロンと収まった。
***
一時間後。ファルデン郊外の薬草畑。
ノルビンは効果を絶大にするために、頭の先からブーツに至るまで、全身へたっぷりと香水を浴びた。
捕獲用の安物の麻袋とロープを両手に握りしめ、獲物を待ち構える。
「さあ、全部一網打尽にしてやるぞ!」
意気込んで前髪をかきあげた――その瞬間。
ポンッ! という間抜けな音と共に、強烈な甘い香りが周囲に爆発した。
「うおっ!? なんだこれ、体が……重いっ!?」
全身に香水を浴びたノルビンの衣服が、丸ごと巨大で鮮やかなオレンジ色の『着ぐるみ』のように変形した。
腕も足も分厚く硬いニンジンの皮に包まれ、頭にはフサフサの緑の葉っぱが生えている。完全に「歩く巨大ニンジン」である。
「なっ……なんだこのダサい格好は!? 服がガチガチで、膝が曲がらないぞ!」
分厚いニンジン化した衣服は、防御力こそ高そうだが、関節の可動域を著しく奪っていた。自慢の「異常な逃げ足」は完全に封じられ、ペンギンのようにヨチヨチとしか歩けない。
「しかも、なんだこれ……指が動かないっ!?」
指先までが丸っこいニンジンの先端と同化してしまっていた。そのせいで、両手に握っていたはずの麻袋とロープが、ポロリと地面に滑り落ちてしまう。
「ああっ! 手が丸くて、地面に落ちた袋が拾えない! これじゃ捕まえられないだろ!?」
袋を拾おうとモタモタしている間にも、強烈な香りに誘われ、森の中から無数の『魔草ウサギ』が猛スピードで突っ込んできた。
その目は血走り、完全に理性を失っている。
「ブブブォォォッ!!(ニンジンだぁぁっ!!)」
「ひっ!?」
狂乱したウサギたちは、逃げようとするノルビン(巨大ニンジン)に容赦なく飛びかかり、その強靭な前歯で「ガリッ! ゴリッ!」と服をかじり始めた。
「ぎゃあああっ!? やめろ! 食べないで! 僕はニンジンじゃないぃぃっ!!」
分厚いニンジンの装甲のおかげで肉までは達しないものの、全身をかじられるゴリゴリという振動と、「自分がおいしそうに食べられている」という絶対的な恐怖がノルビンの精神を削っていく。
逃げようにも、着ぐるみのせいでヨチヨチとしか走れない。袋も持てず、ただの餌と化したノルビンは、背中や尻に群がるウサギたちにボリボリとかじられながら、畑の中を「助けてえええ!」と半泣きで逃げ回るハメになった。
***
そこへ、優雅に催眠玉を投げ込もうとやってきたスニールと、暇つぶしについてきたガルドが現れた。
彼らが目にしたのは、巨大なニンジンのような奇妙な姿になったノルビンが、凶暴なウサギの群れに尻をかじられながらヨチヨチと逃げ回っているという、あまりにもシュールで情けない光景だった。
「……ね、ねえガルド。あいつ、ウサギを捕まえるどころか、自分がウサギの餌になってないかい……?」
スニールが引きつった顔で尋ねると、ガルドは腹を抱えて大笑いした。
「はははっ! 新手の自虐ギャグかよ! そんなに食われたいなら、細かく刻んで鍋の具材にしてやろうか! 似合ってるぜ、ニンジン野郎!」
「助けて! スニール、早くその玉を投げてえええ!」
プライドも何もなく泣き叫ぶノルビンを見て、スニールは「……汚いな」と冷徹に蔑む目を向けた。
「地べたを這い回ってかじられるなんて、君にはお似合いの惨めな役回りだね。哀れだ、助けてあげるよ」
スニールが『追尾式の催眠玉』を放り投げる。
プシュゥゥッ、とピンク色の煙が広がり、ノルビンに群がっていた魔草ウサギたちが次々と白目を剥いて倒れていった。
「お、おい! 僕まで眠るだろ!」
「安心しなよ、魔物にしか効かない高価な品さ。君の薄っぺらい命は助かったよ」
