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砂浜の上の僕ら  作者: 蜜樹


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新しい一歩

三鷹のアパートの退去日の朝は、驚くほど静かだった。

カーテンを外した窓から、やわらかな光が差し込んでいる。

家具を運び出したあとの六畳一間は、音がよく響いた。

スーツケースひとつと、段ボールが6箱。 それだけで、自分の数年間は収まってしまうのかと、直人は少し笑った。

ベッドや洗濯機、冷蔵庫等の家具はリサイクルショップに買い取ってもらった。

床に座り、壁を見上げる。

教室で浴びた視線。

机に残された落書き。

誰も助けてくれなかった時間。

あの頃、直人はただ思っていた。

「早くここから消えたい」

地元の海さえも息苦しく感じた。

そんなときにテレビで見る東京はまぶしかった。

ネオンが輝き、人が行き交い、そこには「自分の過去を何も知らない人たち」しかいない。

新宿の高層ビル群にも憧れていた。

あの場所で働けば、自分は別人になれると思った。

そして選んだ三鷹という街。

新宿に近く、それでいて少し静かなこの街。

駅前のロータリー。

玉川上水沿いの桜並木。

自転車で井の頭公園まで走った夕暮れ。

ベンチに座り、何も考えず空を見上げた。

あの頃の自分は、未来は無限に広がっていると信じていた。

就職先が新宿に決まった日。

「あの都会の中で働くんだ」

胸が高鳴った。

だが現実は、想像よりも厳しかった。

評価、競争、数字。

健一の冷たい視線。

駅前のコンビニの灯り。

アパートまでの静かな帰り道。

夜遅く三鷹駅に降り立つたびに、どこかほっとさせてくれる街だった。

布団に倒れ込み、天井を見つめた夜。

健一の言葉に胸を抉られ、それでも明日も会社に行こうと決めた朝。

荒波に飲み込まれないように必死に泳いだ。

この部屋で、何度も息継ぎをした。

直人は最後に部屋を見渡した。

「お世話になりました」

誰もいない部屋に向かって、そう言った。

ポケットから鍵を取り出す。

金属の冷たさが指先に伝わる。


鍵を返却し、アパートを出る。

外階段を一段一段降りるたび、胸の奥が少しずつ締めつけられる。

逃げるようにして来たこの街で、確かに生きていたんだ。


三鷹駅の改札を抜ける。

ICカードをタッチする音がやけに大きく感じる。

ホームに立つ。

総武線の黄色い車体が滑り込む。

ドアが開き、乗り込む。

窓の外に見慣れた景色が流れる。

胸の奥にじんわりとした切なさが広がった。

東京での生活が終わる。

すべてが過去になる。

だが、消えるわけではない。

三鷹で過ごした日々も、新宿での苦しみも、 すべてが自分の一部だ。


千葉駅に到着し、外房線に乗り換える。

蘇我駅からは車内は徐々に空いていく。

窓の外の景色はビルが減り、空が広がる。

やがて懐かしい駅名がアナウンスされる。

切なさと静かな高揚。

直人は荷物を手に立ち上がる。

海のあるこの街で、新しい一歩を踏み出す。

何をするのかまだ決まっていない。

それでも、怖さより期待の方が少しだけ大きい。

溺れる前にたどり着いた浜辺。

今度は息継ぎをしながら泳いでいきたい。

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