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砂浜の上の僕ら  作者: 蜜樹


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ぶつける

十月に入ると秋の空気に変わった。

夜は涼しく、虫の声が響く。

直人は町の公民館の前に立っていた。

古い建物。

白い壁はところどころ剥がれ、掲示板には色あせたポスターが並ぶ。

その一角に、新しい紙が貼られている。

「パソコン・スマホ相談会

主催:佐藤直人。」

紙を貼ったのは自分だが、

改めて見ると、胸が少しだけ高鳴る。

自分にできることを、この町で試してみたかった。

それでも不安だ。

人が来なかったらどうしよう。

笑われたらどうしよう。

そんな考えがよぎる。


相談会当日。

開始時刻の十五分前。

直人は会場の机を整え、資料を並べる。

時計の針が進む音がやけに大きい。

やがて、引き戸がゆっくり開く。

「ここでいいの?」

白髪の女性が顔を出す。

直人は立ち上がる。

「はい、大丈夫です」

声は思ったより落ち着いていた。

女性はスマホを差し出す。

「写真が消えちゃって」

直人は丁寧に受け取る。

画面を確認しながら、説明する。

専門用語は使わない。

ゆっくり、相手の目を見る。

東京で働いていたときは、

効率やスピードばかりを求められていた。

今は違う。

目の前の一人と向き合う。

やがて女性が笑顔になる。

「助かったわ。ありがとね」

その一言が、胸の奥に静かに落ちる。

その後も小さな質問、小さな不安に直人は丁寧に答えていった。


終了時刻に近づいた頃、一人の男子中学生がうつむいたまま相談に来た。

「自分の写真が加工されたのがクラスのみんなに回ってるんです」

声が震えている。

直人の喉が詰まった。

「誰にも相談できずにいます」と男子生徒は肩を震わせながら泣き出した。

過去の記憶が一瞬で蘇る。

男子生徒の気持ちは痛いほどよくわかる。

ただ、この場ではどうすることもできないため、男子生徒に了解を取り、直人から学校に話してみることとした。

相談会終了後、すぐに中学校に足を運んだ。

教頭に相談室で先程の出来事を話した。

「正直に言います。今、うちの学校で見えないいじめが増えています」と教頭。

「教師たちの指導だけでは限界なんです」

直人は教頭に自分の過去のいじめについて洗いざらい話した。

「そんな辛い経験をされてたなんて。言葉が出ません。」

教頭は続ける。

「無理にとは申しませんが⋯佐藤さんにいじめの講演をしていただくことはできないでしょうか?教師が話をするのとは違う説得力があり、佐藤さんの話を聞いて、救われる生徒がいるのではないかと思いました」

「僕は専門家じゃありませんし」

正直な言葉。

教頭は首を振る。

「専門家の講話は、何度もやっています」

「でも、生徒は変わらない」

少し間を置く。

「今、佐藤さんのお話を聞いていて、佐藤さんの言葉には温度を感じました。佐藤さんの話を聞いていて救われる生徒がたくさんいると思います」

救われる。

その言葉が、胸のどこかを押す。

自分が救われなかった過去がよぎる。

あのとき。

誰か一人でも、 本気で向き合ってくれる人がいたら。

直人は、目を閉じる。

断れば、ここで話は終わる。

怖い⋯

けれど、

逃げたくない。

少しの沈黙。

「完璧な話はできません。でも、自分の話でよければ」

気づけば、そう言っていた。

声は少し震えていた。

だが、はっきりしていた。

教頭は深く頭を下げる。

「ありがとうございます」


その日の夜。

布団に入っても眠れない。

天井を見つめる。

あの頃の自分が、横たわっている。

暗い部屋。

息を殺して泣いた夜。

誰にも気づかれないように、音を立てずに泣いた。

「いなくなってしまいたい」

何度もそう思った。

誰かに言ってほしかった。

「ここにいていい」と。


直人は枕元のスマホを見る。

母からのメッセージ。

「明日、早い?朝ごはんいる?」

それだけなのに、胸が温かい。

あの頃、母は何も気づかなかったのだろうか。

いや、気づかなかったはずがない。

気づいていてもどうしていいか分からなかったのだと思う。

直人は目を閉じる。

もし、あのとき。

今さら「もし」を考えても意味はない。

大事なのは、今だ。

今、目の前にいる誰かが、あの頃の自分と同じ場所に立っているかもしれない。

「逃げない」

それは誰に向けた言葉でもない。

自分に向けた約束だ。


数日後。

直人は海辺に立っていた。

夕暮れ。

波がゆっくりと寄せては返す。

「講演、やるんだってな」

背後から声。

拓海だ。

直人は振り返る。

「うん」

短く答える。

拓海は笑いながら言う。

「噂になってるぞ」

直人は苦笑する。

「大した話じゃないよ」

長い沈黙のあと拓海が聞く。

「俺、どうしたらいいのかな?」

それは、助けを求めるような声だった。

直人は少し考える。

そして、正直に言う。

「分からない」

拓海はうつむく。

「俺、何かしたい」

拳を握る。

「謝るだけじゃ足りないのは分かってる」

直人は、その姿を見る。

高校の頃の「強い拓海」は、そこにいない。

そこにいるのは打ちひしがれている一人の男。

「じゃあ」

直人は言う。

「聞いて」

拓海が顔を上げる。

「俺の話、全部」

風が止まった気がした。

「拓海が俺を笑ってたとき、どんな気持ちだったか」

「教室で机がなくなった日、どこで昼を食べてたか」

「夜、眠れなくて、何回、消えたいと思ったか」

拓海の顔が青ざめる。

「逃げないで、全部聞いて」

拓海は、まっすぐ直人を見る。

そして、頷く。

「逃げないよ」

それから直人は話しだした。

教室の笑い声。

机に書かれた落書き。

靴がなくなった朝。

無視された毎日。

話すたび、胸が締め付けられる。

でも止めない。

拓海は、一度も遮らない。

言い訳もしない。

ただ、聞く。

顔を歪め、拳を震わせ、時折、目を押さえながら。

直人が言う。

「拓海に⋯」

喉が詰まる。

「拓海に助けを求めた時に目を逸らされた瞬間はきつかった」

拓海は肩を震わせている。

「俺たちあんなに仲良い親友だったのに」

拓海の呼吸が崩れる。

顔を覆いながら

「ごめん⋯」

何度目か分からない謝罪。

直人は、目を閉じる。

胸が痛む。

でも、逃げていなかった。

自分も、拓海も。

拓海は、少し間を置いてから聞く。

「⋯講演聞きに行ってもいい?」

少しの沈黙のあと答える。

「いいよ」


あの日から二人を縛り付けている呪縛。

怖い。

でも、逃げない。

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