「た、助かった……」
ノルビンが安堵の息を吐いた、その時だった。
「……痛い痛い痛い! こいつら、寝ながらかじり続けてるぞ!?」
催眠の煙で眠りに落ちたウサギたちだったが、ニンジンの匂いに当てられた脳は「夢遊食い」を引き起こしていた。
スースーと寝息を立てながら、数匹のウサギの顎だけが自動でガリガリとノルビンの尻や太ももをかじり続けているのだ。
結局、手柄はスニールに奪われ、ノルビンは眠りながらかじりついてくるウサギを体にくっつけたまま、ボロボロの巨大ニンジンの姿で夕暮れの街を泣きながら歩いて帰ることになった。
***
防壁都市ファルデンの裏門。
夕日に照らされる門の前に立つベテラン門番のボイドは、遠くからヨチヨチと歩いてくる奇妙な影を見て、目をこすった。
「なんだありゃ……ウサギがくっついた巨大なニンジン? 新種の魔物か?」
槍を構えようとしたボイドだったが、そのニンジンから情けない声が響いた。
「ボ、ボイドさん……開けてください……僕です……」
「……は? その声、ノルビンか!?」
ボイドは呆気にとられて槍を下ろした。
「おいおい、この前は泥まみれのパンツ一丁で帰ってきたと思ったら、今日は巨大ニンジンかよ! お前、冒険者やめて大道芸人にでもなる気か?」
「違うんです……これも魔法の道具のせいで……痛っ、こいつらまだかじってる……」
半泣きでウサギを引きずるノルビンを見て、ボイドは「ガハハ!」と豪快に笑い飛ばした。
「面白えヤツだな! まぁ、そのウサギごと食われねえように気をつけて帰れよ、ニンジン坊主!」
門番の嘲笑を背に受けながら、ノルビンは重い足取りで裏通りを歩いていた。
すると運悪く、ギルドの裏口でゴミ出しを終えたばかりのリーナと鉢合わせてしまった。
「きゃあっ!? な、何この巨大なニンジン!? それにウサギが何匹もくっついてる!?」
突然現れた異形に、リーナが悲鳴を上げて後ずさる。
「リーナ! 違うんだ、僕だよ! ノルビンだよ!」
「えっ……その声……ノルビンくん!?」
着ぐるみの隙間から見える泥だらけの顔を確認し、リーナはホッと胸をなでおろした。そして、ウサギを引きずる巨大ニンジン(幼馴染)の姿を上から下までまじまじと見つめ、深い、深い深呼吸をした。
「ノルビンくん……。この前は泥だらけのパンツ一丁で、今日は巨大なニンジン……。すっごくニンジンが好きなのはわかったけど、そんな格好で街を歩くのは恥ずかしいからやめなさいね?」
「好きでやってるわけじゃないんだよぉ……」
言い訳をしようとする彼に、リーナは呆れと母性が入り混じった、絶望的なまですれ違った言葉をかけた。
「怪我がなかったのはよかったけど、おばさんに言って、今夜のシチューはニンジン多めにしてもらうよう頼んでおくわね。だからもう、早くお家に帰って脱ぎなさい」
「……これ、明日まで脱げないんだ……」
ポロポロと涙を流す巨大ニンジンを放置して、リーナは「はいはい」と困ったように笑って去っていった。
時を同じくして。ノルビンの自室。
『対象者、自慢の機動力を自ら封印し、家畜の飼料へと成り下がる。……ただし魔物からの食いつきは良好。栄養価は高かった模様』
デリが空中に浮かぶ記録用の魔石板に淡々とレポートを打ち込む。
「あはははっ! 今日のノルビン、すっごくモテモテだったねー☆ ねえデリ、今度はノルビンを『極上のマタタビ』にして、凶暴なサーベルタイガーたちに一晩中スリスリされちゃうやつにしようよ!」
「……あんたのその無邪気な善意が、一番タチ悪いって気づいてる?」
才能なき少年の生存戦略は、今日も絶望的なまでに空回りを続けている。




