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砂浜の上の僕ら  作者: 蜜樹


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旅立ち

リビングからは食器の触れ合う音が聞こえる。

和子が夕食の準備をしている。

父の耕一はどこか落ち着かない様子で新聞をめくっている。

美咲はテーブルに教科書を広げながら、時折こちらの様子をうかがっている。

「明日、早いんでしょう?」

和子はいつもより柔らかい声で話かける。

直人は「うん」とだけ答え、直人はリビングをあとにした。


自室の床に座りこむ。

部屋の壁には、中学時代の写真がまだ貼られたままだ。

そこに写る自分は笑っている。

その笑顔が、今では他人のように思える。

本当は、不安で仕方がない。

いじめのことも、拓海のことも、結局一度も話さなかった。

「いじめられていた」と認めることは、自分の弱さを確定させることのように思えた。

家族に知られれば、惨めさが固定される気がした。


出発前夜の食卓は、どこかぎこちなかった。

メニューは直人の好きな唐揚げ、スパゲティサラダ、コーンスープ。

だが、直人は味をほとんど感じていなかった。

「大学、楽しみだね」

美咲が明るく言う。

その言葉に、直人の胸はぞくりとする。

「別に」

思ったより強い口調が出る。

人の輪に入るのが怖い。

視線が怖い。

笑い声が怖い。

和子がフォローするように笑う。

「最初は誰だって緊張するわよ」

その優しさが、直人には重い。

心配されるほど、自分が欠陥品のように思えてくる。

食事が終わると、直人は早々に席を立った。


部屋のドアを閉めると、外の気配が遠くなる。

ベッドに横になり、天井を見つめる。

ここは安全だ。

だが、安全な場所にいる自分が、ひどく情けない。


翌日、早朝に地元を発った。

「行ってきます」

と玄関を出る際には家族みんな心配の表情で、直人の姿が見えなくなるまで見送っていた。

途中で振り返ると手を振っていたが、直人は振り返すことはできなかった。


今日、生まれ育った地元を離れる。

辛くて苦しい毎日、早くここから出たかった。

新居に向かう電車の中では、不安よりも檻から出られたような開放感に心が弾んだ。


直人のアパートは、三鷹市の住宅街にある。

二階建ての六畳一間、ユニットバス。

三鷹駅から南へ歩いて十二分。

春には玉川上水の桜が薄く水面を染める。

窓を開けると、隣の家のベランダが見える。

夜は電車の走行音が聞こえる。

直人にとって一人暮らしは、「誰にも気づかれずに消えていられる空間」だった。


授業初日、大教室の後方に座る。

周囲では新入生同士が連絡先を交換している。

笑い声が弾む。

直人は視線を落とす。

「話しかけられなければ、傷つかない。」

講義が終わればすぐ帰る。

「孤立ではない、自発的な孤独」だと自分に言い聞かせる。


夜、母から届いた「元気にしてる?大丈夫?」という短いメール。

返信は「大丈夫」。

嘘ではない。


大学四年間の時間はあっという間に過ぎていった。


授業はしっかり受け、成績良好。

大学に友人はほとんどいないが、そのためトラブルもない。


ゼミではある女学生から「佐藤君って何考えてるか分からない」と言われたある。

直人は笑ってごまかす。


他人に心を開かない。

それは直人の人間関係に対する防御反応であった。


一年の夏休みから始めたカフェでのバイトは四年間続けた。

シフトには可能な限り入り、店長からの信頼は厚かった。

同年代のバイトとは交流せず、黙々と仕事をこなし、勤務時間が終わればすぐに帰る。


実家には帰っていない。

夏休みも年末年始もバイトを入れ、大学もバイトも忙しくて帰れないと電話で話していた。

正直なところ、何も成長していない自分を家族に見せるのが怖かった。


就活では「慎重さ」が評価され、とある新宿に本社ビルがある会社からの内定をいただけた。

大学四年間、無難に乗り切った。

社会人となってからもこれまで通りやっていける。

新宿という大都会の中で社会に溶け込んでいこう。

淡い期待を胸に秘めて、直人は就活を終えた。


大学卒業の夜、ベッドのうえに横たわりながら振り返る。

この四年間、心はほとんど動かなかった。

笑いもせず、泣きもせず、怒りもせず、平坦だった。

友達がいなくても寂しくない。

友達なんていつかは離れていく。

だったら最初からいないほうが傷つかずに済む。

一瞬、あの顔が浮かんできたがすぐに振り払い、自分に言い聞かせる。

他人に心を開かない。


もうすぐ社会人になる。

再び新しい世界への旅立ちだ。

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