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砂浜の上の僕ら  作者: 蜜樹


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突然の荒波

千葉県、九十九里浜近くの田舎町。


放課後になると、潮の匂いが流れ込んでくる校庭。


中学生の佐藤直人と高橋拓海は、小学校からの親友だった。


部活帰りに自転車を並べ、堤防まで走る。

そこから見える海は、いつも広かった。


「テストどうだった?」

「英語がやばい」

「社会は簡単だったよね」

「そうか?まあ、しばらくは勉強から解放されるな」

「そうだね」


拓海は運動神経がよく、クラスの中心にいるタイプだった。

直人は目立たないが、聞き上手で、静かに周囲を見ている。

対照的な二人であったが、バランスが取れていた。


「この町にずっといるのも悪くないけどさ」

拓海が言う。

「いつかは東京で華やかな生活したいよな」

「三鷹とか?行ったことないけど千葉から東京行くときって三鷹行に乗るよね」

「華やかな生活って言ったら六本木とかなんじゃね」

そんな他愛もない会話が続く。


このときの未来は、ただ漠然と明るくかった。


直人と拓海は同じ高校に進学した。

高校一年はクラスは別。

拓海はサッカー部に入部し、直人は何も部活に入らなかったため、登下校も別々となった。


高校二年でクラス替えがあり、二人は同じクラスになった。


拓海は新しいグループの中心にいた。

明るく、声が大きく、影響力のあるグループだ。

直人は、少し距離を感じたが、気にしなかった。


ある日の昼休み。

「拓海って直人と同じ中学だったんだよな。あいつ冗談通じなそうで俺は苦手」

拓海のグループの一人が軽く言う。

周りが笑いながら同調している。

拓海もその中で否定せず笑っていた。

直人はその笑いに微かな棘を感じた。


翌日、教室に入り、席に着こうとした時、

「あいつ、俺らのことチクったらしいよ」

拓海のグループの一人が言った。

直人は身に覚えがなく戸惑った。

拓海もその場にいたが何も言わなかった。


数日後、机の端に油性ペンで書かれた文字があった。

「消えろ」

小さく書かれているがすぐに気がついた。

直人は固まる。周囲の視線。

助けを求めるように、拓海を見る。

目が合ったが、拓海はすぐに視線を逸らした。


直人の胸は氷水が流れ込んだようだった。

味方になってくれると期待した。

せめて何か声をかけてくれるだけでも良かった。

でも、拓海は何も言わなかった。


「いじめの標的になったんだ」

直人は心の中で呟いた。


次の日。

「直人ってさ、マジで空気読めないよな」

笑いながら話す拓海の声。

グループの中心にいる拓海。

その周囲に集まる笑い声。

その外側に立つ直人。

拓海は楽しそうだった。

そこに迷いはなかった。

「選んだ顔」がそこにはあった。


徐々にいじめはエスカレートしていった。

机の上の落書きは増え、机の中にはゴミ。

あからさまな悪口。

クラスの自分以外のLINEグループの存在。

そのなかで繰り広げられる誹謗中傷。


ある日、教室で拓海がスマホを見ながら、

「これ、マジ笑える」と仲間内で盛り上がっていた。

画面には、悪意ある加工がされた直人の写真。


なぜこうなったのだろう。

中学生の頃はあんなに仲良かったのに。

直人は涙が溢れそうになるのを堪えて気にしないふりを続ける。


放課後、階段を降りていると拓海とすれ違った。

「お前、最近、被害者ぶってない?」

声は低く、冷たい。

「俺、別にお前のこと嫌いじゃないから」

一瞬、希望がよぎる。

「でもさ、俺も立場があるし。まあ、気にするなよ」

そう言って拓海は行ってしまった。

拓海は自分を守りたいだけだと直人は理解した。


朝、制服を着るだけで吐き気がする。

教室のドアの前で、呼吸が乱れる。

笑い声が聞こえるたびに、自分のことだと思う。

反論すれば悪化する。

黙れば肯定になる。

逃げ道がない。


直人はよく海に行く。

防波堤に立つ。

あの日の笑い声が蘇ってくる。

心を閉ざす。

信じない。

期待しない。

それが、いつの間にかこの学校生活という閉鎖的な中で生き延びる手段となっていった。


昔は本当に親友だった。

