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砂浜の上の僕ら  作者: 蜜樹


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25/28

ほどける結び目

蝉の声を近くに聞きながら、直人は縁側に座り、麦茶の入ったグラスを傾ける。

東京で過ごした日々が、遠い記憶のように感じられる。

だが、完全に消えたわけではない。

夜になると、ときどき思い出す。

健一の冷たい声。

退職を告げた日の静かな会議室。

三鷹の部屋のがらんとした空気。

あの生活は、確かに自分の一部だ。


浜辺で拓海と会う時間は、少しずつ当たり前になっていった。

毎日ではない。

約束もしていない。

だが、波が穏やかな日は夕方になると、どちらともなく足が向く。

その日も、空は淡い青色だった。

拓海は先に来ていた。

波打ち際に腰掛け、海を見ている。

直人は隣に座る。

言葉はすぐには交わさない。

波の音が、二人の間を埋める。

やがて拓海が言う。

「俺さ、来月、資格試験受ける」

直人は少し驚く。

「資格勉強してたの?」

「夜に。現場終わってから」

照れくさそうに笑う。

「このままじゃ、ずっと同じ場所だと思って」

直人は静かに頷く。

拓海は自分の力で環境を変えようとしている。

「すごいな」

素直にそう言う。

拓海は視線を海に戻す。

「お前にそう言われると、なんか変な感じ」

「なんで?」

「昔の俺なら、笑われてたと思う」

「確かに。資格勉強なんてするタイプじゃなかったもんね」

二人は顔を見合わせる。

短い沈黙のあと、同時に苦笑する。


過去は消えない。

だが、その形は変わっていく。

「直人は、これからどうすんの?」

拓海が尋ねる。

直人は少し考える。

東京へ戻るつもりは、今はない。

だが、この町で何をするのか、明確な答えもない。

「まだ決めてない」

正直に言う。

「少し休んで、これからちゃんと考える」

拓海は頷く。

「それでいいと思う」

その言葉に、直人の胸がわずかに温かくなる。

否定も、焦らせもしない。

ただの肯定。

それがこんなにも力になるとは思わなかった。

夕日が傾く。

海が橙色に染まる。

直人はふと思う。

自分の中で、何かがほどけ始めている。

固く結ばれていた結び目が、 少しずつ緩んできている。

許したわけではない。

忘れたわけでもない。

だが、過去に縛られ続ける必要もない。

「⋯拓海」

直人が拓海の名前を呼ぶ。

「俺さ、あの頃、ほんとに辛かった」

声は震えない。

まっすぐ言える。

拓海の表情が固まる。

「分かってる」

「分かってるって言葉じゃ足りないって思ってた」

少しだけ間を置く。

「でも、今は⋯」

拓海は何も言わない。

ただ深く頭を下げる。

直人はそれを見つめる。

胸の奥にあった硬い塊が、 ゆっくり溶けていく感覚。

「⋯これからもよろしく」

完全な和解ではない。

だが、確かな前進。

波が寄せる。

二人の足元を濡らし、すぐに引く。

直人は空を見上げる。

高く、広い。

焦らず、比べず、自分の歩幅で歩んでいこう。

結び目は、まだ完全にはほどけていない。

だが、もう固く締め直すことはしない。

海は静かに呼吸している。

そのリズムに合わせるように、 直人の心も、ゆっくりと整っていった。

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