無能力者と、衣服を喰らう魔弓
防壁都市ファルデン。
その中央広場にそびえる冒険者ギルド『虹の足跡亭』は、今日もむせ返るような熱気と安酒の匂いに包まれていた。
生まれ持った魔力や才能が物を言うこの世界において、持たざる冒険者の価値は「どれだけ強力な装備を揃え、実戦経験を積めるか」で決まる。
そして、そのどちらも持たずに生まれた見習い冒険者のノルビンは、今日もギルドの片隅で、誰にも見向きされない低レベルの依頼書を恨めしそうに眺めていた。
「おいおいノルビン! お前のそのヒョロっちい腕と逃げ足じゃあ、そんな下水掃除の依頼すらこなせねえぞ! ほら、俺が親父に打ってもらったこの新しい鋼のガントレット、ちょっと殴られ役になって硬さを試させろよ!」
ガハハと乱暴に笑いながら、鍛冶屋の息子・ガルドが分厚い鉄の腕でノルビンの背中をバンバンと叩く。
その暴力的なまでの筋力に、ノルビンは息を詰まらせて掲示板に突っ伏しそうになった。
「やめなよガルド、彼が壊れちゃうだろ?」
そう言って優雅に笑うのは、豪商の息子・スニールだ。彼は見せびらかすように、金糸で刺繍された真新しいローブの袖をまくった。
「才能も体力もないなら、せめて僕みたいに高価な『魔導スクロール(使い捨て呪文)』でも買えばいいのに。ああごめん、君の親父さんの『第二管理役』の給料じゃ、この下級スクロール一枚買うだけで、3ヶ月の食費が全部吹っ飛ぶんだっけ? 貧乏人は大人しく薬草でも摘んでなよ」
「うっ……」
物理的な暴力と、金銭的なマウント。
二方向からの容赦ない攻撃に、ノルビンは反論すらできず唇を噛む。
そこへ、カウンターの奥から幼馴染の受付嬢リーナが小走りでやってきた。
「もう、二人ともノルビンくんをいじめないで! 大丈夫? 怪我はない? ほら、無理して危ない依頼なんて受けなくていいから、今日は倉庫で薬草の仕分け作業があるからそれを手伝って……小銅貨3枚にはなるよ?」
「……っ! い、いいよ! 薬草の仕分けなんかしない! 僕だって、やろうと思えば凄い魔物を倒せるんだからな!」
リーナの同情を含んだ過保護な眼差し。
それが、ノルビンのちっぽけな男のプライドを最も激しく抉った。
彼女にだけは、惨めな姿を見られたくなかった。
ノルビンは逃げるようにギルドを飛び出し、そのまま実家へと全力で走り去った。
***
「あーあ、今日も見事に笑い者ね。心拍数、いい感じに跳ね上がってたわよ」
実家の自室。ベッドに顔をダイブさせたノルビンの耳に、気怠げな声が降ってくる。
顔を上げると、青毛のウサギがボリボリとニンジンをかじりながら、宙に浮かべた『監視の水晶板』を冷ややかな目で見つめていた。デリだ。
「でも逃げ足は最高だったよ! ノルビン、あのまま王国軍の伝令兵になればいいのにー☆」
隣でケラケラと笑いながらノルビンの頭に乗っかってきたのは、赤毛のウサギのメリ。
この二匹は、ただの喋る珍獣ではない。その正体は、創造神が「持たざる人間の生存戦略」を観測するために遣わした双子の神使である。
もっとも、ノルビンは彼女たちを「50年後の未来の自分が、悲惨な人生をやり直させるために送り込んだ」とすっかり信じ込まされているわけだが。
「笑い事じゃないよ! 頼む、リーナにかっこいいところを見せたいんだ! ギルドで高値がつく魔物の『討伐部位』を持ち帰って、あいつらを見返せる凄い武器を出してよ!」
涙目で懇願するノルビンに、メリの長い耳がピクッと動いた。
「いーよー! じゃあ、メリちゃん特製! 『無限連射の魔導弓』! 魔力なんてゼロでも、弦を引くだけで勝手に強力な魔法の矢が連射される規格外の武器だよ!」
ポンッ、と小気味良い音を立てて、虚空から真新しい純白の弓が飛び出してくる。
工芸品のように美しいその武器に、ノルビンの目が輝いた。
「やった! これさえあれば……」
「ちょっと待ちなさいよ」
弓に手を伸ばそうとしたノルビンの言葉を、デリの冷たい声が遮った。
「あんたね、魔力も払わずに高度な魔法が撃てるわけないでしょ。世界の法則を舐めないで。……バランスを取るために、『矢を生成する際、使用者が身につけている衣服の繊維を矢として強制消費する』っていう制約を組み込んでおくわ」
「えっ? 服が矢? それって……」
「「はい、生成完了〜!」」
ノルビンの疑問を無視して、二匹のウサギが前足を合わせてハイタッチを交わす。すると、純白の弓に怪しい幾何学模様が浮かび上がった。
***
数十分後。ファルデン郊外の荒涼とした平原にて。
「いっけええええっ!」
ノルビンは小高い岩山の上から、眼下をのっしのっしと歩く魔物『ホーミング・ボア』に向けて、魔導弓の弦を引き絞った。
額に赤い紋章を持つこの巨大な猪は、一度標的を定めると匂いを辿って執拗に追いかけてくる厄介な習性を持っている。しかし、あの「赤い紋章」を持ち帰れば、立派な中級討伐の証明になる。
シュバババババッ!!