でも、それは中学までの話。

高校では、立ち位置がすべてだ。

弱いほうにつけば、自分が沈む。

直人は、静かで、反論してこない。

標的として最適だった。

「悪いな」

心のどこかで拓海は呟く。

だが、罪悪感は長く続かない。

笑い声が上がる。

自分の立場は守られている。

「これでいいんだ」


直人は「いじめられている」という言葉を、自分に当てはめることが、どうしてもできなかった。

それを認めた瞬間、自分が弱く、価値のない存在になる気がした。


母に言えば泣くかもしれない。

父に言えば学校に乗り込むかもしれない。

妹に知られれば、馬鹿にされるかもしれない。

だから誰にも言えずに一人で抱え込む。

抑え込んだ感情は、行き場を失っていく。

母親の和子はそんな息子の様子の変化を感じ取っていた。


「最近、元気ないんじゃない?」

その何気ない一言に、直人の中で何かが切れた。

「うるさいな。別に普通だよ」

自分でも驚くほど強い口調だった。

和子は一瞬、言葉を失う。

優しい目が、困惑に揺れる。

「心配してるだけよ」

「心配とかいらないから」

直人は立ち上がり、自室へ戻る。

ドアを強く閉める。

胸の奥に溜まっていた悔しさと恥ずかしさが溢れてくる。


妹の美咲は、その様子を黙って見ていた。

穏やかだった兄が急に荒れはじめた。

何が起きているのか分からない。


夜、廊下で顔を合わせると、直人は視線を逸らす。

空気が重い。

美咲は少しずつ、兄を怖いと思い始めていた。

「何考えてるか分からない」

そう母に小さくこぼすこともあった。


何かがおかしい。

だが、直人は何も言わない。

部屋に閉じこもり、食事も最低限。

笑わない。

目を合わせない。

夜、洗い物をしながら、和子は考える。

「学校で何かあったのかもしれない」

だが、どう踏み込めばいいのか分からない。

問い詰めれば、さらに距離が開く気がする。

母親として守りたい。

だが、手が届かない。

それが何よりも苦しい。


直人は、自分が弱いからいじめられるのだと思っている。

怒れなくて、言い返せないから。

だから誰にも言えない。

言ってしまうと「弱い自分」を証明してしまう。


家族に苛立ちをぶつけてしまう。

そして自分の部屋で自己嫌悪に沈む。

そんな毎日の繰り返し。

この街から出て誰も知らないところで生活できたら。

そんなことを思いながら眠りにつく。


高校生三年、三月。

体育館はまだ冷えていた。


パイプ椅子が規則正しく並び、

窓の外では、桜のつぼみが風に揺れている。


直人は二列目の端に座っていた。

名前を呼ばれ、立ち、歩き、卒業証書を受け取る。

壇上からクラスを見る。

中央に拓海がいる。

笑っている。

あの二年間は、存在しなかったかのように。


席に戻る途中、拓海と視線が一瞬交わる。

微かに口角を上げた。

久しぶりに見る嘲笑では笑みだ。


教室に戻り、最後のホームルーム。

クラス全体に担任は言う。

「三年間、いろいろあったな」

「いろいろ」という言葉の中には何が含まれているのだろう。


担任の話が一旦終わり、

教室がざわつく中、拓海が近づいてくる。

「卒業だな」

昔と同じ調子。

直人は、何も言えずに黙っている。

拓海は続ける。

「いろいろあったけど、高校のことなんてこれからどうでもよくなるって」

それは慰めではない。

自分への免罪符だ。

「お前は気にしすぎだからな」

心が凍った。

この地獄の二年間を「気にしすぎ」の一言で処理する。

拓海は最後まで、自分を守った。

直人はわずかにかちを動かす。

「…うん」

それだけ。

それが拓海との最後の言葉になった。


校庭でクラス写真。

「詰めてー」

直人は自然に端へ寄る。

中央に拓海。

距離がある。

物理的な距離以上の隔たり。


直人は卒業式の帰り、制服のまま海へ行った。

風は穏やかだ。

波も静か。

この場所には何度も来ているが何も変わらない。

だが、直人の内面は変わった。

信じるということが、消えた。

期待するということが、消えた。

人に近づくと、切られる。

これからは、心を閉じたまま生きていこう。

直人はそう心に思いながら、海に背を向けて歩き出す。

潮の匂いが遠ざかっていく。

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