弦を弾くたびに、ノルビンが革の胸当ての下に着ていた麻のシャツから光の粒子が抜け出し、鋭い魔法の矢となってボアに降り注ぐ。
光の矢は次々と命中する。しかし、所詮は安物のシャツから生成された弾薬だ。「バチッ! バチッ!」と弾けるだけで、ボアの分厚い毛皮に阻まれて致命傷には至らない。
それでも、顔面に絶え間なく降り注ぐ不快な衝撃に、さしものボアも目を回し、フラフラと膝をついた。
(凄い……! 倒せはしないけど、本当に魔力なしで魔法の矢を連射できる! ボアが気絶している間に紋章を剥ぎ取れば、僕の勝ちだ!)
万能感に酔いしれ、ノルビンは無我夢中で弦を引き続けた。
調子に乗って連射すること、およそ百発。完全にボアが地に伏せ、「どうだ!」とふんぞり返ったその時――ノルビンはふと、肌を撫でる不自然な「涼しさ」を全身に感じた。
「……あれ?」
下を向くと、ズボンがない。シャツもない。靴下すらない。
魔導弓の圧倒的な連射速度は、ノルビンの衣服の繊維を文字通り「一瞬で」喰い尽くしていた。
ノルビンの体に残っているのは、上半身の『革の胸当て』と『革のブーツにベルト』、そして股間を覆う頼りないパンツ一枚だけだった。両手には、無情にも純白の弓が握られたままだ。
「嘘だろぉぉっ!? なんでこんな変態みたいな格好になってんだよ!?」
パニックになるノルビンの脳内に、デリの冷ややかな念話が響いた。
『当たり前でしょ。防具まで魔力変換したら、貧乏なあんたが明日から生きていけないじゃない。革の胸当てと靴、ベルトは対象から外してあげたのよ。完全に全裸になったら魔物に殺される前に衛兵に捕まるから、パンツも残しておいたわ。私の思いやりに感謝しなさい』
「そんな悪意たっぷりの温情いるかぁぁっ!」
その悲鳴に反応し、気絶から回復したホーミング・ボアが、真っ赤な目で岩山の上をギロリと睨みつけた。致命傷にはならないとはいえ、魔法の矢を顔面に浴びせられ続けた屈辱により、その怒りは頂点に達していた。
「ブヒィィィィン!!」
「ひっ……!」
怒り狂う体重300キロの巨大イノシシの突進。
変態ルックのノルビンは、恐怖で完全にメーターが振り切れた。
「重いっ!」
彼は手にした純白の弓をあっさりと投げ捨てた。放り投げられた魔導弓を、監視の水晶板越しにデリが魔法でひょいと自室へ回収したのには目もくれず、ノルビンは自慢の「異常な逃げ足」を限界まで引き出した。
「追ってくるなあああ!!」
革のブーツの靴音だけを虚しく響かせ、パンツ一丁に革の胸当てという姿で平原を爆走するノルビン。しかし、ボアは匂いを辿ってどこまでも追ってくる。
このまま街へ逃げ込めば大惨事になる。ノルビンは咄嗟の判断で逃走ルートを曲げ、街道沿いにあるドロドロの「悪臭沼」へと躊躇なくダイブした。
バシャァァッ!
強烈なヘドロの臭いが全身を包む。もがいている間に、唯一の防具だった『革の胸当て』の留め具が外れ、無情にもヘドロの底へと沈んでいってしまったが、背に腹は代えられない。
しかし作戦は成功した。沼の悪臭によってノルビンの匂いを見失ったボアは、しばらく周囲で鼻を鳴らして探っていたが、やがて諦めて森の奥へと帰っていった。
「た、助かった……」
命の危機は去った。しかし、ノルビンの「社会的尊厳」の危機はここからだった。
夕暮れ時。ノルビンは防壁都市の裏門を、こそこそと身を屈めながら歩いていた。
大切な胸当ても失い、全身泥まみれ、悪臭を放つパンツ一丁の姿。誰にも見つからずに家へ帰ろうとしたその時。
「ん? なんだあの臭い泥の塊は」
「きゃあっ! な、何かの魔物!?」
運悪く、裏口のゴミ出し作業を終えたばかりのリーナと、彼女を取り巻くガルド、スニールと鉢合わせてしまった。
三人の視線が、ヘドロにまみれて半裸で震えるノルビンに突き刺さる。
「……ノ、ノルビン? お前、討伐どころか下水にでも落ちたのか?」
「ひどい臭いだな……やっぱり君にお似合いの場所はそこだったみたいだね」
「ち、違うんだリーナ! これは魔法の弓のせいで……!」
言い訳をしようと手を伸ばすノルビンだったが、リーナは鼻をつまみながら、心底呆れたような、それでいて手のかかる弟を心配するような目を向けた。
「ノルビンくん……また無茶してそんな泥だらけになって……。怪我がなかったのはよかったけど、早く帰ってお風呂に入りなさい。おじさんとおばさんにも、ちゃんと謝るのよ」
時を同じくして。ノルビンの自室。
『対象者、調子に乗って矢(衣服)を浪費し、半裸状態での逃走を記録。沼へ飛び込み命は繋いだものの、防具と社会的尊厳は消滅。……今回も知能の向上は見られず』
デリが空中に浮かぶ記録用の魔石板に淡々とレポートを打ち込む。
「あはははっ! 今日のノルビン、泥んこ遊びしててウケるー☆ ねえデリ、次は服じゃなくて『髪の毛』が矢になる弓にしてみない?」
「……あなた、時々私よりえげつないわよね」
夜。這々の体で実家に帰り着いたノルビンは、両親からこってりと絞られ、泣きながら泥を洗い流してベッドに倒れ込んだ。
「……もう二度と、あんなクソアイテム使うもんか……」
ボロボロの体でそう毒づきながらも、ノルビンは知っている。明日になればまた見下され、心配される日常が待っていることを。
才能なき少年の生存戦略は、今日も泥臭く空回りを続けている。




